第9話 最後ノ晩餐
きっとみんな知っているだろう。かの有名な最後の晩餐のお話は。
レオナルド・ダ・ヴィンチによる有名な壁画のあのお話。
それは、キリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の晩餐を描いたものである。ヨハネによる福音書13章21節により、12人の弟子の中の1人が裏切るとキリストが宣言した瞬間のもの。
そして──。ユダがそれを実行するのだ。
***
「……普通にうまい」
メロンパンを口にした和泉が、ポツリと零す。
「何も食べてなかったもんね」
森下はそれに同調し、プラスチックの封をを取り終えたかつおのおにぎりを口に運ぶ。
「まぁ、どれも食べたことある味だけどな」
そう言いながらも斎藤は、二個目のおにぎりに手を伸ばそうとする。
「お前さん、食べるのはやいの」
植本の言葉に斎藤は手を止める。そして、小さく俯き、小さく言う。
「食べてなきゃ、やってられないよ……。目の前で死んだのはいないとしても……、もう4人。4人も死んじゃってるんだよ……」
皆は一様に動きを止める。
口に出さないだけで、心にはあったのだ。たった一つのミス。たった一つ他者を陥れる策略を実行するだけで簡単に死に結びついてしまう、その事実は忘れることなど出来ない。
陥れるも、陥れられるも一瞬というわけだ。
「い、いまは食事中だぞ?」
明らかに顔色を悪くした自称作家の桜田が口を開く。
「で、でも……。俺らはやっぱり、何かを意図して集められてると思うんだ……」
斎藤は手にあるおにぎりをクシャッと握りつぶし、震えた声で言う。
「例えば……罪とかかな?」
食べ終えたチョココロネのゴミを小さくしてから、早川リホは告げた。
最初の犠牲者となった一ノ瀬は、部下を間接的にせよ殺していた。
掘はよく分からないが、川崎はレイプ、坂本は横領。
どれも世間にでていないか、己は責任逃れしているものばかりだ。
どうすれば、そんな情報を集められるのか、そう思ってしまうほどだ。
「って、そう言えば自己紹介の時最後に名前言った人は?」
ベージュのブレザーを羽織る下條はハッ、と思い出したかのように言葉を零す。
「あ、そう言えば──」
単純な服装にも関わらず、スタイルがいいのが分かる歩が指についたご飯粒を口に入れる。
「名前なんて言ったっけ?」
おにぎりを食べ終え、床に広がるコロッケパンに手を伸ばしながら井森が訊く。
「……の……と?」
瞬間、囁くような音が洩れた。
「えっ!?」
それがあまりにか細く亡霊の怨念であるかのようであったため、穂乃果は表情を引き攣らせる。
「僕のこと?」
先ほどより、ボリュームを二ほどだけ大きくなった声が聞こえた。少し掠れた声ではあるものの、こもりすぎていて高いか低いのかも分からない。
「き、きみじゃよ」
驚きを隠せない様子で、植村はダボッとしたグレーのTシャツにジーパンという、目立たないにも程がある服装の青年を指さす。
「……」
青年は顔を赤く染めて、ごにょごにょと言葉を紡ぐ。しかし、それはほとんど言葉になることなく消えていく。
「名前くらいはっきり言えよ」
和泉がムッとした表情で青年を睨みつけるようにして告げた。
青年はわかりやすく体を震わせてから、俯いて消え入りそうな声を発した。
「武内……」
「たけ……なんだって?」
鈴木は顔を
武内は手をいじりながら、言葉を紡ぐ。
「武内……
武内は床に散らばるおにぎりに手を伸ばしかけ、何かを思ったようで手を引き戻す。
「何がしてーんだよ……」
和泉は小さく首をかしげてから、食べ終えたメロンパンのゴミをクシャッと丸める。
そして、カレーパンに手を伸ばす。
「パン好きなの?」
「ま、まぁーな」
早川リホに訊かれ、和泉は照れくさそうに答えてから封を切る。
「にしても、武内さんはどうやってさっきのゲームをクリアしたんですか?」
大学生の橘が不思議そうに訊く。
だが、それは抱いても不思議じゃない疑問だ。
なぜなら、あのゲームはコミュニケーションを取りペアを成立させるものだからだ。名前すら覚えられてなかった人がクリアできる代物ではないと思われる。
「そ、それは……」
言葉を濁す武内に、主婦の相川ミクが目の色を変えて訊く。
「あなたが主催者ってことは無いわよね?」
武内は、一瞬驚きで目を見開いてから首肯する。
「本当か?」
植村が真剣の色が濃い声で訊く。しかし、武内は表情を一つ変えずに床に散らばるたまごサンドに手に取る。
「……ほんと」
それから引きちぎるように封を開けてから、囁くような声音で答える。
「じゃあ、どうやって誰とペアを組んだんだよ?」
カーディガンにチノパンを穿く、優しそうな雰囲気を持つ橘は顔に似合わない荒々しい声で訊く。武内は、だが言葉を放つことはなく開けたたまごサンドを頬張る。
「――だんまりかよ……」
橘は大きくため息をつき、程よく伸びた明るい茶色の髪をかき上げる。
「カリカリしても、始まらん。ここはゆっくりと観察を続けるのじゃ」
そこへ植村は歩み寄ってきて、耳元でそう囁いた。
――この人も、武内を怪しいと思っているのか?
腹巻の中に手をいれ、本当の考えが読めとけない――不可思議な表情を浮かべパンやおにぎりの散らばる床の近くに腰を下ろす。
「よっこらせっと」
爺さんらしい声を零す。だがそれは、あまりにわざとらしく不自然に感じるものだった。
「うっ……ッ。グワァァァァァぁぁ」
その瞬間は唐突だった。
誰も話さず、それぞれが思考を巡らせ食事をしていた。しかし、その呻き声ともに刹那の静寂は奪い去られ悪夢が再開された。
「なんなの!?」
一番に反応したのは、下條だった。
下條は、口からパンくずが零れたことを気にも留めず、声のした方へ視線を向ける。
首に両手をあて、天井を仰ぎながら悶絶するのは、カーディガンにチノパン姿の橘だ。
みるみるうちに顔色は悪くなっていく。
壁に頭をぶつけ、狂気な悲鳴をあげる。
「ぐわぁァァァァ。く、苦しぃぃぃぃ」
どのような痛みが襲っているのか。はたまた痛みではなく、精神的な苦痛なのか。
それとも、そのどちらともなのか。
それは現在悲鳴を上げている、橘にしか分からない。
だが、確実にこれだけは言える。
橘はいま、何かしらの毒に侵されている、と。
外傷が見当たらない今、先程まで元気だった橘が、苦しみ藻掻いているのはそれしか考えられない。
「た、たすけ……て……」
悲鳴の音量が小さくなり、今度は声を出すことすら辛そうになる。
「ど、どうしたの!?」
腰にエプロンを巻いた主婦の相川ミクは食べかけのおにぎりを床に投げ捨て、橘へと駆け寄る。
橘は、しかし苦しそうな表情のまま首を掴み、
「あ……ぁ……ぁ……」
と、まるでゾンビのような声を洩らしている。
「最後の晩餐って……そういう意味だったの?」
その様子を見た重盛は小さく声を出した。
日本人はしばしば大型連休の最後の晩御飯のことを最後の晩餐ということがある。
キリスト教における、最後の晩餐の意味よりこちら側の意味の方でよく使われていると感じる。
だから、重盛は間違えたのだ。天井の声が言ったあの言葉の意味を。取り間違えたのだ。
──これは単なる休憩時間ではない。
誰もが、ようやくそれに気がついた。
「ぐっ……ァァ……」
最初の悲鳴を上げてから、1分も経っていない。しかし、橘は息絶えた。
泡を吹き、目を向き、向いた目からは赤い涙が零れている。
「な、なんで?」
間近で毒に侵され、死まで到達してしまった橘をみた穂乃果が涙声で呟く。
分からない。これが今の心情なのだろう。
仕込まれてないと言っていた毒が発動した。なら、あの言葉は嘘だったのだろうか。
「意味わかんねぇーよ」
食べかけのカレーパンを床に叩きつけ、和泉は声を荒らげる。
「あいつは一体オレたちをどうしたい? 全滅させたいのか?」
怒りに任せて和泉は、まだ床の上に残るパンやおにぎりを蹴り飛ばす。
だが誰も文句を言うものは現れない。毒が入っているかもしれないのだ。誰が好き好んでそんなものを食べたがる?
「こんなもの……どうして食っちまったんだ……」
少し芝居じみたように感じられる。それはこれを言った鈴木が、着物を纏い台詞と同時に袖をはためかせたからかもしれない。
瞬間──。ブチッという音が天井より聞こえた。切られていた放送のスイッチが入れられたのだろう。
「サテ、本当ニ『最後ノ晩餐』ニナルトハ……」
どこか楽しむような、そんな風に聞こえる機械声。どうやらこの時間の間に新しい機械を調達したらしい。
「ざけんなッ!」
自称作家の桜田は天井に向かって声を荒らげる。
「コレガ運営ナノダ。最後ノ晩餐ハ、起コルベキシテ起キタノダ」
意味が分からない。斎藤はそう思いながら、辺りを見渡した。
瞬間、電気が落ちる。
──見られてるのかッ!?
誰がどこにいるのかが、分からなくなる。
暗順応は明順応に比べ、時間がかかる。
「サァ、
生き残っている15人の男女は、その台詞に小さくうめき声を洩らす。
暗闇に目が慣れ始める瞬間を狙ったかのように閃光が走り、視界がホワイトアウトする。
──くっそ……。また視界が……。
斎藤はぐっと奥歯を噛み締める。
「次ハ最初ニ戻シテ投票デ決メル。今度ハ無効投票ナンテ面白クナイ真似シタラ、ソイツモ殺スカラ」
天井の声がそれだけ告げると、ブツんと放送が切れる音がした。
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