12.いちばんの幸い、いちばんの残酷
終わらない世界で、止まらない呪詛を吐き続ける。
――いったい何度思っただろう?
いっそ世界が滅んでしまえば、こんなクソみたいな旅も終わるのに。
そしたらこんな気持ち悪いゴミクズも、いなくなるのに――
そう思う度に、愕然とした。吐き気がした。
……けれども、そんな生ぬるい感傷さえもが次第に薄れていった。
あとはただ亡者のように歩き続けた。
単にそうすると決めたからというだけの理由で。
他にどうしようもないというだけの
そこにはもう意志などなく、気がつけば、世界には誰もいなくなっていた。
……なのにけっきょく世界は終わらなかった。
俺は真っ白な原野を歩き続ける。
そこにはなにもない。
ほんとうにからっぽだ。
――その有様は原風景にも酷似している。
あれはいつだったか。
唐突に家庭環境が変わってから、俺は宙ぶらりんになっていた。
そして平和な状況で気づいてしまったのだ。自分の心がひどく空虚だったことに――
……でも、ずっとこんな景色のなかにいたわけじゃない。
やがて俺は、ほんのすこしだけ変わることができた。
すくなくとも、変わっていこうとはしていた。
月並みだがいろいろな人物に出会って、オルタナな家族みたいなのもできて、うまく生きていこうとしていたはずだった。
…………。
楽しかった頃のことばかりを、思い出すんだ。どうしようもなく、縋ってしまうんだ――
終わらない世界で、止まらない呪詛を吐き続ける。
こんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかった。こんなはずじゃ……こんなはずじゃ……
その言葉は、最低の結論とまるでおなじだ。
俺はあの少女に――
……いっそ口に出してしまおうとさえ思った。
でも、どうしてもそれを言ってしまうことはできなかった。
……どうせ度し難い偽善だ。
他に意味があるなら、どれだけ良かっただろう?
俺は真っ白な原野を歩き続ける。
泣くことなんて赦されない。
そんな資格なんてない。
だから、ただ歩くしかない。
罪を重ね続けるしかない。
めちゃくちゃな理屈だ。そんなのはわかってる。
それでも俺は、歩き続けた――
突然フッと人影が現れる。
くっきりと思い出す。
そいつは人生で初めての■■■だった。
ずっと大好きだった。
ずっと大嫌いだった。
いつも甘えたかった。
いつも■したかった。
目の前のそいつは俺を何度もぶん殴る。
かつてそうしたように、何度も何度もぶん殴る。
ただ今度は決して肉体を使わず、言葉だけで殴ってくる。
今の俺はどこからどう見ても最低だ。
いつの間にか、どうしようもないほどに歪んでしまった。
だから言葉のすべてが、深く重く突き刺さる――
気づけば、俺は発狂していた。
支離滅裂な妄言を叫びながら、最後は目の前に現れたドブ川へ頭から突っ込んだ。
そうして俺は、どこまでもどこまでも沈んでゆき、やがて意識を失った――
目を覚ますと、俺は穏やかな森にいた。
ぼろぼろになった体は、川のなかをゆったりと流れてゆく。
水には不思議な浮力が働いて、金槌の俺さえどんぶらこと運んでゆく。
やがて川の流れは洞窟のなかへと入り込む。
俺は不思議な懐かしさと、奇妙な直感を同時に覚えていた。
とてとてと足音が聞こえる。
川沿いの岩壁に空いた横穴から、誰かが近づいてくるのを感じる。
なんだか優しい音だ。
とても懐かしい音だ。
のそのそと、やわらかい
――ぶわりと泣き気が込み上げる。
どうしてか、泣いてもいいんだと、その誰かに言われている気がした。
足音はどんどんと近づく。
もう、すぐそこまで来ている。
俺もまた、横穴の正面にたどり着く――
目と目が合う。
「しろくん!?」
その声が俺の胸を撃つ。
少女は一目散に駆け寄って、俺を掬い上げてくれる。
俺は、情けなくも少女の膝元で泣きじゃくった。
ただひたすら、子どもみたいに泣きじゃくった。
遅れてやってきたぬいぐるみも、ちいさな手で頭を撫でてくれる。
――ああ、やっと思い出せた。
もうひとりの俺が、そいつが集めた記憶が、ぜんぶぜんぶ流れ込む。
くろちゃんの片割れも、ニーナもどっかで見てるんだろうか?
ほんとうに、俺は馬鹿だった。
こんなことを今まで忘れていたなんて。
俺は、僕は……
くろちゃんに、ニーナに――
僕は泣きじゃくりながらかすれた声を搾り出す。
「くろちゃん、ニーナ、
生まれて、きてくれて、ありがとう。
出会ってくれて、ありがとう。
死んでまで、ずっといっしょにいてくれて、ありがとう――」
ちゃんと伝わっただろうか?
くろちゃんは、ちょっと小首を傾げていた。
ああ、かわいいなあ。でも余計なことを言っちまったかなあ。
そんなことを思いながら、また意識を手放すのだった――
● ●
まさかこんなところまで来るなんて。
こ~くんは、
まさかここまで馬鹿だったなんて、呆れてしまう。
自分の残酷さを棚に上げて、ついそんな最低なことを思う。
…………。
……でも、案外これで良かったのかもしれない。
これでやっと、こ~くんも幸せになれたのだから。
こ~くんもしろくんも、くろちゃんもだんごまるも、これからずっと、ここで幸せに暮らせばいい。
あたしはそれをいつまでもいつまでも見ていられる。まるでおとぎ話のハッピーエンドだ。
これ以上に幸せなことなんて、あるわけがない。
――でも、どうしてだろう?
ほんとうにこれでいいのか不安になる。
ねえ、どうして? どうしてなの?
あたしは意味もなくだんごまるを見つめてしまう。
だんごまるはときどき「なんでも知っている」みたいに見えるから。
だからあたしは、だんごまるに問いかけてしまう。
どうせ届くはずもないのに――
でも、そのとき「ぶふふふ……」と、あの優しい笑い声が耳朶を打った。
間の抜けたような、それでいてなにもかも悟っているような、あの不思議な笑い声。
それは、なぜだかあたしに向けられているみたいに思えた。
そしてだんごまるがのっそりと振り向く。
そうやって、まっすぐにこっちを見つめる。
どこにあるかもわからないあたしの正体を、確かに見抜く。
だんごまるは優しい声で言う。
「のぅ、ニーナや。おぬしはよっくひとりでがんばりおったのぅ」
――うんっ、うんっ……
涙を流す目もないのに、あたしはぶわっと泣いてしまう。
やっぱり誰かに見つけてもらえるのは、こんなにもうれしい。
だんごまるはのそのそとこっちへ来て、あたしの頭を撫でてくれる。
なんでかな? 頭なんてもうないのに、確かにふよふよと優しい感触がする。
――だんごまる! だんごまる! だんごまるぅ!
あたしはない手足でだんごまるに抱きついて、心で泣きじゃくる。
だんごまるは、ただよしよしと、あたしの正体を包んでくれる。
「――ねえ、もしかして、ニーナちゃんがそこにいるの?」
くろちゃんの声が聞こえる。あたしはぼんやりとない頭を上げる。
「あ、今こっち向いてくれたね~」
あたしは驚く。目があればきっとまんまるになっていただろう。
「くろちゃん!? もしかして、見えてるの?」
「ううん、見えてはないよ。ただ、なんとなくわかるだけ。さいきん、ずっとなにかが引っ掛かってたんだけどね、今、やっと思い出せたよ。ぜんぶぜんぶ、思い出したよ」
今度はもっとびっくりする。だって、そんな素振りなんてなかった。ぜんぜん気づかなかった。
……あたしは、なんでもわかった気になっていただけだった。
くろちゃんが、こっちへ来て、あたしのない手を握る。
「ねえ、今までごめんね。ううん、ずっとありがとう。
あたしたち、すっごく幸せだったんだよ。
でもね、もういいんだよ? ニーナちゃんはもうひとりでがんばらなくていいんだよ?
だからね、またひとつに戻ろう?」
そう言って、くろちゃんは半ば無理やりにあたしとのリンクを復帰させる。
今度こそ完全に切ったつもりだったのに、やっぱりあたしは、またくろちゃんの足を引っ張ってしまうのかな?
「ううん、違うよ。元々そうじゃなかったよ」
くろちゃんが凛と言う。
「それに、今度こそ、ちゃんとひとつに戻るんだよ――」
その言葉を合図に、あたしたちの意識は深く深く、混ざってゆく――
†
心のどこか、不明瞭な混沌のなかで、あたしたちは最後の言葉を交わす。
「……そっか。くろちゃんは、すっかりあたしを追い越してたんだね。あたしはずっと子どものままで、大人のつもりになってただけだったんだ……」
「ううん、そうじゃないよ。ニーナちゃんは、子どものままでも、ずっとがんばってたんだよ。大人でいなきゃって、ずっとひとりでがんばってたんだよ。それはこの世界へ来てからもおなじで、いつだってあたしたちのために「独り」を背負ってくれてたんだよ」
「そんな……だって、あたしはただ――」
「ううん、そんなのもういいんだよ。それより、これからもし次の世界があるとしたら、そのときはふたりでいっしょにがんばろ? ふたりでいっしょに大人になっていこ? だからね、今までありがとう、ニーナちゃん――」
そうして、あたしはまたひとつになった。
だんごまるがのほほんと言う。
「で、どうするんじゃ? このまま皆で過ごすのもよいかのぅ?」
あたしは田代くんの頭をそっと撫でながら、決めていた答えを口にする。
「もういいんだよ」
「ふぅむ、ほんとうにいいのかのぅ?」
「うん。もうじゅうぶんだよ。あたしはもう、いっぱい幸せをもらったから」
――あ、今、くろちゃんだった部分がひょっこり顔を出した気がする。なんだか心がくすぐったくて笑う。
あたしは「ごめんね」と「ありがとう」を目いっぱい込めて、眠ったままの田代くんを撫でつける。
それにしても、とっても幸せそうな寝顔だ。なんだか見てるこっちまで癒される。
「……ほんとうはね、せめて最後にお茶会でもしたいんだけど、目を覚ましたら、もう二度と戻れなくなっちゃうから」
「そうじゃのぅ。しかしじゃ、この
「……そうだね。これはきっと、またあたしのわがままだよ。あたしのいちばんの残酷だよ。それでもね、しろくんには、こ~くんには、田代くんにはもう一度生きてみてほしいんだ――ほんと、どの口が言うんだって話だけどねぇ」
「ぶっふふ……そういうことみたいじゃて。しろよ、強く生きるんじゃぞ」
その言葉を聞いて、あたしたちはくすっと笑う。
あ~、しろくんにもちゃんと聞こえてるかなあ、だんごまるの一世一代の意趣返し……。
「ほれ、行くぞ。最後の最後までこやつもいっしょじゃ」
そう言って、だんごまるがちいさな身体に田代くんを背負う。
……いったいどうやってるのか、わりと本気で気になる。
そんなあたしの驚愕を知ってか知らずか、だんごまるはのそのそとマイペースに洞窟の奥へ進む。
そしてあたしたちはみんなでコアの前に立つ(田代くんは横たわってるけど……)
これはこの世界を構成する中核だ。付属のキーパネルに、あたしの手でパスワードを打ち込めば、ついにこの世界は終わってしまう。
……でも、優しい時間はもうたくさんもらったから。
あたしはもう一度、田代くんをそっと撫でて、それからパスを打ち始め――
「ちょ、ちょい待て、それじゃ足りんくなるじゃろ……」
「あ、そうだね……」
「ふぅ……あやうくわてひとり、この世界に取り残されるところじゃったわ……」
「……てへっ、ごめんね?」
キーを打つには代償が要る。
それはいのちだ。
四つの文字をすべて打つには、あたしのいのちをまるまる使わなければ届かない。
だから――
「……むぅ。やっぱりさみしいものじゃのぅ」
そう言って、だんごまるはぽ~んと跳び上がり、あたしの手にしがみつく。
「……だんごまる、今までずっとありがとうね」
「ぶっふふ……それはこちらの台詞じゃて……ありがとのぅ、おぬしら」
あたしたちは無言で頷き合う。
そして、だんごまるが出し抜けに言った。
「さよならのぅ……」
そう言い遺して、だんごまるは物言わぬぬいぐるみへと戻ってしまった。
代わりにだんごまるに預けていたいのちが流れ込む。
あたしはだんごまるを田代くんの胸元に添えてから、今度こそパス入力へ取り掛かる。
ひとつずつ、いのちをどこか遠くに返しながら、キーを打っていく。
「え……」
「い……」
「え……」
最後の文字を打とうとすると、くろちゃんだった部分がまたひょっこりと顔を出す。
(ほんとうに、もう終わりだねえ。今ならまじょ子ちゃんの気持ちが、わかる気がするよ)
(そうだね。くろちゃんと混ざった今だから、あたしもそう思える気がするよ)
ニーナだった部分が答えた。
……そして、あたしたちは最後のキーを押した。
がらがらと、世界が音も立てずに壊れていく。
消えゆく意識の最期の思考――
あたしは引き延ばされる刹那のなか、田代くんへ語りかけていた。
あのね、あたしはえいえんになりたかったんだよ。
ずっとずっと、覚えていて欲しかったんだよ。
でもね、それはあまりに業が深かったね。
ほんとうにもう十分だよ。
だからね、さようなら。しろくん。こ~くん。
さんざんわがまま言ってごめんね。
今までずっとありがとう。
これからはあたしを忘れて。
あたしのいないところで、幸せになってね。
それから、最期の最期に独りごちた。
……でも、やっぱり次にもし会えたら、今度はきみとふつうの恋愛したいなあ――
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