第一巻 生後三日なので犯さないでください。お願いしマス

どうしてこうなったのか、と訊ねられてもまったく答えられない。

正気な上に頭も冴えてるが、それでも意味がわからない。


現状だけを正確に述べるなら、天現寺晃てんげんじあきらは女性の胸を揉んでいた。

場所は自宅。時間は朝。半ば組み敷いている形で、晃がのしかかっている女性は、今朝会ったばかりで名前すら知らない。


肩にかかる長さの金髪。服装はキッチリとしたレディーススーツ。屋内にいるというのにパンプスを履いている。年齢は高校生の晃よりも少し上程度だろうか。


「落ち着け……落ち着いて考えろ僕……」


事態を整理しよう。

事の始まりは朝、つまりつい先ほど、この女性が鍵がかかった家に突如として現れたことから始まった。

厨房にて仕込みをしていた晃のすぐ傍を当然のように横切って行ったのは、この女性。


まだ開店準備すらできていない状態の店に、鍵も持っていない部外者が入れるはずがない。諸事情あって窓は割られているが、すぐにガムテープで応急処置を施したし、何よりそこから侵入したわけでもなさそうだ。そんなことをしたら音で気付く。


鼻歌混じりに歩くその女性は、平然と土足で晃の自宅へと上がりこんでいく。


晃の家は一階が茶亭、二階が居住スペースとなっているため、一階部分のほとんどが土足で歩き回れるが、二階は別だ。一般的な日本家屋同様、土足禁止。


仕込みを中断し、慌てて女性を追い、そして何かが起こった。

具体的に何が起こったのかはわからないが、女性が真後ろに吹き飛んだ。ダンブカーに跳ね飛ばされたような勢いで、急激に。


晃はそれに巻き込まれて、空中で二人はもみくちゃになって、転がって、現在に至る。


「んー! ダメだ! まったくわからん!」

「ン?」


ふっ飛ばされた衝撃で意識を失くしていた金髪の女性が目を覚まし、晃と目が合う。パッチリとした長い睫毛が何回か瞬き、その碧い瞳に吸い込まれそうになる。

作り物めいているが、宝石かラムネのガラス玉のように綺麗な目だな、と食い入るように見つめていたのがよくなかった。


「ヒッ……!」


彼女の目が下に向く。直後、心底怯えたような顔になる。そこには何があったか。

晃は気付く。自分は不可抗力とは言え、彼女の胸を揉んでいたのだ。しかも押し倒すような形で。


「あっ」


何故さっさとどかなかったのか、と後悔するがもう遅かった。


「あっ……い、いや……助けて……あうッ!」


恐怖のあまり悲鳴すら上げられない様子で、必死に逃れようともがいているが、さきほどの衝撃のせいで上手く体を動かせないらしい。人体が二人分宙に舞うほどの衝撃だったので、手首か足首を捻っていてもおかしくはない。


「い、いや違……これは不可抗力で! すぐにどくからっ……痛ッ!」


すぐにどこう、と晃は体を持ち上げようとするのだが、頭になにか引っかかりを覚えて中断される。

晃の長い髪の一部が、彼女のシャツの第一ボタンに引っかかっていたようだ。


「どんなミラクルが起こればこんなことになるんだよッ! ああ、くそっ!」


慌てて髪をほどこうと、彼女の第一ボタンに手をかけたのがいけなかった。傍目から見たら『女性を押し倒した上に服を脱がせようとする変質者』にしか見えないし、事実彼女もそう思ったらしい。


「あ、ああ……いやあああああああ! 助けてーーー! 犯されるーーー!」

「ええっ!? いやっ、これはッ!」


涙目の女性の叫びに呼応し、バタンとどこかの部屋のドアが勢いよく開く。中から出てきたのは、昨日家に泊めた友人である霊院滝だ。


「どうしたシリウス! 何が――うわあああああッ!? アキお前ーーーッ!」

「誤解だーーーッ!」

「あ、相手が人間じゃないとは言え、お前っ……やっていいことと悪いことくらいわかるだろ!? この鬼畜外道野郎! そんなヤツだとは思わなかったぜ!」

「違うって言ってるだろ! ていうかこうなったの多分キミのせいだよね!?」


人間を二人分ふっ飛ばすような膂力りょりょくの持ち主など、この家には滝ただ一人しかいない。おそらく、この女性が滝に対して何か怒らせるようなことを言い、その直後にキレた滝が彼女を蹴りなり殴りなりして吹き飛ばしたのが真相なのだろう。


「せ、生後三日のなんもわからないヒヨッコヒューマノイドになんてことを……」

「生後三日? ヒューマノイド……あ、コイツが昨日言ってたナイトメアなんだ」

「い、いやああああ……助けて滝さーーーん……」


女性――シリウスの弱弱しい声が滝になにかしらのスイッチを入れた。彼女は背中から殺気のオーラを吹き上げつつ、晃の元へとズシリと歩み寄る。今にも加速し、晃のことを消し飛ばそうとしている。


「許さん! アキ! お前を友人として、私が裁く!」

「や、やめろ滝! そんなことしちゃいけない!」

「問答無用! 痛みは一瞬だ! うおおおおお!」


床を大きく蹴り、常人では考えられないスピードで加速。まともに激突すれば晃の全身の骨は粉々になるだろう。だが、その心配はなかった。


「違う! 僕のことを心配してるんじゃなくって、キミ今メガネしてないだろう!」


晃の元へ跳んだ滝は、二人の隣をすれ違っていった。そしてそのままゴロンゴロンと一階への階段を転がり落ちていく。


「ぐああああああ! 無念だーーーッ!」


転がり落ちる音は、どこかにグシャッとぶつかる音で途切れた。それきり滝の気配はしなくなる。気絶しているだけで、死んではいないだろう。これらすべてが一瞬のうちに終わる。


「メガネない状態で大暴れすると大抵酷い誤爆するんだから落ち着いて……って、ああ遅かった!」

「ひ、ひい……滝さんのことまで殺したぁ……この強姦殺人犯んん……!」

「あれは完全に自業自得だっただろ!?」


結局、この騒動は晃の引っかかった髪を、小雨が持ってきたハサミで切るまで続いた。


◆◆

「あれが恐怖……生後三日なので初めての体験でした。泣いたのも初めてデス」


ぐすん、と鼻を鳴らしながらシリウスは言う。

ひとまず場所を移動し、小雨、滝、シリウス、晃の四人は茶亭のスペースにいる。席に座らせ、茶を飲ませ、シリウスが落ち着くのを待った。


まだ早朝であり、業務時間外なので、この程度の時間はあった。晃は既に店の制服に着替えているが。


「しかしやはり感情というのは素晴らしいデスね。とてもエキサイティングでした。退屈ではないというだけで、世界はこんなにも輝かしい」

「感情芽生えた系ロボットのテンプレートみたいな台詞だな。ちょっと変態チックだが」


滝の感心しきったような言葉に、シリウスは笑顔を向ける。


「ロボットじゃなくってヒューマノイド、デス。ああ、これが怒り! 素晴らしい! ワタシ、滝さんに対して『コイツいつか絶対ぶっ殺す』と思ってマス!」

「それは殺意だバカ野郎! 死んでたまるか!」


怒鳴る滝の横で、小雨は冷静にシリウスを観察する。

――笑顔でとんでもないこと言うな、コイツ。

小雨の印象で語るなら、シリウスは『ある日突然感情が芽生えた人形』だ。

急に誰かから貰った心というゲーム機を持て余しながらも、それが楽しくて仕方がないといった無邪気さを感じる。


それはつまり、感情は持っているが、それを完全に自分の物にできていない――悪い言い方をすれば持っているだと言えるのだが。

感情に飽きたらあっさりとそれをゴミ箱に放り投げて、また人形に戻ってしまいそうな危うさがある。


「単純にデストラップを踏んでズタズタになるくらいなら問題ないんデスが。ああやって尊厳や感情を踏みにじられる系のヤツはマジで勘弁デス。心は本物なので」

「違いがわからん」


滝の言葉に、シリウスは少し深刻に考える素振りを見せた。


「ンー。人間で例えれば、ワタシにとっては現実がSNSかオンラインゲームみたいなものなんデスよ。ほら、あなたたち、ツイッターで何をしようが物理的には傷つかないデスけど、うっかり炎上とかしたら心は傷つくでしょう? それと同じデス。多分」

「ああ、それはわかるな。なるほど。つまりお前はさっきアキにネット上で猥褻物の写真を送られたり、猥褻な言葉を並べ立てられたり、あまつさえ『シリウスたんの●●●は絶対ピンクだよ間違いないよ開いて確認したいハァハァ』とか言われたりしたも同然なわけだな」

「その通り! 精神的苦痛だけで言えば、ワタシは晃さんに処女奪われたも同然なわけデス!」

「最低だなヤローめ」

「だから全部キミのせいだって言ってるじゃん!」


流石に晃も我慢できずに口を挟む。事情を先ほど聞いたので、滝も本気で晃のことを悪いと思っているわけではない。あくまで冗談だ。


「まあそれは置いとくとして、だ。アキには後でなにかしら詫び入れるとして。何の用だ? シリウス」

「あ、そうだった。忘れてました。今夜のゴーストセッションへの参加勧誘デス」

「……なんかの間違いであってほしかったぜ」

「もう死ぬような目に遭うのは御免だなぁ……」


滝と一緒に、小雨も天井を仰ぐ。

結局大きな怪我こそなかったが、死ぬような目に何度も遭ったのは事実だ。完全ドロップアウトを目指すなら最低でも二回のゲームに参加しなければならないが、精神的疲労が癒えてない内の参加はできるだけ遠慮したかった。


「一週間に二度の参加義務、だったっけ? 昨日参加して、明日が日曜だから……」

「あ。別に今週はもう大丈夫なんデスけどね。チュートリアルに一回強制参加させられた後は、一週間程度のモラトリアムがあるんデス。一週間二度の参加はその間は免除デスよ」

「あ、そうなの?」


と、小雨が言ったすぐ後に、またシリウスは考え始めた。

そして、晃の方を見て、少し首を捻る。


「なに?」

「……そういえば部外者がいましたね。どうしよう、別に困るわけじゃないんデスけど、マナーとしてナイトメアがペラペラとゲームのことを部外者に話すのは好ましくないんデスよね」

「人ん家の中で勝手に喋っておいて今更なにを……」

「まあいっか。あなたはナイトメアであるシリウスを無理やり手籠めにした鬼畜外道野郎だった、と後で上部に報告すれば。ゲームのことを拷問じみた手腕で吐かされたってことにしておきマス。実際そういう事例あったから説得力ありマスし。不可抗力デス不可抗力」

「やめろ!」

「それはさておいて」


対して興味なさそうに晃を切り捨て、シリウスは小雨と滝に向き直る。


「ついでです。ゲームのことについて、運営として答えられること限定でなんでも答えてあげマスよ。前回はアクシデントのせいでロクに説明できなかったデスし」


小雨と滝にとって、渡りに船の話だった。

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