第十六巻 大分死んだ

「ぐっ……げほっ!?」


ドアのすぐそば。爆発に直接的に巻き込まれなかったものの、耳をつんざく爆音と、急激な爆風に倒れた滝は、咳き込みながら上体を起こす。

船長室の中が爆発したという事実に気付くのに、時間がかかる。


「……シャク?」


自分の声すら遠くなるような静寂。

ダメージは極々軽微だが、足が震えて立ち上がるのに時間がかかる。


「シャクッ!」


もつれる足を無理やり動かして、船長室の中を覗く。

照明が壊れ、爆炎が燻り、むせ返るような火薬臭が不快感を煽る。

ドアの枠に手を当ててないと倒れこんでしまいそうだった。


そんな中、辛うじて見えたのは、無傷で佇む死神の姿。

片手にはパスを持ち、彼女の周りは不自然に無事だ。焦げ一つ服に付いていない。

よく見てみると、何か薄いガラスの幕のようなものが彼女の周囲を球状に覆って守っているようだ。


バリア。ガード。そんな言葉が頭に浮かぶが、それは後回し。


死神は気だるげに、ある方向を指さす。『そっちを見ろ』と。


促されるまま、滝はそちらに目を向ける。

目を向けて――


「……あ……」


その光景を理解した。そのすぐ後で、悪夢か何かだと思い込みたくて、どうにか頭を切り替えようとした。


何かが本棚にへばり付いている。赤黒い中身をぶちまけながら、本棚にめり込んでいる。


――違う。逆だった。


髪に隠れ、目元は見えないが、口は悲鳴を上げているように大口を開けて固まっていた。傷一つなかった体はズタズタになり、焦げ塗れで、足や腕などの末端は千切れたり変な方向に曲がったりしている。


その光景が、照明の壊れた薄い暗闇の中に見えている。廊下側の無事な照明が入るものの、滝が恐怖するには充分だった。


「う、あ、あう……シャク……シャク!」


疑問は尽きない。

どこから死神は現れたのか。

何故パスを持っているのか。

恵が気付いた事実とはなんだったのか。


だがそれらはすべて、恐怖や悲しみがドロドロに混じった最悪にどす黒い奔流に飲まれていく。


銃の撃鉄を起こす音。滝はもう気を失ってしまいそうだったが、その音で辛うじて現実に戻ることができた。

ただ少し再起動に時間をかけすぎた。足がすくんで動かない。この距離だと充分弾が当たる。


「……ッ!」


しかし、すぐに引き金を絞って撃つはずだという予測に反して、死神は動かなかった。


「……お?」


銃口は間違いなくこちらに向けている。銃が故障したのかと思ったが、そういうわけでもない。というより、銃に対してまったく注意を払っていない。滝に対して銃を向けたその後で、ずっと静止しているだけだ。


しばらく睨み合いが続いたところで、死神は首を傾げた。


「……?」


なんとなく滝にはわかる。死神が今、頭に浮かべている疑問は『何故向かってこないのか』だろう。

滝が暗所恐怖症だという事実は、この船では知りようがなかった。


――コイツ、なんだ? 何がしたい?


少しだけ冷静になった滝が、死神を更に観察する。

すると、彼女は滝に向けていた銃口を、微かに、しかし間違いなく意識的にズラして発砲した。


銃弾は当たることなく、滝の顔の横を掠めて背後に着弾した。


確信に至る。死神に滝を殺す気は微塵もない。それにも関わらず滝に対して挑発行為を繰り出している。


「お前……なんだ?」

「……」

「答えろよ! 何のつもりだって言ってんだよ!」


死神は終始無言だ。ただ、困ったような挙動で周囲を見渡している。滝が死神に対して敵対行動を取らなかったことが余程予想外だったようだ。


しばらく考え、あるところを見つめて固まる。

恵の遺骸だった。それと滝の顔色を交互に見つめた後、銃の照準を遺骸に定める。


「やめろ! もうそんなことしても意味ねぇぞ!」

「……!」

「……テメェの狙いはさっぱりわかんねー。でもこれだけはハッキリしたぜ。さっきまでとは明らかに行動の方向性が変わってるもんなぁ! 奇襲をやめたかと思ったら、急に私の怒りを買うような行動ばっかり取り始めて……勝ち目がないとわかった途端に勝負をぶん投げてる!」


何が起こっているのかはわからない。小雨がいれば何か思いついたのかもしれないが、滝には見当も付かなかった。


今から考えると、部屋が薄暗くなっていたことは返ってよかったのかもしれない。お陰で恵の最後の言葉を思い出すことができた。


「……戦わないぞ。私は、お前を攻撃しない!」

「……!?」

「最終的には粉々にぶち壊してやるが、今はやらない! テメェの正体を看破するまではな!」

「ぐ……!」


死神がくぐもったうめき声をあげ、苦しんだように後ずさる。

そのとき、ポロリと何かが床に落ちた。

薄暗くてよく見ないとわからないが、少しの間を置いてそれがパスだということに気付く。


「……なんでパスをお前が持って……」


ガシャン、という大きな音が部屋の奥から響く。

滝の疑問は頭から吹き飛んだ。


急に船長室の床を突き破って、巨大な狼が現れたからだ。


狼はその巨躯に見合った大きさの前足を大きく横薙ぎに払い、隙だらけだった死神の体に叩きつける。

ボキリ、とイヤな音がした。体幹にあるどこかの骨が折れたらしい。死神の体は宙に浮かび、壁に激突した。

滝が目を奪われているその傍から、狼は更に追撃をしかけようと駆けて――


「殺すな!」


その声に反応して止まった。

滝の声ではない。狼の後ろから現れた少年の声だ。


「……コサメ!」

「滝! 詳しく説明している時間はない! コイツと戦っちゃダメだ!」


やっとのこと合流できた小雨には、怪我らしい怪我は一つも見当たらなかった。頭にはニヤニヤ顔を浮かべているシリウスが乗っかっている。

彼の姿を見ただけで、滝は自分の体がすっと軽くなったのを感じた。


「石神井は!? アイツはどこに……」


小雨が周囲を確認し、恵の遺骸を見つける。

悲鳴の一つでも上げるかと思ったが、少しだけ不快な顔をしたきり、滝に冷静に向き合った。


「何があった?」

「わからない。部屋の中で何かが爆発したってことしか……」

「そのときそいつはどこにいた?」

「……部屋の中、だと思う」

「どうやって爆発を防いでた?」


矢継ぎ早な質問に、滝はすらすらと答える。

ただ、最後のどうやって爆発を防いだのかという質問には少しだけ間を置いた。


「……そうか。パスを使ってた。じゃあ、コイツ!」

「もういい。それだけ聞ければ充分だ」


そう言う小雨の表情は、とても苦しそうだった。苦虫を噛みつぶしたかのように眉間に皺を寄せている。


「……よく頑張った。後のことは俺に任せてくれ」

「え?」

「どこかNG制限のかかってない部屋で休んでてくれよ。後のことは俺が全部決着付けるから」

「……そんな! コサメを一人にはさせられない!」

「頼む! 双子人魚を破壊するのは滝がいたら不可能なんだよ!」


どういう意味なのか。それを訪ねる前に、死神は部屋の外へと出て行ってしまっていた。



小雨は冷え切った声で、狼に告げる。


「……生け捕りだ。わかるだろ?」

「がおる」


一体この狼はどこから出てきたのか。聞きたいことは山積みだったが、小雨は見るからに焦っていた。とても質問できる雰囲気ではない。


「コサメ……?」

「滝。絶対に俺を追わないでくれ」

「何故?」


小雨は答えない。逡巡したあと、無言で滝の横を通って死神を追おうと廊下に出る。


「……石神井の死体に、あんまり近づくな」


すれ違いざま、気遣うようにそう言われた。

後に残されたのは、滝だけだ。


「……シャク……」


部屋の中に残った、生きている人間は、滝だけだ。

先ほどまでくだらないお喋りをしていた相手が、今はもう動かない。無残な遺骸を曝して、沈黙しているだけだった。


「……ダメだよ、コサメ。直視できるわけじゃないけどさ……ここから離れることもできねーって……」


友達になれると思った相手の突然の死。

滝にとって明確に、ゴーストセッションに参加してから始めて実感する死がそこにあった。


ドアの横にへたり込み、壁に背を預けて、滝はもうその場から一歩も動かない。


船長室の中で、何かが蠢いたが、それに気づく余裕すらなかった。


◆◆

死神の生け捕りは成功した。

負傷していたので、まったく問題はなかった。


狼が軽く小突き、その衝撃で死神はすっかり伸びて、廊下に転がっている。

少なくとも今すぐに復活することはないだろう。


小雨はそれを、悲しそうな目で見降ろす。

シリウスは静かに口を開いた。


「……さて。コサメさん。もうあの部屋の言動からして、全部わかってるんデスよね? どの時点で気付きました? 大したヒント与えてなかったはずデスが?」

「まず最初。この船に備え付けてある武器による攻撃の無効。この項目に何の意味があるのかな、って思ってさ。一つだけしか思いつかなかったんだ」

「ほう。聞かせてもらいましょう。どんな意味があると?」

「フレンドリーファイア、つまり同士討ちや流れ弾による被害の防止。双子人魚って名前からしてさ、真っ直ぐに考えるだろ。『今回の動力炉は二つあるんじゃないか』ってさ」


シリウスの笑顔が濃く、暗くなっていく。それを頭の上に乗せている小雨には見えないが。


「で、次。双子人魚の改造前の操り人魚って商品名。これを聞いたときに一番最悪な想像が浮かんだ。双子人魚って割には敵対行動を取ってくるヤツがコイツしか登場しなかったし……そこに疑問を抱いてたから、猶更すぐに思いついた」

「最悪な想像とは?」

姿。尚且つ、それが

「……ふーん」

「色々と総合的に合わせて思いついた仮説だけどな。あのプロトコルで操り人魚の機能について、やっと確信を持てたわけだけど。人を操ることで何ができるって、まずは俺たちへの攻撃だろ? どの程度操れるかによっては、味方のフリさせて、いざってときに裏切らせるっていう作戦もアリだろうな」


そこで小雨はため息を吐いた。死神を見下ろしながら続ける。


「そうじゃなかったから問題なわけだけど。かなり大雑把な指示しかできないみたいだな。コレ見る限り」

「ふふ。デスね」


シリウスは否定しない。

答え合わせをする分には、ネタバレへの配慮はしなくてもいいらしい。


「それと、今回あんまり注目してなかったけど、今から考えればおかしかったルールがもう一つ。参加者の情報の規制だ」

「基本ルールその五。今回『ゲーム参加者の情報』はロックさせていただきマス。参加者に出会っても、その情報がパスに開示されることはありません」

「……ゲーム開始時の俺は『あの細かすぎるプロフィールが出ないのならラッキーだな』程度にしか思ってなかったけど……」


このルールこそが、死神の正体と、双子人魚の正体の答えだった。


「この死神の正体は、動力炉じゃない。でもコイツの正体はそっくりそのまま双子人魚の正体に直結する。コイツは……俺たちをずっと殺そうとしてきたコイツの正体は……!」


小雨はしゃがみ、死神から無造作に仮面をはぎ取った。

その顔を確認した後、信じたくないものを見たかのように目を強く瞑った。


「ゲームのプレイヤー。なんだ」


初めて露になる死神の素顔は、見知った人間の顔。

間違いなく、自分たちに同行していた石神井恵の顔だった。

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