第十一巻 やるなやるなと言われると妙にやりたくなる
「……俺にも聞こえてきた! あっちだな!」
発砲音が小雨の耳にも届いてくる。あとは音が大きくなる方向へ道なりに進めばいいだけなので、もうシリウスの案内は必要ない。
「おや? 発砲音は確かに聞こえマスが、悲鳴の方が聞こえなくなってマス」
「……やられたか?」
「うーん、そんな簡単にやられるようなプレイヤーを集めた覚えないけどなぁ」
釈然としない様子のシリウスを頭に乗せたまま、小雨は走る。
ここで疑問に思っておけば、後の運命は違ったのかもしれない。
だが、小雨がそのことに考えが及ぶのはもう少しだけ後になってのことだった。
悲鳴が消えたのなら誰に向かって銃を撃っているのかという、冷静であれば真っ先に考えていたであろう不自然さに、あと五秒ほど早く気付いてさえいれば。
「……あ?」
発砲音が止んだ。けたたましいまでの鋭い大きな音が、急に。
「あ、れ? おかしいな。なんで急に音が止んだんだ?」
そう呟いた瞬間に小雨は気付いた。
むしろ今まで発砲音が鳴りやまなかったことの方が遥かに不自然だ。
「……やられた! おびき寄せられた!」
「コサメさん! 後ろ!」
シリウスの声に、振り向く暇すら惜しかった。
金属と金属がぶつかるような音が聞こえる。これはきっと銃を構えて、今にも引き金を引こうとしている音だ。
すぐに走り、角を曲がる。これまでとは比べ物にならないような破裂音が連続で聞こえ、床や壁に穴やヒビが量産されていく。
すぐにでも走り出していなければ、きっと今ごろ小雨はハチの巣だった。
「あれー? おかしいな。あの破裂音、さっきまではもっと向こうで聞こえてたのに。どうやってアレは小雨さんの後ろに回り込んだのかなー」
「爆竹とマッチがあれば時限で破裂するイタズラ装置くらい小学生でも作れる! それに関してはどうでもいい!」
すぐにでもどこかに身を隠さなければ、いくら逃げても確実に銃撃される。武装している死神と、ただのぬいぐるみ同然のシリウスを連れているだけの小雨では戦力が違いすぎる。
「くそ! まずいな! この廊下、真っ直ぐすぎる!」
銃を持った相手を背に、曲がり角や脇道のない通路を走ることは自殺行為だ。なんとしてでも、どこかに身を隠さなければならない。
ならない、のだが。
「……『肺呼吸禁止』の部屋。『施錠禁止』の部屋。『時速五㎞以上の歩行、走行禁止』の部屋……まずい。ここに来てNGゾーンのオンパレードかよ!」
「しかも、どれもこれも身を隠すにしては最悪のロケーション。あらら詰んだかな?」
通路に面した部屋はすべてプレートが立てかけてあり、そこに書かれている制限行動の多くが逃走を妨害するようなものばかりだった。身を隠すにしても使い物になりそうにない。
「シリウス! 運営としてのお前には期待はしてないけど、今は味方だろ! なんとかできないのか!?」
「自爆ならできマスよ。ただその場合、どうしてもヤツがあそこの角から顔を覗かせた瞬間に、ワタシを誰かが対象に向かって投げつける必要がありマスが」
「爆発の範囲は?」
「ふっふっふ。聞いて驚いてください。ヒロシマレベルです!」
「は?」
――ヒロシマ?
シリウスの言ったことの意味がわからず、思考が一瞬だけ
だが爆発の範囲と尋ねて、ヒロシマと返ってくれば、一般的な日本人ならばすぐに気付く。
シリウスは使い物にならない。
「シーリーウースぅぅぅぅぅぅ……!」
もうすぐ死神が銃を携えて角を曲がってくるだろう。なんとしてでも自力で逃げなければならない。
走りながらNG制限のかかった部屋を眺めている内に、一つだけ、辛うじて入れそうな部屋を見つけた。
「『床との接触禁止』の部屋……」
「え? そこ?」
シリウスが意外そうに声を出す。しかし、小雨は本気だった。
「……もしかしたら、だけど。助かるかもしれない」
「ほう」
「シリウス。頼みがある」
「なんなりと。ワタシにできる範囲で」
◆◆
数秒もしない内に、死神は銃を構えて角を曲がる。
だが、そこに小雨の姿はどこにもなかった。
通路に面した部屋の内のどれかに入ったのか、と疑ったが、ドアを開けて中を覗いてみても誰もいない。
「……『床との接触禁止』の部屋……」
しかし、だからこそ逃走経路はわかった。この場からすぐさまに逃げ切れる方法など、この部屋にしかない。
どうしたものか、と死神は少しだけ考える素振りをする。
「な……なんだよコレ! 床や壁が弾痕だらけじゃねぇか!」
悩んでいる内に、先ほど交戦した少女の声が聞こえてきた。
まだ相手をする準備が整っていないため、死神は立ち去ることにする。
◆◆
「ふむ……でも血痕がありませんわね。上手く逃げ切れたのでしょうか」
「そうに決まってる! コサメがそうそう簡単にくたばるかよ! どこだ!」
既に破裂音は一切しない。この場に残っているのは、弾痕と火薬臭さだけだ。
どうやらあの死神は既にこの場から姿を消しているらしい。仮にどこかに潜んでいたとしても、恵ならば対処できるし、滝に至っては更に迎撃すら可能だろう。
警戒は怠らないが、二人は大胆に先に進む。
角を曲がり、長い廊下を眺めるが、やはりそこには誰もいなかった。
「……いねぇ。なんで……」
滝は愕然となる。今にも膝をついてしまいそうだ。この命をかけたゲームにおいて、自分の隣に大事な人がいないことは、それだけで大きな不安要素になる。
「殺されてはいないと思いますわよ?」
だが興味なさげに、世間話でもするような気軽さで放たれた恵の言葉に、滝は辛うじて平静を取り繕う。
「だって銃撃を受けた痕跡はどこにもありませんし……死んだのだとしたら死体の破片や服の切れ端すら残ってないのはどう考えても不自然ですわ。おそらく怪我一つしてない状態でどこかにはいるはずですわよ?」
「シャク……」
「ん? 何か?」
「お前いいヤツだな! 同じ船に乗っかったプレイヤーがお前みたいなので助かった!」
「え」
滝が向けた笑顔に、恵は言葉を失う。
光が差し込んでいるような綺麗な瞳。信用と信頼を前面に押し出したかのような真っ直ぐな態度に面喰う。
「えーっと……」
「コサメはマルタの連中は信用できないって言ったけどよ、少なくともお前は別っぽいな!」
「えっとえっと……」
「ちょっと気が楽になったよ。本当にありがとな!」
「……あー……ははは」
――この女、正真正銘のバカだ。
空笑いの裏で恵はそう思った。
こういう真っ直ぐなバカは騙しにくい。一回騙したが最後、独りよがりの思い込みに基づいた酷い仕返しを受けかねないからだ。
これなら対等な立場で理論的に腹の探り合いができる山形小雨の方がまだマシだとすら言える。『人を動かすのは理屈ではなく心』だとのたまう人間は実在するが、そういう人間を相手にしてて得することなど何もない。
少なくとも、弱者を食い物にする魔流田女学院の人間にとっては。
「だけど無事だとしても解せないぜ。一体コサメはどこに……このあたりの部屋は全部NG制限がかかってるみたいだし……」
「制限が?」
滝の言葉に反応し、恵は通路に面した部屋を眺める。
『肺呼吸禁止』の部屋、『施錠禁止』の部屋など、妙に逃走を封じるものばかりが並んでいる。
「おい見ろよ。『床との接触禁止』の部屋なんてものもあるぞ? これじゃそもそも中に入れないじゃねーかよ。なあ?」
「……床との接触禁止?」
恵は滝の示した部屋を見る。
部屋に立てかけられたプレートには、滝の言った通り『床との接触禁止』と書かれたプレートがかかっていた。
「……これ、もしかして……接触禁止の意味は……」
「おや? 恵さんは気付いちゃったみたいデスね?」
二人はその声に振り向く。人型の気配に警戒していたからか、完全に虚を突かれてしまった。
すぐ傍には、平然とした顔のシリウスがいた。
「シリウス! お前……!」
「あーらら。滝さん、そんな親の仇を見るような目しないでくださいよ。ワタシ、小雨さんからの伝言を預かってきてるんデスから」
「伝言だ? ふざけんなよ! お前がここにいるってことは、コサメだって近くに……」
「いませんよ。少なくとも、ここには」
「は?」
「ちょっと手の届かないところに行っちゃったので!」
――やっぱり。
シリウスの言い方で確信した。やはり、この部屋の『床との接触禁止』の本当の意味は――
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