聖夜が街にやってくる その1
毎年、クリスマスシーズンには、香月ゆかりのライブが東京のどこかで行われる。
ゆかりのメンバーとなる前から、職業柄、奏汰も翔もその時期はライブ三昧だ。そのため、クリスマスを家族と、或いは友人たちや恋人とゆっくり過ごすことは出来ないでいる。
『J moon』を始め、バーで働く者たちも同じだった。
「だから、翔、赤ちゃんも連れて来ちゃえばいいじゃない?」
「いや、ゆかりさん、そんな簡単に言わないでくださいよ。ライブ会場が小さい子連れはダメなんですから。それに、赤んぼには、ライブの音響は刺激強過ぎです。難聴にでもなったらどうするんです?」
ゆかりがウキウキと翔を見直した。
「翔も立派なパパなのね!」
「ホントだな! お前がそんなにちゃんとパパらしいこと言うなんて、信じられないな!」
「だから、奏汰! お前は俺のこと褒めてんのかけなしてんのかどっちなんだよ!」
ゆかりと翔、奏汰は、ライブの曲目を話し合いながら、珍しく銀座で飲んでいた。
バー『Limelight』。
『J moon』の前に優が勤めていたところだ。
カウンターでは、バーテンダー
「優さんて、俺くらいの時はどんなお酒が好きだったんですか?」
奏汰が、優の親友である榊に尋ねていた。
優と同じくらいの高身長であり、貴公子的な容姿の榊と、二人が並んだ『Limelight』では、さぞ女性客が多かったのではないかと、三人は想像した。
「きみ、今、二五だっけ?」
「はい」
「僕らはバーテンダーだから、ウィスキーにもハマって研究してた頃かな」
「もうウィスキーの良さを知ってたってことですか! さすがだなぁ!」
奏汰が感心した。
「ニューヨークにいた時は、バーボンをたまに飲んでたけど、バーボンはスコッチみたいなスモーキーさはないし、安いし、飲みやすかったなぁ。中にはアルコールの匂いがキツいのもあったけど。カナディアン・ウィスキーも美味しいですよね!」
「そうだね。飲みやすいし、全然クセがなくて、カクテルにも使えるから重宝してるよ。値段も安いしね。それと、安くて日本人の口に合うのは、やっぱりブラックニッカかな」
「あ、それなら、俺も飲めます! なので、それら以外で何か飲みやすいのってありますか?」
「きみくらいの時に桜木が飲んでたのはバルヴェニーかな。スコットランドのハイランドの方のだから、バーボンに慣れてる人には若干スモーキーにも感じるかもだけど」
「じゃあ、まずは、それ飲んでみたいです!」
「かしこまりました」
「ウィスキーの飲める男になりたいのか? 優さんに追いつきたくて?」
翔が冷やかす。
「ああ、いや、気に入ったのがあったら買って、うちで蓮華と飲もうかと。優さんも言ってたよ、ウィスキーは好き好きがあるだろうから、バーで試しに飲んでみてから気に入ったのをボトルを買うのがオススメだって」
「そもそも、蓮華さんの方が、酒はお前より詳しいだろ?」
「そうだけど、優さんにも蓮華にも頼らず、自分で見つけたいって思って」
気恥ずかしそうに笑う奏汰を、榊の目がやさしく見つめる。
「……当時を思い出すよ。蓮華ちゃんのことで悩む桜木が、よくそれを飲んでたのを」
「え……」
奏汰とゆかりが、さっと榊を見つめた。
「まあまあ二人とも、そんな目くじら立てずにさ、もう終わったことなんだからいいじゃねーか!」
陽気に翔が笑い出した。奏汰の慌てる反応を期待してか、ニヤニヤと意地悪な目になっている。
深い意味はなく翔が言った「終わったこと」とは、ゆかりには意味深な言葉に聞こえてしまう。
奏汰も少し深刻な顔になった。
「榊さん、俺は、優さんから、……蓮華を、取り上げてしまったんでしょうか?」
翔が真顔になり、榊は表情を変えずに奏汰を見つめた。
「俺、アメリカに行く前に、一度、優さんに蓮華を譲ったんです。一緒になっててくれとまで言ったんです。でも、帰国して再会したら、やっぱり自分を偽れなくて、もう蓮華を放したくなくて……。優さんは『僕じゃ務まらなかったから』って言ってたけど、本当は……。蓮華の気持ちは聞きましたが、優さんが本当のところどう思ってるのか気になって……。俺には祝福してくれたけど、もし蓮華に気持ちがあったんだとしたら、俺には絶対にそうは言わないと思うんです。だから……」
榊は、じっと奏汰の瞳の奥までもを覗くように、静かに見つめてから、奏汰の前に丸い氷を沈めたバルヴェニーのロックと、チェイサーの水を置いた。
「そうだとしたら、きみはどうするの? 彼が大人として決着をつけた気持ちに、今さら掘り返してわざわざ謝るとでも?」
「いえ、そんなことは……ただ、優さんは俺にすごく親切にしてくれて、応援もしてくれて、実の兄よりも兄らしい人です。一回りも年下の俺のことを友達だとも言ってくれて。そんな人の気持ちを踏みにじってしまったんじゃないかと気がかりだったんですが……すみません、ゆかりさんの前で聞くことじゃなかったですよね」
「私は別に……」
ゆかりは冗談ぽく笑い飛ばそうとして、うまくいかなかった。俯いて、ブルームーンの水面に視線を落とす。
「すみません、今度にします」
「いや、むしろ、今話しておいた方が良さそうだね。僕の視点で感じた話になるけど」
榊は奏汰に微笑むと、ゆかりにも微笑んでみせるが、ゆかりは顔を上げず、気付いていない。
「ここで客として来た桜木がバルヴェニーを飲んでいたのは、蓮華ちゃんと今の『J moon』を始めようと準備している時だった。僕が思うに、当時の蓮華ちゃんの相手——仮に、アドニスと呼ぼうか——が、もしもきみだったら、全然違う意味で味わえたんじゃないかな」
アドニスとは、奏汰はカクテルで知ったが、ギリシャ神話に登場する、美と愛の女神アフロディテ(ヴィーナス)を夢中にさせた美青年だ。
「蓮華ちゃんときみのことを桜木から聞いた時は、嬉しそうだったよ。これでも僕は、彼も認めるバーテンダーでね。桜木が強がっていたとしてもわかるんだよ。向こうにしてみても同じだけどね」
榊は笑った。
「ちなみに、僕も当時のアドニスくんを知っていてね。才能はあったし、一生懸命ではあったけれど、状況としては一杯一杯だったから、蓮華ちゃんに甘えていたところもあったと思う。それでも見守っていた桜木は、時々遣る瀬ないみたいだったけど、蓮華ちゃんにはバーのママとしての素質もあって正しい判断を出来るはずだからと言って、どんな結果になろうと信じて受け入れるつもりでいたよ。きみと彼女のことを報告してくれた時、桜木は言ってたよ、『やっと蓮ちゃんにふさわしい人が現れた』って」
奏汰の瞳は、これ以上開けないほどに見開き、榊を見上げて固まっていた。
「演技じゃなかったよ。あいつがそう思ったんなら、今度こそ蓮華ちゃんは幸せになれるかも知れないって、僕も思った。そして、明らかにわかった、アドニスくんときみとは違うってね。だから、きみに対してのあいつの態度は、すべて真実だと思うよ。言葉通りに受け取ってあげないと、あいつが可哀想だよ」
奏汰の瞳は徐々に和らいだ。
「……それなら良かった。俺、優さんのことも大好きなんです」
ちらっと奏汰を見た翔が、「お前の言うことって、時々アブなく聞こえるんだよな」とボソッと言ったが、奏汰は構わず榊に語った。
「だからって、優さんに甘えっぱなしでいいなんてことはないので。ああ、そりゃあ、彼には全然敵いそうもないので一時モヤモヤしていたことは事実でしたが、それは、俺がコドモだっただけで」
「いや、あいつには敵わないと思ってた男はたくさんいるから。年上年下関係なく」
くすくすと榊が笑った。
「最も突っかかっていったのが、アドニスくんあたりだっただろうね」
「やっぱり? わかるような気がします。すごく」
榊と奏汰は苦笑した。
そして、榊は、ゆかりにも微笑んでみせた。
「僕が余計なことを言うまでもないと思うけれど、桜木と蓮華ちゃんはバディですよ、昔から。桜木が昔からずっとあなたのファンだったことは、この間言いましたよね?」
「ええ」
元気のない微笑みを浮かべるゆかりだった。
「信じてあげてください」
「……ええ」
榊は、俯き加減なゆかりを見つめ、続けた。
「僕のカンですが、飄々としているようで、あいつはふとした拍子にヤキモチを妬く時があります。滅多にないと思いますが、そんな時は、普段はすんなり口に出来るようなことでも、素直に言えなくなったりもします。そういう反応が見られたら心配せずに、大きく構えてて大丈夫ですよ」
ゆかりが聞き返すように榊を見上げる。
「この間、『プロムナード』で桜木があなたを僕に紹介した時、僕にはよくわかりました。そもそも、自分の付き合ってる人を紹介するなんて今までなかったし、僕が感激してあなたの手を握った時、さりげなく振り払ってましたよね? あれは僕に牽制するかのようでしたもんね」
可笑しそうに笑う榊を見上げながら、思い出したゆかりの頬は赤くなっていく。
「蓮華ちゃんに対してとは違う想いだと、改めてわかりました。あなたをちゃんと大事に思っていますよ。……なんて、そんなことは、わざわざ僕が言うことではありませんでしたね」
「いいえ、いいの。榊さん、ありがとう」
「今でも僕はあなたの大ファンですから。もしも、あいつがあなたに淋しい想いをさせるようなことがあったら、言ってください。『僕がゆかりさんをもらっちゃう』って、脅しておきますから」
ゆかりが笑うのを見て、榊も安堵したように笑った。
「優さんと唯一張り合える男がここにいたのか!」
翔が頼もしそうにそう言うと、奏汰が横目になった。
「俺は張り合えてないの?」
「ないだろ? 優さんにデレデレだし」
あまりにあっさりと言い切った翔に、何も返せない奏汰を見て、ゆかりも榊も笑った。
※『カクテルあらかると』に当該エピソードがあります。
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