第2講 始まりは大抵唐突なので考えるだけ無駄:残り六名
茨城県亜府呂市。人口おおよそ二十万人の地方都市だ。
特産品は納豆、梅、干し芋など。
特にこれといって教育に力を入れているわけではないが、小学校、中学校、高校、大学、社会科見学や職業体験に最適な研究施設や食品工場などが揃っているため、学生には優しい街だ。
交通の便もこれと言って悪いわけではないので、通学にも苦労はしない。
だが亜府呂市にはひとつ、見過ごせない欠点がある。とにかく、すこぶる治安が悪いのだ。
こうなった発端はいくつかあるのだろうが、最たる原因は『UFOの目撃情報が他の都市よりも遥かに多い』ということだろう。
雑なスクープや、怪しい記事を書きたがる胡散臭い連中が集まりに集まり、そしてそれを亜府呂市が受け入れに受け入れた結果、その多くが亜府呂市に腰を据え、居を立て、居座ってしまった。
それだけならまだマシだったかもしれないが、更にUFOを『神の遣い』だと扇ぐ妙な宗教団体が発足したり、噂に浮かされた頭の軽い誰かが宇宙人のコスプレをして深夜に徘徊したり、これらの一種退廃的な状況を楽しげに見つめる自称芸術家が高架下に無認可で無駄にダイナミックなスプレーアートを描いたりと、混沌は混沌を呼んだ。
そこから先はまさにドミノ倒し。もはや、治安が良かったころの亜府呂市のことなど、誰も覚えていないレベルで、この地方都市は堕落した。
だがそれを心の底から悲観している人間は、意外に少ない。混沌の中でしか生きられないような人間は、少数ながらも確実に存在する。
混沌の中では生きられない人間は、とっくのむかしに亜府呂市から去って行ってしまった。
かくして日本の一画に、このような『危険で退廃的な退屈しない非日常都市』ができたのであった。
市立亜府呂学園に通う
それなりにゲームをして、それなりに音楽をたしなみ、それなりに友達もいる普通の少年。産まれてこの方、悪行の一つも犯したことのない一般的な学生。
ただし、亜府呂市においては逆に浮いていた。少なくとも、本人も気にする程度には。
放課後、行きつけの茶亭で働いている同級生に小雨は愚痴る。
「この街での暮らしに未だに馴染めてない気がする」
「いや馴染むのが間違いなんだって。よく考えてよ」
ぴしゃりと愚痴を跳ねのける、甘い顔の少年の名は
この茶亭の雰囲気作りのために、和服仕様の制服を着ている。
今は特に客も多い、というわけでもないため、緑茶をテーブルに運んだ後で適当に小雨の話に付き合っている。
「確かにこの街で水を得た魚みたいに動き回るヤツも……僕の同い年の人間に限定してもかなりいるけどさ。だからって、ああいうヤツらに付き合う必要はないって」
「晃……お前……」
小雨は友人の言葉に溜息を吐く。
そもそも、そういう人間に心当たりがある時点で晃もここでの生活に慣れているのだ。
中学生時代からの付き合いだから知っているが、この甘い顔の少年は頭のネジが飛んだ女性を引き寄せるという妙な天運を持っている。
彼自身は善良極まりない人間だが、彼の人脈は侮れない。大体の悩み事は晃に相談すれば解決の糸口が見つかるという噂が、亜府呂学園の中で流れているほどだ。
というより、実際にそれは噂でもなんでもなく、本当に彼に相談すれば大抵の悩み事は解決する。その人脈を手繰り寄せ『あんまりお勧めはしないけど』という前置き付きで紹介された人材は、確かに間違いなく代償付きですべてを解決してくれる。
「……情報屋じみたことやっておいてよく言うな。俺はお前がときどき怖いぞ」
「情報屋っていうのは本当やめて。僕だって好きでこうなったわけじゃない」
そう言う晃の顔は苦々しい。
「たまたま僕の小学校のころからの友達に天然のアマゾネスが大量にいたってだけの話でさ。僕自身がどうこうしたってわけじゃないんだって」
「俺の記憶では中学校でもアマゾネスを引っかけてたよな?」
「いや、あれはあっちから一方的に突っかかってきて……」
「今も高校で似たようなことになってないか?」
「それも僕は何もしてないんだって! 本当に! むしろどうしてこうなるのか僕が聞きたいくらいだ!」
この人脈は晃にとっては最大の力だが、本人にとっては呪いに等しいようで、このあたりの話をすると彼は本気で頭を抱えてしまう。
別に女性関係にだらしないわけではなく、むしろ色恋の話を聞かないほどだというのに、なぜ女性につき纏われるのかは謎だ。
彼に代表されるように、亜府呂学園に限定してみても、この街に住んでいる人間はそれぞれ
晃の場合は天運によって引き寄せに引き寄せ、その結果産まれてしまった『危険な人脈』。治安が最悪であるこの亜府呂市においても、晃が働くこの店で食い逃げや強盗の類が起こった、あるいは起こりそうになったという話は一切聞いたことがない。
そんなことを企んだ日には、次の日の朝日を拝めなくなるからだ。企んだだけでもアウトというあたり、晃の凶器はこの街の中でもトップクラスに強力だと言えるだろう。
一方小雨には、そんな凶器はない。少なくとも自覚できる範囲では。
むしろそんなものがない方が面倒ごとに巻き込まれないので、逆に晃に羨ましがられるのだが、小雨にとっては深刻な悩みだった。
「……ところでキミ、いつまでここに居座る気? 既におかわり自由の緑茶だけで三時間粘ってるよね? 外真っ暗だし」
「俺とお前の仲じゃん。そんな追い立てるようなこと言うなよ」
「キミと僕の仲だから言えるんだろ」
ふう、と晃はアンニュイに息を吐く。
そして、ふと横に目をやり『おや』という顔になった。
「……小雨。キミの後ろに誰が座ってたか、覚えてるか?」
「ん? 死にそうな顔してたサラリーマンだろ? 目のクマが凄い、自殺しそうな感じの。ついさっき出てったヤツ」
「まあ確かにそんな感じだったけど」
と、晃は眉をひそめながら小雨の後ろの席に立ちより、何かを拾い上げる。
「……なんだこれ。趣味悪いな」
それは一見して、柄の入った手紙の封筒に見えた。だが、その柄をよく見て目を疑う。コラージュのように、複数の福沢諭吉が描かれていたのだ。
更によく見て気付く。その手紙の封筒は、複数の一万円札を織り込んで作った一種のペーパーアートだ。
一万人が見たら確実に、その一万人全員が拾い上げるだろう。なにせ大金でできた封筒なのだから。いかにも拾ってください、中を見てくださいという懇願に似た意思を感じる。
だが、晃は中身を一切改めなかった。
むしろ、ぞんざいにぴっと小雨に差し出す。
「わかる。僕にはわかる。こういうことをする人にロクなヤツはいない。突っ返そう。小雨、お願い」
「は?」
「僕は店を離れるわけにはいかない。わかるだろ?」
「……マジで追い出す気だなお前ッ!」
「当然だろ! そら、帰った帰った!」
ああ、くそ! と言いながら勢いよく立ち上がり、学生鞄を引っ掴み、空いた方の手で晃から封筒を引ったくり、小雨は出口のカウンターへと向かう。
「ありがとうございましたー!」
和服仕様の制服を着こんだ美少女に金を払い、ずかずかと店から退出する。
だが、追ったはずのサラリーマン風の男は、不自然なほどに影も形も見えなかった。
探すことを諦めるのに時間はかからなかった。そもそも、こんな悪趣味な封筒をわざわざこしらえたのだから、これは落とし物ではなく晃たち店員に向けた何らかのメッセージだと考えるべきだろう。
晃のあんまりな接客に苛立っていた小雨が、好奇心に負けて中身を見てしまったとしても、誰も責めることはできない。
それが決定的に、完全な墓穴を掘る行為だったとしても。
「……なんだこれ。スマフォ……じゃないな。小さすぎるし、見たことないし」
中に入っていたのは、手のひらで弄ぶことができるサイズの妙な機械。液晶画面があるので、なんらかの携帯デバイスだろう。
そして、中に入っていたのは、小さく文字が書かれた飾りっ気のない白い紙。
「……招待状?」
書かれていたのは、それだけだった。どこに招待するのか、その肝心な内容が一切、どこにも書かれていない。
「なんだこれ」
訝し気に紙に目を落としていると、ふと、生暖かい風が首筋をなぞる。
招待状から目を放し、回りを見渡して気付いた。
気温が違う。湿度が違う。というより、そもそも、先ほどとは景色が完全に違う。
「……は?」
一瞬、白昼夢か何かかと疑った。だが、違う。絶対に違う。空気に微妙に味がある。この細かいリアリティは、間違いなく夢にはないものだ。
このときの小雨にはわかりようがなかったが、そこは正しく船室だった。乗組員を寝かせるためのベッドがあり、最低限暮らせるだけの広さがある。壁には原理不明に、煌々と部屋を照らす青白い火の玉が張り付いていた。
これがまず一つ目。小雨が幽霊船に乗り込んだ経緯すべてだ。
「なんだこれ。ここ、どこだ? 俺はさっきまで……」
「オラアアアアアアア!」
状況を認識する前に、ドアを蹴破って誰かが入ってくる。
肩を大きく振るわせ、小雨が粉々にはじけ飛んだドアの方を見てみると――
「やっと見つけたぜ。私以外の動くヤツ!」
「……えっ」
殺意が目に見えるような、どす黒いオーラを身に纏う少女がいた。
長髪。長ラン。眼鏡の奥に光る鋭い眼光。顔立ちは整っており、それなりに体のスタイルもいい美少女だが、そんなことを考える余裕を吹き飛ばすほどの存在感。
「なんかよくわかんねーが、お前をぶっ倒せば、この意味不明な空間から出られるらしいな! よくわからんが!」
「はいっ!?」
「歯を食いしばれよ! 私は手加減できねーぞ! よくわからんがな!」
「よくわからないのはこっちなんだけど!?」
そこで小雨は、ふとある事実に気付いてぞっとする。
彼女が踏みにじっているドアの破片は、決して脆そうに見えない。壊れる前はそれなりの厚みがあり、しかも比較的腐ってない丈夫な木製のドアだったのだろう。
それを彼女は先ほど、どうした?
ついさっきのことだからわかる。蹴破ったのだ。粉々に。
みしり、と音がして我に返る。彼女が一歩、こちらに近づいてきた。殺気を更に吹き上げながら。
「待て! 待って! まずは話し合おう! な!? こっちもついさっきここに来たばっかりで意味が――」
ぶん、と風を切る音が聞こえた。彼女が思い切り足を振り上げたのだ。
まずい、と思い咄嗟に横に飛ぶ。
予想通り、彼女は踵落としを繰り出し、それを食らった簡易ベッドはドアと同様の末路を迎えた。粉々に弾け、ただの木片と布の塊へと変貌する。
「……話? 何を、私と、話すって?」
ベッドだったものを踏みにじりながら、ゆっくりと少女は小雨に振りかえる。
「だから……俺もついさっきここに来たばっかりで意味がわからなくって……」
恐怖に青ざめ、震えながら小雨が声を絞り出す。すると、問答無用といった雰囲気で殺気を出していた少女は、意外にもあっさりと冷静になった。
「……む。確かに『船長』って風貌じゃないな……お前、アフロか」
「は? あ……」
薄暗闇の中、長ランの襟に光る校章に目が行く。
どうも彼女と小雨は、同じ学園に通っているらしい。
「……じゃあお前も亜府呂学園の……ってか、今気づいたけど、お前!」
「あ? 私を知ってるのか?」
一瞬心当たりがなさそうな顔をしていた少女は、すぐに眉に皺を寄せ、小雨をよく観察する。
「……コサメ、だったか? 苗字は知らんが、お前のことは知ってるぞ」
「え。そうなの? 接点あったっけ?」
「お前も私のことを知っているようだし、お互い様じゃないか?」
「そっちは有名だから知らない方がおかしいって。同じ学園に通ってればイヤでも目に付くだろ。霊院」
喧嘩負けなしの腕前。無駄な美貌。一部の人間に突き刺さるカリスマ。晃と同様に、強力な凶器を持つ人物。
これが二つ目。少女――
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