第十五話 世界は優しさに満ちているが世界があなたに優しいわけではない

二人がかりで死神に挑む滝と恵は苦戦していた。

戦いようがない、というほど絶望的ではない。とにかく戦いづらいだけなのだが。


「こんの野郎!」


ぶん、と空を切る音。そして思い切り地面に堅くて重い何かが叩きつけられる衝撃。

石神井恵には信じられなかった。本気を出した滝が、ここまでの膂力とスピードを持っていることは完全に予想外だった。


技術的に見れば『ただ手足を適当にぶん回しているだけ』だが、一発一発の威力が桁違いだ。空ぶって叩きつけられた船が何故壊れないのかが不思議なほどに。

だが、一発たりとも当たらない。死神も攻め時を測っているようで防戦一方だが、それにしても不自然なほどに滝の攻撃が通らない。


偶然なのか、目の前の死神が使っている技術は恵の持っている隠業術に類するものだ。人の認識の死角と性質を知り尽くしている。


「霊院先輩! あなたが認識している相手の位置と、実際の位置がズレてますわ!」

「んなこたわかってんだよ! さっきからホログラムに向かって殴りかかってる気分だ!」


だからってやめるわけにもいかない。この膠着状態を解くには一度、滝の攻めの手を緩める必要がある。だがやめたが最後、相手に隙を見せることになる。そうなったら銃弾や爆弾の雨あられだ。


滝の体力は底なしなので、このまま相手を消耗させていく作戦も充分とれるとは思う。しかし、時間制限があるのでそれはやりたくない。

最初は参戦する気満々だった恵も、この暴力の嵐の中に飛び込みたくはなかった。

どうしたものかと遠巻きから眺めていると、滝が声を張り上げる。


「シャク! 観測手スポッターできないか!?」

「……でき、なくはないと思いますけど……」

「じゃあやってくれ!」

「ええ……?」


わざわざ嫌いな先輩のために労力をかけたくはない。

それが本音だが、ゲームをクリアできなければ割を食うのは自分だ。


「シャク!」


懇願されるような声を出され、我に返った恵は深いため息を吐いた。


「……右旋回しながら裏拳」


ガン、と今までとは違う音が鳴った。やっとのこと捉えたそれは宙を舞い、地面をバウンドし、何回かそれを繰り返した後で着地する。

恵の指示通りに動いた滝は大いに驚いていた。恵の言う通りにした途端に攻撃が当たったのだから。


興奮した滝は喜びのあまり恵に振り返った。


「しゃあ! やれる! 勝てるぞシャク! なあ!」

「おバカ! こっちを見ないで!」

「え?」

なんですよ! 彼女は!」


事情がわからないながらも滝が再び死神に視線を戻そうとすると――


「あっ」


死神は消えていた。跡形もなく、痕跡もなく。


「……隠れたのか?」

「逃げたんですのよ」

「……またかよ! どういうつもりなんだアイツ!」

「奇襲でしかあなたに勝てる目がありませんもの。当然ですわ」


だからこそ二度と奇襲をかけられないように、何が何でもこの場で叩きのめしておきたかった。実際それが可能なはずだったのに。


「シャク。すまん」

「……いいですわ。一度の失敗でグダグダ言うほど私、人間腐ってませんもの」

「ところでシャク。直接的に関係はないと思うんだが、お前と私って以前にどこかで会ったことあったっけ?」

「は?」


急に何を言い出したのか、と怪訝に眉を顰める。

だが滝自身も自分が具体的に何を言いたいのかわかっていないようだった。


「そのお嬢様口調、その声、どこかで聞いたことがあるような……」

「ん?」

「……具体的にはそう、この船を探索し始めて……えーっと……妙な気配が周りに漂い始めて……」

「……あっ」

「笑い声でも聞ければ一発でわかると思うんだが……」


察した恵は、滝がそれ以上思い出す前に一気に彼女に距離を詰め、手を握った。


「霊院先輩! お疲れ様でした! どんまいですわ! 今回の失敗を次回に活かしましょう!? ね!? ね!?」

「お? おう」

「さぁーって! 山形先輩が心配なので、あれのことは一旦放置して先に進みますわよー! えいえいおー!」

「えいえいおー!」


小雨に脅迫されて無理やり従わせられるのも中々苦痛だったが、今も相当だ。なにせ常時気を逸らせていなければならない。

バレたら先ほどのパワーがすべて恵に向かって放たれる。それだけは何としてでも阻止したかった。


「ま、大丈夫だろ。全部なんとかなる気がしてきたぜ。私たちのコンビ、中々いい感じだしな」

「……ええ。思ったよりも、ね」


不本意だが、隣に頼れる誰かがいるという連帯感は安心を生んでくれる。

恵は滝の人格を好きになれないが、居心地は悪くはなかった。


◆◆

「カードキーがいるのかよ!」


やっとのこと階段を見つけ、上へと駆け上がった先は扉で塞がれていた。

小雨は苛立ち交じりに扉を拳で叩く。


「くそ。明らかに誘導されてる。『探索が足りてない人が外に出ることは許さない』とでも言いたげだ!」

「あ! メタ読みしないでくれマス!? ゲームマスターとしてちょっとドキッとしちゃうから!」


頭の上に載っているシリウスがぺちぺちと額を叩きつつ抗議する。

ゲームを進めて推理する分にはまったく構わないが、ゲーム制作者の傾向から推理されるのは恥ずかしいようだ。


「カードキー……確かここに来る途中でロッカールームがあったな」


引き返している時間がもったいないが、そうも言っていられない。

踵を返し、ロッカールームへと急行しようとした。


「あれ? 狼は?」


そのときにやっと小雨は気付いたが、狼がいなくなっている。

てっきりずっと付いてきているものだと思っていたので、少し肩を落としていると、何かが上へと駆け上がってくる音がする。


すぐにその正体は現れた。赤い毛並みの、あの巨大狼だ。


「がおる」


狼は口に咥えていた何かを、小雨の足元でポトリと落とす。

プラスチックでできた硬く小さな板。おそらく扉を開くカードキーだ。


「あ、ありがとう! 助かった!」

「うが」


続いて、大きく背中を動かして尻尾を振り上げた。

狼の顔ばかり注目していて気付かなかったが、どうも尻尾を丸めることによって何かを運んでいたようだ。


ホチキスで留められた紙束が小雨の頭の上に落ちる。


「器用だなお前!」

「わん!」

「……わかってるよ。言われなくっても読むよ」


小雨は紙束の表紙を見る。

題名は『操り人魚使用プロトコル』だ。


急いでいたので大雑把に斜め読みする。

三分ほどで、小雨は眉間に皺を刻みながら声を上げた。


「……やっぱりだ! 思った通りだった!」

「ふむ? さて、どこが予想通りだったんデス?」

「改造を受ける前の操り人魚の能力だよ! あの台本の妙な部分からして間違いないとは思ってたんだ! わざわざ目玉商品の双子人魚じゃなくって、双子人魚が取り込んだっていう能力を持ったスライムの方を見せてたのは、こういうことだ!」


操り人魚の固有能力の項目には、こう書かれていた。


『対象の人間一人を操る能力。使用条件は二つ。

一つ目に、対象が操り人魚の目を見ること。

二つ目に、対象が半径5キロメートル以内にいること。

この二つの条件が揃うのであれば、仮に一つ目の条件が画面越しにて行われていようと発動してしまう』


ここまで具体的に予測していたわけではなかったが、人間に対して影響を与えるはずだという推理は正しかった。

ただ、間違っていた方が遥かによかったかもしれない。


「まずいぞ……これが本当なら、双子人魚の名前の意味は……! 俺たちを襲ってきた、あの死神野郎の正体は……!」

「小雨さん。言い忘れてたんデスけど」

「なんだ?」

「……あの死神、滝さんが言うには女性だったようデスよ? 野郎じゃないデス」

「ッ!」


小雨はカードキーを手に立ち上がり、扉に向かう。


◆◆

滝と恵が当てもなく、しばらく船内を歩いていると、見るからに重要そうな部屋を見つけた。


「船長室……って書かれてますわね」


恵が部屋のプレートを見ながら呟く。次に、滝に目を合わせた。


「部屋の出入り口の見張り、お願いできます?」

「おう。任せとけ。絶対に中にアイツは入れないからよ」

「お願いしますわね」


滝の戦闘能力のみは心の底から信用できる。恵は心置きなくドアを開け、中へと入った。


中はほとんど私室であり、シックな雰囲気のベッドや、シャンデリアを模した天井の照明。そして本棚とソファとテーブルがあった。

テーブルの上には、これ見よがしに紙の束が置かれている。


――こういうところは丸っ切りゲームなんですのよね。


あまりにもわかりやすいヒントに、恵は手を伸ばす。

紙の束の表紙にはタイトルが書かれていた。


「『双子人魚の使用プロトコル』……やっとヒントらしいヒントが手に入りましたわ」


ソファに遠慮なく座り、恵はゆっくりと紙の束に目を通す。


「……?」


目を、通して――


「……ッ!」


顔色が変わった。

思わず立ち上がり、紙束をテーブルに叩きつける。


「冗談じゃありませんわ……! これじゃあ、今までの探索が全部間違ってたことになってしまいます!」

「シャクー? どうかしたかー?」


滝が呑気に部屋の外から声を投げかける。

恵はそちらに顔を向けた。


「霊院先輩! あの死神は相手にしちゃダメですわ!」

「あ?」

「あの死神の正体は――!」


キン、と何かを抜く音が聞こえた。

それも複数。


「……え?」


恵が後ろを振り向くと、そこには死神がいた。

パスを片手にし、悠然とたたずんでいる。


その足元には大量の手榴弾。


どう逃げようが、爆風でこの部屋を埋め尽くせる量だ。


「――せん、ぱ……!」


声は最後まで紡がれることはなかった。

爆炎が恵の体をズタズタに引き裂く。

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