第4話 エイプリルフール〈新聞記事〉
あなたは〈新聞記事〉という話を聞いたことがあるだろうか。
とあるところに八五郎という男がいた。これが抜けたところのあるというか、慌てん坊な男で、奉公先のご隠居のところで随分と間抜けなことばかりやっていた。
そんな八五郎をからかってやろうと、ある日、ご隠居は彼に「新聞は読んでいるか」と尋ねた。どうやら彼はよそ様のいらなくなった古新聞しか読まないらしい。なるほど、こいつは都合がいいとご隠居。
ご隠居は世相に疎い八五郎に「お前の友達に竹って男がいるだろう? ほら、あの天ぷら屋の」と切り出した。いわく、昨夜不幸にも殺されてしまったのだという。
夜中、竹さんはゴソゴソという物音に目を覚ました。一体何事かと明かりをつけてみると、なんとそこには泥棒が。泥棒は開き直るように日本刀を抜き、静かにしろと竹さんを脅したそうな。そのまま大人しくしていれば、きっと何も起きなかっただろう。
しかし、なまじ剣術の心得があった竹さんは、護身用の木刀を構えて泥棒に対峙した。逆上した泥棒が襲い来ると、竹さんはひらりと身を交わして投げ飛ばし、そこからはくんずほぐれつの取っ組み合い。
もみくちゃになりながら、なんとか泥棒の腕を縛ろうとした竹さんだったが、運の悪いことに泥棒が懐に忍ばせていた匕首が喉に刺さり、そのまま息を引き取ってしまったらしい。
幸いなことに、泥棒は犯行から五分ほどで捕まってしまったのだという。被害者が天ぷら屋なだけにアゲられるのも早かったという話だ。なんのことはない。すべてご隠居が八五郎をからかう為についた真っ赤な嘘だったのだ。
自分がからかわれていることに気づいた八五郎は、綺麗にオチのついた話に感動し、自分もこんな風に話してみたいと考えた。早速、ご隠居から教えてもらったこの話をひっさげて友達のもとを尋ねるも、おっちょこちょいな八五郎のすることがそう上手くいくはずもなく……。
――と、まぁ、大体こんな風な話なのだけど、どうだろう? この話も寄席に行ったことのない人には馴染みのない話なのかもしれないが、寄席ではそれなりの頻度で見られる演目だ。
落語には八五郎のようにちょっと抜けているというか人騒がせというか、お馬鹿な人物がよく出てくるが、あなたの周りにそんな人はいないだろうか。端から見ている分には面白いけど、実際に付き合うとなると結構大変だ。憎めない性格だと、なおタチが悪い。
さて、それじゃあ今の話を念頭に置いてちょっと聞いて欲しいことがある。今回の話もあたしの側にいるタチの悪い親友についての話だ。
それは四月一日――ではなく――それから六日後の四月七日の話。
その日は春休み明け最初の登校日で、あたしは教室で楓がやってくるのを待っていた。いつもなら一緒に登校するのだけど、いつもの待ち合わせ場所にあいつの姿がなかったのだ。寝坊したのか何なのか。まぁどうせ寝坊なんだろうが、あたしまで一緒に遅刻するわけにはいかないだろう? だからこうして、ひとりで登校したってわけだ。
この春から高校二年生だというのに、まだ寝坊するかね?
と呆れていると、あたしの親友は思ったより早く教室へと現れ、あたしの席へと無邪気な小型犬みたいに駆け寄ってきた。
「ねぇねぇ、あっちゃん! お願いがあるんだけど」
「新学年早々騒がしいやつ……なんだ? 言ってみろ」
「この間エイプリルフールだったじゃない?」
「そうだな」
「私、誰にも嘘つけなかったんだぁ……だからあっちゃんに嘘ついてもいーい?」
「はぁ? 何言ってんだお前……いや、何言ってんだお前?」
きらきらと目を輝かせる楓に、思わず二回もツッコミを入れてしまった。
四月一日。厳密に言えば、四月一日の午前中がエイプリルフールだ。なので、今更嘘をちいたところで、それはただの嘘でしかない。
しかし――
「ねーぇ? いーでしょー、あっちゃん。ね?」
――上目遣いでおねだりをする楓の姿にあたしは昔っから弱かった。泣く子と地頭には勝てぬって言うだろう? 大体そんな感じだ。
「……わかった。言ってみろ」
「ありがとう! じゃあ、いくよ?……ねぇねぇ、あっちゃん!」
「お、おう、そこからやるのか……えーと。なんだよ? 朝っぱらから」
「大ニュースだよ、大ニュース!」
「大ニュース? イギリスでシャーガーでも見つかったのか?」
「違う違う! 今日って実はまだ春休みだって知ってた?」
「え? ……うん、あー、えっと……それって嘘でいいんだよな?」
「うん、そうだよー。今から嘘つくって言ったもん」
楓は天真爛漫に答え、あたしはホッと肩を落とした。安心したのはあたしだけじゃないだろう。その証拠に楓が「まだ春休み」と口にした瞬間、教室の音という音がなくなっていた。恐らく、みんな無意識に思っていたのだ。「今日って本当に学校だったっけ?」って。
「……あのなぁ、こういうときはもっと嘘っぽい嘘をつけよ。現実味があってリアクション困るっての。とくにオチもないしよ」
「えー? オチがある嘘って、例えばどういうのなの?」
「そうだなぁ……エリの家の仕事って知ってるか?」
「エリちゃんち? カレー屋さんだよね? 激辛がウリの」
「そう、激辛がウリんところ。で、なんとそのエリの親父さんが銀行強盗をしたんだって」
「え!? 本当!?」
「いや、嘘だってば……」
あたしが冷静にツッコミを入れると、楓は「あ、そうだったね」と少し照れくさそうにはにかんだ。
「なんか資金繰りに困ってたらしくってよ。ほら、カレー屋の向かいって道路挟んで銀行だろ?」
「……うん。それで?」
「店に飾ってあるタルワールっていうインドの剣を片手に押し入ったのはいいものの、銀行の中にいたお客さんに正義感の強いあんちゃんがいてよ。エリのお父さんはそいつと取っ組み合いになってさ、もつれ合いながら倒れた拍子に、ブスっ、って剣がそいつの胸を貫いちゃってもう大騒ぎ。パニック状態の店員になんとか現金を用意してもらってスタコラサッサってわけなんだが……すぐに捕まっちまったって話だ」
「えー? どうして?」
「そう甘くないってこった。激辛がウリのカレー屋だけにな」
どうだ、なかなかよく出来た話だろう? 反応は上々なようで、目の前の楓どころか、教室中のクラスメイトたちがあたしに感嘆の拍手を送っていた。ありがとう、ありがとう諸君。まぁ、一応あたしも噺家の孫だからさ。そんじょそこらの女子高生と比べたら、ねぇ?。
「いーなぁ! 私もそういう小洒落た話言いたい! ねーえ、あっちゃん。私も今のお話借りていい?」
「ん? まぁ、別に構わないが」
正直に白状すれば今の話は〈新聞記事〉のスジそのままだ。わかりやすく現代風にアレンジしただけなので、あたしも本当のところはただ借り物。だから、楓の申し出を断る権利はない。
そんなこととはつゆ知らず、
「ありがとう!」
楓は嬉しそうにお礼を言って、誰に話そうかと早速教室を見て回した。だが、先ほどの万雷の拍手でわかる通り、教室にいるほとんどの子たちは私の話を聞いていた。いくらよく出来た話だったとしても、立て続けに二回聞かされるのは勘弁してもらいたいに違いない。実際、楓と目が合いそうになると、みんな明後日の方向を向いていた。
「ふーんだ。みんなノリが悪いんだから」
ぶくっと頬を膨らませて不満げな楓。すると、運がいいのか悪いのか、ちょうど教室にひとりの女の子がやってきた。これを逃す手はないと、楓は駆け足でその子に近づく。
「ねぇねぇ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「あ、おはよう楓。お願い?」
「うん、おはよー。でね、私に嘘ついてみて?」
「え?」
「お願い。一回だけでいいから、ね?」
突然の申し出に女の子が思い悩んでしまうのも当然だ。にもかからず、楓は相手の都合なんて関係なく期待に満ちすぎた目で見つめてくるのでタチが悪い。
「嘘……あ! そうだ! 実はさ、」
「ちょっとー! ストップストップー! 『大ニュースだよ、大ニュース!』から始めてくれないとこっちも困っちゃうよー」
「はい? んー、わかった。よくわかんないけど……えーと、大ニュースだよ、大ニュース!」
「大ニュース? イギリスでシャーガーでも見つかったの?」
「シャーガー? 何それ?」
「え? えっと……ジャガーの仲間とかじゃない? ともかく、大ニュースってなぁに?」
あいつ、知らないくせにあたしの言葉丸パクりしたのか。太いやつだなほんと。ちなみに、シャーガーとは誘拐され行方不明となっているイギリスの競走馬のことだ。毎年エイプリルフールの時期になると、発見されたというニュースがかの国の紙面を飾るらしい。断じてジャガーの仲間ではない。
「実はさ、亜美に彼氏が出来たんだって」
「え! あっちゃんに!? ほんと?」
「いや、嘘だけど……」
「もぅ、こういう時はもっと嘘っぽい嘘をついてよ」
「ご、ごめん。でも亜美に男が出来るなんていかにも嘘じゃない?」
「確かに。浮いた話が全くないもんね」
ふたりは共感しあうかのようにうんうんと頷く。確かに、あたし自身浮いた話なんて聞いたこともないが、目の前で言われてしまうとなんとも腹立たしい。
「とにかくオチがないとダメなんだから!」
「オチって言われても……例えば?」
「はい待ってましたー! えっとね、エリちゃんちの仕事って知ってる?」
「は? いや、まぁ、そりゃ知ってるけどさ。カレー屋、だよ?」
歯切れの悪い回答をしつつ、女の子は楓に疑い深い目を向けた。それもそのはず、この女の子はそのカレー屋の娘であるエリなのだ。自分の家の家業を知っているかなんて尋ねられたら、戸惑わずにはいられない。
「そう、カレー屋さん。激辛がウリの」
「私はそんなに辛くないと思うけど……」
「でね、なんとそのエリちゃんのお父さんが銀行強盗をしたんだってさ」
「え……? 何それ?」
「まぁまぁ、いいからいいから。それでね、」
「いいからって何が? むー……流石の私もちょっと怒るよ?」
「あ、ちょっと待ってよ! エリちゃん」
楓が引き留めようとするも、エリはそっぽを向いて去っていってしまった。いくらお父さんが入った後の湯船に入りたくないお年頃といっても、赤の他人に馬鹿にされるのは面白くないのだろう。エリの気持ちはよくわかる。
これには流石の楓も悪いことをしたと思ったのか、しゅんとした様子で俯いている。……やれやれ、まずはこっちのフォローからするかね。
「馬鹿。本人に言うやつがあるかよ。せめて登場人物を変えないと……エリには私から言っとくよ、まったく」
「うん、ごめん。……あ、そうだ! じゃあ、あっちゃんに話していーい?」
「あたし? あたしが作った話をあたしに話してどうするよ……まぁ、別にいいけど」
あたしが観念して首を縦に振ると、楓はとびっきりの笑顔を咲かせて見せた。切り替えの早さに、反省の色はどこに行ってしまったのだろうと内心呆れてしまう。しかし、この笑顔こそが、イラッとさせられながらもあたしたちクラスメイトが楓を憎めない原因でもあった。
「じゃ『大ニュースだよ、大ニュース!』からお願いね」
「そっからかよ! エリとのやり取りも聞いてたけど、そこいらねぇだろ」
「えー、だってぇ」
「だってって言われてもなぁ。大体、お前シャーガーがなんだかわかってねぇだろ?」
「うん」
「だったらそこもいらねぇだろ。いきなり本題に入れよ」
あたしの提案に楓は渋々ながら頷く。そもそも、わかっていたところで本筋とは何の関係もない話だ。
「いくよ? ……えっと、エリちゃんの家の仕事って知ってるよね?」
「ああ。確か……激辛がウリのカレー屋だろ」
「その通り、カレー屋さん。それで、そのエリちゃんのお父さんがなんと銀行強盗をしたんだって!」
「へぇ、そいつぁ物騒だな」
「エリちゃんのお父さん、お金に困ってたらしくって。ほら、カレー屋の向かいって道路挟んで銀行でしょ?」
「そうだったな。何銀行って言ったかな……とにかく結構大手のところだよな」
「そうそう。それでね……えっと、それで……えっと、なんだったかな……なんとかール? えっと……」
目をつぶり、両手の人差し指でこめかみを突きながら思い悩む楓。あたしは知っている。こいつは昔から伝言ゲームとかそういう類いのものが大の苦手なのだ。本人いわく、思い出そうとすればするほど、頭の中がグチャグチャになってしまうのだという。
「えっと……えっと、店に飾ってあったルノワール? だったかフェルメール? だったかを持って押し入ったんだけど、えっと、それで……」
「ん? それって確か画家だよな? 絵の押し売りか?」
「……銀行の中にいたお客さんに正義感の強いお兄さんがいたらしくって、エリちゃんのお父さんはその人と取っ組み合いになっちゃって……もつれ合って倒れた拍子に、ブスっ、ってその人の手が絵を貫いちゃってもう大騒ぎ。なんとか弁償してもらってスタコラサッサってわけなんだけど……すぐに捕まっちゃったんだってさ」
「ここまでで捕まるようなことしてたか? ……まぁ、いいや。それで? なんで捕まっちまったんだ?」
何が犯罪行為にあたったのかあたしにはちょっとよくわからなかったが、とにかく話を進めさせる。楓がずっと言いたいと思っているのは「カレー屋だけに甘くない」というオチの部分に違いない。エリに逃げられたり、途中があやふやだったりと色々あったが、話はいよいよオチを残すのみだ。
ところが、いつまで経っても楓の口からオチは聞こえてこない。眉間に皺を寄せて唸り始め、挙句の果てには「カレー……福神漬け……ライス……ガラムマサラ?」とカレー関係の単語を闇雲に呟く始末。
あまりにも正解が出てこないので、じれったくなってしまったあたしが「カレー屋だけに甘くねぇってことだろ」とオチを告げると、楓は露骨に不機嫌オーラを出したがそれも一瞬。何か思いついたかのように目を輝かせ、ひとりでニヤニヤと笑い始めた。
「……どうした? 気味が悪い」
「……実はね、このお話には続きがあるんだ」
「続き? ほぅ、言ってみろ」
「警察署での取り調べ。開口一番、エリちゃんのお父さんはなんて言ったと思う?」
「……さぁ?」
「『いやぁ、スッパイス(失敗し)ちまった』って。カレー屋だけに」
「ナンだそりゃ? ……カレー屋だけに」
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