第二十巻 かなり計算外デス!? 滝さんサイド
霊院滝は人間の善性を子供のころから信じていた。
理由なんていらない。
仮に人間が悪性の塊だったとしたら、七十億も数が増えるだろうか。もっと前の段階で、大きな戦争でも起こして自爆して絶滅していたに決まっている。
子供のころから人間が好きだった。
小学生のころは体が弱く、視力に至っては衰弱して死にかけたときにガタ落ちしたが、家族や友達は優しかった。
なので特に理由もなくテレビやアニメに出てくるようなヒーローに憧れた。こういう無辜の人民を守って、永遠に日常を享受するには、それが一番必要だった。
小学生から中学校に上がる前の春休み、ものすごく頑張って体を鍛えた。医者から『一生治らないかもしれない』と言われた喘息も、頑張ったら治った。その他、心臓、腎臓、脾臓、肝臓、骨、胃、体幹、筋肉、色々と持病があったのだが、視力以外のすべてはどうにかなった。
産まれついてそうなのだが、身体的な限界は彼女にとって薄絹よりも脆いものだった。頑張れば全部どうにかなる。
これを言うと友人、家族、学校の先生諸々全員が『現実感ってなんだろう』と悪夢でも見ているかのように震えあがりながら呟くのだが、実際できてしまうのだから仕方がない。
むしろ他の人間ができないことに驚いたくらいだ。彼女の好むフィクションのヒーローやヒロインは、どんな限界も努力で突破していたから猶更。
――これくらいできるだろ? 頑張れば。
そんな経歴を持つ彼女の治安維持活動は苛烈だ。
校内にいる不良を粛清。どうにかこうにか裏で糸を引く系の黒幕も見つけてぶん殴り、教師の立場を笠に着て好き勝手するクズは三日の間、声が出なくなるほどに脅しつける。
すべて善意での行為であり、それなりに居心地のいい空間は作れた。
若干やり過ぎて、中学ではまったく新しい友達ができなかったが、それはいい。自分以外の誰かが友人や恋人を作り、幸せに過ごしている姿を見るのは嬉しいものだからだ。
小学生時代からの友達に関しては変わらず接してくれていたので精神的にも問題はない。
自分の力を認識し、中学校を卒業。春休み中に晃の姉に出会い、茶亭のバイトにスカウトされ、亜府呂学園が始まってすぐに店で働き始めた。
店の先輩の新人いびりが苦痛で、しかも入ったきっかけである晃の姉は店を空けがちだったのですぐに辞めようかと思ったのだが――
「……あっ」
本人にとってはまったく記憶にないだろうが、始まりは店で会計をしていたときのことだった。その少年は渡されたお釣りを見て、小さく声を漏らす。
そして周囲に注意を払い、滝以外にバイトが近くにいることを確認すると、渡されたお釣りから百円玉を取り出してこっそり滝に渡した。
「多い」
「えっ」
「……謝らなくてもいい。何もなかったことにしよう」
とても奇妙な少年だった。
奇抜な容姿をしているわけではない。店に通う目的も、茶亭で食事をするためというよりも、晃と話をするためらしい。実はこの店には色々とパンチの効いた必殺メニューがあるのだが、それに関しては存在すら知らないようだ。
だが変なところで勘が鋭かった。
誰に言った覚えもないのだが、新人いびりのことを知っていたのだ。
ちょっとしたミスでネチネチ言われるような性質のものだったため、確かに『何もなかったことにする』という彼の対応は正しかった。
「気にしなくていい。よくやってる方だから」
「え、と」
「おっ……と……ちょっと不審に思われてるみたいだ。じゃあ俺はこれで」
その少年はそそくさ、肩身狭そうに去って行く。
今まで客の顔など一々意識していなかったが、そこからは変わった。
後々晃も新人いびりに関して気付くことになるが、最初に気付いたのは彼が初めてだ。
他人を見ることを怠っていた自分のことを気遣う、本当に変な少年。
確か名前は、晃からはコサメとか呼ばれていたか。
近くを通りがかった晃の首根っこを引っ掴んで、滝は訊いた。
「アキ。アイツの好みの女のタイプは?」
「えっ」
「早く答えろ。その長髪裁断するぞ。素手で」
「素手で!? ええと……胸の大きな女子……って言ってたっけ……?」
投げやり感溢れていたが、滝はそれに気付かなかった。なんなら滝の質問をかわすための口から出まかせの可能性すらあったのだが。
愚直に素直に、いつも通りに努力するだけだ。
「明日から豆乳飲むかー。ありがとなー」
「……え? 何? アイツに? え? ええっ!?」
「んだよ。彼女いんのか? アイツ」
「いないけど!」
「じゃ、いいだろ」
その後、厄介な客に絡まれたときに遠回しに助けられたり、レジで応対するときにちょくちょく応援されるような一言を貰ったりしたが、更に好きになるだけだ。
最初から好きだった。
「アイツもアイツで女運が大概だな……」
「聞こえなかったことにしてやるぜ。次は頬の肉を削ぐ。素手で」
「そういうゴア展開を気軽にぶち上げるところが大概だって言ってるんだよ!」
そこからの三か月で胸はかなり増量した。やれば全部なんとかなるのだ。
暗所恐怖症だけは未だに一切治らないが、それも問題はない。隣に小雨さえいれば、そこまで怖くないことに最近気づいた。
つまりこの世に実質、大した問題はないのだ。
命がかかったゲーム。破滅を運命づけられたNPC。苦悩や恐怖などのマイナスな感情。万事まるごと叩き壊せる。
あらゆる不可能は『無理』と思った瞬間に産まれるのだから。気持ちさえ死んでなければ可能性は死なない。
◆◆
「と、いうわけで、だ。テメェを止める。テメェを殺す以外の手段で、だ!」
「そんな方法があるとでも?」
「ある! コサメはそれを教えてくれた! これを見ろ!」
滝はパスを取り出し、恵に突き出す。
画面に表示されていたのは『双子人魚について』のページだ。
双子人魚について。
一つ、双子人魚は生物兵器です。本能的に人間を殺害するために行動します。ただし能力の性質上、例外もあります。
二つ、双子人魚には、『人間への変身』と『目を合わせた人間の操作』の二つの能力があります。これらを組み合わせて『人間との入れ替わり』を行い、着実に一人ずつ人間を暗殺し、入れ替わりを繰り返すことによってコミュニティの瓦解と殲滅を行います。
三つ、入れ替わっている間、双子人魚には入れ替わり対象の人格と記憶がありますが、双子人魚本体には生物兵器としての本能しかありません。よって入れ替わっていることを双子人魚本体すら自覚することができません。
四つ、変身能力の解除条件は主に、操作している人間の死亡です。
破壊方法、この船に備え付けられている武器以外での攻撃。
「抜け目ないよな。私と別れて死神を追ったときに情報共有をしっかり済ませてたみたいだ。泣いてたせいで気付くの遅れたけど」
「それが何なんですの?」
「この情報な。コサメと別れた時点では四つ目の条件のみは歯抜けだったんだよ。コサメが気付いてなくて、私が気付いた。アイツどうも変身能力の解除条件のみ勘違いしてたか、さもなくば丸っ切り心当たりがなかったんだろうな」
「そうですの」
恵は興味なさげだ。だが滝は言う。
「逆に言えば、私の予測は間違ってないってことだ。解除条件は主に、操作している人間の死亡。つまり他にもある。そしてそれは私にとっても、お前にとっても最悪のものだ」
「擬態している双子人魚自身が、自分の擬態に気付いたとき、でしょう?」
恵が自嘲気味に滝に笑いかける。
滝はしかし、ピクリとも笑わなかった。
「多分これは正規の解除方法じゃない。だからお前の自意識がまだ残ってる」
「そう。心臓の鼓動禁止の部屋に行くなら今の内……」
「そこがおかしいんだよ! せっかく生き残ったんだ! わざわざ死ぬこたァねーだろ!」
「あなた、私と目を合わせてませんわね」
見抜かれた滝は、一瞬言葉を詰まらせる。恵は畳みかけた。
「それが答えですわ。いつ完全に元に戻るかわからない。そしてもう一つの最大の理由として、私は石神井恵であって石神井恵ではない。本物の方は山形先輩が取り押さえているころでしょうか? 本物の石神井恵を生かすためにも、ここで私は死なないとダメなのです」
「それは違う! 違うぞシャク! 言っただろ! お前を生かす手段は必ずある!」
「それは?」
「具体的には……まだわからん! でもあるんだ! ないとおかしいんだよ!」
嘘は吐いていないようだが、これ以上の建設的な議論は望めそうにない。
何か心当たりがあっても、そこまで考えが及んでいないらしい。
「もういいですわ。これ以上は無駄同然。あなたには何も期待していませんもの」
「シャク!」
「マジックパス発動。『地獄大車輪』」
パスを取り出した恵は、慣れた手つきで魔法を発動させた。
見た目としては『サイコキネシスで浮遊する真っ赤な丸鋸の刃』だ。直径は一メートルほどはあるだろうか。それが二つ出現し、滝に向かって回転しながら向かってくる。
初速八〇キロメートルで向かってきた二つの車輪を、滝は難なく避けた。
――マジックパス! 本人以外にも使えるのか!?
ゲームバランスがおかしくなるので、通常マジックパスは本人以外には使えない。この場にシリウスがいれば、おそらく目を丸くして悲鳴を上げていただろう。
何故ならこれは純然たるバグなのだから。シリウスは『双子人魚は擬態先の人物のマジックパスは使えない』という設定にしたつもりで『双子人魚は擬態先の人物のマジックパスを使用できる』という設定にするという大きなミスを犯していたのだ。
「こんにゃろ、やる気か! それならこっちも……あれ」
恵はいなくなっていた。逃げたらしい。
「見失ったーーーッ! うわああああああ! シャクーーー!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます