第十二巻 どう考えてもピンチです
中学時代は、たまたまクラスメートになってしまった混沌の権化、耶麻音アポロによって地獄そのものの様相を呈していた。
林間学校では宿泊先が陸の孤島同様になり、食糧を奪い合って争う醜いサバイバルになっていたし、はたまた体育祭は客席に仕掛けられた爆弾を探し出すサスペンスミステリー大会になっていた。
彼女がこんな荒唐無稽極まりない騒ぎを起こした理由はただ一つ。本人が常々口にしていた『退屈だったから』の一言に集約される。
ただ騒動の終わりはパターン化されていて、紆余曲折ありながらもいつかはそこに辿り着く。
アポロによって疑心暗鬼になっていたクラスメートが、何らかのきっかけで絆に目覚め、一致団結して困難に立ち向かい、最終的にアポロに対し血の粛清。そしていつも通りの日常へ。
こんなことを繰り返していると、アポロに対する反省の無さに呆れるが、それと同時にクラスメート全員の絆も否応なしに深まっていく。
小雨ただ一人を除いて。
「今回、山形くん何かの役に立ったっけ?」
忌々しいあの女の言葉が、未だに隙をついて小雨の心を突き刺す。
もちろん他のクラスメートは、こんなことを言いはしない。口が裂けても、絶対に、おくびにも出さないだろう。
この呪いの言葉を受け取ったとき傍にいた晃に至っては、珍しいことに憤慨し、アポロに対して撤回を求めてくれた。
だが一度受け取ったが最後、中々消えないからこその呪いだ。
一切の恐怖なしに死神を相手取る滝を見て、どこか焦ってしまった。何か役に立とうとして、結局足を引っ張る結果になってしまった。
「計算通り……ではあったけど」
先ほどまで自分がいた場所とは打って変わって、そこは随分と薄暗い。天井にある蛍光灯は申し訳程度の光量で、しかもところどころ切れかけて消えそうだ。床は客船にしてはありえない、剥き出しのコンクリート。何故かジメジメとした空気が漂っており、水たまりもそこかしこに存在している。
間違ってもここに滝を連れてはこれない。
「……シリウス。伝言頼むぞ」
天井を見ながら呟き、小雨はその場を後にする。
そろそろ新しい情報が欲しい。まだ何一つとしてわかっていない。
◆◆
「手の届かないところって……それどういうことだよ。シリウス」
「ンー。まあ行こうと思えばすぐにでも行けるんデスけどねー。具体的に言うと下の階です」
「下の……って、階段なんてどこにも見当たらないが?」
シリウスの言葉は要領を得ず、滝は怪訝な顔つきになる。
だが、なんとなく真相がわかった恵は『床との接触禁止』の部屋のドアを開けた。
予想通り、その部屋の中には家具も、装飾も何もなかった。ただ一面に白い床が広がっているのみだ。
「……ここですわね」
「シャク、お前さっきからどうした? その部屋の中にコサメがいるのか?」
「見てればわかりますわ」
恵はリュックサックの中から空のペットボトルを取り出し、部屋の中に投げ入れた。
普通なら床にペットボトルの容器が転がる。だが、そのペットボトルは何の前触れもなく、床に接触した途端に消えた。
「……なに!?」
「やっぱり。床との接触禁止の本当の意味はコレですわね。接触できずに下の階へとすり抜ける」
「ピンポーン! 大正解デス!」
無邪気に跳ねるシリウスに、滝は反応しない。それどころではない。早く下の階へと向かって小雨を助けに向かいたい。
間違いなくそこに存在するはずなのに、物理的な干渉の一切を無視してすり抜ける床など完全にゲームだが、恐怖を感じている場合でもない。
「おっと。霊院先輩。絶対に飛び降りちゃダメですわよ」
「……シャク?」
「何のための伝言係だと思っているんですの?」
すり抜ける床に誘引されていた滝は、恵の静止で我に返る。
「……で。ウサギさん? 伝言とは?」
「二通りありマス。あの死神さんが、そこの床をすり抜けて小雨さんを追った場合の伝言は『助けてくれ』デス」
「随分と情けない殿方ですわね……で、もう片方は?」
「死神さんが小雨さんを追うのをやめて、どこかへと消えた場合の伝言は『絶対に俺を追うな』デス」
「なるほど」
「いや、なるほどじゃねーよ! どっちにしても別行動は危険だろうが!」
滝がかぶりを振り、シリウスに食って掛かる。
「おい! 一応聞いておいてやるが、あの死神女はどうした!」
「え? 女だったんデス?」
「ああ、近づいたときに大雑把なボディラインが見えたから間違いは……」
はたと気づき、凄む。
「話を逸らすな。裂くぞ」
「大丈夫。あの死神は小雨さんの逃走先に気付きはしたようデスが、追いはしてないデス」
「……そうか。じゃあ直近の危機はないんだな。どっちにしてもすぐ合流したいけどよ」
「あ、ちなみにワタシはぬいぐるみのフリでなんとかやり過ごしたんデスよ。近くの『肺呼吸禁止』の部屋で」
「どうでもいい。じゃあさっさとコサメと合流を……」
「よした方がよろしいかと」
またも恵に制止された。
「何故だ?」
「逃走経路がわかっていたのに追わなかった……ということは、わざわざ手を下す必要がなくなったからだと考えられますわ。おそらく、この下は牢獄のような移動手段を奪う類のトラップが待ち構えているか、死神以上の危険な何かが存在するかのどちらかでしょうね」
「……猶更すぐにでも行きたいんだが?」
「罠に全員で引っかかることほど危険なことはありません。助けに行くのは賛成ですが、この経路からすぐにでも、というのは無理です」
「バカな。私なら下に降りた後、天井の一つや二つ破壊して元の場所に――」
「戻れない可能性があるからやめましょう、と言っているのです。山形先輩も、私も」
ここまで理詰めで反論されると、ぐうの音も出ない。
「でも……」
「……急がば回れですわ。今は我慢です。ね?」
「……譲歩案を出す。私は下に向かわない。ただし」
「ただし?」
「シリウスは向かわせる」
「いいでしょう」
「えっ?」
急に話を振られたシリウスは、聞き返す前に滝に頭を鷲掴みにされた。
「伝言ご苦労ォ! じゃあ用済みだから、お前はさっさとコサメんところに行って弾避けにでもなってこいボンクラ人形!」
「いぎゃあああああ! ちょっ、待って! マジで待って! せっかく助かったのにこんなのって……!」
「行けーーー!」
「あんまりだああああああああ!」
滝に容赦なく投げられたシリウスは、そのまま床に吸い込まれて消えた。
大泣きしながら落ちていったのに、すり抜けた途端に声が聞こえなくなったということは、おそらくこの床は一方通行なのだろう。
そういう実験ができるという意味でも、彼女の犠牲は無駄ではなかった。
「……無事でいろよ。コサメ」
「さあ。探索を再開しましょう。意図的なものではないとはいえ、ここからは山形先輩と別行動。上手く行けば効率よく情報を集めることができるはずですわ」
「ああ。絶対にクリアしてやる」
クリアさえすれば、終わりだ。
◆◆
「これ……檻か?」
下の階に降りた後、小雨は周りを軽く探索した。
その結果、見つかったのは内側から壊された鉄製の檻だ。動物園で使うような広くて上等なものではなく、最低限生き物を入れられれば大丈夫というスペースしか存在しない籠。
それがいくつも部屋の中に転がっている。
そして、次に目に付くのは夥しいほどの血痕。明らかに人間のそれとは異なる獣の体毛。鼻を強く刺激する臭い。
「……客船じゃなかったのか?」
ふらふらと誘引されるように部屋の中に入った小雨は、周りを呆然と見渡しながら探索する。
どれくらい時間が経ったのかはわからないが、その内に、テーブルの上にポツンと置かれたファイルを見つける。
何か情報はないか、と中身を開いた。周りが暗かったので、携帯のライトを頼りに読み進める。
その内に、この沈没船の正体に気付いた。
ただの旅客船ではなかったのだ。
「この船って、まさか……密輸船?」
ファイルに注視していた小雨の意識の隙間を縫うように、獣が一匹、小雨の背後に近づく。
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