第十九巻 かなり計算外デス!? 石神井さんサイド
「私は……誰……?」
船長室から抜け出し、どこかへと歩む影がある。
「私は……私……」
――いつから入れ替わりに合ってた?
石神井恵だったものは回想する。
子供のころからの記憶もキチンとある。一番古い記憶は、自分の遊び相手として家が用意した捨て子と、庭で駆け回っている記憶だ。
歳は二つ上。恵が産まれた少し後に、石神井家が困窮して金に困っていたとある家から買ったらしい。つらつらと経歴を並べてみれば、出会いがあまりにもあんまりだ。
だけど、一緒にいるだけで心が温かくなる幼馴染だった。
それを覚えている。間違いなく自意識は恵のものだ。
もちろん双子人魚の資料は読み込んだ。読み込んだが、まさか自分がそうなっているとは思わない。
思えるわけがない。
――あの様子だと、山形先輩は気づいてますわね。
大したものだ。流石にあの生徒会長と知り合いというだけある。魔流田女学院の生徒を一切信用していないというのなら、つまり生徒会長のメンタリティのことを知っているのだろう。
一度、なんとなく気に入らなかった生徒会長にちょっかいを出してみようと、気まぐれに思ったことがある。
一緒の学校に通っていた幼馴染が、あれだけはやめておいた方がいいと忠告してきたことが、余計に恵の闘争心に火を付けた。
なんでもできると思っていた。恵は石神井家が始まって以来の天才で、まさに隠密活動をしてくるために産まれてきたとしか思えない素養を持っていたからだ。
実際になんだってできた。世の中は自分専用のステージで、自分とその家族、友達以外は全員搾取される側。そういう設定の劇画なのだと信じて疑ってなかった。
悪行の限りを尽くしても全然怒られることはなかった。当然だ。主人公に楯突く登場人物など、結局のところすべて噛ませ犬でしかないのだから。
――生徒会長の悪行を全部盗み出して、それを白日の下にぶちまけるだけ。大丈夫。私ならできる。私だからできますわ。
幼馴染は最後までいい顔をしなかった。同学年だから、余計に怖がっているだけだろうと思った。だからこそやってやりたかった。
それはささやかないたずら心。不可能だと思っていたことを、実際に目の前でやってみせれば驚くはずだ。そして得意気に笑う自分の顔を見て、安心したように胸をなで下ろした後、一緒に笑いあってくれるに違いない。
自分の抱いていた人生観が何もかも幻に過ぎなかったと、生徒会長に突き付けられたのは、反逆を企ててから三か月後のことだった。
幼馴染が消えた。石神井の家から綺麗さっぱりと消えていた。
しかも痕跡が一切見つからなかった。少なくとも、彼女からヒントを与えられるまで、恵は何が起きているのか見当もつかなかった。
日曜日、私服で街を散策する恵に接触してきたのは生徒会長だった。
「もう偽物の家族はいらないんだってさぁ」
にやにや笑いを浮かべながらそう言う生徒会長に、腸が煮えくり返る思いだった。
――偽物? 違う。私たちの絆は本物ですわ。
「いや。偽物だよ。前提からしておかしかったじゃん。ずっと目を背けてただけでさ」
今度はお姫様のように、上品ににっこりと笑う。
何を言いたいのかはわかる。石神井家が金で買った子供だということを言っているのだろう。だが大切なのは今であって、始まりが歪んでいたとしても絆は絶対に偽物などと呼ばせはしない。
「本物の家族の前でも同じこと言える?」
――は?
「いやはや、なんとなーく彼女の素性のことが突発的に偶発的に気になってさあ! 調べてみたら過去に彼女がキミの家に買われたらしいじゃない? で、よくよく調べてみたら彼女、かなりいいところのお嬢様だったらしいじゃない!? 石神井家と同レベルのさぁ!」
初耳だった。
お姫様のような笑顔はどこへやら、再び下品に、オーバーな笑いを張り付けて生徒会長はまくし立てる。
「で、まあ、その時点で彼女の家は見る影もなく没落してたんだよね。なんでも当主が彼女の小さいときに不自然に偶然に死んじゃったせいで、あれよあれよという間に空中分離したというじゃない!? 一体誰がやったんだろうねぇ?」
話の流れが見えてきた。背筋が凍り付く。
――知らない。知りたくない。興味もない。
「ふふ? そう? そんなこと言っちゃう? ……あ、もしかして、自分の家がやったんじゃ、とか思ってる感じ? 調べてあげよっか?」
――やめて。
「……調べてあげよっか?」
――やめなさい!
怒鳴られた生徒会長は大袈裟に驚いたフリをした。
その後、更に笑顔を深くする。瞳の奥は、人間のものとは思えないほど闇が渦巻いていた。
「でもまあ、別にいいんじゃないかな? 仮に石神井の家が過去に彼女の家をどうこうしようと、今は今だしねぇ? ねぇ? ねぇ?」
――いい加減にしなさい。あの子はどこ? 私を脅すつもりなら見当違いですわよ。
「……うん。そうだねぇ? 過去は過去だし、ねぇ? そんなことを揺すりのネタにしても楽しく……失礼。意味がないし、私もそこまで悪趣味じゃないんだよ。なので」
生徒会長は、胸ポケットから何かを取り出し、恵にそれを投げた。
恵はそれを受け取らず、投げられたものはひらひらと、足元に落ちる。
それは、写真だった。
ぎこちない笑顔を浮かべながら、知らない女性と並んで笑顔を浮かべ、カメラに目線を向けているツーショット。
それだけならば恵も気付かなかっただろう。その女性と、横に並んでいる幼馴染の顔が似てさえいなければ。
――これ、は。
「ううっ! 泣けちゃうなぁ! 泣けちゃうよねぇ! 十数年の時を経て、ついに彼女はお母さんに再会できたんだよ! しかも愛らしい生徒会長、耶麻音アポロちゃんの手によって家が徹底的に再興されているというオマケ付きでさぁ!」
――え?
「いやぁ、最後に愛は勝つんだねぇ! 私の援助(大金)と、断絶したと思われていた良家の血を持つお嬢様。この両方が揃っていれば、もう完膚なきまでのハッピーエンド! 誰も入り込めない。誰も壊せない。彼女はもうキミの元へと帰ってくるわけがない!」
――何を言ってるの?
自分の声が掠れていることが自分でもわかった。
反対に、生徒会長の声は大きくなっていく。耳障りな笑い声も。
「ぎしゃははは! ぶわぁーーーっか! まだわかんないの!? ゆすりのネタに効果がないのなら、徹底的にゆすれる環境を徹底的に作るに決まってるでしょ!?」
――バカな。狂ってる。一つの家を、それも石神井家と同程度の家を援助するなんて。
「もちろん私の総資産のほとんどを使っちゃったよ。でもすぐにリターンできるはずさ。ねえ……さっきの話に戻るんだけど。彼女があなたの家に落ち延びた理由って、なんだと思う?」
――やめ、て。
「ねえねえ! なんだと思う!? なんだと思う!? 実はもう調べてあってさぁ! これがまたまたビックリな犯人が裏にいて、私もあまりの衝撃におしっこ漏れちゃって」
――やめて!
「……あはあ……違うな。違うよ。あはは……あははははぁ……」
恍惚とした表情を浮かべ、酩酊しているかのようにふらふらと頭を揺らした生徒会長は、ある一瞬で表情を消し、絶対零度の声色で言った。
「やめてください、だろ?」
――……やめて……ください。
イラついた表情で、生徒会長は距離を詰める。
彼女は恵と比べてすさまじく背が低い。恵を見上げる位置、写真を踏みにじり、うつむいた彼女に目線を合わせた。
「声が小さいなあ……なんて言ったの?」
喉が痙攣した。
恐ろしい、という感情を初めて恵は体験した。
歳が上なだけで、遥かに背が低い生徒会長が、人の皮を被った化け物のように感じられた。一枚肌を向けば、そこに得体のしれない虫が大量に詰まっているような。
気持ち悪かった。近づいてほしくなかった。今すぐに消えてほしかった。
「やめてください……」
「ふーん。やめてほしいんだ……やめてほしいの?」
「……」
「はい、って言え」
「……はい」
それだけ聞くと、もう生徒会長は満足なようだった。ニコリと笑い、踵を返して恵から離れる。
知らない内に止まっていた息も解放される。
「あ、そうそう。ごめんね、私、嘘吐いてた。彼女、ずっとキミのところに帰りたがってたよ。自分の境遇をいくら言って聞かせても『今は違う』の一点張りでさぁ。でも」
足を止め、ぐるりと首を恵の方へと回し、生徒会長はまだも追い打ちをかけた。
「お母さんの愛情を、まあ十分の一でも理解してさ。家、継ぐって」
「……」
「それでも恵様と友達でいれなくなるわけじゃないですし、ってさ。困り顔だったけど幸せそうに言ってたよ」
「……そう、ですの」
もう精一杯だった。何もかも遠くに聞こえる。
「あ、ところで恵ちゃん。一つ訊きたいんだけどさ。私に何かしようとしたって密告があったんだけど……そんなわけないよね?」
「……はい。そんなわけありません。考えたことも……ありません」
「そっか。よかった。そうだと思った。じゃ、私もう帰るねー! バイバーイ! 後のことは二人でゆっくりと!」
「ッ!?」
入れ替わるように、今まで会いたくてたまらなかった親友が現れた。
無邪気に、いつもの通り、温かくなるような笑顔を向けて恵の方へと駆けてくる。
去って行くアポロにペコリと会釈したので、きっと彼女の中のアポロは『理解しがたいお節介をする妙で優しい同級生』なのだろう。今までの恐喝紛いのやり取りも当然聞いてなかったに違いない。
彼女の姿を見て、愕然とした。
明らかに綺麗になっていたからだ。服装や化粧だけの話ではない。何か決定的に眩しくて、直視しがたいものを得たような笑顔。
違う、逆だ。
今まで恵の隣にいた彼女の方が欠けていたのだ。
そして、この瞬間まで恵はそれに一切気付いていなかった。
結局のところ、全部歪んでいたのだ。
恵の自信。周囲の人間関係。そこに裏打ちされた人生観。
何もかもがすべて足元から崩れ去っていく。
「来ないで……お願い。来ないで! 私を見ないで!」
嘘だ。嘘だ。嘘だ。
ああ、何もかもが。
最初から持っていたもの。誰かに用意されたもの。そこにあると勘違いしていたもの。
自分自身で勝ち取ったものなど、自分の手元には何もない。
「私に近づかないで! いやあ……! ああああああああ!」
◆◆
――朦朧としてたせいで、また気絶してたみたいですわね。
恵は――いや双子人魚は、壁によりかかった状態で目を覚ました。
立ち上がり、壁に手をつきながら先へと進む。
この後の話は簡単だ。生徒会長である耶麻音アポロは、石神井家の秘密をネタに、莫大な金を強請り取るようになった。
ただ、アポロは変なところで弁えていた。永遠に強請ることを良しとせず、上限を用意していたのだ。
つまり、彼女にとっては商売をしているつもりなのだろう。石神井が汚い手を使ったという情報を抹消する代行料、そして口止め料。
デスゲーム、ゴーストセッションに参加すれば、彼女の要求した金など二週間で用意できた。
それにも関わらず、恵がゲームを続けているのは何故なのか。もう恵本人にもわからない。
強いて言うなら惰性だ。
もしかしたら、今度こそ自分の手で掴めるものがあるかもしれない、などとはもう考えていない。
「ともかく……あの場所に向かいさえすれば、私は……いえ、このゲームは……!」
「行かせねぇーぞ」
聞きたくない声が聞こえた。
「……流石に私でもわかる。お前がどこに行こうとしてんのか」
「あら。もう気付いたんですの?」
「まあな。部屋ん中覗けばお前がいないことなんてすぐわかる。で、どこ行こうとしているかなんて……これこそ簡単だろ」
双子人魚が振り向くと、あっけらかんとした表情の滝がいた。
「心臓の鼓動禁止の部屋、だろ? わざわざ肺呼吸禁止の部屋が存在するってことは、人魚自身も部屋の強制力の影響下ってことだもんな。そこに入ればお前は終わりだ」
「……ふふ。これしか方法がない、というか。これがベストですもの。行くに決まっているでしょう?」
「行かせない」
滝が腰を落とし、深く構える。
「ここで止める」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます