第6話 三女三人絵師〈三都三人絵師〉
あなたは〈三都三人絵師〉という話を聞いたことがあるだろうか。〈三人絵描き〉っていったほうが耳馴染みはあるのかもしれない。
ある宿屋に京、大坂、江戸の男が泊まっていた。江戸の男は、たまたま京の男と大阪の男が江戸の悪口をいっているのを耳にし、部屋の中へと割って入ったそうな。聞くところによると、二人とも絵師だという話なので、江戸の男は自分も絵師だと嘘をつき、とある賭けを申し出た。それぞれ一円ずつ参加費を払い、絵を描いて一番上手かったものが総取りするというものだ。当時の一円は今の価値に換算すると、二万円くらいになるそうだから、決して安い勝負ではない。
京の男も大阪の男も本物の絵師なのに対し、江戸の男は口からのでまかせ。一見すると江戸の男に勝ち目はないように思えるが、彼にはある秘策があった。
まず京の男が、ノコギリを木に引く職人の絵を描くと、江戸の男は「おがくずを描いていない」と物言いをつけ。次に大阪の男が、子供にご飯を食べさせる母親の絵を描くと、江戸の男は「子供にご飯を食べさせるときは、あーんと自分も口を開くものだ」と物言いをつけ、二人は失格、金は自分のものだと言い張った。そう、恐らく江戸の男は最初からこうするつもりだったのだ。これなら自分は絵を描かずに済む。
ところが、京の男たちから「お前さんが立派な絵を描けなければ、お前さんの勝ちは認めない」と言われてしまい、江戸の男は渋々筆をとり、一面墨で真っ黒に塗りつぶしてみせた。
一体これは何の絵だと尋ねる男たちに、江戸の男はこう言ったそうだ。
「へぇ。こいつは暗闇から牛を引きずり出すところでさぁ」ってね。
――どうだろう。今では寄席でもほとんどやることがないから、知らない人のほうが多いのかもしれない。あたしは好きなんだけどね。とんちがきいてさ。
あなたの周りにもいないだろうか。こういう風にやたらと口が上手いというか、機転がきくというか、一休さんみたいなやつがさ。よくもまぁ、すらすらと言葉が出てくるもんだよな。うちの爺さんもそういうタイプなんだが、この間なんて、あたしのプリンを食べたあげく、なんていったと思う? 「賞味期限が切れそうじゃったから」だってさ。いや、なんだよ切れそうって! 切れてないじゃん!
……愚痴を言っていても仕方ないか。そろそろ本題に入ろう。
今日も、今の話を念頭に置いてちょっと聞いて欲しいことがある。
それはある日の放課後のことだ。
「楓さんはあまりお上手ではなさそうですわね」
「んー、まぁ、確かにそうだな。あんまり上手くなかった気がする」
プリシラとあたしが教室で話をしていると、噂の張本人がトイレから帰ってきた。
「ちょっとー! なんで私のことディスってるのさー!?」
椅子に座るあたしたちに駆け寄ってくるなり、不満そうに唇を尖らせる楓。どうやら、陰口を叩かれていたと思ったらしい。そんなつもりはまったくなかったので、あたしとプリシラは顔を見合わせるなり、くすりと笑った。
「いや、別にたいしたことじゃねーよ。ほら、今はないけど、中学のときって美術の授業あったろ?」
楓が返事代わりに頷く。あたしたちが通う高校では、芸術科目を音楽・美術・書道の三つの中から一つ選択することになっている。あたしのクラスは音楽選択の集まりなので、美術の授業はない。
「それで美術の成績はどうだったかって話になってさ」
「失礼だとは思いますけれど、楓さんてあまり絵心があるように見えませんので」
「あ! ひっどーいプリシィ! そういうプリシィはどうなの?」
頬を膨らませ反撃に出る楓に、プリシラは待ってましたと胸を張った。
「自慢ではないのですが、パリの学校に通っていたときに私の絵を見た先生は『L'enfant qui a dessiné cette image est un génie』と仰ってくださいました」
突然出てきた流ちょうな外国語。あたしと楓は揃って小首を傾げるしかない。ら、らんふぁんなんだって?
「……どういう意味なんだ?」
「この絵を描いた子は天才だ!という意味です」
「結局自慢じゃねぇか! ……まぁ、誰もプリシラのフランス時代を知らないから好きに言えるけどさ」
「ねー。プリシィ、本当は盛っちゃってるんじゃないの?」
あたしたちが軽いジャブを入れると、プリシラのお上品な顔が少しムッとした表情に変わった。
「そういう亜美さんこそどうなんですの? こう言ってはなんですが、ガサツな亜美さんに絵のような繊細なものがわかるとは思えません」
「が、ガサツ……あたしだってこう見えて絵は上手いんだぞ? ……自分でこう見えてって言うのは悲しいけど。中三のときに市の賞を貰ったことだってあるしさ」
「あら、意外ですのね。けれど、そんな地元のしがない賞を自慢されましても……」
「そーだ、そーだ。プリシィの言う通り」
「な!? そんなこと言ったらプリシラの話なんて証拠がないじゃんか!」
「そーだ、そーだ。あっちゃんもっと言っちゃって」
あたしもプリシラも負けず嫌いなほうなので、ついつい熱くなってしまうのが自然な流れなのだが――さっきから妙に煽ってくるやつはなんなんだ?。
「……そういう楓はどうなんだよ?」
「ええ、私にも是非お聞かせ下さいな」
あたしたちの刺々しい視線を浴びせられながら、
「私はね、総理大臣賞を貰ったことがあるんだ!」
楓は自信満々に胸を張った。が、これは真っ赤な嘘だ。小学校から一緒のあたしは知っている。楓が美術の課題を一度も出していないことを。一体どうやって賞を取るというのか。
「お前までホラ吹いてんじゃねぇぞ!?」
「えー! ひどーい! 友達を疑うだなんて! ね、プリシィ?」
「まったくですわ」
「ちょっと待て! プリシラと楓では全く事情が違ってだな……」
「あら、言い訳をするだなんて男らしくありませんわよ?」
「あたしは女だっての!」
にわかにピリピリし始めた空気の中、
「よし、わかった。こうなったら三人で絵を描いてハッキリ決着を付けようよ」
待ってましたとばかりに楓が提案すると、あたしとプリシラは異論なく頷いた。あとにして思えば、最初から楓はこうするつもりだったのだろう。まんまとのせられてしまったというわけだ。
お絵かき勝負のルールは簡単。一番素晴らしい絵を描いたもの勝ち。なんて男らしい決着方式だろうか。ただし、まったく自由という訳ではなく、お題として、動物をメインに持ってこなければならないということになった。
三人で机を寄せ合い、黙々とカンバス(美術部から借りてきた)と睨めっこを続けること何時間か。最初に「出来ましたわ」と言って完成を知らせたのは、プリシラだった。
プリシラが描いたのは、凱旋門の前で有名なナポレオンの絵のように馬を立ち上がらせる騎兵だった。荒々しい立ち姿にさざなみを打つタテガミ。美しい黒鹿毛が太陽の光で煌めく。その誇りを感じさせる姿からは、プリシラの気丈さを思わせた。
「へー、流石に天才と言われたと言うだけあって上手いな。細かいところまで」
「あら、そんな……大した絵ではありませんは」
謙遜するもプリシラの目尻は下がっており、褒められた嬉しさを隠しきれていない。先程までのピリピリと打って変わって、和やかなムード。どうやら、絵を描いている間に、あたしもプリシラも冷静になれたようだ。
しかし、
「細かいところまで上手かなぁ? 私はちょっとがっかりだなぁ」
そんな空気に水を差すかのように、楓は棘のある言い方をして肩を落とした。
「……楓さん? 何か問題があるんですの?」
「問題大ありだよぉ! ほら、見て、お馬さんの蹄」
プリシラが描いた馬は後ろ脚で立ち上がっているので、前脚の蹄はしっかりと見える形になっている。どこにおかしな部分があるのか。しげしげと眺めてみるも、楓の言う問題がどこにあるのかさっぱりわからない。プリシラも同じようで、ぎこちなく首を傾げていた。
「……どこが問題なのでしょう?」
「わかんないの? もう、プリシィったら。蹄鉄だよ、蹄鉄。蹄鉄も付けないでアスファルトの上を歩かせるなんて、向こうの動物愛護団体に怒られちゃうよ?」
楓いわく、家畜化された馬は野生の馬に比べ蹄が弱いので、鉄をU字型に加工した蹄鉄と呼ばれる装具を底につけ、蹄を保護するのだという。人でいうところの靴のようなものだろうか。
「もう、蹄葉炎になっちゃうよ? というわけでこれはダメー。プリシィったらしっかりしないと」
「も、申し訳ありません……」
「乗馬やってるんだから、こんなケアレスミスはノンノンだよー?」
「はい……? 私、乗馬の経験をしたことはないのですが」
「えー? お嬢様のくせにぃ?」
「くせにぃとおっしゃいましても……」
あたしも随分な物言いだとは思うが、プリシラに乗馬経験がないのは確かに意外だ。髪が長いと洗うのが大変だという話題になったとき、「自分で洗ったことがないのでよくわかりません」とのたまったほどの典型的なお嬢様なのに。なんだよ、自分で髪を洗ったことがないって。おまけに身体を洗う人とマッサージをする人も別でいるとか。なんだそれ。富豪か? 富豪なのか? ……いや富豪だけどさ。
とにかく、これで勝者は二人に絞られた。
「あっちゃんはもう出来てるの?」
「ん? ああ、あたしもちょうど、今さっき……終わったところ」
完成を告げると、楓たちはあたしのカンバスに寄ってきた。そうまじまじと見つめられてしまうと少し気恥ずかしいが、自分でもよく描けたほうだという自負はあった。
キラキラと輝く太陽。背の高いひまわり畑。麦藁帽子にワンピースの純朴そうな少女と、チョココロネのような毛色をしたフェレット。プリシラの絵がハッキリとした力強いものだったのに対し、あたしの絵は柔らかいタッチと淡い色合いで、少女と小さな友達との出会いが表現されていた。
「本当にお上手なんですのね、亜美さん。とっても素敵な絵ですわ」
目を輝かせるプリシラに「……あ、ありがと」と礼は出来ても、視線は合わせられなかった。誰かに褒められるというのは、慣れていないと難しいところがある。
べた褒めのプリシラと照れるあたしをよそに。やれやれと大袈裟にため息をつくやつがいた。
「……あっちゃん。ひまわりが咲いてるけど、季節は夏?」
「え?……まぁ、夏だよな。麦藁帽子にワンピースだし」
「ダメだよあっちゃん! 夏の太陽の高いときにフェレットを外に出したりなんかしたら! 汗腺がないから体温調整が苦手で簡単に熱中症になっちゃうんだよ?」
「そう、なのか?……知らなかった」
「知らなかったじゃすまないよぅ! もー、だめだよ、全体的にリアルな感じなのにそこだけ非常識なんだもん。わざとやったんならまだしも、ただ知らなかっただけだもんね。はい、あっちゃんも失格。ちゃんと反省してよねぇ?」
「す、すまん……」
さきほどのプリシラと同じく、勢いに押され謝ってしまったが、イマイチ釈然としない。言っていることは正しいのだろうけど、何故こんなにも責められなければならないのか。というか、なんでこいつこんなに動物ネタに詳しいんだ?
……これで三人中二人が失格。残りはひとりだ。
「二人とも失格……ということは私の勝ちでいいよね? 仕方ないし」
「よろしくありませんわ!」
「その通り! 何が仕方ないだ。お前、最初からこうするつもりだったんだろ?」
最初から、自分は絵を描かずに勝利するつもりだった。そう考えると、異常なくらい釈然とした。その手には乗らないからな!
けれど、あたしとプリシラに詰め寄られると、楓は仕方なそうに自分の描いた絵を見せつけてきた。あん? なんだ、ちゃんと描いてたのかよ。なら最初からそうすればいいのに……。
「あら、お上手……」
「でしょでしょー! ありがとプリシィ!」
「……絵を描いてるとき、チラチラとあたしらのことを見てたのはこういう訳か」
楓が描いたのは、二人の少女が肩を並べ真剣にカンバスへと向き合う姿だった。ひとりはウェーブがかった美しいブロンドの少女。金色の長い髪の毛は窓からさす夕日でなお輝き、日本人離れしたハッキリとした目鼻立ちからは貴族のような気高さを感じさせる。もうひとりは少し外にハネるような癖のある黒髪ロングヘアーの少女。切れ長の力強い目と筋の通った鼻をしていて、意志の強さも垣間見えるが、どことなく柔らかい雰囲気が滲み出ていた。軽くデフォルメされた画風は楓の性格がよく現れている。
そう、楓はプリシラとあたしのことを描いたのだ。教室で絵を描くプリシラとあたしを。こういうことをしてくるから、なんだかんだで楓のことは憎めない。
「味な真似をするな、ほんと。……けど、動物はどうしたんだ? どこにも描いてないじゃないか」
「そうですわね。せっかくいい絵なのにもったいない」
「え? ちゃんと動物は入れたよ? 動物っていうより獣だけど。よく探してみて」
真顔で言うので、あたしたちはくまなく楓の絵を探したが、人間以外の生物を見つけることは出来なかった。もしかして、騙し絵みたいな感じになっているのだろうか。
「わっかんねぇな……これタイトルはなんて言うんだ?」
「そうですわね。タイトルがわかれば何かヒントになるかもしれませんわ」
あたしたちが二人してタイトルを尋ねると、楓は待ってましたとばかりにいやらしい笑みを浮かべた。
「タイトルはー……ずばり〈美女と野獣〉だよ!」
「ほー、なるほどなぁ……ところで、なんで野獣っていった瞬間あたしのほうを見た?」
「えー? そんなことないよぅ。あっちゃんてば、被害妄想が強すぎるガオー」
「はっ倒すぞコラ!?」
「……亜美さん。そこはコラではなく、ガオーなのでは?」
「わぅ、プリシィもいうねぇ!」
「お、お前らなぁ……」
怒りを通りこし、あたしががっくりとうなだれると、楓たちは心底楽しそうに笑い声を漏らすのだった。
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