Ⅰ.(3)ムチャ振り
開店前に、知らない青年が訪れた。
奏汰と年の変わらない、表情のない彼には、クールな格好良さがあるように奏汰には見えた。
その青年を、ママの蓮華は、やたらと心配そうに気遣っている。ただならぬ関係に見えなくもない。
「またパパとケンカしたの?」
ぼそぼそ答える彼の返事は、奏汰には聞き取れなかったが、蓮華が「しょうがないわ。狭くなるけど、しばらくは、あたしの部屋に泊まって」と言ったところで驚いた。
家出青年を泊める?
親切にもほどがあるだろ!
他の従業員も何も言わず、関心すら示さないのも不思議だ。
奏汰の心配をよそに、二人は従業員用の出入り口に向かう。その先は、休憩室と、ママの自室にも通じている廊下だ。
「あの……!」
思わず、奏汰は進み出ていた。
「俺の部屋、使ってくれて構いませんから!」
蓮華と青年は振り返り、驚いた顔になる。
すぐに奏汰は後悔した。
もしかしたら、二人は恋人同士かも知れないのに、余計なことを言ってしまったかも知れない。
「す、すみません。差し出がましいことを……」
「ううん、ありがとう。やさしいのね」
意外にも、蓮華が感謝するような笑顔になる。
引き留めるような目で訴える奏汰に、気付いているのかいないのか、蓮華は少し考えてから青年を向いた。
「いい機会だわ。
「え……」
反応の薄い青年と、奏汰の目が合う。
「琳都は奏汰くんの一コ上なだけだから、年も近いし、ちょうどいいわ。その前に、二人とも、ここでセッションしてみたら? その方が早くお互いのこともわかるし」
あ、楽器やってるんだ?
そう思うと、初対面でとっつきにくそうではある相手でも、親しみが湧いてくる。
が――
「いやいや、ちょっと待ってください! 俺、練習もなく、いきなりセッションなんかしたことないんですけど!」
「ええ、そんなのわかってるわ。セッションしたことないのは、琳都も同じだから、ちょうどいいでしょう?」
「そうですか……って、ええっ!? だったら、余計無理じゃないですか!」
「大丈夫、大丈夫!」
にっこり微笑む蓮華に、奏汰は何も言えなくなった。
優も他の従業員たちも、既にそれぞれの仕事に取りかかっている。
周りの者たちの関心がないほど、ここでは、こんなことは当たり前なんだろうか?
「まったく、ムチャ振り多いんだから」
聞こえないよう、奏汰がぶつぶつ言った。
セッションしたことない者同士なのに、「大丈夫!」って、なんであんなに自信たっぷり言い切れるんだ?
新人だからって、また俺のことからかって楽しんでるのか?
とはいうものの、店のステージで弾けることは、奏汰には楽しみでもある。
閉店後、優にカクテルを教わる間、他の従業員同士が練習をしていることもあり、羨ましく思っていた。
学生の日はともかく、雇われてからそこで演奏するのは初めてだった。
休憩室からエレキベースを持ってくると、アンプにつなぐ。チューニングは弾く直前でいい。
ベースをスタンドに置いて待つ奏汰だが、琳都の方は、もう少し大掛かりだった。
ステージ裏の扉が開くと、琳都と、もう一人の従業員が、木製のオルガンを設置する。
コンサートでジャズオルガンの音を聴く時は、大抵がキーボードでジャズオルガンの音色に切り替えて演奏していたものだったので、本物がこのようながっしりとしたものだとは、奏汰は知らなかった。
重厚な木目調の外観は、家具のようだった。
二段ある鍵盤の上に、ドローバーという、引き出したり、引っ込めたりするつまみが数あり、足鍵盤は細長く、2オクターブ分もあった。
隣には、大きな箱形のスピーカーがある。
レスリースピーカーと呼ばれるもので、中で回転させるとコーラス効果がかかり、音に広がりが出る。
琳都の楽器がジャズオルガンだと知った奏汰は、初めてのセッションに緊張していても、それ以上に、未知の楽器に心が躍り始めていた。
「こんな秘密兵器が、ステージ裏に隠されてたんですね!」
「前からあったのよ。見たのは初めてだったかしら?」
隣で蓮華が顔を上げる。
「はい。なんか、レトロで、カッコいいですね!」
「祖父がジャズオルガン大好きでね。家にしょっちゅう遊びに行って、あたしも琳都も、よく弾かせてもらってたの」
蓮華の祖父は、このビルのオーナーであった。
あの琳都という青年とは、そんなに長い付き合いで、既にオーナーにも認められた仲だったのか。
なんだか、とてもショックに思えてならない。
蓮華は、そんな奏汰の心情には気が付かない様子で語り続けた。
「奏汰くん、本当にありがとうね。琳都は、なかなか人に心を開かないし、ずっと一人で弾いてたから、人と合わせる機会がなかったの。性格は演奏にも現れるから、多分、合わせてみたら固い演奏に感じると思うの。あの子よりも奏汰くんの方が、友達とバンド組んでて慣れてるだろうから、悪いけど合わせてあげてね」
蓮華の表情からは、神妙さが受け取れる。
そんなに彼を心配しているのか。
「彼とは付き合いが長かったんですね」
思わずもらした奏汰に、蓮華が、まばたきをした。
「……あの、……言ってなかったかしら? 弟なの」
瞬間、沈黙が訪れる。
「……えっ?」
驚いて、蓮華を見た。
「ホントですか? ホントに弟なんですか?」
「うん」
大きな安堵の溜め息を吐いた奏汰を、蓮華の微笑みは受け止めていた。
準備の出来た琳都は、ためらいがちにオルガンの椅子に腰掛けた。
ベースのストラップを肩にかけ、オルガンの音に合わせてチューニングしてから、奏汰が構えた。
「とりあえず、適当に『Cジャム・ブルース』でもやってみて」
ブルースは、知らない曲であってもコードの進行が決まっているので、セッションに向いている。
蓮華の、一見無茶なようで無難な選曲に、二人は互いの顔を見ながら、おそるおそる弾き出した。
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