第九巻 傍観者気取りは最終的に貧乏くじ引き受け係になるので非推奨

石神井恵しゃくじいめぐみ。私立魔流田まるた女学院の中学三年生。中高一貫校であり、エスカレーター式に進学できるので受験とは無縁の生活を送っている。


沈没船のデスゲームの参加者の一人であり、シリウスが指定した高レベルプレイヤーだ。

取得したトロフィーの数は二桁を超え、中学生ながらベテランの風格を漂わせている。


そんな彼女にはとある悪癖がある。ゲーム中、船内でプレイヤーを見つけると『観察』と称して対象をストーキングしてしまうという癖だ。

しかもただストーキングするだけではなく、かなりの至近距離で対象を観察する。


普通ならバレてしまうだろうが、彼女にはそうならない自信があった。石神井家は古くから国に仕える間諜を生業とする一族であり、認識の死角を利用して姿を隠す石神井式隠業術を使う。


つまるところ徹頭徹尾、技術だけで完全に姿を見せず、完璧なストーキングを実現させることができる。

もちろんトロフィーをいくつも取得している内に、便利なマジックパスもいくつか貰っているが、それらを使うまでもない。


事実、何故か船内に紛れ込んでいるスペアボディのナイトメアの視界すら完全に騙すことに成功している。


石神井恵は一方的に、ストーキングしている相手からの情報を毟り取っていた。


「あら?」


そのつもりだったのだが、二人組プレイヤーの男の方(コサメと呼ばれていた方)がふと恵の方に目を向けた気がした。

もちろん大雑把に目を向けただけでは恵の姿が見えることはありえないのだが。


「……ふむ。こっちの殿方は中々、良いアンテナをお持ちのようで」


少しだけ冷や汗をかいた。

もう少しで位置がバレるところだった、というのは言い過ぎだが、しかし石神井家に伝わる隠業術に『警戒』という名の攻撃を浴びせかけられる人間は少ない。


女の方も違和感を覚えるだけ中々のものだが、男の方の直観力は頭一つ抜けている。


「惜しいですわね。才能だけは中々のようですけども、何の訓練もされていないのでは。我が石神井式隠業術は破れませんわよ?」


◆◆

――どうしよう。


ストーキングされている側である小雨は焦っていた。

一方的に観察され、情報を毟り取られていることに、ではない。


シリウスと滝が完全に未知の追跡者に怯えて、足手まといモードになっていること、でもない。


ことに対して焦っていた。

気付いていないフリで今は誤魔化しているが、果たしていつまでこうしていればいいのだろう。


「コサメ。どうした? さっきから一言も喋ってないけどよ」


右腕にしがみ付いている滝が心配そうに問う。


「ああ、うん。考え事だ」

「……一体、私たちの周りにいるのは何なんだろうな……姿が一切見えないし、不気味すぎる」

「ソウダネ」


滝とシリウスには変わらず見えていないようだが、小雨にはもう見えていた。

どうも追跡者は人の認識の死角を知り尽くした上で行われる特殊な歩法で自分たちを追跡していたようだ。


だが小雨の認識の範囲は(本人すら今の今まで気付かなかったが)常人より広いらしく、注意深く観察すれば彼女の姿を捉えることができるようだった。


亜府呂市屈指のお嬢様学校、私立魔流田女学院のブレザーとスカート。滝よりも少しだけ高い背丈。肉感的なボディライン。髪はセミロング。顔はおっとりとした印象の垂れ目が特徴的。缶バッジがいくつか付いたリュックサックを背負っている。


どう見ても、この沈没船にそぐわない印象の女子だ。つまり前回のキャプテン・メランコリックのようなゲームの登場人物ではなく、ゲームのプレイヤーだろう。


「あのさ。滝。一つ相談したいことがあるんだけど……」

「この気配の正体をどうやって八つ裂きにしようか、ってことだろ? 決まってる。素手で五体を引きちぎってやるぜ。スライムみたいにグチャっとな」

「ヒャッホウ、滝さん頼もしいデス!」


――滝に相談するのはダメだな! シリウスも論外!

恐怖のせいで暴走しかけている二人に真実を告げたら、そこに待っているのは血生臭いスプラッターショーだ。

仲間同士で争ってもいいことは何もないし、小雨もそんな光景は見たくない。

そんな悩みを顔色から察した滝は、ますます不安気に眉を寄せる。


「コサメ。顔色悪いぞ?」

「あ、あー……えーっと……」

「……ごめん。本当にごめんな。お前だって怖いよな。私にもっと勇気があればお前を守ってやりたいよ。でも……私も怖くて。ごめん。本当に、ごめんな……!」

「違くて。そういうんじゃなくって。だからそんな深刻に考えなくっていいから」


悩んでいることだけは察したようだが、内容まではわからなかったようだ。


さて、いつまでもこうしているわけにもいかない。何故なら、先ほどからストーキングするだけではなく、彼女は定期的に三人に対してちょっかいをかけてきているからだ。


「グギャア! ワタシのロップイヤーを鷲掴みにされたー!」

「い、いきなり大声出すんじゃねぇ! 心臓が破裂するかと思ったじゃねーか!」


こんな調子が続いていれば、更に恐怖感が増すだけだ。

それは二人が暴走を起こしたとき、それを止めづらくなるということを意味している。


何かきっかけでもあればいいのだが、と思った矢先だった。

震えていた滝の雰囲気が変わる。目の色が変化したのかと錯覚するほど劇的に。


「……コサメ。ちょっと離れてろ」

「え?」

「そこの角の先にいる。わかりやすく殺気ムンムンな何かだ」

「……何?」

「……明らかに私たちのことを誘ってやがるな。まあいい。これだけ明るければ相手が誰だろうが負けやしねぇ」


言われてやっと小雨も気付いた。確かに、廊下の角の向こう側に意識を向けてみると、何かの気配がじっと動かずにそこにいる。

それに気づいた途端、まだ何もされていないにも関わらず悪寒が止まらなくなる。この感覚は、初めてキャプテン・メランコリックを目にしたときと同じものだ。


「……動力炉か!」

「多分な。私たちへの害意が尋常じゃねぇ」

「おや? ワタシの戦闘補助の出番デス?」


シリウスの提案に、滝は首を横に振った。


「いい。これだけ明るければ平気だ。行ってくるな」

「あ、おい!」


滝があっさりと小雨の腕から離れ、無警戒に歩み、動力炉の前へと姿を現す。

小雨も角から少しだけ覗いてみる。滝の向こう。廊下の突き当りに相手はいた。


仮面を付け、つま先から頭まで黒いローブで覆った人影。古典的な死神グリムリーパーを思わせるような容姿だった。大きな鎌でもあれば、もう完璧だろう。


「一応聞いておいてやるぜ。お前、プレイヤーか?」


滝の質問を受けた死神もどきは――


「……鎌じゃねーのかよ!」


懐からマシンガンを取り出した。トリガーを引いているだけで無数の弾が出てくるタイプの銃だ。

それを片手で構え、何の躊躇もなく滝の方へと向けている。


「お、おい滝! あれはまずい! 早く逃げよう!」

「まずい? 何言ってんだ。明るければ私は負けやしねぇんだよ」

「滝!」

「ま、見てろ。すぐ終わらせて帰ってくるからよ。そんときにどう私を褒めるかを考えとけ」


滝は廊下の角で心配する小雨に対して、軽く手を振ってから前進する。


最初はゆっくり歩いていたが、いつの間にやら早歩きに。そして段々と加速し、駆け足に。

この時点でもう小雨には止められない。加速が急激すぎて追いつくことすら不可能だ。


「ヒュウ。相変わらず凄い脚してマスねー」

「い、言ってる場合じゃない! 滝!」


小雨の悲鳴じみた声は、爆竹が連続で破裂するような音でかき消された。相手が滝に向かって引き金を引いたのだろう。


心臓が凍る思いだった。滝が死ぬという絶望的な想像が脳内を駆けずり回る。


だが――


「……あ!?」


滝の進行方法はまさに蛇行だった。滑らかに、しかも減速することなく、むしろ加速しながら死神の方へと向かっていく。

銃弾は一発も当たっていない。掠りすらしていないようだった。


「はい到着」

「――!」


滝はあっさりと、一発で死をもたらす銃弾群を搔い潜り、目と鼻の先の距離まで詰めていた。

だが死神も驚かない。間合い的に役に立たないと断じたマシンガンをあっさりと手放し、ローブの下からまた新たな武器を取り出す。


「ナイフ、か。まあ当然だな。屋内でトゥーハンデッドソードを振り回すわけにもいかないし」


未だに相手は武装しているというのに、滝の余裕は崩れない。

死神は事務的に、何の感慨もなく、丸めた雑誌で虫を殺すような気軽さで滝に切りつけにかかる。その動きは素早く、もしあの場にいたのが小雨だったのなら一瞬で心臓を突かれて死んでいただろう。


だが今、死神の前に立っているのは滝だった。

まるでドッジボールでもしているかのように、ひらりひらりとナイフを躱す。


相手が遅いのではない。滝が速すぎる。しかも、場慣れしすぎているのだ。


「お?」


ビリ、という音が響く。死神が急に動きに変化を付け、滝にやっとのこと刃を届かせたのだ。

後ろで見ている小雨には、滝の胸を真横に裂いたように見えた。


「滝!」

「騒ぐなコサメ。ちょっと服を引っかけただけだっつの」


舌打ちしながら一旦距離を取る滝を、死神は追撃しない。

お互いに隙がないため、半ば膠着に近い状態に陥っているようだった。


「くそ。厄介だな。思ったより強ぇぞコイツ」


そもそも非武装の状態で、ナイフを扱う人型にまともな勝負ができている時点で超人の域だ。勝利をもぎ取るとなったら、それすらも越えなければならない。


「流石に無理か。は」


本当に心底残念そうに、滝はそう吐き捨てた。

耳を疑う前に、滝が一気に死神との距離を詰める。


――バカな! 恰好の的だぞ!


そう叫ぶ前に、滝の鮮血が宙を舞う。


「……やっと捕まえたぜ。この野郎!」


気付いたとき、滝は死神の右腕を自分の左脇で固めていた。鮮血はそのとき胴体を軽く擦過したときについたものだ。

ダメージ覚悟の行動で、相手の行動を制限することが目的だったらしい。


「あーらららら。まあ大したものデスけど、アホですね滝さん。もしもナイフに毒が塗られてたら、とか考えないのでしょうか」

「……ぬ、塗られてるのか!?」

「知らないし、知ってたとしても教えませんけど」


一緒に観戦していたシリウスの無責任な発言に苛立ちを覚えながら、小雨はその戦いから目を放すことができなかった。

明らかに次元が違う。死神も、滝にもついていけない。


「このまま腕にダメージ与えてナイフを手放してもらうぜ……!」


滝が固めている腕に力を込める。だが、その目論見はあっさりと果たされた。

ナイフが落ちる音が聞こえる。続いて、ゴキリというイヤな音。感触。


「……なっ!」


ずるり、と死神の腕が滝から解放され、死神は一気にバックステップで距離を取る。

何が起こったのか小雨にはさっぱりだった。滝は完璧に死神を抑えていたはずだったのに、何故脱出されたのか。

シリウスはそれを見て、感心したように声を出す。


「ああ。自力で腕の関節を片っ端から外したようデスね。流石にいきなりあんなことされたら誰でも放しちゃいマス」

「そんなことが……」

「人間でも訓練すればできマスよ。明らかに裏の人間御用達の技術デスからお勧めはしませんが」


やっとのことで捕まえたと思ったら、逃がしてしまった。また危険な戦闘が再開してしまうのか、と小雨が冷や汗をかいていると――


それはあっさりと踵を返し、逃げ出した。


「……はあ!?」


完全に互角の戦いを演じていたはずだったのだが、まったく何の前振りもなく逃げ出した。滝の困惑した顔を一瞥もすることなく、あっさりと。


「あ、ちょ、待てコラ! まだ終わってねぇぞ!」

「滝! 追うな! 罠の可能性がある!」


走って追おうとする滝を、小雨の声が制する。

彼女は心底不満気に振り向き、抗議した。


「……コサメ! でも!」

「絶対に追わないでくれ! 頼むから!」

「……クソッ!」


ひとまず、これで戦闘は終わった。問題は一つ片付いた、と言える。

この後は怪我をしている滝をどこかで手当てし、そして――


「……ところで、そろそろ訊いてもいいかな」

「ん? 小雨さん、ワタシに何か質問でも?」

「そっちじゃなくって」


手を伸ばし、リュックの肩ひも部分を掴む。


「……え」


急に認識の世界に引きずり出された追跡者は、素っ頓狂な声を上げた。

シリウスの目には、先ほどまで存在していなかったはずの女子が急に現れたようにしか見えなかったようで、絶句している。

追跡者は目を白黒させながら、小雨の顔を凝視している。信じられないものを見るかのように。


「……お前、誰?」

「ええっ!?」


追跡者はこの瞬間、無防備な女生徒に成り下がった。

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