Ⅰ.(5)ギムレットな(?)バーテンダー
琳都は、大学から帰ると毎日店を手伝っていた。
これまでも、家出をすると蓮華の部屋に泊まり、店の手伝いをしていただけあり、多少のカクテルも作れ、奏汰よりはヘルプとして役に立っている。
ベースを習い始め、ベテランのバンド通称オヤジバンドとの練習が増え、店には遅れて駆けつけるようになった奏汰は、アルバイトの時間は多少減っていたが、簡単なカクテルを作る練習からシェイカーを使う練習に進化していた。
いよいよ、自分も、シェイカーを使う時が来た!
カクテルって言ったら、やっぱ、こうじゃないと!
閉店後の練習にも、今まで以上に熱が入る。
シェイカーの持ち方から、振るのに適した速度や向きがあると教わり、初めて振ってみる。
よく耳にしていたのと同じ音が鳴った。
氷の重みが移動するのが冷たさと共に指先に伝わるのは感動だった。
「この氷が当たって鳴る音って、なんか好きだなぁ!」
惚れ惚れしている奏汰に、優が「同じく」と微笑む。
「優さんの好きなカクテルって、何ですか?」
「飲む方? 作る方?」
「あ、じゃあ、両方で」
「なかなか一つには絞れないけど、まあ、ギムレットかなぁ」
「ギムレット……誰かが飲んでたなぁ、居酒屋のだけど」
「『長いお別れ』っていう小説で有名になったんだよ」
優が、ギムレットを作ってみせる。
シェイカーにドライジン、ライムジュース、シロップを入れる。
ライムジュースは市販の物ではなく、優は、生のライムを絞っていた。
「いちいち絞るの、大変じゃないですか?」
なんで楽なジュースになってる方を使わないのか、不思議だった。
「ギムレットには、こだわりがあってね。市販のジュースだと甘いものもあるから。オリジナルは甘口らしいけど、辛口タイプにしたレシピもあって。いろいろ作ってみたけど、僕には、ギムレットは本物のライム果汁の方が合うと思えたんだ。もちろん、お客さんの要望で甘口のギムレットが良ければ、そう作るよ」
「へー、ギムレットって、いろんな顔があるんですね!」
奏汰が見たことのあるギムレットは薄いグリーンだったが、出来上がったものは、白っぽい。
優に勧められ、シャンパングラスに口をつける。
「うわー、かなり辛口ですね。ちょっとクセがあって苦手な人もいそうですね。俺は、この味、なんか好きかも。なんでこんな味がになるのか知りたくなるっていうか」
同意するように、優は微笑みながら何度も頷いた。
「ギムレットには、ワインのコルク抜きに似た、木工用のキリっていう意味もあってね」
「喉を刺すような辛さってことなのかな」
「そうかもね。あとは、人の名前だという説もあるよ」
イギリス海軍が、海のシルクロード――インド洋を旅していた時、船員たちが好んで飲んでいたドライジンのストレートに、健康のためにインドで取れたライムを絞って飲むようになった。その時の提唱者ギムレット卿にちなんで名付けられたとも言われている。
「ギムレットを知った時、これが似合う男になりたいって思ったんだ」
「わ〜、かっけぇ……!」
「いやいや、冗談だからね!」
目を輝かせる奏汰に、優は少し慌てた。
「俺は、何のカクテルにしようかなぁ。そんなに種類飲んだことないけど、ジントニックとかジンライムは好きかな。一般的過ぎるかな?」
「わざわざ探さなくても、いずれ見つかるから大丈夫だよ。それで、蓮華さんからの課題には何を選ぶか、もう決まった?」
「あ、いいえ、まだ。奇をてらわなくていい、といって、ジュースみたいなのはダメだとか、言ってましたけど……」
優は、にっこり笑った。
「口説くつもりで作ったら、うまく行くと思うよ」
思わず手が止まる。奏汰は、自分の顔が赤くなるのがわかった。
この人は、なぜ、こんなことを、屈託のない笑顔で、さらっと言えるんだ?
「や、やだなぁ、何言ってるんです?」
「そうだねぇ、蓮華さんなら多少強いお酒も好きだし、ワインも日本酒も好きだし、どんなカクテルでも大丈夫だと思うよ」
「日本酒を使ったカクテルなんかもあるんですね」
「味見しながら作ってみたらいいよ」
「そうですね、味見は大事ですよね……」
ブラッディ・メアリーの件が甦る。しみじみ呟くと、奏汰は気になるページに貼った付箋のカクテルを試作していくことにした。
「日本酒を使ったカクテルは、俺には飲みにくいかなぁ。それと、あまり男らしい飲み物もやめておこうかな」
「ああ、かわいらしい物を選んでおくといいかも。お世辞で」
優が、「お世辞で」の部分を、小声で言って苦笑してみせた。
「そうなると、グラスも選んだ方がいいのかな」
「そうそう! そんな感じ」
飲み物だけでなく、グラスまで考えないとならないか。
ますます難しく感じられたが、優と話しているうちに、選ぶカクテルのイメージが湧いていった。
「バーテンダーって、お客さんを主役とした裏方ですよね。俺、前にいた会社ではPA(public address system)やってて、あの仕事自体は気に入ってました。バンドでも、ボーカルやギターみたいに目立つものよりは、地味だけど、縁の下の力持ち的なベースが性に合ってたし。だからか、バーテンダーの仕事って、なんか共感出来るところがあるんです」
「僕もライヴでピアノ弾いたことあるけど、リズム隊は重要だよね。バンドの上手い下手は、それで決まってしまうようなものだよ。目立たない仕事ほど大事だし、やってみると、ちょっと楽しいよね」
「はい!」
そんな話の最中、
「蓮華さんから、写真が送られてきたね」
優が、着信を受けて震えたスマートフォンを見せる。奏汰も取り出した。
従業員たちとのSNSに、蓮華がシンガポール空港の写真と、ラッフルズホテルのロビー(実際に宿泊したわけではなく、入ってみただけらしい)、ラッフルズホテルのバーで頼んだ、本場のシンガポール・スリングの写真が添えられていた。
彼女の発信は、旅先の風景と、料理の写真が主だった。
翌日も、マレーシアの、カレー味の知らない魚料理だとか、タイに行った時は、本場のトムヤムクンを食べられて、辛くて酸っぱかったけど美味しくて感動しただとか、そんな程度の感想は添えられていた。
蓮華は、今、シンガポールへ行っていた。十日間の単なる旅行であった。
『J moon』オープン以来、初めての旅行で、奏汰が来る以前から計画されていた。
前もって従業員には話し、店の従業員とのSNSでも知らせてあったのを、奏汰だけが見ていなかった。
蓮華の旅行中、琳都は、店と同じビル内の、蓮華の部屋に移っていた。
奏汰のアパートでは、元の一人暮らしに戻っていた。
俺、前からここに住んでたんだよな?
琳都がいなくなったせいか、部屋が広く感じる。
物静かな彼との共通の話題は音楽のことくらいで、それほど存在感はなかったが、どことなく淋しい。
オヤジバンドとの初ライヴは、三日後。
奏汰が弾かせてもらえるのは二曲。
蓮華が帰ってくるのは、ライヴの二日後。
急に広く感じられる部屋の中を、吹くはずのない風が通り抜けていった気がした。
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