木曜日:『言葉の雨』

 気が付いたら、もう木曜日です。


 今日の雨は、「言葉の雨」。なんと、空から言葉が届きます。


 

 いつもの時間に玄関を出ると、足元に「おはよう」という言葉が落ちています。

 たくさん降ってくるわけではないので、あまり見かけることはないです。それに、降ってきた言葉は地面に落ちたり電線に引っかかったりした後、いつの間にか消えて無くなってしまいます。


 だから、さっきみたいに落ちている言葉を見つけた時は嬉しくなります。


この言葉は、雲の上にある世界から落ちてきたもの。手の届かない、ずっとずっと高いところにある世界には人がいて、いつも私たちを見守っていてくれています。いろんな雨を降らせる神様も、そこに住んでいるらしいです。全部、お母さんが教えてくれました。


 ■


「おはよーーー!!!」


「うわっ!」


 しぐれ君を驚かせてしまいました。


「急におっきい声で叫ばないでよ……」


 怯えた声で私に言います。目も涙目です。やっぱりすぐ泣くじゃんか、と思いながら気にせず会話を続けます。


「ごめんね。空にいる人たちに届くかなーと思って」


 そういって、雲が斑模様を作る空を見上げます。二羽の雀が、元気よく飛び去って行きます。水色の空に、ちょっとだけまぶしさ感じながら、ふと昔のことを思い出しました。


「……きっと今日は、空にいる人たちみんな笑顔なんだと思う」


 しぐれ君は首をかしげています。でもそれは仕方ありません。なぜなら、これも私のお母さんが教えてくれたことだからです。 


 ■


 去年の夏が始まる、そのちょっと前くらいの肌寒い日のことです。


 私はその日、学校の帰り道にしぐれ君と別れた後、一人で家までの道を歩いていました。もうすぐ家に着くというところで、目の前に言葉が落ちているのに気づきます。その言葉のもとに行って、私はすごく困惑したのを覚えています。


 「ばか」


その二文字が、道路に無造作に転がっていました。


 決して、自分が言われたわけではありません。これは空から降ってきた言葉で、私には関係のない言葉。


 それなのに、ちょっとだけ嫌な気持ちになってしまいました。



 家のドアを開けて、真っ先にお母さんのもとへ向かいました。


「お母さん」


 お母さんは、台所にあるテーブルで本を読んでいました。私に気付いたお母さんは左手の人差し指を栞代わりにして本を閉じ、笑顔で私を見つめます。


「どうしたの?しずく」


 お母さんは何でも知っています。きっとこの気持ちのことも、私に教えてくれる。お母さんの笑顔を見て、そう思いました。


「あのね、さっき家に帰ってくる途中に、『ばか』っていう言葉が落ちてたの。それでね、その言葉を見た時からなんか元気なくなっちゃって……」


「そっかあ……」


 お母さんはしばらく何かを考えた後、私を持ち上げて膝の上に乗せました。お母さんの温かさが直接伝わってきます。少し肌寒い今日には、心地の良い温かさです。


「今日は、ちょっと寒いよね。しずくもそう思うでしょ?」


「……? うん。ちょっとだけ寒い」


 お母さんは微笑んで、また少し黙ってしまいます。私のお母さんは何でも知っていて、ちょっとだけ不思議な人です。


「大好きよ、しずく」


 いきなり大好きと言われてびっくりしてしまいました。きっと、この時の私は変な顔をしていたと思います。


「私も!!」


 負けじと精一杯の笑顔でそう答えます。お母さんの優しいまなざしを見上げながら、にっと歯を見せて。そういえば、この時にはもう普段の元気が戻っていたような気がします。


「ありがとう、しずく。私ね、今のしずくの言葉を聞いて、すごくあったかい気持ちになったの。しずくはどうだった?」


「……私も、なんかここがすごくあったかい」


 私は、自分の胸に手を当ててそう答えました。そのあったかさを確かめるみたいに。


「しずく、覚えておいてね。笑顔にしてくれる言葉ってね、すごくあったかいんだよ」


 ■

 

 今日は、とてもあったかいです。雀たちが元気に飛び回るくらい、とってもあったかい。


 そうだ、とてもいいことを思いつきました。



「しぐれ君、今日もかっこいいね!」


 しぐれ君はびっくりした顔でこちらを振り向きます。私もお母さんの前で、こんな変な顔をしていたのかな。


「えー。いきなりどうしたの……?」


 少し顔を赤くしていて、いつもよりふわふわ度が上がっています。やっぱり、かっこよくはないかもしれないです。


「笑顔になったー?」


「笑顔……? うーん、まあでも嬉しいよ」


「そうじゃなくて!しぐれ君に笑顔になってもらいたいの!」


 木曜日の天気は、心に似ています。これからも、あったかい日が続きますように。

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