Ⅱ. Like or Love? 〜等身大〜

Ⅱ.(1)温度差

 彼女は、自分のどこを気に入ってくれたのだろうか。


「かわいいから!」


「それって、俺が童顔だから? 最初、『高校生?』って訊いたよね?」


「大人っぽい高校生もいるからよ〜」


 蓮華が笑う。


「自分のやりたいことがちゃんとあって根性もあって一生懸命だから、かわいいの」


 奏汰は照れて笑った。


「俺、今、こんなに幸せでいいのかな」


「いいのよ。あたしも幸せだから」


 あっさりと、蓮華が言い切った。

 奏汰は、蓮華を柔らかく抱きしめた。


「そう弾くより、この方が、ジャズっぽいベースラインになると思うわ」


 アパートでは、借りている消音機能のあるウッドベースとアンプをつなぎ、小さい音で奏汰が練習を始め、時々、蓮華がアドバイスしていた。


「奏汰くんは素直ね。口出すなとか、言われなくてもわかってるって、ふてくされちゃう子もいるよ。趣味なら別だけど、それで実力もなく、プロになるなんて軽々しく言う子は見放しちゃうけどね」


「こわっ!」


 奏汰は、笑った。


「俺も、始めは、蓮華に言い返してたけど、何のために仕事辞めてまで音楽目指してるのかって思ったら、吸収できるものは吸収して、成長しないとダメだってわかったからさ。オヤジバンドや橘師匠に会って、まだまだ、音楽は俺の知らない未知の世界だなぁって。考えを改めたのもあるけど、知ることが楽しく思えてきたっていう方が大きいかな」


「なかなか出来ることじゃないよ、皆、変にプライド持ってるから。音楽もカクテルの仕事も素直に吸収してる……奏汰くんみたいなそんな人は貴重だわ。素直さって、どんな仕事にも必要だし、人が成長するにも必要だと思うの」


 十歳もの年の差に引け目を感じることのないよう、呼び捨てにすることは、蓮華が勧めた。

 蓮華の方も、年上の発言と取られないよう対等な話し方をし、彼の話には、よく耳を傾けていた。


 消音ベースで練習後は、エレキベースに持ち替える。


「ねえねえ、チョッパーやってみて!」


 蓮華が、わくわくする。

 ベースで一番目立つ、弦を強くはじく奏法をやってみせると、はしゃいだ。


 ただの練習でも、充分喜んでいる。

 奏汰にとっては、彼女のストレートな表現には可愛さも感じられ、年上ということも忘れてしまう。


「本当は、カクテルで告った方が好みだった?」


「あら、バーのママをカクテルで口説くの?」


 蓮華の瞳が、面白そうに光った。


「ごめん。身の程知らずな発言だった」


「奏汰くんは奏汰くんらしく、でいいのよ。遊園地デートなんて、新鮮で可愛かったわ」


 そう言って、頬に口付けた蓮華を、奏汰が即捕まえ、抱きしめた。


 奏汰の部屋から蓮華の部屋に泊まっていた琳都は、蓮華が父親との仲裁役となり、家に帰っていた。

 定休日前日から一緒に過ごすことが増えた二人だが、蓮華が、決して同棲はせず、互いに自分の時間を持つことが大事だと、強く繰り返した。

 一人暮らしの奏汰は、たまに料理を作ってもらえたり、自分が作ったものを二人で食べたりするくらいの変化であり、洗濯や掃除はこれまで通りであったので、生活面では、さほど変わりはなかった。


 それでも、二人で過ごせる時間は新鮮であり、彼女といる時は充実していた。


 彼にとって、彼女は、なくてはならない存在だった。

 彼女にとって、自分はそこまでの存在であるとは、彼には、いまいち思えなかったのだが。


 二人の仲は、当然のことながら周りには秘密であったが、優にだけは知られてしまい、こっそり、おめでとうを言われた。




「なあ、今度、ジャズやってみようよ!」


 居酒屋でウキウキと、奏汰が自分のバンドメンバーに切り出した。


「あのノリを出すのはちょっと苦労するけどさ、まずは、そんなこと気にしないでやってみないか? 絶対楽しいよ!」


 ボーカルのトウヤ、ギターのハルト、その周りに割り込む女子数人が、静止した。


「いいよ、やろうぜ! この間の奏汰の演奏聴いたら、俺もやってみたくなった!」


「おおっ! 雅人サンキュー! トウヤとハルトはどうだ?」


 奏汰の輝く目を見ても、二人の冷めた表情は変わらない。


「俺は別に、興味ねえし」


「別に、プロになれなくたっていいし」


「えっ? そうだったの?」


 目を丸くする奏汰と、残りの二人とを見比べた雅人は、隣に座る美砂を見る。美砂もどうしていいかわからない顔で雅人を見てから、答えを求めるように奏汰を見た。


「俺たち、そろそろ帰るわ」


「おい雅人、ちゃんと言っとけよ」


 トウヤとハルトは、取り巻きの女子たちと席を立ち、去って行った。

 呆気に取られていた奏汰は、雅人を見る。


「なんだ? あいつら、どうしたんだ?」


「あのな、奏汰、ちょっと言いにくいんだけど……」


 雅人が中ジョッキの残りを飲み干してから、浮かない表情になる。


「あいつら、別のやつらとバンド組むことにしたらしいんだ」


「えっ!?」


 奏汰が思わずテーブルに身を乗り出す。


「ちょっと待てよ、そんなこと、一言も……!」


「もう決めたんだって」


「なんで、そんな……急に……」


「急じゃないと思う。多分、ずっと前から……」


 信じられない顔で黙る奏汰に、雅人は沈んだ口調で語った。


「わからなかったのか? あいつらは、ただ女の子にモテたくてバンドやりたかっただけだって、最初から俺にハッキリそう言ってたよ。純粋に音楽が好きで練習してるお前とは違うって思わなかったか? 今までだって、お前がやりたいって言った曲すべて却下してたし、お前の演奏を抑えるようなこと言ってたし」


 その雅人の言葉で、改めて悟った。

 思い違いじゃなかった。同じことを、雅人も感じていた。

 自分が音楽の話に夢中になると、いつも、あの二人は黙っていた。

 「ベースなんだから目立つな」その言葉が甦る。


「……そっか。それって、気のせいじゃなかったんだな」


「まあ、気にするな。あいつら、お前を嫌ってるっつうより嫉妬してるみたいだったから。うちの大学、軽音部は人数多いから、心当たりのあるヤツにあたってみるよ。今度は、同じ志のヤツをな!」


 奏汰と美砂以外は、同じ大学の学生だった。

 雅人と奏汰、美砂は同じ高校出身の同級生であり、その時も軽音楽部であった奏汰と雅人のライヴに、美砂が友人と来ていた。

 数ヶ月前に雅人が声をかけ、三人が再会して以来、バンドが活動する時は、美砂も駆けつけるようになったのだ。


「ごめんなー、美砂ちゃん、せっかく応援してくれてたのに、こんなことになっちゃって」


「ううん、大丈夫。雅人くん、バンドは続けるんだよね? 私、待ってるから」


「うう、ありがとう! 絶対良いメンバー探して、俺たち、もっとビッグになるからねっ!」


 雅人の大袈裟な泣き真似を見て、美砂も奏汰も笑った。


「ところで、奏汰、お前最近なんか変わった?」


「なんで?」


「なんか、ちょっと余裕あるから」


「そう? 大人のバンドと一緒に練習とかライヴとかやってるからかなぁ」


「確かに、ベースも格段に上手くなってるけど、演奏以外の話だよ」


 つまんでいたお通しの胡瓜と生姜の千切りを口に入れる奏汰を、雅人がじっと見つめる。


「もしかして、彼女とか出来た?」


 奏汰の箸が止まった。

 美砂も静かに注目している。


 そわそわしながら、次第に、奏汰の頬が赤らんでいく。


「あ、いや、その……」


「リア充か!? リア充なんだな!」


 はしゃぎながら、雅人が奏汰の背をバンと叩いた。美砂が視線を落とすのも気付かず、雅人がしつこく聞き出し、逃れられなかった奏汰は、ぽつりぽつりと打ち明け始めた。


「年上のお姉様と!? えっ、すげー! どこで知り合ったんだ? 十歳上? お前騙されてない? 大丈夫?」


「大丈夫だって。年は離れてても気負わずに付き合ってるよ。ただ、ちょっと複雑でさ。まあ、俺が勝手に気にしてるだけかも知れないんだけど……。俺には、彼女の言うこと全部は理解出来なくて……」


 奏汰は考え考え、言葉にしていき、ビールを一口飲んでから、ある時、蓮華の言ったことを思い浮かべた。



「奏汰くんもファンが増えて来たよね。誰か気になる子とかいないの?」


「はい?」


 奏汰は耳を疑った。

 無愛想だった彼に、蓮華は、愛想、つまり営業スマイルを身に付けさせた。

 その甲斐あってか、SNSに誘い、メモを渡す子もいたが、奏汰は全て自宅のゴミ箱に捨てていた。


「気に入った子がいたら、付き合ってもいいのに」


 またしても、耳を疑う。


「ちょっと待って、俺が好きなのは蓮華だけだよ」


 別れ話? もしかして、もう飽きられたのかと気になり、慌てて蓮華を抱きしめた。


「俺は蓮華だけでいい。他の女なんかいらない」


「それはありがたいけど、奏汰くんも、これからいろんなライヴに出て、女の子たちにキャーキャー言われるようになって、中には気に入った子も出て来るかも知れないでしょう? 据え膳食うか食わないかは勝手だけど」


「なっ、なに言ってんの?」


「ミュージシャンに恋は必要よ」


 またそれか。


 以前共演したベテラン・オヤジミュージシャンたちにも、そう言われた。

 にっこり微笑む彼女を、呆気に取られたようにただ見つめる奏汰だった。



「はー、確かに、それ、わけわかんねえわ!」


 雅人と美砂は目を丸くして、奏汰の話を聞いていた。


「だろー? 冗談のつもりなのかと思ったけど、そうじゃないみたいだし。俺、既に飽きられてる?」


「う~ん、少なくとも、『彼女』とは思えない発言だよな。まるで、お前のこと育ててるマネージャーとかプロデューサーみたいな……」


 雅人の言葉で、奏汰も大きく頷いた。


「そっか、そういうことか! 恋愛の対象っていうより、彼女の中では、俺は、そういう位置付けなのかな? だとしたら、ちょっと淋しいよな……」


 俯いた奏汰を、気遣うような目で、雅人と美砂は見ていた。




「ごめんね、あんな話になっちゃって。つまんなかったでしょ?」


 雅人と別れ、途中まで美砂と歩きながら、奏汰が頭をかいた。


「でも、私、なんとなくわかってた気がする。奏汰くんの付き合ってる人って……、もしかして、『J moon』の蓮華さんなんじゃない?」


 突然のことで取り繕うことも出来ない。


「私、前から、奏汰くんがあの人のこと好きなの、見ててわかってたから」


 女子というのは、なぜこうも鋭いのだろう?

 奏汰の頭には、そんなことが浮かんだ。


「もしかして、俺、顔に出てた? じゃあ、他の奴らにもバレてるのかな?」


「ううん、他の人はわからなかったと思うよ。雅人くんでさえも。だから、大丈夫だよ」


「そ、そっか!」


「私、誰にも言わないから、安心してね」


「あ、……ありがとう」


 彼を見上げて微笑むと、美砂は駆け出していった。

 その後ろ姿を見送ってから、ベースを背負い直し、奏汰は再び歩き出した。

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