第6講 リアリティは投げ捨てるもの:残り五名

「痛ぇ。涙も出てくる。自力で治せるけど」


グリ、とイヤな音を響かせながら滝は自分の脱臼を自力で治した。その際、本当に涙を流していたが、すぐに目元を拭って平静を取り繕う。


理屈も経緯も一切不明のまま船室に現れたキャプテンだったが、引き金を引き絞る前に滝のアッパーカットが炸裂した。

その後に起こったことは悪夢と言う他に表現できそうにない。まず凄まじい衝撃音を響かせながらキャプテンの体が上へと吹き飛び、天井を破壊し、そして上の階層の床を突き破って更に天井へ激突。


その上で、。勢いは、更にその上の階層の天井に叩きつけられることで止まったようだ。天井に開いた穴は薄暗くてよく見えないが、音でなんとなくわかる。


ついでに、大きな男の悲鳴が聞こえた。どうも誰かがピンポイントで上の部屋にいたらしい。仕方のないことだったとは言え、まだ見ぬ誰かのことが少し可哀想になる。


――くそっ。


状況が目まぐるしく変わり過ぎて、何から言えばいいのかわからない。腕が脱臼する勢いで危険を遠ざけてくれた滝に対する感謝か、上に誰かがいるという報告か。

それとも、キャプテンが吹っ飛ぶ直前か直後か、同時かのタイミングで撃たれた滝に対する心配か。


しばらく逡巡した後、震える足を動かして、小雨は滝に近づいた。


「霊院! 怪我は!?」

「ああ? ねーよ、んなもん」


言いながら振り返る滝を見て、いよいよもって絶句する。

右耳の端が少し切れていた。つまり、あと数センチだけズレていれば、頭に弾丸が撃ち込まれていたということだ。


「お前っ……! 耳! 耳!」

「あ? 耳?」


滝は不思議そうに右耳に手を添え、その後で手のひらを覗き込み、血を認識する。そこでやっとのこと、脱臼以外で自分が少しだけ負傷していたことに気付いたようだ。


あと少しで死んでいたという事実も、同様に。


「……う、ぐ……くそっ。くそっ……! もうたくさんだ……!」


取り繕った平静は脆くも崩れ、滝は耐え切れなくなったように涙を流し始める。小さく震えながら出す声は、か細くて聞き逃してしまいそうだ。


「わけわかんねーよ。なんで私がこんな目に逢ってるんだ……?」

「霊院……」

「怖ぇよ……怖くて仕方がねぇんだよっ……」

「霊院!」


咄嗟の行動だった。特に何か考えがあるわけではなかった。だが――


「……えっ」


小雨は滝の右手を掴んだ。震えが止まるように、しっかりと。

何が起こっているのかわからないように、疑問符だらけの顔で滝は顔を上げ、小雨の顔を見る。


「ありがとう! 助かった! お前、本当にすごいよ! 自警団のリーダーやってるだけあるって!」

「……あ?」

「俺も何が起こってるのかわからない。怖くて怖くて仕方がない。でもお前は大丈夫だ! こんな力持ってるんだから! 絶対に助かる!」

「……コサメ」

「俺が保証する。お前は絶対に死なない。大丈夫だ、絶対に」


滝は口を引き結び、小雨の目をじっと見つめる。穴が開く程にじっくりと。


「……コサメ、怪我は?」

「してない。霊院のお陰だ」

「……そうか」


滝は空いた方の手で乱暴に涙を拭い、今度こそ精神の均衡を取り戻す。眼鏡の位置を直し、小雨の手を握り返した。


「……ただコサメ、その慰め方はどうかと思うぞ。お前は大丈夫だ、って。それじゃまるで自分がダメみたいじゃねーかよ」

「それは……」


仕方がない、と小雨は思う。自分自身に、晃のような人脈や、滝のような超身体能力はないことを知っているからだ。その他に、それと並び立つほどに強力な武器もない。


先ほどの襲撃も、滝が庇ってくれなければ死んでいた。

言いよどむと、滝は再び不安気な顔になる。もう泣きはしないだろうが、小雨は慌てて繕った。


「お、俺も死なないさ。こんなワケのわからない場所で、死ねないって」

「……そうか」

「それはさておき」


小雨は上を見る。船長が落ちてくる気配はない。しかし、先ほどから複数の人物による怒号と悲鳴が聞こえてくる。


「……まずいな。上に誰かいたみたいだ」

「しまった。ふっ飛ばすんなら横にしておくべきだったぜ!」

「どこにふっ飛ばしても人がいる可能性は変わらない……っていうか、この船って上にも広いのか」


小雨は考える。上の階層があるのなら、どこかに確実に階段があるはずだ。船は広いため、おそらく複数は用意されているに違いないだろうが。

ここまで探索すればある程度、階段の場所の位置は特定できる。


これらのことを考えた上で、今できる最善の選択を小雨は弾き出す。


「……まずは逃げよう」

「なんだって?」

「ひとまず甲板に出る。そこなら電波も届くかもしれない。助けも呼べるかも。ついでに、泳げる位置に陸地があるんなら完全脱出も可能だ」

「おい。上で何かしてるヤツらはどうするんだ?」

「最低限、逃げることを伝えよう。そこからどうするかまでは流石に面倒見切れない。さっきはナイトメアを探すって言ったけど、そんな余裕もなさそうだし」


急に表れたキャプテンの姿を想起する。

もしかしたら、あの骸骨船長は小雨や滝、その他参加者の位置がわかっているのかもしれない。でなければ、数多くある船室の一つに隠れた小雨と滝に、あんなに早く追いつけるわけがない。


「……くそっ! 多分、私一人なら単独であの穴に跳んで上の階に行けるんだが……コサメがいないと、私はまともに動けなくなるし……!」


しばらく考える滝だったが、そうしている時間もないと判断し、すぐに息を吸い込んだ。


「おい! 上のヤツ! 聞こえるかァーーー!」


そしてありったけの声量で放たれた声は、どう考えても人間が出せる限界の量の数倍は大きく、一瞬だけ小雨は気を失うハメに陥った。


◆◆

「面倒ごとを押し付ける形になっちまったが、私たちはひとまず逃げる! 携帯の電波が届く場所にまで行けたら通報してやるし、陸地が近かったら泳いで脱出して助けを呼んでやる! どうするかは自由だ! 足止めするなり、私たちと一緒に逃げるなりだ! どんな行動にも強制はしない! とにかく私たちは逃げる! じゃあな!」


思わぬ形で現れたキャプテンに驚いていた二人だったが、大穴から聞こえる女性の声を聞き、冷や汗を流す。


「……新規だな、アレ」


眉根を揉みながら男が言う。それに続いて、女性も仏頂面で呟いた。


「……逃げる? どこに?」

「まあ……あの口ぶりだと、行先はほぼ間違いなく甲板だろうな」

「ナイトメアはどうしたの? アレが同行してるんなら、あんなトンチンカンな発言しないでしょう?」

「……現実逃避してるのか、あるいはまだ同行してないのか……いや、話は後だ」


天井に張り付いていた船長が、首を動かし、二人の方へ向く。ターゲットはたった今、切り替わったようだ。

船長の姿が消え、そして近くにあった青白い火の玉の光が強くなる。

やはり事前に仕入れた情報通り、火の玉を介して瞬間移動できるようで、消えた船長は光の中から現れ、二人に向かって悠々と銃を向ける。


「さて。私たち、って言ってたな。コイツを撒いて、さっさと俺たちも甲板に向かうとしますか。幸い今回のゲームは完全な協力ゲームだしな」

「……トロフィー狙い?」

「いや。もう諦めた」


男は肩を回し、軽く準備体操を行う。そして、帽子を深く被って精神のスイッチを切り替えた。


「幸い俺の手持ちのパスは逃走向けだ。隙を付いて一気に行くぞ」

「……便乗させてもらうわ」


船長は引き金に指をかけ、二人を殺害せしめんと動き出す。


◆◆

「おっし! 付いた! 外だ外!」


半ば蹴破る形で甲板に出た二人は驚く。広い広いとは思っていたが、外から見ると圧巻の一言だった。甲板は学校のグランドとほとんど変わらない広さであり、なんなら運動会も行えそうなほどに、この船が巨大だったからだ。


「……待て。霊院! あんまり下を見るな!」

「あ? いや、この船ってところどころ腐ってるから流石にそれは……!」


小雨の忠告を聞かず、足元を見た滝は息を飲む。

よく見てみれば、広い甲板の上には一面に人骨が転がっていた。それも凄まじい数だ。武器の類も転がっているのを見るに、どうもここで激しい戦闘が行われていたらしい。


「な、んだコレ……!」

「……そうか、コレ……海賊船なんだ」

「は?」


小雨の言葉の意図がわからず、彼の方を見た滝は、その視線が上に向かっていることに気付く。

その先にあったのは、大きな帆だ。そこに描かれているのは、骨のバツ印をバックに笑うシャレコウベのマーク。

一般的に知られる海賊船の象徴。いわゆるジョリーロジャーそのものだった。


「マジかよ。じゃああのキャプテンは」

「海賊船の船長……ああ、そもそもなんで俺たちのことを殺そうと追ってくるのかと思ったら……そりゃそうだ。俺たち部外者だ! 海賊なら密航者の類は許すわけないよな!」

「どうだっていい! 携帯は……」


滝は携帯を取り出し、電波状況を確認する。だが、依然として通話は不可能だった。圏外のまま、変わっていない。


「……ちっ! 陸地は……ああ、ダメだ! 夜だから空と海の境界線すらわかんねーぞ!」

「ん?」


その滝の言葉に、どこか違和感を感じる。今日の天気は晴れだ。星も月もよく見える。

だが、本来ならば海が見えていなければおかしい位置に星があるような気がする。こんな景色が見えることは、船が空を飛んでいない限りはありえないのだが。


「……霊院」


小雨はある事実に気付いた。一瞬でこの船に乗船していたことと、動く骸骨に追われていることよりも、遥かに非現実的な光景を目にしたからだ。


こんな景色が見えているということは、実際にこの船が空を飛んでいるから。

そんなばかばかしい仮説を証明するものを、小雨は不用意に見つけてしまった。


「あれ……」

「あれ?」


震える指で差した先を、霊院も無警戒に見る。そして、気付いた。そして、この船の正体に思い当たった。


亜府呂市は国内で最もUFOの目撃情報が多いという特徴がある。

なるほど、確かにそうだろう。納得だ。


「え……」


回りを見渡す限り、無数の船。船。船。

右にも、左にも、前にも。おそらく後ろにも。そして、頭上にも。


最新式の豪華客船、クルーザー、軍艦、貨物船、旅客船、和船、潜水艦、歴史の教科書で見た黒船そのものの造形の船、船、船。


それら全部が、空を飛んでいた。みな同じ方向に向かって。


「なあコサメ」


渇いてカサカサになった唇を動かし、滝が言う。


「もう気絶してもいいよな?」

「……気持ちはわかるけど耐えて……!」


もう既に、二人の常識は崩れ去っていた。正気も、そろそろ疑うころかもしれない。

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