聖夜が街にやってくる その2

「明日からクリスマス・ライブが連続してて、イブは毎年東京でライブなの。だから、年内に会えるのは今日までね」


「うん。この時期は会えないってわかってるから」


 優は、すまなそうな上目遣いのゆかりを安心させるように、やさしく微笑んでみせた。


「正月過ぎれば休暇だから、それからは少し一緒にいられるわ」

「充分だよ」


 優は微笑みながら、温めたミルクを注ぎ、バターを浮かべる。そこに、シナモン・スティックを添え、グローブを入れ、ナツメグを少しだけ振りかけた。


 ホット・バタード・ラム・カウを仕上げると、ゆかりに差し出した。


「身体があたたまるわ。濃いカクテルもスパイスで引き締められていいわね。面白いわ」


 目の前で微笑む優に、ゆかりは言った。


「仕事の後なのに、あなたにまた仕事をさせてるみたい」

「大丈夫だよ。僕が作ってあげたかっただけだから」


 ゆかりのスマートフォンの着信音が鳴る。


「蓮華ちゃんからだわ」


 画面をスクロールしていく。


 優は、自分の分も同じホットカクテルを作ろうと、電子レンジで牛乳を温めていた。

 その背に向かい、ゆかりが話しかけた。


「蓮華ちゃん、『ベトナム』に行きたいって言ってたのよ。私も一緒に行きたくて、なんとかスケジュールを合わせられないかコウちゃんとも相談したんだけど難しくてね。ああ、ホントに残念だわ!」


 そう言ってから、ゆかりがハッと気付いたように言い直した。


「そうだわ、優くんが蓮華ちゃんと一緒に行って来たら?」


「え?」


 優の顔がこわばった。


「なんでそんなこと勧めるの?」


 ゆかりが不思議そうな顔を向けると、優は不機嫌な顔になっていった。


「いくら相手が蓮ちゃんだからって、きみは、僕が他の女の人と旅行するのを、平気どころか勧めるなんて、どうかしてるでしょ?」


「何を怒って……旅行……? ああ!」


 ゆかりが手を打った。


「渋谷に新しく出来た『ベトナム』っていう名前のベトナム・カフェのことよ。優くんも蓮華ちゃんも昼間空いてる時に行かれるわねって言ったつもりだったのよ」


「ベトナムって……カフェの名前……?」

「もしかして、ベトナムに旅行する話だと思ってた?」

「……電子レンジの音でよく聞こえなかったから」

「そうよね」


 ゆかりが笑った。


「あら、榊さんからもメッセージが来てたわ」

「いつの間に……」


 言いかけて、優はすぐに口を噤んだ。

 ゆかりがスマートフォンを見せると、榊個人のものではなく、店のSNSだと知ったからだった。『J moon』でも同じことをしている。普通に考えればわかることだった。


「『クリスマス・イブは新宿店の方に行かれることになったので、ゆかりさんのライブも見られます!』ですって」


「ああ、クリスマス・イブは『Limelight』2号店の方でライブだったっけ」


「ええ。バイト二人と交換になったって書いてあるわ。バイト二人は本店の方に行くことになったそうよ」


「僕はイブにゆかりさんに会えないのに、榊は会えてライブまで見られるんだね」


「まあ、お仕事しながら聴けるって意味ではね」


 ゆかりが、どことなく憮然としている優の表情に見入る。


「……なに?」


「優くん、もしかして、……妬いてた?」


 普段であれば「妬いてるよ〜」と笑うところだろうと、ゆかりは思ったが、優の表情はますます意固地になっていく。


 榊が優のことで「妬くと、普段はすんなり口に出来るようなことでも、素直に言えなくなったりもします」と言っていたのを思い出すと、ゆかりは嬉しくなってきた。


「ねえ、ホントに妬いてたの? 珍しいわね!」

「……」

「ねえねえ」


 優が、飲み終わった耐熱グラスをシンクに運んでいるのを追いかけ、ゆかりが優の背の服をつまんで、くいくいと引っ張った。


 振り返った優は、ゆかりを抱きしめた。


「どうしたの? やっぱり、妬いて……」


 優の腕に力がこもる。


「優く……ん」


 言いかけたゆかりの唇が、塞がれた。

 唇が、ゆかりのセリフを押し込む。


 肩を抱く手はそのまま首筋を登り、髪をかき上げると後頭部を押さえた。

 背を抱いていた腕が下に移動していき、手のひらが腰を引き寄せる。ゆかりの身体はさらに密着した。


「ま、待って……」


 深くなる口づけからも逃れられず、程なくして、甘い味と香りが入り混じる。

 ため息までもが甘い。


 その甘さに浸りながら、ゆっくりと味わうように変わっていく。

 ゆかりの瞼がうっすらと開いた。


「……もうっ。なんの話してたんだったかしら?」

「なんだろうね」


 唇を一瞬だけ放した優が、微笑んでから、再び唇を味わう。

 ゆかりの足から力が抜けていくと、呼吸が乱れていった。


「……だ、だめ……」


 微かな呟きに触発されたようにゆかりを抱え上げると、ベッドに座らせ、口づけの続きから始まった。




「ごめん。ちょっと強引だったかな」

「そんなことないわ。いつもと変わらずやさしくて、……頼もしかったわ」


 向かい合わせに横たわっている、上気した赤い頬のゆかりに、優が音を立てて口づけた。

 小さく声を漏らしたゆかりに、優が意地悪く囁いた。


「あれ? まだ足りなかった?」

「やだ、もう! 優くんたら!」


 布団に包まると、その中では、優の腕がゆかりを抱え込み、長い髪をゆっくりと撫でた。

 安心した表情で、優の胸に顔を埋めていたゆかりは、しばらくしてから、ポツンと言った。


「今日、『Limelight』で皆と話していて、思ったの。私より奏汰の方が、ずっと辛い想いをしてきたのかも知れないって」


 すぐ近くにある優の顔を見上げた。


「そして、あなたもよ。私よりも、ずっと……特に、蓮華ちゃんのことでは、お店をやる頃からずっと……辛い思いをして来たのよね」


「そんなことないよ。プロのミュージシャンになる道を選んだきみの方が、ずっとずっと精神的にもキツかったはず」


「それこそ、そんなことないわ」


「出会いも別れも、音楽に左右されてきたでしょう?」


「私は音楽が生き甲斐なんだから、それも当然だわ」


「思えば、きみとリアルに出会えたのは、奏汰くんのおかげでもあるんだよね」


「蓮華ちゃんがミュージシャンになるよう導いて、あなたも彼を育てるのに一役買ってるでしょう?」


「それは、奏汰くんだからだよ。他ならぬ、ね」


「でも、あなたと出会えただけじゃ、こうはならなかったと思うわ」


「そうかも知れないね」


 ゆかりの手が優の首を抱え寄せ、ほとんど独り言のように囁いてから、耳たぶに口づけた。


「今、なんて言ったの?」


 優が訊く。


「いや。言わない」

「教えて」


 言いながら優の唇はゆかりの首筋を登り、彼女を真似て耳たぶに口づけ、咥えた。無意識に、ゆかりが小さく声を上げた。


「教えてくれるまで、やめないから」


 優がさらに耳たぶを攻め、首筋に戻り、ゆっくりと唇を這わせる。


「あっ、また! んもう、ダメだったら……!」


 ゆかりの声は弱まっていき、目を開けていられなくなっていた。


「早く教えてくれないと……」

「きゃっ!」


 背筋をなぞる優の指に反応し、ゆかりがのけぞった。


「もうっ! わかったわよ、言うわよ」


 ゆかりは、睨むように優を正面から見つめると、横になったまま背伸びをするように伸び上がり、優の耳元に口を当てた。


「……愛してる……って、言ったの」

「え……」


 予期していなかった出来事に、優は目を丸くし、頬が赤くなっていった。


「照れてるの? 優くんが? やだ、可愛い!」




 朝早く、始発で帰って来た奏汰が家に戻ると、蓮華がすぐに起きて来て、キッチンにやってきた。


「遅くなってごめん!」


 後ろめたそうな奏汰を、蓮華が、じろっと睨む。


「もう、連絡したのに返事はないし、泊まるんならそう言ってって言ってるでしょう? 心配するじゃないの」


「いや、あの……『Limelight』で皆で飲んでた時にマナーモードにしてて……。ウィスキー飲みまくってたら、気が付いたら、帰り道にゴミ集積所のゴミ袋の上で寝てたらしくて、榊さんが仕事帰りに見つけて起こしてくれて……そしたら、こっち方面の電車がもうなかったから、ネットカフェに泊まった」


 蓮華の眉間のシワが深く刻まれる。


「翔くんは?」

「あいつは、面白がって写真だけ撮って帰ったらしい。画像送って来た」


 ゴミ袋の上に俯せにぶっ倒れている写真を見せられて、一瞬笑った蓮華だったが、すぐに目を釣り上げた。


「もう、あなたたちは……! コドモじゃないんだからねっ! こんな寒い時期に、お酒飲んで外で寝てたら間違いなく風邪引くでしょ! 仕事に響いて、ゆかりちゃんたちに迷惑かけたらどうするの!」


 両手を腰に当てて、蓮華がプンスカ怒った。


「ごめん!! ごめん!! ごめん!! ごめん!!」


 慌てて謝りながら、奏汰は蓮華を抱きしめた。


 ひたすら必死に謝る姿には、そのうち、蓮華もクスッと笑い出した。


「もう、しょうがないなぁ。今度から気を付けてよ。とにかく、風邪引かなくて良かったわ」

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