第10講 例外が起こったらまず疑え

「待てよ。そうなったらますますじっとしてはいられねーじゃねぇか」


一歩、決然とした表情の滝が進む。

その額には脂汗が浮かんでいる。明らかに無理をしていた。


「……一応、心理学者の道を志す者としてはね。あなたに無理をさせるわけにはいかないのよ。ついでに、人の命を粗末に扱うヤツのことも許すわけにはいかないし」

「オジサンはもうちょっとドライな理由だなー。単純に足手まといはいるだけ損ってだけ」

「なっ……!」


あまりの配慮のなさに言葉を失う。

滝が絶句すると、冥砂は光秀のことを肘でつついて牽制した。光秀は眉間に皺を寄せながら、言い訳がましく口を開く。


「いや、悪気があって言ったわけじゃないって。兵法の基本には、相手の陣営にどれだけ足手纏いを増やすかって考え方もあるし。その術中に嵌まっている彼女は、良い悪いは置いといて間違いなく足手纏いだろ?」

「……はあ。もういいわ。結局のところ、私と意見は一致しているし」

「そうだね。別行動だ。さて、それじゃあカンテラをどうするか、だけど……これはキミたち後輩にあげよう」


にこにこと笑顔を絶やさない光秀の発言に、今度は小雨が声を失う。


「まあ大丈夫。この船の間取りがどうなってるのか、ある程度知ってるしね。多分オジサンがカンテラを持ってきた倉庫が近くにあるはずだ。そこまでスマホのライトで行けば問題ない」

「いや。それはむしろ船長と戦わない、手の空いてる俺たちの役目じゃ……」

「暗い道を彼女と歩けるかい?」

「……ん」


不可能、という文字が小雨の脳裏に真っ先に浮かんだ。

先ほどの暗黒で、滝の心はもう限界に近い場所に追い込まれている。これ以上はもう、最低限の動きしかできないかもしれない。

どう言ったものかと悩んでいる内に、光秀と竜子が新しいカンテラを取りに行くことが決定事項となってしまった。

明るい声で光秀が言う。


「ま、カンテラを取ってくるだけなら簡単さ。安心してていいよ。ね、冥砂サン」

「……織田さん。ちょっと提案があるのだけれども」

「なに?」

「カンテラを取った後は、ちょっと行きたい場所があるのだけれども」

「どこ?」


光秀の質問に、少しだけ間を置いてから竜子は答えた。


「私の弟のところ……一緒にゲームに参加してて、真っ先に殺されちゃったから……」

「……そっか。わかった。そうしよう」


――ん?

その会話に、小雨と滝は違和感を覚えた。


「待って。弟さん?」

「そう。私の弟。一緒にゲームに参加してて、この階層を探索してたときに、船長に不意を突かれて後頭部をバンってね」


自嘲気味に、沈んだ声で竜子は言う。

悲しみの度合いが少し軽いような気もするが、しかし重要なのはそこではない。


「……甲板の真下のこの階層で?」

「そうよ」

「……うーん?」


小雨は自分のパスを確かめる。生き残り人数は、相も変わらずまだ五人のままだ。

――これ、もしかして。


バチン、と小雨の頭の中にあったパズルが組み合わさっていく。

最初から現在までの映像がフラッシュバック。どんな些細な例外も見逃さないよう集中する。

その結果、ある仮説が浮かんだ。あまりにも都合のいい仮説が。


――やってみる価値はある、か。


「みんな。ちょっと俺の話を聞いてくれないか――って、あれ」

「お。やっと気づいたか、コサメ」


小雨がその仮説を説明しようとしたそのときには、光秀と竜子の姿はどこにもなかった。隣には腕に絡みつくように抱き着いている滝の姿。

明らかに目の前に広がる光景が変わっている。


「あれ……二人は?」

「もう行ったぞ。お前が急に棒立ちになって、何かを考え始めてから」

「……嘘だろ!? ああ、いやでもこれでもいい、か? 元から足止め頼むつもりだったし……」

「足止め?」

「いや、別にあの人たちが船長を甲板まで引きずり込めれば問題はないんだけどさ……ところで」


小雨は先ほどからあえて避けていた話題に進む。


「なんで抱き着いてるの?」

「怖ぇ」

「……ま、まあ今更か。うん」

「……悪いな。足手纏いでよ」

「ん。気にしてたのか」

「そりゃそうだろ。だって、あんなこと言われたのは……もういつぶりかなぁ。小学校の大縄跳び大会で、思いっきり躓いたとき以来かなぁ……」


心なしか滝の言動が卑屈になっている気がする。

暗闇、死の恐怖、光秀の言葉のコンボにより、すっかり意気消沈してしまったようだ。

だが、小雨は知っている。彼女が足手纏いではないことを、イヤというほどに。滝と出会っていなければ、今ごろ小雨は船長によって射殺されていた。


「……証明しに行こう」

「あ?」

「お前が足手纏いじゃないってことを。いい考えがある」

「……いいぜ。お前が言うんなら、大丈夫だ。私はもう、怖くない」


笑みを零す滝の顔は、少しだけ眩しく見える。近くで見ると猶更。

小雨の心臓がドキリと跳ねるが、しかしその台詞は『怖さを押しとどめて無理に戦おうとする戦士』のそれだ。


それに、小雨の作戦では船長に近づく必要はない。少なくとも現状は。


「いや。俺たちが向かうのは、下だ」

「あ? いや……オッサンとメイサのところじゃ……」

「後回しでいい。とにかく下に向かおう」

「なんで?」


見せつけるように笑顔を作って、できるだけ明るく小雨は答えた。


「他の攻略方法があるかもしれない」


◆◆

「れいっ……滝も気付いただろ? 冥砂さんのあの言葉、俺たちが辿ってきた道筋に照らし合わせると大きな矛盾がある」

、だろ? 性別も、死んだ場所も違う」


カンテラの明かりを頼りに、二人は最初の階層へと赴く。これでもかなり恐怖感は残るようで、滝の足取りは覚束ない。それを気遣う小雨の歩みも遅くなる。

甲板の下の階層だけでなく、船全体の明かりが落とされていたようで、行けども行けども真っ暗闇だ。彼女の性質からすると無理はない。

だが、一歩ずつ真相へと近づいていた。


「あと次。船長の情報と、俺たちを殺そうとしている船長の情報には一つ小さい食い違いがあった」

「食い違い?」

「船長は瞬間移動先に何があるのかわからない、って話だったけど、それはおかしい。まず最初の交戦から逃げた後、すぐに俺たちのいた船室に移動してきている。次に、俺たちが甲板にいたことに気付いたのは、まあ織田さんと冥砂さんの後を追ってきた、で説明が付くとして……絶対におかしいことが一つ」

「……言ってみろ」

「人質の調達があまりにも早い。というより、都合よく人質を見つけられること自体が不自然だ。この船、凄い広いからな」


例えば情報収集を終えた参加者が、甲板が安全地帯であることに気付き、上へと逃れようとすることを見越して、階段付近で張り込むというのもおかしな話だ。滝が実演して見せた通り、甲板と船内の移動手段は正規のものに限定さえしなければいくらでもある。彼女のような超身体能力が無くとも、天井を破壊することは難しくない。

つまり張り込みのメリットがほとんどない以上『生き残った参加者をおびき寄せるための人質がたまたまタイミング良く手に入った』などという都合の良すぎる展開はありえない。船長に、参加者の居場所がすべてわかっているのであれば別だが。


「じゃあ船長に参加者の位置が全部わかってるとして、だ。なんでそこだけ情報と食い違ってたんだ?」

「本来なら本当に、船長には参加者の居場所がわからないようになってたから」

「あァ?」

「違和感その三。新規参加者のために船に乗っているはずのヒューマノイド、ナイトメアの消失。ところで」


腕に抱き着いている滝に目線を送ってから、ゆっくりと言う。


「このナイトメアってヤツ、どうやって俺たち新規参加者の居場所を知るつもりだったんだろうな?」

「……あ?」

「例えば、俺たちの持っているパスみたいな都合のいい情報デバイスでも持ってたのかもな? でもそれをどこかで落として、それを別の誰かが拾ったりしたのかも」

「……あっ」

「んでもって、そのデバイスの参加者の位置を特定できる仕掛けが本物であることを確認した船長が、口封じのためにナイトメアを射殺したのかも」

「あああああああっ! おいおい嘘だろ! アイツ! 私の目の前で死んでた金髪の女ッ!」


滝は空いている手で、自分の顔半分を覆う。不覚を取った自分に呆れかえっているのか、その顔は驚愕で染まっていた。


「アイツがだったのか!」

「そう。で、これは違和感と言っていいのか微妙なんだが……あの船長を初めて見たとき、アイツ、何してた?」

「な、なにしてたって……何度も執拗に、弾丸を死体にぶち込んで……」

「人質を取ったり、滝に警戒してわざわざ船の中の明かりを消したり、船長の取っている戦略は残酷だがやたら効果的だ。頭がいい。そんな頭がいいヤツが、何度も執拗に死体を撃つ? なんでそんな無駄なことをする?」

「……あのとき、死んでなかったから?」

「俺はそうは思わない。いや、答えに近いが微妙に違うと言い換えよう。殺せなかったんだ。どうやってもな」


小雨が何をしたいのか、滝には段々とわかってきた。

だが、とても正気だとは思えない。


「コサメ。お前……大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だよ。大丈夫さ」


呪文のように呟く小雨の顔には、もう笑顔はない。


「……ダメでもともと、やってみよう。仮説が合ってれば……合ってさえいれば」


カンテラの炎は導く。二人を、真相へと。深い深い闇の中へと。

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