第八巻 恐怖とは未知から産まれるもの

背丈の低いぬいぐるみの体だが、シリウスは難なく人間の歩幅に適応し、二人へとついてきている。

今のところ戦闘の類は起こっていないので恩恵は薄いが、足手まといではないだけありがたい。


そしてありがたいことがもう一つ。


「暗くない! 明るい! 電気がついてる! ヤッホウ!」


滝が無邪気にはしゃげる程度には、この船は明るい。外観からして現代的ではあったが、中もキチンと電灯がついている。

妙に埃っぽいところが気になるが、それ以外は普通の客船だった。


「……なんだろここ。沈没船、にしてはライフラインとか普通に通ってるし」

「考える必要あるか!? 前のときとは違って私の調子もすこぶるいいぞ! 私は光属性だからな!」

「ごめん、ちょっと黙っててくれ滝」

「黙る!」


前のゲームとは違い、やたら滝ははしゃいでいる。

目もキラキラ輝いていて、不安を欠片も感じさせない。テンションも完全にハイだ。

この分なら、油断さえしなければ前回以上のパフォーマンスを見せてくれるだろう。


しかし、上機嫌だった滝の顔は突如、何の前触れもなく曇った。


「……ん?」

「どうした?」

「いや、なんか……違和感が……」

「違和感?」

「上手く説明できんが、何か変だ。おい、私の傍でハエとか飛んでないか?」

「え?」


飛んでいない。滝の回りに、そのような違和感を催すような何かは特に――


「……ん?」


いや、注視していると気づいた。

確かに、滝の回りに何かがいる。正確には、何かがいる気がする。


それは気配、としか表現できないが、とにかく決定的に滝の回りの空間がおかしい。


「……ハエ、じゃないな。ハエなら見えるだろうし……」

「なんだ? 何がおかしい? 私にはよくわからないんだが……」

「多分だけど、この場にの気配があるのがおかしいんだと思う」

「三人?」

「あれ? 私の存在を忘れてマス?」


と、シリウスが首を傾げるが、すぐに滝が冷淡に反論した。


「お前のカウントは『何匹』だろ。人じゃねぇ」

「見下し切ってるねユー! 流石にワタシも本気で泣きマスよ!?」

「……ああ、そうか。言われてみればそうだな。コサメの言う通りだ。ここに三人分の気配があるのがおかしいんだ。私たちしかいないのに」


がっくりうなだれるシリウスからは、人の気配は感じない。良くて小動物のような存在感だけだ。

つまり、視覚的にはどう考えても二人の人間しか存在しないのに、他の感覚は『目に見えないもう一人がいる』と訴えている。


それが違和感の正体なのだが、いくら見渡してもやはり船内の廊下には滝と小雨の二人しか存在しないように見える。


「なんだこれ。どうなってやがんだ?」

「……あッ! ふざけるな! クソッ!」

「げっはぁ!?」


滝が変わらず周りを警戒している中、急に小雨が激情しシリウスを蹴り上げた。彼女の小さい体はぬいぐるみのように柔らかくひしゃげ、壁に叩きつけられる。


「なっ! お、おいコサメ! 何やって……」


滝が驚くと、小雨は今自分がやったことに気付いたかのように取り乱す。


「あ、ち、違う! 財布をすられそうになったんだ!」

「はあ!? シリウスが!?」

「ば、バカな……ワタシがそんなことをするわけないでしょう……ガハッ」

「そうじゃない! 俺に大量の保証金を渡すシリウスが学生の財布ごときをするわけないだろう!」


では誰が、と滝が訊ねようとすると、背中に怖気が走った。

ツツ、と背中を指(らしきもの)でゆっくりなぞりあげられたからだ。


「きゃあっ!」

「……え? きゃあ?」

「どうしたんデス、滝さん。そんな生娘のような声あげて」

「実際生娘だタコッ! い、今誰かが私の背中を……!」

「タコじゃなくってウサギだピョン!」

「どーーーでもいいッ! 誰だ!?」


だが変わらず回りを見渡してもやはりどこにも、自分たち以外誰もいない。


「……見えない……? ここまで色々されてんのに? ありえねぇだろ!?」

「もしかすると、既に俺たちは例の動力炉の攻撃を受けているのかもしれない」

「双子人魚ってヤツか? い、いや……それはどうだ? 動力炉の名前が『エロ透明人間』とかならまだわからなくもないけどよ」


確かに、人から見えないように行動する能力と、双子人魚という名称に何の繋がりも見出せない。前のキャプテン・メランコリックのケースでは名前がモロに伏線となっていただけに妙だと思う。

何よりも、仮にこの行動が動力炉からの攻撃だとすれば、絶対に見過ごせない前回との相違点が一つある。


「……仮に動力炉からの攻撃なら、私たちはとっくのとうに」

「殺されてる、か? どうだろ。シリウスに訊いてみようか」

「ほよよ?」


小雨はシリウスに向き直った。ひとまず見えない誰かのことは放置だ。


「動力炉って、必ず俺たちを殺すために行動するものなのか? 前回の海賊船の件で、ヤツが俺たちを狙っていたのは俺たちが密航者で、ヤツが船長だったからだろ? 今回はどうなんだ?」

「いや。流石にそれに答えるのはちょっと」

「質問を変える。すべての動力炉の目的は俺たちを殺すことなのか?」

「……イヤーなところを突いてきマスね……ま、しかし答えないわけにも……別にその質問自体はネタバレじゃありませんし……」

「シリウス」


急かすと、シリウスは観念したように喋り出した。


「必ずしもすべての動力炉があなたたちを殺しにかかるわけじゃありませんよ。ただデスゲームである以上、船のどこかには何らかの方法であなたたちを殺す準備がされていることは確かデスが」

「気配の正体が動力炉である可能性は一応あるってわけか……」

「さて。どうでしょう?」


悪戯っぽい笑みを浮かべ、これ以上のヒントは期待するな、と言外にシリウスは告げている。

だが小雨は元からシリウスに大した期待はしていなかったので、追及はしない。

これと言って目立つ害意もなさそうなので、滝に提案する。


「放っておこう」

「マジか」

「……大丈夫だ。俺がその内どうにかする」

「コサメ……ひやっ!」


また悲鳴を上げた滝は、すぐに顔を真っ赤にして裏拳を後ろに繰り出す。

だが、空振りだ。特に何にも当たることなく、拳は空を切る。


「……こンの野郎! さっきから気安くペタペタ触りやがって!」

「ん? どこを触れられたんだ?」


小雨が訊くと、真っ赤な顔のまま滝は胸をかき抱く。


「そ、それは……」

「胸を念入りに揉みましたわ」

「バラすなシリウス、コラッ!」

「……は? え? ワタシ?」


あれ、と小雨は声を上げる。


「……待て。シリウスじゃないぞ、今の声」

「あ? いや、でも今の声はどう聴いても」

だった、だろ? でも絶対にシリウスじゃない。断言する」

「……本当か?」

「当然デスよ。だって、見えない誰かが滝さんに何をしたかなんて、ワタシにわかるわけないでしょう?」


シリウスの主張はもっともだったので、滝はそれで納得した。

ならば今の声は――


「……ふふふ。ふふふふふふふ……」

「……こ、コサメ。本当にどうにかしてくれるんだな? 本当にどうにかできんだよな!?」

「ふふふふふふふっ!」

「なあ! 笑い声がさっきから聞こえるんだけど! 本当にどうにかできんのか!?」

「あははははははははっ!」

「あ、う、う……チクショウ! 結局今回のゲームもこんな感じかよッ!」


先ほどまでの余裕は消し飛び、滝は大急ぎで小雨の傍に駆け寄り、腕に絡みつく。

やはりこういうことになるのか、と小雨は溜息を吐いた。


「こ、怖いデスー! ホラーデスー! いやー! いやー!」

「いやお前が怖がるのはおかしいだろッ!?」


よくよく見てみればシリウスもガタガタ震えながら小雨の足に引っ付いている。


「アホですかあなたは! ゲームクリエイターが怖いと思わないゲームなら、プレイヤーを怖がらせることは不可能デスよ!」

「正論っぽいが、だからって……」

「と、とにかく! もう怖すぎて歩くのいやデスので!」


シリウスは足をよじ登り、頭まで登るとそこに引っ付いて動かなくなった。


「滝さんの介護のついでにワタシも運んでくださいよー! もうやだー!」


足手纏いが増えた。これでは前回のゲームよりも遥かに難易度が上だ。

しかも、隣には姿の見えない謎の浮遊霊スプーク。小雨は既に全部を投げ出したくなってきた。


「……先を急ごう。まだ船のことが何もわかってない」

「おう。さっさと全部片付けて下船だ! そうすれば……!」

「今回は参加賞だけでトロフィーが貰えるのですし、無理に二つ目のトロフィーを狙う必要もありませんわ。早く行きましょう?」

「ああ! シリウスの言う通りだ! さっさとやるぞコサメ!」

「……え? いやワタシは喋ってないんデスけど……」


ガチ、と滝の両足が今のシリウスの一言で恐怖に固まる。


「……喋ってたことにしていてくれ……怖い……!」


滝の絞り出すような懇願に、シリウスは応えた。


「……じ、実はワタシ、たまにお嬢様口調になるんデス。今まで黙っててごめんなさい……」


――能力はさておいて、シリウスって意外とマメないいヤツなのでは。

小雨は一瞬そう思ったが、ナイトメア相手にこんな情を持っても仕方がないと考えを打ち切った。

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