第8話 花火〈長短〉
あなたは〈長短〉という話を聞いたことがあるだろうか。
やたら気の長いことで有名な長さんという男と、びっくりするほど気の短い短七という男がいた。のんびり屋とせっかち。正反対の性格をしているのに、二人は大の仲良しだったそうな。
ある日、せっかちな短七が長さんの家に遊びに来た。二人で煙草を吸うことになったのだが、長さんはなかなか煙草に火をつけることが出来ず、火がついてからもとにかく色々と遅かった。それを見て、せっかちな短七は次第にイライラし始め「どんくせぇやつだな。いいか、よく見てろ。煙草っつうのは、こうやってつけて、こうやって吸うんだよ」と長さんに手本を見せてやった。
すると、不運なことに、煙草の火が短七の着た和服の袂に落っこちてしまい、何故か彼はそのことにまったく気がつかなかった。かわりに、のんびり屋の長さんが異変に気づいたのだが、短気な短七のことだから、人にものを教えられたら怒るだろうなぁとなかなか切り出せず……。
どうだろう。あなたの周りにもいないだろうか。こういうギャップのある組み合わせが。イケメンとブスのカップルっていうのもそうだ。周りからしてみれば、一緒にいるのが不思議なくらいなのに、当人たちはとても良好な関係っていう。
きっと、あたしと楓もそういう風に見られているのだろう。そのことはもうわかっている。あたしもそう思うし、昔からそう思われていることには気づいていた。まぁ、昔は昔で、楓は今と大分異なる性格をしてたんだけどね。今ではもう影も形もないくらいのさ。
さて、それじゃあ今日もそろそろ本題に入ろう。
今の話を念頭に置いてちょっと聞いて欲しいことがある。
それはあたしが楓と友達になってから迎えた初めての夏の話だ。
この日、かねてから親交を深めたいと考えていたあたしは、庭で花火をするから来ないかと楓を家に誘っていた。
「火の元には用心するじゃぞ?」
「はいはい、わかってるって」
縁側に座り、爺さんと熱い緑茶を嗜む。冷たい飲みものもいいが、日本の蒸し暑い夏には熱いお茶がよく合っていた。
「しかし……」
あたしのことをしげしげと見つめる爺さん。つま先から頭のてっぺんまで。爺さんが何を言いたいのかは、大体わかっていた。
「……馬子にも衣装とはこのことじゃのう」
「孫だけに、ってか? へいへい、言うと思ったよ」
思った通りの言葉に呆れてしまう。自分でも今日の格好がらしくないことはわかっていた。爺さんに無理矢理着せられた浴衣。これがまだ渋い色ならいいのだけど、よりにもよって明るい水色。ボーイッシュなあたしには、ちょっと可愛らしすぎやしないだろうか。
「……ごめんください……」
インターホンの音に続き、玄関のほうから蚊の鳴くようなか弱い声が聞こえてきた。どうやら、楓が来たらしい。あたしの家に来るのが初めてだからか、彼女の声はいつもより緊張しているように思えた。
「ほれ、さっさと行ったほうがいいんじゃないかのぅ」
爺さんがニヤニヤと嬉しそうに目を細める。
「……わかってるってば」
あたしだって、さっさと楓を出迎えてやりたかった。けれど、今日は妙に足を動かし辛い。浴衣で歩くことに慣れていないからなのか、それとも精神的な問題なのか。
「いらっしゃい」
自分の格好はおかしくないだろうかと、少し不安になりながら玄関の扉を開ける。桃色の可愛らしい浴衣を着た楓が、申し訳なさそうに立ち竦んでいた。
「……こ、こんばんは……」
「おう、こんばんは」
おずおずと挨拶をする楓にハキハキと返し、さっきの爺さんのように、つま先から頭のてっぺんまでじっくりと眺める。お団子にした三つ編みには金魚のかんざしが刺さり、夏の涼しさを感じさせた。
かわいい。
嫉妬ではなく、素直にそう思った。浴衣に着せられている自分とは大違いで、ため息を漏らしてしまいそうだ。恥ずかしそうにしている姿も、余計に彼女が持つ女の子らしさを強調している。
「よく似合ってる、その浴衣。それにその髪も。普段もそういう風に髪を上げればもっと明るく見えるのに」
「……ご、ごめんなさい……」
「なんで謝るんだ? 別に誰も怒ってないぞ」
「あ……ごめんなさい……」
「いや、だからさ……」
謝る必要なんてどこにもない。そう説明しようとして、諦める。説明したところで、きっと楓は説明してくれたことに対し謝るだろう。要するにキリがないのだ。
「……あの、さ。あたしの浴衣、どうかな?」
恥ずかしいので、わざとらしく腰に片手を当て、あえてポーズを取る。自信なんてもちろんないが、流石に何かしらのコメントは欲しい。
「……えっ……と……」
「やっぱり似合ってねぇよなぁ、あたしには。まぁ、ジーンズとかのほうが動きやすいからいいんだけどさ」
「……そんなこと……ないよ……亜美さん……スタイル……いいから。それに……私……亜美さんに憧れてる……から……」
「憧れてる? あたしに?」
「うん……私も亜美さんみたいに……明るくて……かっこよくて……みんなに……慕われる人に……なりたい……」
「楓……」
そんな話、寝耳に水だ。自分にはない女の子らしさを持ち合わせる楓が、まさか自分に憧れているだなんて。むしろ、あたしのほうが微かな憧れを抱いているくらいなのに。
「なるほど……あたしに憧れてるってんなら、そのまどろっこしい喋り方をどうにかしないとな。そんなにトロトロ話してたら、花火をする前に夜が明けちまう」
「……ご、ごめんなさい……」
「だ~か~ら~、謝らなくていいんだってば!」
「あ……えと……ごめんなさい……」
「……この調子だと本当に夜が明けそうだな」
「……本当に……ごめんなさい……」
「ああ、もう! ……ほら、庭のほうに行くよ」
ラチが明かないので、俯きがちな楓の手を引いて庭に向かう。
「……綺麗な……お庭……池なんて……初めて見た……」
「大袈裟すぎだろ。これは全部うちのじいさんの趣味でさ。ちょっと待ってな。今、水を用意してくるから」
「……うん……待ってる……」
池を泳ぐ鯉に目を奪われている楓を残し、花火の準備をする。あたしと楓、正反対とまではいかないものの、二人は著しく違った。どちらかというと明るく、江戸っ子気質なあたし。おどおどとしていて、ゆったりと構える楓。周りの人間からしてみれば、友達でいることが信じがたいのかもしれない。
何故友達同士なのか。それは〈楓とずっと友達でいる〉と、楓のお父さんと約束をしたからではない。確かに、楓はゆっくりとしていたり、常に何かに怯えるように暗かったりと、かんに障るところもあったが、あたしは何故か楓のことを憎めなかった。放っておけないのだ。
「楓。準備出来たから、こっちきな」
縁側に腰掛け、楓を呼ぶ。薄暗い中でも、彼女が静かに頷いているのが見えた。
さて、いよいよ花火でもやるかとロウソクに火を。すると、爺さんが切り分けられたスイカをお盆に載せてやって来た。
「お嬢さん方、スイカはいらんかのぅ? 火薬臭くなる前に食べたほうがよいと思うんじゃが」
「お。じいさん、ありがとう。それじゃ、先にいただくとするか」
「……うん……」
こうしてスイカを食べることになったのだが、ここにもやはり性格の差が出るようだ。あたしは江戸っ子気質なので、あっという間に食べ終わってしまう。が、楓のほうを見てみると、まだスイカに口一つつけておらず、ぼーっと爺さんの持ってきたお盆を眺めていた。
「どうした? 食べないのか?」
「あ……ううん……そうじゃなくて……あれって……お塩……だよね?」
「ああ。それが?」
「……何に……使うのかな、って……花火を……する前に……お清めでもするの……かな?」
「いや、しねぇだろ多分。これはスイカに使う塩だ」
「……スイカに……?」
「ん? なんだ知らないのか。スイカに塩をかけるとより甘く感じるんだよ。やってみな?」
「……うん……」
半信半疑なのか、楓は恐る恐る塩を振り掛ける。きっと驚くだろうなと、楓が一口食べるのを期待して待つ。が、そのときはなかなかやってこなかった。几帳面に爪楊枝でスイカの種を取り除いていくのだが、それの遅いこと。普段からまったりしている楓がやるのだから、なお遅い。
「ああもう、ほれ、よこしな」
あまりにも間延びした動きにじれったくなり、あたしは楓からスイカを皿ごとぶん取った。こうやって食べるんだと言わんばかりにスイカを一口かじり、食べ終わっていた自分の皿に種を吐き捨てる。
「種なんて、こうやって吐いちまえばいいんだよ。大丈夫、飲んじまったところで死にゃあしねぇさ」
「……うん……」
楓は素直に頷いてくれたが、
「孫よ。それは流石に下品じゃないかのぅ……」
一部始終を見ていた爺さんは呆れた顔で頭を抱えているのだった。
やっとスイカを食べ終わったので、いよいよ花火だ。ロウソクに火をつけ、花火のパッケージをバラし、さぁどの花火からやろうかと吟味。すると、楓がひょいっと一本の細い花火を手に取った。それは線香花火だった。
「待て待て。線香花火はまだ早いだろ」
「……線香花火が……一番好き……だから……」
「いや、その気持ちはわかる。あたしも線香花火好きだしさ。けど、そうじゃなくてだな……線香花火は普通後半だろう」
「……ごめんなさい……」
「謝んなって。ほら、ここら辺からやってこう」
楓にすすき花火を分け、ロウソクの近くに二人してしゃがみこむ。花火を火にかざすと、まずはあたしの花火から青白い光の奔流が流れ始めた。
「……きれい……」
「ほら、楓のに火ぃ分けてやるよ」
「……うん……」
火のついた花火を近づける。今度は楓の花火からも光が流れ出た。青く白い光と黄みがかった白い光。二人して肩を寄せ合い、その輝きに見惚れる。すると、楓は何かに気付いたかのように「……あ」と漏らした。
「どうした?」
「……あのね……亜美さんて……人に……何か教えてもらうの……嫌い?」
「んー、まぁグチグチ言われんのは好きじゃないな」
「……じゃあ……私が……教えても……怒る……かな?」
「いや、怒らねぇよ。あたしと楓は友達だし。それに、自分のことなんざ教えてもらわないと気付けなかったりするしさ」
「……本当に……怒らない?」
「怒らないよ。約束する」
「……それなら……教えるね……さっき……亜美さんが……私の花火に……火をつけてくれた……でしょ? ……その時にね……亜美さんの……浴衣の袖に……ロウソクの火が燃え移っちゃって……もしかしたら……火傷しちゃうかもしれないから……そろそろ……消したほうが……いいんじゃないかな……」
「ああ、なるほど。さっきからなんか焦げ臭いなって思ったら、そういう……そういう、って水ぅ!」
消火用に準備しておいたバケツの水を大慌てで頭から被る。幸いなことに火は消えたが、袖には大きな穴がぽっかり空いてしまった。
「馬っ鹿野郎! なんでさっさと教えてくれないんだよ!」
「……だって……教えたら亜美さん……怒るかなって……ほら……やっぱり怒った……」
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