第五巻 あ、ごめん。後で保証するので許して
午後七時。
シリウスが約束した時間。まだ茶亭は営業しているので、そこかしこに客がいる。
この状態で面倒が起こるのは困るな、と晃は思う。だが無理だろう。そういうものは起こるべくして起こってしまう。
危険な友達の多い晃は経験則で知っていた。もう既に状況は最悪だということを。
「……シリウスがいる」
席の一画で茶を飲み、和菓子を齧るシリウスを見ながらそう呟くと、後ろにいた滝がなんのことはなしに答えた。
「ああ。来るっつってたからな。あとはコサメが来れば全員揃う」
「……まさか人間以外がこの茶亭に来るとは……」
「安心しろ。ゲームが始まるのは深夜。私はそれまでいつも通りバイトするつもりだからよ」
眼鏡を外してコンタクトをつけ、和服風味の制服に身を包み、髪を束ねている滝はこともなげにそう言っている。
だが心配しているのはそこではない。
「……店の中で暴れたりしないでくれよ」
「しねぇって。アカネ姐さんに怒られたくない」
不安には思うが、ひとまずその言葉は信用する。滝は言動と身体能力のせいで誤解されがちだが、実際のところ素直な女性だ。
やらないと言ったらやらない。
「んにしてもコサメは遅いな。デートは五分前行動が基本だろうが」
「アイツは約束の時間に確実に遅れる」
「割とズボラなのか?」
「時間通りに待ち合わせ場所に来てロクな目に遭ったことがないから。防衛本能だよ」
「何があったんだ、アイツ……」
「正確にはもう来てると思うけど、遠巻きから観察して危険がないかを確認してるところだろうね。あと五分くらいかかる」
「本当に何があったんだアイツ!」
くだらないきっかけで暗所恐怖症になった滝が言えた話ではないが、彼も彼で随分と怖がりだ。
「アイツの臆病さに何回も救われた身としては、どうこう言えないんだけどね」
「ん……アキもか?」
「中学校時代に僕と同じクラスだったヤツの中で、小雨に感謝していない人間なんて誰一人いないよ」
「……そうか」
「『修学旅行先が沖縄からメキシコになった事件』、『レクリエーション合宿のバスジャック事件』、『反大統領派テログループ襲撃事件』……どれも死にかけたなぁ……」
「マジで何があった?」
「ちなみにこれらの事件の原因は全部さっき話題に出てた耶麻音アポロだ」
「そりゃ苦手意識持つだろうな!」
どれだけハードな中学校生活を送ってきたのか興味は尽きないが、晃の渇いた笑いを見て考えを改めた。
あまり深入りしない方がよさそうだ。いい思い出とは言えないらしい。
それに、もう時間がないようだ。
新しい客人が来たので、滝はそれの対応をしに受付へ向かう。
「いらっしゃいませー」
そんな日常をこなしていると、滝自身、これから死地に向かおうとしていることを忘れそうになる。しかしそういう時間ほど短いもので、そうこうしている内に小雨が来た。
「……よう。遅かったな」
滝が営業スマイルを消してそう言うと、小雨は滝の姿を足元から顔までゆっくり眺めてから呟いた。
「確かに今から見てみると、完全に滝だな……なんで気付かなかったんだろ」
「似合うだろ?」
「ああ。うん」
「……」
小雨の反射的な受け答えに、ふと滝が固まった。
「ん? どうした?」
「お、お前、その、勤務時間中にそういうの困る。照れるし」
「訊いたのお前だろ!? なんで照れてんだよ!」
「あ。小雨さん! おーい! こっちこっち!」
入口付近でモタついていた小雨をシリウスが発見し、席から手をぶんぶん振って存在を主張する。
「これで全員デスねー! 参加します? 参加する気デスよね?」
「……はあ」
あのキラキラしている笑顔を見ると、苛立ちから来る勢いのまま『違う』と叫びたくなる。だが、実際のところその通りだ。
小雨は頭をかいた。
「……やるぞ。滝」
「おう。ただ今すぐじゃないけどな。バイト終わるまで待て」
「冷たい緑茶を」
「かしこまりましたー」
「席はシリウスと一緒で」
「はいどうぞ」
◆◆
「シリウス。俺の鞄をどこにやった?」
「ほえ?」
小雨の問いに、シリウスは素っ頓狂な声を上げた。
「なんのことデス?」
「学生鞄だよ。アレ、中に家の鍵とか入ってたからないと困るんだけど。あの幽霊船に行ったときには既に消えてたぞ。どこやった?」
「ンー? ちょっと待ってくださいね」
シリウスはどこからともなくタブレットを取り出し、ちょこまかと操作しはじめた。
「……ああ。転送の座標がズレてたみたいデスね。えーっと……幽霊船の中に取り残されて……あちゃ、燃えてマスね。見事に」
「冗談だろオイ……」
「ごめんなさい。後で保証しマスので。少なくとも学校が始まる前に」
「それまで家に帰れないじゃないか」
「はて? 家族は?」
「両親は旅行。平日まで帰ってこない。妹は弓道部の合宿」
このことに気付いたのは家の前までたどり着いてからだ。晃の家に戻ろうか、と思ったものの、そのときの茶亭ではアポロが打ち合わせしていた。
できるだけ顔を突き合せたくないので、引き返すわけにもいかず、本屋をぶらついたりして時間を潰していたのだ。
「うーん、じゃあナイトメア側でホテルの手配を」
「おい! それアレだろ! あの場違い感の凄いスイートホテルだろ!? 冗談じゃないぞ!」
「ひとまず百万円くらいは保証金として今ここで現金払いしマスので、それで凌いでくださいな」
そして、パサリと投げ捨てられる札束。確かに見た限りでは百万円はありそうだった。
「……金ありすぎだろお前ら……」
「いやぁ、仮にも命かけてゲームしてもらってるわけデスし、保証はいくらでもしマスよ。あ、ところで未成年がマンガ喫茶に泊まろうとしても無理がありマスので。そういうことをしたい場合はデバイスでワタシのことを呼んでもらえると。別のナイトメアも呼べマスけど面倒臭がって来ない場合が多いので」
「いたれつくせりすぎて怖いよ!」
「あなたたちも『食べ物には感謝しろ』って子供のころに教えられるでしょう? ワタシたちにとってあなたたちは食べ物、っていうかメシの種みたいなものデスので。感謝の気持ちは忘れません。ナイトメア全員がそう思っているわけではないデスけど」
その言い方だと『そう思っている者は結構いる』ともとれる。
彼女たちにとってデスゲームの参加者は商売道具に等しいらしい。
「で? 結局参加するんデス?」
「……参加しない理由が見つからなかった」
「よろしい。開始は午前二時デスので。行きたくなったら声をかけてくださいね。その時間と空間まで瞬時にテレポートしマスので」
「また終電逃す時間かよ……」
「という文句をねじ伏せるためにワタシが色々保証するんデス。まあただし、ここまでするのはあなた方が期待できるプレイヤーだから、デスけど」
そのやり方が凄まじく極端なことが問題なのだが。
しかしホテルでの一夜を蹴ったのは二人の個人的な趣味趣向によるところが大きい。文句を言うのは筋違いとも言える。
小雨は、このことに関してこれ以上言及するのは避けることにした。
「……滝のバイトはあと二時間程度かかるらしい。それまでどうする?」
「ここにずっといマスって。当然じゃないデスか」
「……色々聞いていい? お前個人のこと」
「ン? 特に隠し事とかはないので、大丈夫だと思いマスよ」
「……何のためにデスゲームの運営なんか……金のためってわけじゃないだろ?」
「ああ。それ。言いかけてましたよね」
にっこり笑って、シリウスは答えた。
「人間になりたいんデスよ。ナイトメアは、動機は違えど全員」
「え」
「ワタシたちの上にいる誰かが、ワタシたちの活躍を認めてくれれば『ナイトメアを人間に変えてくれる』ってことだけはなんとなーく知識としてはあるんデスよねー。いや、方法は知らないんデスけど」
「それって――」
「可能かどうかを論じる気はないデスよ。既にヒューマノイドがいる時点でリアリティや可能性を論じるだけ無駄では?」
「……一理ある」
こんな理屈があってたまるか、と同時に思うが。
「でもナイトメアと人間の相違なんてそもそもほとんどないんじゃ……というより、むしろ人間の方がナイトメアより遥かに不自由だよな?」
「……家の中で永遠にオンラインゲーしてていい生活って、ある種の理想デスよね」
「……なに?」
「いくら銃弾で撃たれようが死なないワタシたちは、現実がまさにオンラインゲーみたいなものなんですよ。でもナイトメアはそれじゃ我慢できないんデス。あとね、例えばこのお茶」
シリウスは人差し指で、軽く湯呑を弾く。キン、という気持ちのいい音が鳴った。
「そうだなぁ。ゲーム中で『美味しい料理』があったとして、それを食べるアクションを起こしても、現実にいるあなた方は『美味しいという設定とテキスト』でしか理解できないでしょう? ワタシたちも、このお茶が美味しいということは理解できるんデスけど、味がわかっているわけじゃないんデスよ。美味しいという『設定』を理解しているだけで」
「それは……」
「だから人間になりたいんデス。ワタシの動機は単純に『美味しいものを食べたいから』とか、そういうのでいいデスよ。細かい理由はなった後で考えマス」
話を聞いてみるに、ナイトメアであるシリウスも切実な願いを持っているようだった。ヘラヘラとした笑顔を浮かべながらも。
だがそれでも釈然としないことがある。
「人間が死にかねないゲームを運営しながら、人間になりたいと言っていることがおかしいとは思わないか?」
「いいえ、全然。ていうかそもそもゲームに参加し始めたのは、元はと言えばあなたたちの方ですし。いわばワタシたちは人間の望むままにゲームを運営しているだけデス」
「む……」
「そもそもあなたたちはワタシたちのゲームが存在しようがしまいが病気や事故や寿命で簡単に死んでしまう存在デス。元々ね。それなのに、ワタシたちのゲームだけ責める方がおかしいとは思いません?」
「それは違う。人間の望んだことだからって論法はギリギリ納得できなくもないけど、それだけは違う」
「ンー? 難しいことを言いマスね」
「……いや、いい。どうせこのゲームが終わったらお前と俺たちの関係は終わりだ」
焼きが回ったか、と小雨は嘆息する。
相手は人を殺すゲームを運営するヒューマノイド。同情や理解に何の意味があるというのだろう。
滝がバイトを終えるまでの時間、気まずい沈黙が流れた。そう思っているのは小雨だけで、シリウスは終始ワクワクとした顔で待っていたが。
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