第十巻 精神の傷口はノータッチが正しい対処

「石神井恵。私立魔流田女学院の中学三年生です。以後よしなに」

「おお。そうか。こっちこそよろしくな」


不機嫌そうにそっぽを向く恵に、極めてフランクに滝は挨拶を返す。初対面で随分な態度だが、滝にとってそんなことは些事だ。


それよりも重要なことがある。


「……おい。コサメ。プレイヤーに会えたぞ」

「そうだな」

「しかもだ。さっきから私たちの周りをうろついてたはずの気配が綺麗さっぱり消えてるぞ!」

「……そうだな」


小雨も滝から目を逸らした。

滝には、先ほどから自分たちに纏わりついていた気配の正体が、この石神井恵だとは告げていない。


それは気遣いなどではなく、完全に打算から来る行動だったが。


「まあそれはいいだろ。それより滝。お前、負傷をどこかで手当てしないと」

「あ? ちょっとした掠り傷だぞ?」

「それでもだ。毒とかナイフに塗り込んであったらどうする?」

「……つっても脇の下あたりだからよ。手当するって言ったって、服脱がなきゃだしよ……」


朝に自分の隣で着替えておいて今更何を、と思いはするが、小雨は言わない。代わりに提案をする。


「大丈夫だ。石神井がいるだろ?」

「え?」


急に話を振られた恵は目を見開いて小雨を見る。


「ちょ、ちょっと。何を勝手に……」

「滝にバラすぞ」

「先輩! この石神井恵、同じ船に乗り込んだプレイヤーとして、精一杯ご奉仕させていただきます!」


小さく呟いた言葉に恵は過剰に反応し、あっさりと手のひらを返す。

このためにあえて小雨は恵の素性を隠していた。滝の戦闘能力の高さは先ほどまざまざと見せつけられたはずだし、彼女が追跡者を恐怖のあまり過剰に憎んでいたことも目の当たりにしている。


八つ裂きにされたくはないはずなので、この脅しは最大の交渉材料となる。

そんなことは露知らず、滝はどこか不審に思いながらも恵に気安く話しかける。


「しかし何を食えばそんなデカくなるんだ? 流石にマルタに通うヤツは違うな……」

「……身長? 胸? どちらのことをお話しで?」

「身長だ身長。胸なら私もそれなりにあるぞ」

「ふふ。遺伝子の差ですわ。さ、それじゃあ行きましょう? 確かこのあたりにNG制限のかかってない部屋があったはずですわ。落ち着いた場所でそれなりの処置を……あら」


踵を返し、歩こうとしたところで小雨にぶつかり、恵は軽くのけぞった。


「あら、失礼。さて、気を取り直して部屋に案内を――」

「その前に、今俺のポケットからスッた財布を返せ」

「……は? なんのことで――」


しらばっくれようとした恵の右腕を小雨は強く掴み、引き上げる。その手には確かに財布が握られていた。お嬢様学校に通う恵が使うにしてはあまりにも安っぽい普通の革製の財布だ。

自らの技術に絶対の自信があった恵は、いよいよ冷や汗を流す。傍目から見ていた滝にも、シリウスにも恵が財布を盗んだ瞬間は見えていなかった。小雨本人にも財布を盗られたという感覚はなかったはずだ。そんなヘマは絶対にしない。


誤魔化し笑いを浮かべながら、恵は震えた声で小雨に問う。


「……さ、先ほどから何なんですの、あなた。やたら私に対して警戒が強いというか……」

「これは完全に私情なんだが、魔流田女学院の人間を俺は全員信用してない」

「何故!?」

「むしろこっちが訊きたい! あの学校に通うヤツはどうして、どいつもこいつも堪え性がないんだ!」

「コサメ? どいつもこいつもって……あの学校にそんなに知り合いがいんのか?」


何故か心配そうに首を傾げる滝に、小雨は本当に何の気もなしに答えた。


「ああ。あそこの生徒会長と知り合いの関係でな。明確に全員と知り合いってわけじゃないが、あの学校の人間がどいつもこいつもロクデナシってことはイヤというほどに知ってる」

「……待ってください。それ高等部の話ですわよね? 冗談じゃない! と一緒にしないでくださいまし!」

「間違っても人の財布をスッた人間の言葉じゃない!」

「これは慰謝料ですわ! 私をコケにしたことを、あなたのチンケなお小遣いで許してやろうというのだから……」

「そういうのが堪え性がないって言ってるんだよ!」


謎の中学生とギャースカ言い合っている様を、滝とシリウスは並んで口を挟まずに眺めている。

その合間、シリウスはどこからともなく取り出したデバイスを操作しながら『ああ』と呟いた。


「そっか。魔流田女学院の生徒会長と小雨さん、ついでに晃さんは中学時代のクラスメートだったのデスね」

「おい。そんなことまでわかんのか?」

「検索すれば一応。参加者の情報は全部ストックされていマスので。あ、もちろんあなたたちに正当な理由なく流したりはしませんよ」

「既に流した後でそれ言うのかよ……」

「魔流田女学院は確かにお嬢様学校と呼ばれるだけあって、良家の御令嬢やら並外れた優秀な知能を持つ優等生やらが集まっているようデス。が、実のところ結構前から色んな意味で腐敗し、知能と才能と権力をフル活用した、ちょっとした犯罪シンジケートに成り下がっているようデスね。特に今の代の生徒会長が就任したあたりから、その傾向が顕著になり始め……」

「流しすぎ! 流しすぎだシリウス!」


段々と不穏な情報になってきたので、そこそこのところで滝は切り上げさせた。

その後、未だに恵と言い合っている小雨に声をかける。


「おい。行くのなら早く行こう。時間制限もあるんだしよ」


その一言で我に返った二人は、一瞬だけ硬直した後、すぐに気持ちを切り替えた。恵が無言で財布を放り投げ、小雨は片手でそれを受け取り、ポケットに戻す。


「……案内しろ、石神井」

「喜んで、山形先輩」


険悪なムードはそのまま、恵を先頭にして歩き出す。


◆◆

「毒の類は……ないようですわね」

「わかるのか?」

「家庭の事情で、薬にもそれなりに詳しいので」


近くにあった小部屋にて、滝は恵による治療を受けている。

小雨とシリウスが見張りのため、ドア付近に立っているが、開いているので会話は筒抜けだ。


「ひとまず適当に水洗いした後で、清潔な布で止血ですわね。本当に掠り傷ですので、これで充分でしょう」

「そんなものが都合よくあるわけが……」

「持ってきてますわよ。自販機で買ったミネラルウォーターと、救急箱なら」

「準備いいな、シャク」

「ええ……って、それ私の渾名ですの?」


などという会話を聞きながら、小雨は周りに警戒を払う。

先ほど逃げた死神が、また武装して現れるかもしれないと思うと気が気でない。


――しかし妙だな。あの死神、容姿と能力が全部名前と一致しない。


ふと、そんな疑問が小雨の脳裏に浮かぶ。


――というより、さっきシリウスが言ってた通り、武器を使ったり関節を外したり、攻撃方法から何から何まで特殊なところが何もない。せいぜいが訓練した人間レベルだ。


考え始めると止まらない。


――あれ、本当に動力炉だったのか?


試しにパスを覗いてみるが、しかし追加された項目は何もない。参加者の情報が載っていないのは、今回のゲームで機能を制限するとルールに明記してあったので疑問に思う余地はないが。


「なあシリウス。項目の追加がないってことは、俺たちを襲ったアイツって双子人魚ではないってことか?」


小雨の頭に再び乗っかっているシリウスは、気だるげに答える。


「何もわかってない、って意味でしかないデスよ。あれが動力炉かどうかは言えません」

「なるほどな」


あれが動力炉ではない可能性と、動力炉である可能性が同時に存在している。

これ以上の考察は無駄か、と考えを打ち切ることにした。まだ情報があまりにも足りない。


「時間内に全部の謎が解けるのか……?」

「さて。どうでしょう……ン?」


ピクリ、と小雨の頭の上でくつろいでいたシリウスが、何かに反応した。


「……これは運営ではなく、滝さんのマジックパスとしての発言デスが」

「なんだ?」

「あっちから発砲音が聞こえマス。あと人の……悲鳴?」

「……他の参加者が襲われてるのか!?」

「おそらく。まあ結構離れてるので、しばらくここは安全ってことデスけどね」

「誰かは危険ってことだろ! 滝! 石神井!」


小雨は急いでドアの向こうに声を投げかける。


「誰かが襲われてるみたいだ! 様子を見てくるから、ちょっとそこで待っててくれ!」

「あ!? いや、そういうことなら私も――!」

「平気だ! 様子を見てくるだけだから! シリウスを借りるぞ!」

「おい、コサメ!」


滝の声を背中に受けつつ、シリウスの案内で現場へと向かう。

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