第二十一巻 かなり計算外デス! ていうかコレが一番計算外デス!

滝には足りないものがある。天性の才能とたゆまぬ努力の結果手に入れた最強の身体能力をもってしても、状況を把握するための頭脳が追い付いていない。


「絶対に助けてやれるはずなんだ……絶対に!」


可能性はある。だが今一歩、確信へ至らない。うまく言語化できない可能性ならばないのと同じだ。

こんなとき、彼ならば上手くやれるのだろうか。


「これ以上は私には無理なのか……!」


会いたい。もしもこの場に彼がいてくれれば、可能性があることに彼が気付きさえすれば、あとは自分でどうにでもできるのに。


「助けて……!」

「わかった」

「んっ?」


途方にくれ、立ち尽くしている滝の横を飛んでいく小さな影があった。人並外れた動体視力を持つ滝にはそれが何だか認識できる。


「えっ。消しゴム?」

「当たればなんだっていいだろ。後はお前がやれ」

「……あ!?」


コン、と空中で何かにぶつかり、消しゴムがバウンドする。

そこでやっと滝の視界に恵が映った。まだそこまで離れていなかったらしい。


一瞬で距離を詰め、後ろから首を掴み、壁に叩きつける。


「がっ!?」

「捕まえたァ! もう逃がさん!」

「……バカな。何故あなたがここに! さっき本物の石神井恵を追ったはずでは!?」


計算外の存在に、恵は声を荒げながら問いかける。そこにいたのは山形小雨だった。


「ああ。そうか。なるほど。そっちはそうしてたのか」

「そっち?」

「まあ色々と事情があってな。俺は静観してようと思ったんだが……流石に滝が助けたいと願っているものを見捨てるわけにはいかないだろ?」


恵は最初、わけがわからなかった。だがやがて、彼の違和感に気付く。


「……あなた、学生服はどうしたんですの?」

「本物が着てるんだろ。これはロッカールームから借りた。白骨死体からはぎ取ってな。スーツとか着てたから職員のものかな」

「そう。あなたは……!」

「何を言っているのかわからんが、まあよし! コサメ! どうにかしてコイツを助けたい! 手伝え!」


細かいところを気にしない滝の性格は、こんなときには都合がいい。ひとまず小雨は苦笑いしてから口を開いた。


「お前の話を物陰から聞いててやっと気付いたよ。変身のスイッチが中途半端な位置で止まってるイレギュラーな状態なら、多分コイツを破壊する必要は特にないな」

「具体的にどうすればいい?」

「幽霊船をストップさせるには、動力炉を破壊する以外にも条件があった」

「……ああ。そうか。なるほど。だな? 確かにそう書かれてた」


すべての幽霊船における基本ルール、その五。動力炉の破壊もしくは停止によってのみ幽霊船は止まる。実は必ずしも破壊だけが解決方法というわけではない。動力炉が停止すればいいのだ。

石神井恵に擬態した双子人魚を、この状態のまま固定すれば、動力炉の危険性はなくなる。脅威がなくなるのならゲームとして成立しない。

つまりはそれが停止の定義なのだろう。


「具体的にどうするか、はまだ俺にもわかってない。だが伏線はあったはずだぞ。二つ目のトロフィーの取得条件とかな」

「ん……っと……あ、そうか。アレだな。好感度!」

「そう。それだ。それが今回の条件に関わっているはずだ。シリウスは妙なところで伏線を散りばめるのが大好きだからな。伏線の威力を上げるために、できる限りミスリードや引っかけの類を排除しているはずだ。これが何の意味も持たない可能性は著しく低い」

「ゲームとしてもありがちだもんな。絆の力で道理や運命を蹴っ飛ばし、無理やりにでもハッピーエンドを勝ち取る展開ってのはよォ。なあ、そう思うだろう? シャクー?」


滝が恵に向けるのは、凶悪なほどの笑顔だ。もう完全に勝ち誇っているような。恵は反発してもがく。


「ぐ、この……! 離しなさい! それはあくまであなたたちの予測でしかないでしょう!」

「私たちにとっては、とても都合のいい予測だ! 賭けてみる価値はあると先輩の私が断言してやる!」

「そんなことをしなくっても私は……!」

「心臓の鼓動禁止の部屋に行って面倒を起こさずゲームクリアにしてやる、か? ざけんな! 私は認めないぞ!」

「好感度が重要ということが真実だとして、じゃあ実際に何をすればいいのかわかっていないでしょう!?」

「関係してそうな行動を片っ端から試していけば、いつかハッピーエンドに辿り着く! 大丈夫だ、時間はまだあるぞ!」

「そんなバカな……」


段々と反論する気力が削がれてきた。滝の思考回路は、あまりにもポジティブすぎる。このままでは議論は平行線だろう。

ただし、平行線なのは議論だけ。心理的には、むしろ恵の方が押されている。


「あなたって人は、どうして……!」

「仲間だからだ! お前が何だろうと関係ねぇ! 仲間だから助けたいって思うんじゃねーのかよ!」

「……ぐ……!」


あまりにも真っ直ぐすぎた。ガードをしても意味がないほどに、温かい心を向けてくる。

恵も思わず口をついて『わかった』と言ってしまいそうだったのだが――


「おし。じゃあアレだ。早速始めるぞ! キスからな!」

「……わかりまし……は? 今、なんと?」


直前で耳を疑った。傍で様子を見守っていた小雨も眉を八の字にして目を見開いている。

だが滝は大真面目に言いなおした。


「キス! キス! スムーチだ! 呪いを解く行動のド定番で、好感度が関わるコマンドっつったらこれが一番だろ!」

「は?」

「安心しろ。私も未使用だからな。綺麗なはずだぞ?」

「は? は? 待っ……えっ」

「それじゃあちょっと失礼して」


ぐるり、と壁に叩きつけていた恵の体を回転させ、向き合わせる。そして滝は恵に対して顔を近づけていく。


「力を抜け……すぐに終わる……と思う!」

「あ、わ、わ、い、いや! 助けっ……!」


彼女の善性が本物であることだけはわかった。そして、できる限りそれに付き合ってあげてもいい、とも思った。

一瞬でも思ったのが大間違いだった。やり口があまりにも過激で極端すぎる。


「いいっやああああああああああ! 戻ってきて大車輪ーーー!」


悲鳴を上げながら叫ぶが早いか、先ほど放った大車輪が滝の方へと舞い戻ってくる。


「何ィ!?」


思わず滝は避けるために、恵から急いで距離を取る。

車輪は二人を裂くように、二人の間を縦に裂いた。


その間に、またしても恵の姿が見えなくなる。


「ああ、ちくしょう! また見えなくなった! コサメ! もっかいアイツを見つけてくれ!」

「……むしろこのまま死なせた方が彼女のためな気がしてきた……」

「コサメ!」

「わかった。わかったよ。やればいいんだろ!」

「羨ましいのか? べ、別に後でお前にやってもいいんだが……恥ずかしいし……」


極端。苛烈。激烈。偏り過ぎ。

滝の思いやりと正義は、どこかいびつだった。


聞こえなかったことにして、小雨はポケットの中に入っていた消しゴムをもう一個投げる。

滝の視界から消えていた恵に当たり、再びその姿は認識の中へと帰ってきた。


「見つけた! 逃げるなシャクー!」

「ぎにゃあああああああああああ!?」


ぶおん、と人間が出しているとは思えない風切り音と共に滝は突進。半ばラリアットのような形になっていたそれを恵はしゃがんで避ける。


壁にぶつかり、爆音が響き、大きく船が揺れた。恵と小雨の体が揺れる。


「あ、は、ひいい……! いやあ! 助けてお父様ー! キス魔が私を狙ってくりゅううう!」

「ちい! また視界から消えた! コサメ!」


破壊した壁の粉塵を払いながら周りを見渡す滝と、それから必死に逃げようとする足元フラフラで涙目の恵。

滝の行動が正解の可能性は確かに高い。高いが、しかしこの光景を見ていると段々とやる気が失せてくる。あまりのトンチキさに眩暈がしそうだった。


だがこんな状況でも命がかかっている。協力しないわけにもいくまい。


小雨は横を通り過ぎて逃げようとする恵の足を払った。

ステン、と呆気なく恵は転ぶ。そして滝の視界に再び認識される。


「見つけたァ!」

「きゃあああああああああ!? ちょっ、やめっ……お願い、許」


また風切り音。そして小雨の動体視力では到底捉えきれないスピードで滝が突進。恵を巻き込み更に前進し、どこかの壁にぶつかって爆音と振動をまき散らす。


ここから先の光景を、小雨は見ることをやめた。


「逃げるな! いわばこれは救助活動だ! 恥ずかしいと思うから恥ずかしい!」

「じ、人工呼吸って衛生的に結構危険らしくってぇ……!」

「あとで手洗いうがいを忘れずにしろ!」

「待っ――んむぅーーー!」


小雨の後ろで、なにか小さな水音が聞こえる。それと恵の喘ぎ声。


「あ、あっ……いやっ……一度でいいっ、んんっ……!」

「私自身もよくわからないので、ひとまずマンガで見たキスを一通り試すぞ」

「ひ、一通り……!? 冗談じゃ……んあん……!」


実は既に、滝のパスから電子音が鳴っているのに小雨は気付いた。あの分だとおそらくゲームクリアの通知だろう。

だが恵だけでなく滝もいっぱいいっぱいらしく、まったくそれに気づいていないようだ。


「あー……早く本物連中来ないかなー……」


小雨は遠い目をしつつ、水音から必死に意識を逸らす。


双子人魚の沈没船、クリア。

生き残りメンバーにトロフィーを一つずつ配布。

条件を満たした霊院滝には更にもう一つ配布。


滝は完全ドロップアウトに必要な、三つのトロフィーを手に入れた。

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