「ハイボール」と「オールド・ファッションド」その3
「例えば、ゆかりちゃんは、小さい頃、どこで結婚式したいって思った?」
『J moon』閉店後、居酒屋でハイボールのジョッキを傾けた蓮華が、にこやかに、だが強調して尋ねた。
「例えばよ、例えば」
同じくハイボールを口にしてから、ゆかりが遠くを見つめた。
「そうねぇ、小さい頃っていうか、友達と初めて遊びに行った時からディズニーリゾートで挙式するのに憧れてたわ」
「時々、女の子みたいなこと言うよね」と言った優に、ゆかりが「どういうことよ?」と苦笑した。
優がハイボールのジョッキをテーブルに置き、隣にいる奏汰の方を向いた。
「例えばだけど、ディズニーで挙式って、男にしてみたら恥ずかしいよねぇ?」
「ですよね。ちょっと……いや、大分ハズいです」
「お金もかかりそうだし」
ぼそっと呟いた優の言葉を、そこにいる全員が聞き逃さなかった。蓮華などは、テーブルの下でガッツポーズをする。
だが、誰も優の呟きには突っ込まないでいた。
「でも、例えばだけど、優ちゃんがかわいいキャラクターに囲まれてるのって、なんか似合いそう!」
「蓮華ちゃんもそう思う? 私もそう思ってたの!」
蓮華とゆかりが、きゃっきゃ笑い合った。
眉間に皺を寄せ、優が二人を見る。
「どういうことかな? それ、喜んでいいの?」
「いいんじゃない? 例えば、結婚式だと白いタキシードでしょ? 白いウサ耳カチューシャでもすれば?」
「似合いそうね!」
「でしょ、でしょ? 昔から思ってたけど、優ちゃんて白ウサギって感じ! ああ、ウサ耳が嫌なら、定番の黒いネズ耳でもいいわよ」
「なんなら、優くん、リボン付きの方にする?」
「やめて」
たたみかけるような二人に、優の顔が引きつり、奏汰は笑っていた。
「だったら、蓮ちゃんも奏汰くんも全員、ディズニーのコスプレ限定だからね!」
「え〜っ! いや〜ん!」
「俺もですかっ!? なんでですか!?」
「交際は認めてやってもいいが、結婚なんてダメだーっ!」
優とは反対の隣を見た奏汰が、「あ、香月さん、いたんですか?」と言った。
「ほらほら、孝司さん、ハイボールも飲み過ぎると酔うわよ」
蓮華はにこやかに孝司からジョッキを取り上げた。
*
「え? ママ、調子悪いのか?」
孝司が上着を脱ぎながら、カウンターに着いた。
「はい。なんか風邪引いたみたいで熱があって。俺は全然平気なんですけど。だから、久々に手伝うことになりました」
バーの制服を着た奏汰が笑顔で答えた。
『J moon』上の階で、蓮華が一人で住んでいた部屋には琳都が代わりに住み、奏汰と蓮華は近くのアパートに住んでいた。
「一人で放っておいて大丈夫なのか?」
「それよりも、今日は優さんが休みで店が心配だから行ってくれ、って言われて」
「ああ、そうか……」
優が休みの日を狙って、孝司は来ていた。
その日は演奏は入っていなかったが、店は混んでいた。
ハヤトが独立してしまい、次に長くいるタケルもたまに入る程度であったため、優が休みの時は人手が足りず、見習いバーテンダーの琳都と高校生アルバイトがフル稼働であった。奏汰も手の空いている時は手伝うようにしている。
後から来た男性客が、孝司の隣しか空いていないカウンター席に着くなり、ハイボールを注文した。
二人の前に、同時に、琳都がハイボールを置いた。
「同じものでしたか」
隣客が孝司にそう話しかけると、孝司も「そうですね」と微笑んだ。
それをきっかけに、隣客となんとなく話をするようになった。
「実は、妹がある男性と交際中なんですが、もういい年なので、結婚も考えてると思うのですが」
「それは、おめでとうございます!」
「はあ、どうも。……ですが、幼い頃から仲が良かった妹が結婚するのは、正直、素直に喜べなくて……複雑です」
孝司が弱々しく笑った。
「もちろん、僕がもっと割り切らないといけないのはわかってるんですが……」
「いや、お気持ちは、すごくよくわかりますよ」
眼鏡をかけた黒髪の隣客は、四〇代の孝司からすれば十歳ほど若く見えるが、心から共感したように頷いている。
「僕にも妹が出来ましてね。ああ、弟の嫁さんなんで義理の妹なんですが。僕より年上で、ちょっと色っぽくて、でも、どこかかわいい感じもあって、そんな人が妹になってくれて、とっても嬉しいんです。そちらは、どんな妹さんなんですか?」
「ああ、うちも、一見、綺麗系な大人の女性ですが、僕にしてみれば、いつまでもかわいく見えて……。ヴィオラを弾く仕事をしてるんです」
「ヴィオラってなんですか?」
「ヴァイオリンの一回り大きいヤツです」
「ああ、そう言えば、一回だけ聴いたことがありました! 安心感のある音色で、いいですよね! そんな素敵な妹さんなら、手放したくないのは、すごく良くわかりますよ!」
「わかってくれますか!」
笑顔になった二人は、同時にハイボールのグラスを傾けた。
「そう言えば、どこかでお会いしたことありましたっけ?」
孝司が訊いた。
「え? そうですか? このお店に来た時にでも見かけたんでしょうか?」
「ああ、そうですね、きっと」
カウンターの中から客席をのぞいた奏汰は、孝司が楽しそうに飲んでいるのを見て安心した。
同時に、隣の客を見て唖然とした。
「何で、香月さんと兄貴が……?」
琳都が振り返る。
「ああ、あの人、やっぱり奏汰のお兄さんだったのか。結婚式の時に見ただけだったから確信が持てなかったけど……。よく来て蓮華と親しく話してるから誰かと思ってた」
「……やっぱり?」
奏汰は、二人が何を意気投合しているのか気になり、ちらちらと観察した。
「そりゃあね、妹はモテなくはなかったんですが、音楽一筋で。音楽のことで相手と波長が合っている時はいいのですが、音楽がもとでケンカになることもあって、それに付いて行かれない男どもが勝手に脱落していったんですが、今度の人とはぶつかることもなく、うまくいっているみたいで。何より、妹は、彼のことを本当に……好いているみたいで、彼と生きていくことも考えているみたいです。いよいよ結婚するなんてことになった時には、認めてやらないとならないのかと思うと……」
「わかります、わかります! 頭では賛成してあげないとと思っていても、つい小さい頃のこととか思い出しちゃうんですよね! 花嫁の父みたいに!」
「まさに、そんな心境で。……いやぁ、まさか、わかってくれる人が、こんな近くにいてくれるとは思いませんでしたよ!」
「僕に
孝司は、そう言った潤を、不思議そうに見た。
「羨ましいですか? 僕が?」
「はい。だって、実の妹は、結婚して他人の奥さんになってしまっても、自分の妹であることには変わりないじゃないですか」
「は、はあ、……まあ、そうですね」
「でも、義理の妹は、弟が離婚なんてことになったら、僕の妹ではなくなって、まったくの他人になってしまうんですよ。いつ愛想をつかされて離婚されちゃうか、もう気が気じゃなくて」
ちらっと、奏汰と琳都が、カウンターを横目で見た。
「兄貴のヤツ、なんてこと言うんだ!」
そう呟いた奏汰に、琳都も苦笑いをする。
「失礼ですが、弟さんて……?」
「少し年が離れているもので、まだまだ頼りなくて。あんなんで、十歳も上の美しい奥さんを守っていけるのか、心配で仕方ありません」
「そうですか……。それは、兄としては、ヤキモキして仕方ないでしょうね」
「まったくその通りなんですよ! 出来ることなら、僕が彼女と結婚してあげたかった!」
琳都が肩を震わせて密かに笑い、奏汰は「兄貴、一回転生しようか?」と言いながら、引きつった笑顔で密かに拳を作った。
「……ですが、そんな素敵な妹さんで、兄妹仲が良いなら、妹さんの幸せなところを見たいですよね。もし、妹さんが、本当にその相手の人と幸せになれるんでしたら、見届けたい気もしますよね……」
はっと、孝司は、しんみりとそう話した潤を見た。
「妹さんの幸せな笑顔がいつも見られるなら、兄としても、嬉しいでしょうね」
ほわほわ~と想像を膨らませているような潤に付き合ったのか、孝司も黙った。ほわほわとした表情にこそならなかったが。
「確かに、ここ最近ケンカしてるからか、妹は、僕に対して怒ってばかりで、ちっとも笑ってくれなくなった。そうか……、妹の幸せを見届ける、それでこそ、『兄』か……」
「カッコいいです! そうですよ! それこそ『兄』の醍醐味を味わえるんですよ! きっと!」
潤の笑顔を見るうちに、孝司も次第に笑顔になっていった。
「実の妹は、結婚しようが妹であることには変わりない、妹の幸せを見届ける……いいことを教えていただきました! ありがとうございます!」
「いやいや、こちらこそ、兄としての不安な気持ちをわかっていただけて、救われました!」
奏汰が、横目で兄を盗み見る。
「救われた……だと? そんなに不安がってたのか?」
意気投合した孝司と潤は、「是非また飲みましょう!」と約束していた。
それには、奏汰は、少々不安を覚えた。
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