プレゼンテーション

「あ、あの、ライムちゃん?」


 大勢の視線の集まるステージの上で、カナがライムを向いて問うと、ライムはアバターを笑わせたまま答えた。


「カナお姉さんのリクエスト通り、集めておいたよ!」

「確かにその、参加したい人がいたらって言ったけど……」

「だって、お兄さんの将来に関わりたい人なんでしょ?」


 ライムは手を後ろに組み、上半身を左右に振って言う。


「それって、ケモプロの将来にも関わることだよ。だったらこれぐらい集まるよね!」


 そして、ピタリと止まって──


「それとも……やめとく?」


 囁いて。


「……やめないよ」


 カナがアバターの向こう側で笑って、ステージの上で一歩踏み出した。


「みなさん」


 ぐるり、とカナは全体を見渡す。


「今日はお忙しいところお集まりいただきありがとうございます。私の名前はオオムラカナ。KeMPB代表のユウくんの幼馴染です──ユウくん」

「ここだ」


 俺は手を上げてステージの方へ向かって降りていく。


「……久しぶり。いろいろ忙しくて遅くなっちゃった」

「リーグ優勝の立役者で、日本シリーズの覇者でもあるんだから忙しかったろう」

「あはは……取材とか、契約更改とか、もろもろようやく落ち着きました」


 実際、報道は過熱していた。特にリーグ優勝を決めたホームランとフライのキャッチはテレビで何度も放映されていたし、日本シリーズでの活躍も毎日報道されていた。野球ファンからの評価も高まり、オオムラフィーバーなるものも起きているらしい。もっとも、このコロナ禍なので人が押し寄せるということはなく、オンラインでの売り上げがどうこう、という感じの報道ではあったが。


「俺はどこにいた方がいい?」

「座って見てて。ここには、私一人だけでいいから」

「わかった」


 最前列に座る。するとカナはゆっくりとホールの中を見渡し、静かに話し始めた。


「今日、みなさんにお集まりいただいたのは、私から皆さんにあるテーマについてプレゼンをさせていただくためです。そのテーマというのは……」


 ステージ上のスクリーンに『本日のテーマは』と書かれたスライドを表示させ。


「んんっ」


 咳払いをして。幼馴染は、キッと顎を上げて言った。



「テーマは──私とユウくんが結婚するメリットについてです!」



「ブッ」「え!?」「げっほえっほ」「はい!?」「けけけけ結婚!?」


 どよめきが波のように起きて、ホールの中をかき回していった。


「あはは、面白いね。これは見ものだ」

「ルイ。何が始まるの?」

「カヨ、しっかり見ておくといい。これから始まるのは、とても変わったプロポーズだ」

「プロポーズ……」


 俺のすぐ後ろまで降りて来ていたルイが、カヨに言って聞かせる。カヨは、呟いてステージ上のカナを見つめた。


 やがてホールの中が静かになって、カナは話し始める。


「これから、結婚することで得られる私のメリット、ユウくんのメリット、みなさんのメリット、そしてKeMPBのメリットについて、お話したいと思います」


 スライドを操作しながらカナは言って──


「ただ、その前に──もし私より先にユウくんと話したい人がいたら言ってください」


 操作の手を止めて、ホールの中を見渡す。


「先日、ニシンちゃんとタイガさんと、この話をする順番について勝負をしました。タイガさんに対しては、私のチームが日本シリーズで優勝すること。ニシンちゃんに対しては、守備練習で勝つこと。そうして私が最初の権利を得ました。けど──その勝負を知らない人たちにとっては寝耳に水ですよね。だから、異議があれば受け付けようと思います。どなたか、いらっしゃいますか?」


 しん、と静まり返るホールをカナは見渡して──1本上がった手を目に留める。


「えっと──ニャニアンさん?」

「それ、また勝負することになるんデスカ?」


 楽しそうに、ニャニアンが訊く。カナは頷いた。


「はい。勝負の方法については、お互いの間で決めましょう。私が負けたら、私の順番を譲ります。……でも、一言だけ」


 カナは苦笑をにじませる。


「ユウくんは順序で選ぶような人じゃないですよ。だから後手に回るのも一つの手じゃないかと思います」

「ナルホド、確かにソーデスネ」


 ニャニアンはウンウンと頷く。


「じゃ、ワタシは順番待ちシマショー。ずーみーサンはどうデス?」

「ヘェ!? いやその、自分はえっと……いや、急で……え、ええ?」

「じゃ、先攻はカナサンに譲りマスカ。ね、ツグサン」

「え、あ、う、うん……そ、そうだね……?」

「何なンだよコレ……」

「オ、アスカサンも参戦デスカ?」

「しねェーよ。アイツと結婚なんて真っ平ごめんだね。つか、オマエ……アリなの? マジ?」

「なくはないデスヨ? ハッハッハ」


 従姉たちのいる辺りが騒いで、静かになる。他に手を上げている人は──いなかった。ナゲノの近くにいるナミが何か言うかと思ったが、動きはない。


 メリット。去年のKeMPBの納会で、ナミもそれを説明して俺と結婚しようとした。けれどそれは必ずしも結婚を必要としていないものだったので断った。そんな経緯だから、何かあるかと思ったんだが……俺のことを『勉強』した結果、そんな気もなくなったのかもしれない。


「ンー、他に文句のある人はいなさそうデスシ、サクッとカナサンのプレゼンをやってもらいマショウ!」

「わかりました」


 ニャニアンが言って、カナが頷く。


「ではプレゼンを始めます」


 照明が一段階落ちる。視線が集まる中、カナはゆっくりと語り始めた。


「……きっとこの中には、なんでこんなことをするんだ? って思っている人がいるかもしれません。告白して、思いの丈をぶつけて、返事を貰えばいいんじゃないかって、そう思ってる人が。確かにその、普通の、ぷ……プロポーズはそうなんだと思いますけど、でもですね」


 カナは俺に手を向ける。


「あいにく、相手はこのユウくんです。それでうまくいくなんて、当事者にはなかなか想像がつかないんじゃないかと思います」


 ホールの中で、かすかに身動きの気配があった。


「そもそも……ユウくんは、今この場に集まった皆さんのことが好きです。自分の身を挺してでも助けたいと思うほどに皆さんのことを愛してます。だから、その人がどうしてもユウくんと結婚しなければいけない事情がある、となれば、ユウくんは受け入れてくれるでしょう」


 実際その通りだと思う。それで何かが救えるなら、結婚ぐらい大したことじゃないだろう。


「でもね、ユウくん。日本じゃ結婚は一度に一人としかできないし、ユウくんと結婚したい人たち全員と、交代で離婚と結婚を繰り返せばいいってわけでもないんだよ?」


 さすがに一夫多妻制じゃないのは知ってるぞ……うん。


「普通の人は結婚にそういうことを求めていないから、うまくいかないと思う」


 カナは苦笑して、それから前を向く。


「だから私は、ユウくん向きの、ユウくん専用の結婚プランを提案します」


 カナはスライドを操作していく。


「まず、結婚における私のメリットについて話しますと……私、女子プロ野球選手、オオムラカナは――」


 でん、と大きな文字が表示される。


「めちゃくちゃ婚活が難しい状況にあります」

「……そうなのか」

「そうなの」


 カナは真剣に頷く。


「自分で言うのも何ですけど……私は日本と野球界隈でかなりの有名人で、トップ選手並みの年俸を得ることを明らかにされています」


 契約更改で推定年俸が報道されたとき、その金額にまた世間が騒いでいた。打者十傑に数えられる、リーグ優勝の功労者で、人気も十分……となれば、これまでのような査定は下せなかったのだろう。一部ではメジャーリーグのスカウトが注目しているという話もあり、実際カナも軽く声をかけられたことはあるそうなので、引き留めの意味もあるかもしれない。


「こうして知名度とお金を手にするとですね。普通の野球選手以上に、一般の人との出会いがなくなるみたいなんです。そもそも私は試合が仕事なので、寝所と球場を行き来する毎日ですし、この情勢では気軽に外出もできません。それでも私と積極的に知り合おうとする人たちは……お金目的だったり、知名度目当てだったりする人が大半なんです。もしかしたらそうでない人もいるかもしれないけど……お付き合いしたところで、私とギャップがありすぎると関係がこじれそうなのは容易に想像がつきます。というか……」


 カナは小さくため息を吐く。


「試合以外で会う人とか、昔の携帯に入る連絡とかを見てるとね、もう嫌になっちゃうんですよね……うん、これは実感です」


 その辺りのことはニシンからも聞いていた。ニシンに言わせれば、そういう人たちは『カナをトロフィーとしてしか見ていない』らしい。


「かといって、別にお金持ちや有名人と結婚したいわけじゃないんです。それだから好きになるってわけでもないし、そもそも野球以外にはあまり興味なくて……私は野球ができれば、あとの生活は最低限でいいんです。引退後の生活だってあるんですから」


 アツシも言っていたが、プロ野球選手の引退後の就職は難しいらしい。何があるか分からない世界だし、倹約しておきたいという気持ちは分かる。


「それなら同じ野球選手と結婚したら、仕事に理解もあっていいんじゃない? って思いました? それこそナシです。彼らは仲間でありライバルであって、恋愛対象としては見れません。それにもし結婚したら、敵チームになったときどうしたらいいと思います? 何をしたって何か言われるでしょう……世間はケモプロの世界みたいに割り切ってはくれないし、私だって自信ないですから」


 ケモプロの世界では、選手同士で結婚している事例が多い。伊豆のツツネと青森の黒男のように、監督同士の結婚というのもある。けれどそれを責めるようなケモノはいない。敵チーム同士の夫婦も、手心を加えているような例は今のところ見られなかった。


「そんなわけで、今は誰に言い寄られても困ります。私は野球選手を続けたいだけなんです。でも、周囲の人たちは私が未婚だから声をかけてくる。角を立てずに断るのもなかなか気を使うし、面倒なんです。これがすでに結婚しているなら、断りやすいのに……と思っても、相手を探すのは難しい。今の私の周囲に、候補はほとんどいないんです」


 そう言って──カナは、俺の方を向く。


「──でも、ユウくんなら?」


 投げかけた言葉の波紋を収まるのを待って、言う。


「ユウくんはお金に執着してないし、知名度にも無頓着、私の仕事だって尊重してくれる。……私のことを大切に想ってくれている。そして……私が好きで、幸せにしたい人。そんなユウ君と結婚すれば、環境を整えて安心することができる。それが、私のメリットです」


 カナが言い切ると、数か所から拍手や口笛が聞こえた。カナは慌てて咳払いし、少し口調を早める。


「つ、次はみなさんのメリットについてお話します」


 ホールが再び静かになって、カナの言葉を待つ。


「ユウくんは優しいし、きっと多くの人から愛されてる。結婚したい、と思ってる人も多いと思います。では、なぜ私が結婚することがそんな人たちのメリットになるのか。それは」


 スライドが切り替わる。


「私がユウくんを独占せず、いろいろな『一番』にもこだわらないからです」


 短いどよめき。それが収まるのを待たず、カナは続ける。


「そりゃあ私だってひとりの人間です。ユウくんを独り占めしたいって思うこともあります。私だけを見てくれるユウくん──そんな妄想にふけることだってあります。だらしない顔をしながら。……でもね、結局最後には気づくんです」


 顔を上げて。


「それって、私の好きなユウくんじゃないな、って」


 苦笑する。


「みんなに愛されていて、そしてみんなを大切に想っている。それが私の好きなユウくんなんです。……飛んでいる鳥が好きなのに、籠に入れて独り占めしたって仕方ないですよね? きっと籠の扉を開けても逃げ出さないように留まってくれるけど、そんな姿が見たいわけじゃない」


 そもそも、とカナは続ける。


「私は結婚しても野球選手を長く続けるつもりですし、そうなると同居しても一緒にいられる時間は少ないですからね。独占したいなんて思っていたら、嫉妬でやっていられないです」


 野球選手の仕事は興行だ。いろんな土地をめぐって試合をする。そのすべてに同行することは不可能ではないだろうが、現実的でもないだろう。


「だから私は独占しません。ユウくんがみんなと仲良くしているところも好きだから。……でも、それじゃあどうして私とユウくんが結婚する必要があるの? 何も変わらないんじゃない? って思いますよね。そうですね……変えないし、変わらない。けど」


 カナは、従姉たちの方を向く。


「みんなで一歩前には進める。それがみなさんへのメリットです」

「ホウ! つまり、ダイヒョーにチューしてもいいってことデスネ!」

「ニャン先輩!?」

「え!? え、ええ……そ、そうです。ええ、はい」


 ニャニアンの発言に虚を突かれたのか、カナは少し取り乱し、深呼吸した。


「……次に、KeMPBのメリットについてお話します」


 スライドを切り替える。


「これを言うのはちょっと恥ずかしいんですけど……今の私とタイガさんって、プロ野球界のお姫様みたいなもの、らしいんです。だから、私たちが誰かと結婚すると……相手の立場によってはいろいろあるみたいで。エーコさんは気にするな、とは言ってくれるんですけど」


 あまり無茶を通せばエーコの負荷が高くなるだろう。


「でもそれって逆に──私とKeMPB代表のユウくんが結婚することは、ケモプロとプロ野球の間の友好の証にもなるってことですよね?」


 政略結婚めいたことを言う。


「ユウくんとの結婚を公表したいわけじゃないし、私が結婚したことを公表するにしても『一般男性との結婚』という形にしてもらうつもりだけど、いざという時はそういうアピールもできる。……だよね、ライムちゃん?」

「そうだね!」


 カナの後方、ステージの脇に控えていたライムが楽しそうに言う。


「広報としては最強の武器って感じ! 『あのオオムラ選手も応援するケモプロを今すぐ見よう!』、とか? なお、威力はカナお姉さんの今後の活躍によって増す模様だよ!」

「そういうことなら、任せておいて」


 カナはゆっくりと頷いて、前を向く。


「私は……これからも野球を続けます。せっかく飛び込んだ夢の世界、最後までやりきりたい。日本シリーズは今年優勝という結果に恵まれたけど、一回だけじゃ満足できない。技術を磨いて、記録にだって挑戦したい。選手を引退した後は、指導者側──コーチや監督だってやってみたい」


 初めて聞いたカナの将来のプラン。その道のりはなかなか長そうだ。


「そうしたらその経歴は武器になるし……KeMPBが資金難に陥るなんてことがあったら、私の使いきれないお金が役に立つ……と思ったんだけど、これはもう会社の規模的にそこまでじゃない、ですか?」

「報道通りの契約金額なら、そうですね。最悪の備えにはなりますが」


 問いかけられたシオミが冷静に答える。最悪の備え……というと、KeMPBが倒産することになったときの従業員への退職金とかだろうか。


「それなら、貯金はしっかり増やしておかないといけないですね」


 カナは軽くおどけて言う。


「他にも、夫婦になるわけですから、大手を振ってKeMPBの手伝いができるようになります。データ取りとか、機材のテストとかに役立てる、かも?」


 一流の選手になるというのだ。そのデータを取り放題というのはありがたい。


「KeMPBへのメリットは以上です。それでは最後に──」


 カナはスライドを切り替える。


「ユウくんのメリットについて」


 ──俺のメリット。


「実は、これが一番難しいですよね? だって今、ユウくんにはKeMPBがあって、ケモプロがある。結婚することにいったい何のメリットを感じてくれるでしょう? 結婚してなくたってできることぐらいしか提示できないんじゃ? KeMPBへのメリットを喜ぶとは思いますけど、『ユウくん個人』のメリットは──」


 カナは、力を抜いて苦笑する。


「……たぶん、誰が相手でも、ないと思うんですよね」


 ………。


「ユウくんは誰にも恋してないんです。それにその、私の体を好き勝手にしたいとかもないし……な、ないよね?」

「ないな」

「あ、うん」


 非難の視線を感じるが、ないものはない。


「ゴホン。つまり、ユウくんにそういう欲がない以上……結婚はユウくんにとってメリットがない。メリットがないなら──結婚する必要はないと思うんです」


 これまでの主張を覆すかのような発言に対する、どよめき。


「……そうだよ」


 そのどよめきを割って、カナが小さな声で言う。


「しないほうがいい。だって」


 かすかに震える声。


「そんなの、ユウくんが自分を犠牲にするだけだから」


 ズッ、と、鼻水をすする音。


「……でも、ユウくんは魅力的な人で、これからきっといろんな人から結婚を持ちかけられる。だから……それなら……ユウくんが結婚する必要があるなら……私とした方がいろいろなメリットがあるよって……傷つけないよって。そういう、外堀を埋める形でプレゼンすることにしたんです」


 カナは、手を上げかけて、握って下ろす。


「──以上が、私のプレゼンになります。誰か、何か質問はありますか?」


 カナがホールの中に問いを投げかける。誰もが無言で顔を見合わせて──と思ったその時、大きながなり声が響いた。


「(おいおい、これで終わりだと? いかんぞ、大事なことが残ってるじゃないか)!」


 バシバシ、と膝を叩いて大柄なクマ系女子アバター──BeSLB代表のバーサが煽る。


「(奇妙な話だったが、結局はプロポーズなのだろう? 愛の言葉がなきゃ締まらんぞ!? さあ言え! ガハハ)!」

「えっ、えっと……」

「バーサはさっきのプレゼンで足りないことがあると──」

「え、英語が分かってないわけじゃないから!」


 そうか、通訳は必要なかったか。


 カナは姿勢を正すと、胸に手を当てて深呼吸して──それから、俺に向かって言った。


「ユウくん。なんだかんだ言ったけど、結局一番は、私がユウくんを好きだってこと。だからこんなことをした。もしかしたら、このせいで他の人たちとの関係がぎくしゃくしちゃうかもしれないけど……それでも」


 カナはきっぱりと言う。


「ユウくんに、みんなに迷惑をかけてでも……それ以上で報いられることを提示したつもり」


 それは幼馴染が進路を決めたときの言葉。俺を後押しした言葉。


「だから、これ以上の感情で押し切ることはしたくないんだ。ユウくんも言われても困るだろうし、そういう言葉は心の中にしまっておく」


 カナは胸に当てた手を下ろす。


「私からは、以上だよ。……答えをくれると、嬉しいな」

「もちろん、そのつもりだ」


 どんな内容だろうと、答えると決めたから話を聞くことにした。


 俺はステージに上がってカナの隣に立つと、ホールを見渡す。


 ……多いな。ここから見ると本当に多い。こんなに多くの人が、俺たちのこんな話を聞くために集まるようになるなんて、KeMPBを始める前の俺には想像もつかないだろう。


「カナが言ったことは、正しい」


 話し始める。人前に出て話す機会は増えたけれど、今日の緊張は一味違う。


「俺は……この場のみんなの事を、KeMPBに関わる人たちのことを大切に思っている。俺にできることがあればしてあげたいし、それで俺が損したところで構わないと思う。……しかし、それでも優先順位というものはどうしたって存在して、ケモプロを、KeMPBをどうにかしてまで、という人は申し訳ないんだが少ない」


 その人を助けるためにKeMPBを、ケモプロを犠牲にできるか。そういう天秤が現れたとき、傾く人間は少なかった。そして。


「その人たちを俺は愛しているのだ、と言われたことがある。たぶん、そうなんだと思う」


 ワッキャ先生はラブだと言っていた。恋ではなく親愛だと。


「一方でカナの言ったとおり、俺は恋はしていないらしい。男女の恋愛ごとはよくわからないし、そうしたいと思ったこともない。そう感じるようになる時が来るのかな、と待っていたんだがその気配もない」


 調べたら思春期は10歳ぐらいには始まるらしい。思ったより早かったし、結局俺にはまだ来ていない。


「……別に今だって、みんなを気にかけることはできる。助けることだってできる。だから恋愛や結婚なんて必要ないんじゃないか、そう考えていたんだが……」


 カナの話にどう答えるのか。それをずっと考えて、答えが出なかったのだが──


「逆に、『みんなが誰かと結婚したら状況がどう変わるのか』、ということを考えてみて、気づいたことがある」


 まったく考えたことがなかったが、そういう可能性もある。そうしたらどうなるのか?


「KeMPBのメンバーは……ケモプロの仕事を続けてくれるだろう。ケモプロを何十年と続けるという目標を共にしている。それなら連絡は必然的に毎日することになるし、不安は少ない。だが――」


 そうではない二人。


「カナとニシンとは、俺とは別の仕事をしている。連絡を取る必然性はない。もし、二人が誰かと結婚したら、二人を守るのはその結婚相手の仕事だろうし、俺が口を挟むのは嫌がるだろう。二人が選んだ相手だから信じたい、と思うんだが……」


 いつかニシンとしたインドの話を思い出す。二人が音信不通になったら、探しに行くだろう。つまり。


「その仕事ぶりを確認できる機会がない、というのは……不安だ」


 それぐらい、二人のことが大切らしい。


「実際、今も気にかかっているんだ。これが将来、今のように外出を控え、同じクラスターの人としか接触できないという状況が続く……または似たようなことが再び起きた場合、ずっと心配することになる。そういうことに気づいた」


 なぜなら俺が連絡を取る必然性がないし、そんな相手からの連絡なんて周囲から迷惑がられるかもしれない。


「──だが、結婚すれば直接会う大義名分もあるし、一緒に住んでも文句を言われないだろう。これがKeMPBを始める前の俺で、カナが野球選手じゃなければ、別に結婚してなくたっていいんじゃないかと考えたところだが」


 KeMPBを始める直前の、将来の進路をニートだと決めていた、投げやりだったころの世間知らずな俺なら、何を構うものかと言っただろう。しかし。


「会社を始めて、報道の、広報の、世論の力を思い知った」


 例えば、『育成野球ダイリーグ』。事実を悪い方向に誘導して報道し、ケモプロを攻撃した。ケモプロより優れていると報道し、他の企業の広告出資を取り込んだ。出来の悪いデマのような記事も、一部の人は信じていた。いや、今でさえ考えを変えない人はいる。


 そして、オオムラカナ。史上二人目の女子プロ野球選手としてもてはやされているが、その人気の影にはアンチもいる。女のくせに男の世界に入ってきて、と。それに同調するような報道機関もある。日刊オールドウォッチのユキミは、ファクトチェックをして根拠のない記事を叩いてくれてはいるものの、そういった攻撃はなくなることはない。


 そして、情報の受け取り手である世間は、普通じゃないことを疑い、嫌う。


「世間で人気の女子プロ野球選手が、ただの幼馴染の男と会って感染症をうつされた……なんて報道されることがあったら、今の俺に誹謗中傷から守りきれる確信がない」


 今の俺の立場では、カナを守ることに世間が納得しない。


「これから先のカナを守りたいと思うのなら、世間的な立場も必要だと分かった」


 カナの話の通りなら、カナを任せられる相手が見つかる可能性も少ない。


「タイガ」


 じっとこちらをみている背の高いネコ系アバターに言う。


「タイガのことはエーコが守ってくれている。俺よりずっとタイガのことを大切に考えてくれていると思う」

「ン……」


 タイガは、こくりと頷く。俺はその隣に座るイヌ系アバターに目を移した。


「ニシンは……今の俺でも守れると思う」

「まーねー……うん。ただの球団職員だし」


 足をぶらぶらさせながら、ニシンが答える。


「他のみんなも、今の俺で守れると思う」


 見渡す。多種多様なアバターと、その先にいる多種多様な人たちを。


「だけど、カナを守るためには今のままの俺じゃダメみたいだ。だから」


 ステージの、隣に立つカナを振り返る。


 そして棒立ちになっている幼馴染に言った。


「俺に、カナを守る力をくれないか?」

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