第10話 センチメンタルジャーニー〈いびき駕籠屋〉

 あなたは〈いびき駕籠屋〉という話を知っているだろうか。

 あるところに駕籠屋の男がいた。駕籠屋というのは、人を駕籠に乗せて運ぶ職業のことで、今でいうところのタクシーみたいなものだと思ってもらいたい。人力車の駕籠版というところだ。

 さてさて、そんな駕籠屋の男は、ある夜、一人の客を拾った。見たところ羽振りがよさそうな客で、駕籠屋は上手い具合にチップをせびろうと考えた。ところが、この客が芸達者なやつで、せびられると「ぐぅぐぅと」狸寝入りをしてみせたそうな。これには駕籠屋もお手上げだ。

 そんなこんなで、雷門の辺りにさしかかったところだろうか。駕籠屋は狸寝入りをしていたはずの客に話しかけられた。


「あ、そういやお兄さん」

「へい、なんでしょう?」

「俺ぁ、昨日も駕籠屋に乗せてもらったんだけど、そいつが随分と粋な駕籠屋でねぇ」

「旦那、そいつは当然ですよ。あっしら江戸っ子は、粋じゃなきゃいけねぇいけねぇ」

「そうかいそうかい。でね、その駕籠屋は「ここに寄ったら酒をひっかけるのがよくてねぇ」とか言って、酒を飲みに行っちまったんだ」

「ほー。仕事中に随分と太ぇやつですね。――ところで、そんなやつのどこが粋なんです?」

「まぁまぁ。最後まで聞きねぇ聞きねぇ。ついでに駕籠屋はこうも言ったんだ。「旦那を駕籠で待たせるわけにもいかねぇ。旦那もあっしの奢りで一杯いきましょう」ってね。流石に申し訳ないと思ったんだけど、やっぱり江戸っ子は違うねぇ。遠慮する俺に無理くり酒を奢ってくれてさ」

「へ、へー。そ、そいつは粋なやつもいたもんだ」

「だろう? 俺も昨日の駕籠屋みたいに粋なやつは滅多にいないと思うんだけど、どうやら、今日の駕籠屋も野暮なやつじゃあなさそうだ。なぁ、お兄さん?」


 先ほどお金をせびろうとした仕返しか。遠回しに「酒を奢れ」と客が言ってきた。

 自分で自分のことを江戸っ子と言ってしまったんだから、素直に断ることの出来ない駕籠屋。困り果てた彼は、苦し紛れにある行動に出るのだった――


 ――どうだろう。なかなかわかりやすい話だろう?

 落語にはこんな風にわかりやすい展開の話があるのだけど、あたしはそういう話にこそ、落語の真髄があるような気がするね。展開が読めてようが、お構いなしに面白いんだ。息づかいや言葉づかい、それに、間、ってやつがさ。流石は話芸だと感心してしまう。

 元噺家の爺さんが言うには、落語は生ものなんだそうな。誰が話すかによって、雰囲気はガラッと変わってしまうし、お客さんの反応によってもガラッと変わる。何がウケるか瞬時に理解して方向転換出来る能力が噺家には一番大事なんだってさ。爺さんいわくだけど。

 ま、うんちくはこんなもんにしとこうか。あたしみたいな小娘が落語について語るなんざ、畏れ多いにもほどがある。落語に少しでも興味がある人は、是非寄席に行って欲しい。最近は若い人も増えているみたいだから、爺さん婆さんばっかで気まずいってことはないからさ。

 さて、いよいよ本題だ。

 今の話を念頭に置いてちょっと聞いて欲しいことがある。



 それは高校生活最後の春休みの話だ。

 ある夜、ベッドに横になって漫画を読んでいると、枕元に置いてある携帯電話が鳴った。楓からの着信だ。あたしはため息をつき、携帯電話を耳に当てた。


「もしもし! あっちゃん迎えに来て」

「は? いきなり電話してきたと思ったら何言ってやがる」

「じゃ、私、駅で待ってるからね」

「え、おい、おい。ちょっと待……切りやがった」


 突然の電話は突然に終わった。一方的に用件を伝えられても、あたしにはさっぱり理解出来なかった。どこの駅で待っているのかはわかる。最寄り駅である相模大野駅のことだ。迎えに来いという言葉の意味もわかる。わからないのは、何故あたしが迎えに行かなければならないのかという話だ。


「なんであたしが……」


 漫画もいいところだし、今日はもう既にお風呂に入ってしまったし。おまけにもう夜の十時。これから外出なんてしたくはない。

 とはいえ、あたしは知っている。楓という馬鹿は、あたしが来るまで絶対に待ち続ける迷惑なやつだと。そして、楓も知っているはずだ。あたしという阿呆は、なんだかんだであいつのことを放っておけないやつだと。


「……ったく、あの馬鹿は」


 口では文句を言いつつ、あたしは楓を迎えに行ってしまうのだった。



 あたしが自転車をこぎ続けること十分。駅前のベンチに座り、こちらに向かって大きく手を振る楓を見つけた。

「もー、おっそいよぅ。あっちゃん」

「急に呼び出しといて何言ってやがる……」


 自転車を駐めながら、理不尽なクレームには愚痴を。不意に楓の足下に目がいった。何故か楓は左足だけヒールを脱いでいる。どうかしたのかと尋ねると、楓は気恥ずかしそうに頬をかいた。


「えへへ……そこの階段でちょっと挫いちゃって」

「ちょっと診せてみろ」


 しゃがみこみ、楓の左足首を手で触れてみる。患部は使い捨てカイロのように熱くなっていた。反対にあたしの手の感触は冷たかったのか、楓は「ひゃう」と変な声を出した。


「曲げると痛いか?」

「うん……ちょっとだけ」


 あたしがゆっくりと足首を曲げると、楓の表情がわずかにこわばった。けれど、その反応から察するに、耐えられないような痛みではないらしい。


「腫れてはいるけど……折れてはないみたいだな。なるほど、迎えに来いってのはこういうことか」

「ごめんねあっちゃん……。こんな遅くに」


 申し訳なさそうに俯く楓。珍しく負い目を感じているようで、少し落ち込んでいるように見える。いつものウザったいくらいに笑顔を振りまく姿からは想像出来ないかもしれないが、あたしと出会った頃の楓はいつもこんな表情をしていた。どこかおどおどしているというか。申し訳なさそうというか。その顔を見たときから、あたしはこの子のことを放っておけなくなっていたのだった。

 そんな暗い表情の楓のおでこを指で弾くと、


「気にすんなっての。困ったときはお互いさま、だろ?」


 らしくないぞと楓のおでこにデコピンを喰らわす。一瞬、楓は呆気にとられたように目を丸くしたが、すぐにウザったい笑顔を浮かべてみせた。


「……だよね、だよね! そうだよね! たまにはあっちゃんに借りを返してもらわないと!」

「誰が誰に借りがあるだって? あんまふざけたこと言ってっと、乗せてやんないぞ?」

「もー、あっちゃんたらいけずー」


 いつもの調子が出てきた楓を担ぎ上げ、あたしの首に手を回させる。いわゆるお姫様抱っこの状態だ。……ほんと軽いなこいつ。ご飯は結構食べるのになぁ。


「さて、お客さんどちらまで?」


 先に楓を荷台に載せ、行き先を伺う。あたしがサドルに座ると、楓は身体を押しつけるようにして抱きついてきた。


「もう、あっちゃんたらタクシーの運転手さんみたい。それじゃ、お家までお願いね」


 警察に見つからないことを願いながら、ゆっくりとペダルを漕ぎ始める。春の夜風はまだ少しだけ肌寒かった。


「タクシーねぇ……だったら今日は高くつくな。呼び出しに深夜割増。飯の一回くらいじゃ足りないんじゃないか?」


 この借りは大きいぞと背中の楓に話しかけるも、返事はない。あれ?


「おーい、楓? ……都合が悪いからって寝たフリしてやがんのか」


 集中して聞き耳を立ててみれば、ぐーぐーとわざとらしい寝息が聞こえてきた。情勢が悪いとみるや寝たフリ。楓の常套手段だった。

 背中に楓の体温を感じつつ、ゆっくりと自転車をこぐ。二人乗りなので、行きよりもさらに安全運転で。神社の前にある緩やかな坂道を下る、しばらくすると、黙ったままだった楓がポツリとつぶやいた。


「……ねぇ、あっちゃん」

「んー?」

「来年の今頃にはもう卒業だね」

「んー? んー」

「入学してから、本当にあっという間だったよね」

「んー、そうだな」


 怪我をしているからか、どことなくセンチな楓に相槌を打つ。確かに、入学してからの月日はあっという間にすぎていた。プリシラが転校してきたのなんて、昨日のことのように思えた。


「……あっちゃんはもう志望校決めた?」

「いや。まだ何も考えてないけど、推薦で行けるところにするんじゃないかな」

「あー、ずるーい! でも、そーだよねぇ。あっちゃんは見かけによらず成績優秀だもん」

「頭悪そうな見かけで悪かったな……。楓は?」

「私もまだ何も。でも、いい加減勉強しないとね。私はあっちゃんと違って推薦なんて取れそうにないし」

「だったら、あたしはお前がヒィヒィ言ってる間に楽しく車の免許でも取るかねぇ」


 あたしはくつくつと意地悪く喉を鳴らしてやった。が、別に悪気があるわけではない。むしろ、親切心からそう告げていた。

 あたしが暇だとわかれば、きっと楓はあたしと遊ぼうとするだろう。今日だってなんだかんだで迎えに来てしまったのだ、楓の誘いを絶対に断れるかと言われると、否だ。だったら、最初から暇をなくしてしまえばいい。

 それに、車の免許があったほうが就職に有利と聞いていた。乗らない可能性は多いにあるが、時間が空いているのなら取るにこしたことはない。


「むー、あっちゃんのイジワル……」


 ちらっと肩越しに後ろを見やると、楓が不満そうに唇を尖らせていた。どうやら、あたしの思いやりは伝わってくれないようだ。


「でも、車の免許はいいね。受験が終わったらさ、プリシィとかエリちゃんとかと一緒にどっか行こうよ」

「卒業旅行ってやつか。でも、プリシラの家の人が許してくれるかね? 厳しいだろ、あそこ」

「大丈夫! だって最後だもん」

「……そうだな。最後だもんな」


 何故かはわからないが、今日の楓は妙にセンチで、なんだかあたしまでそんな気分になってきた。最後、ね。

 遠くに見えてきた商店街の明かりを見つめながら、無言でこれまでのことを懐かしむ。あたしと楓。二人はいつも同じほうを向いていた。小学生のときからずっと同じ時間をすごしてきた。

あたしの傍らには大体楓がいた。

 これからも一緒にいることは出来るのだろうか。こっ恥ずかしいので口には絶対にしないものの、あたしはそう望んでいた。いつかは終わりがくることもわかってはいるが、そのことを考えると淡く儚い切なさが滲む。

 寂しげな静けさを嫌ってか。それとも何か思うことがあったのか。


「……ねぇ、あっちゃんあっちゃん」


 楓がぽんぽんとあたしの右肩を叩いた。


「プリシィで思い出したんだけど、この間プリシィの家に遊びに行ったときね、車で送ってもらったんだよねぇ」

「車ってあのリムジンか」


 あたしも以前、プリシラの家の車で送ってもらったことがあった。絵に描いたようなお嬢様の家の車は、やっぱり絵に描いたような白塗りのリムジンだった。大の大人が横になっても問題ないくらい広く(長く)、冷蔵庫やテレビといった家電までついていた。こんな世界があるのか……と呆れてしまったことを覚えている。


「うん。それでね、そのときもこの辺りを走ってたんだけど、運転手さんがレストランで私とプリシィにご飯をご馳走してくれたの」

「へぇ、そいつは粋な計らいだな」

「だよねぇ。あんな優しい運転手さんはそうそういないかもだけど、今日の運転手さんもヤボじゃなさそうだと思わない? 江戸っ子さんだしさ。ねぇ、あっちゃん?」


 回りくどい言い回しだが、これはつまり飯を奢れと言っているのだろう。見栄っ張りな江戸っ子の習性をついた巧妙な手口だ。

 とはいえ、あたしたちの付き合いは短くない。楓の考えることぐらい全部お見通し。なので、先ほどの意趣返しとしてあたしは「ぐーぐー」とわざとらしい寝息を立ててやった。


「もぅ。あっちゃんてばずるいんだぁ。いいもん、おまわりさんに告げ口しちゃうんだから。居眠り運転してるって」

「馬鹿、二人乗りしてる時点であたしもお前も怒られるっての!」


 馬鹿な真似はよせと咎めると、あたしたちはどちらからともなく笑うのだった。

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落語り帳 十千しゃなお @tosensyanao

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