エピローグ

代表の戦い

 12月15日。


「ただいま」


 日が落ちてから玄関の敷居をまたぐ。両手に下げたスーパーのレジ袋の中身を処理するため、キッチンへ移動する──と、ダイニングのテーブルの一角で頬杖をついて座っているシオミがいた。


「……ああ、おかえり、ユウ」

「ただいま……パーティでもやったのか?」


 テーブルの上にはピザやケーキの空箱やらペットボトルやらが並んでいた。あとはエナジードリンク系の空き缶とか。シオミは俺の視線を追って、その惨状を目にする。


「片づけてなくてすまんな。まあ、そんなようなものか……」

「疲れているようだが」

「気にするな」


 秘書モードじゃないシオミは、小さく肩をすくめる。と、仕事場の方からライムがひょっこり顔を出した。


「あ、おかえりお兄さん」

「ただいま」

「ムフ。それで?」


 ライムは雲のように笑う。


「カナお姉さんとは会ってきた?」

「会ってきたぞ」

「おー、それじゃ尋問だ尋問! はいはい、幸せ者はこっちに座って」


 ぐるりと背に回り込まれ、押されて仕事場へ連れ込まれる。


「仕事中だったんじゃないか?」


 ちらっと見た感じ、皆忙しそうに作業していたんだが。


「小休止ってやつだよ!」

「皆徹夜で作業したのだから、そろそろ寝たほうがいいと思うがな」

「徹夜したのか」


 シオミの言葉に納得する。あのテーブルの上の惨状は休憩時間がなかったせいだろう。しかし、徹夜か……。


「……ずーみーも?」

「うッス」


 タブレットペンをくるくる回しながら、ずーみーが少しもさもさ度の減った頭で振り返る。


「まー、眠れなかったんで。ははは」

「寝落ちせずに完徹したのか? 珍しい……というか初めてじゃないか?」

「自分もひとつ大人になったってことッスよ! はっはっは!」


 大きな声で笑う。ハイテンションだし、本当に徹夜したらしい。

 そして徹夜して作業をしていたということは──話し合いは終わったのだろう。


 昨日。カナの話が終わり、集まった人たちから祝いの言葉を貰って、全員ケモプロからログアウトして──俺は家からも追い出された。なんでも、従姉たちは俺抜きで話し合いがしたいという。俺がいると話がややこしくなるとか。


 そういうわけで昨日はネットカフェで一泊してきたんだが、今日はどうやら家で寝られそうだ。


「んで?」


 俺が仕事場の自分の席に座ると、ミタカがギィと椅子を鳴らしながら訊いた。


「いつ結婚すんだよ?」

「婚姻届けなら出してきた」

「はァ!?」

「オー、行動が早い!」


 目を丸くするミタカの横で、ニャニアンが拍手する。


「いやいや、早すぎんだろ。そーいうのっていろいろあるんじゃねェの?」

「遅らせる理由もないし、カナと直接会うのなら、もしそれを報道されても『夫婦だから問題ない』と答えられるようにしておくべきだろう」


 そう言うと、一瞬仕事場が静まり返った。


「……どうした?」

「……いや、なんていうか先輩らしいな、って。安心したッス」


 ずーみーが頭を掻く。


「まあ、自分にとっては最初に会った頃の、口と態度の悪い先輩の印象も強いんスけど。その行動力は変わらないッスね」

「あの頃は何もかもうまくいっていなくて、投げやりだったんだと思う」


 評価が変わるはずだと信じた努力は無に帰して、結局何もしないことが一番なのだと信じていた。


「それでも腐りきらなかったのは、漫画部に後輩が入ってきて責任を感じたのもあると思う。ずーみーのおかげだな」

「そ、そスか……同じことカナ先輩に言われたこともあるけど、よくわかんないッスね」


 ずーみーは「それは置いておいて」と何か物を横に置く仕草をする。


「それじゃ届けを出したってことで、カナ先輩は、今日からオオトリカナなんスねえ」

「いや、オオムラカナのままだぞ?」

「あれ?」

「ン? というコトハ?」

「俺がオオムラユウになった。カナが苗字を変える方が大変だろうし──」


 それに。


「──オオトリ姓であることにこだわりもないしな」

「そっか……うん、そうだね」


 従姉がゆっくりと頷く。


 そういうわけで、オオムラユウになることになった。カナの父親とも久しぶりに会ったが、『やっと息子になってくれたか』と歓迎されたので、問題はないと思う。


「仕事上は面倒だから今まで通りオオトリユウで通す。……この辺のことは会社の手続きもあるだろうから、シオミに連絡していたはずなんだが」

「それを言えるような雰囲気ではなかったのでな」


 オフモードのシオミがぶっきらぼうに言う。


「私としては秘蔵の酒を一本開けて浸りたいところだったのだぞ」

「おっ。ガミさんそーゆーの隠してんなら言ってくれよ、付き合うぜ?」

「よく言う。ツグに対して一番オロオロしていただろうに」

「バッ、イヤ、そりゃあよォ……」

「ツグ姉に何かあったのか?」

「ムフ。『同志が構ってくれなくなるんじゃ?』って落ち込んでたよ!」


 従姉に目を向けると、従姉は指先を突き合わせて上目遣いでこちらを見ていた。……確かに、落ち込んでるな。


「カナと結婚しただけで、他は特に何も変わらないぞ。……ああ、いや、一つあったな。カナも一軍に定着したし、そろそろ寮を出ないといけないらしくて」


 後続に部屋を明け渡さないといけないらしい。


「それで俺と同居したい、という希望はあったんだが……ここに住むなら何も変わらないだろう? いや、ダメだというなら、近くに家を借りるとか他の手段を考えるが──」

「だ、ダメじゃないダメじゃない」

「そうか」


 しかしミタカも住み込んでいるから空き部屋がないのは事実なんだよな。俺の部屋に住んでもらうつもりだが……ダレルに新しい住居兼仕事場の設計を依頼することを真面目に検討したほうがよさそうだな。


「あの、その……同志は、ケモプロ……やめない?」


 そんなことを考えていると、従姉がぽつりと訊いてきた。……やめる?


「やめるなんてありえない。俺たちはこれからもケモプロで食っていくし、何十年と続けていく。そのためにはみんなの力が必要だ。もちろん、ツグ姉も。そもそも──俺とツグ姉が始めたことじゃないか」


 二人で。ネット越しに話し合って。


「降りるなんて言わせないぞ、と、ずいぶん前に言った気がするが……もちろん俺だって降りる気はない。ツグ姉は?」

「う、うん! 言わないよ! わたし、こうしてみんなで開発して、運営していて楽しい……だから、続けるよ」

「そうだろう。そして、続けられるようにツグ姉の健康管理に口を出すのも俺の仕事だから、今後も変わらず続けていく。何も変わらないだろう?」

「あ、うん……うん」


 なんでそこで声が小さくなるんだ。


「ソーソー、見てクダサイ、ダイヒョーのこの変わらぬふとぶとしさヲ!」

「ふてぶてしさな?」

「公式カプは決まったケド、二次創作を公式が許可してるよーなモノデス。お墨付きがでたノデ、むしろやりたい放題デスヨ!」

「二次創作じゃねェだろ……」

「ま、気にする方が損だよねって話で落ち着いちゃったよね」


 ニャニアンがテンション高く言い、ミタカが白い目でツッコむ。そしてライムが肩をすくめた。


「だって、こんなお兄さんだし?」

「こんな先輩ですしねえ……」


 不本意な認められ方をしている気がする。何のことか問い詰めようとして、ライムと目が合った。


「でも、ライムたちのことも、ちゃんと守ってくれるんだもんね?」

「もちろんだ」


 身を挺してでも助けたい、最後まで天秤の揺るがない存在であることに変わりはない。


「うんうん。ま、そーゆーことで、普通じゃないお兄さんとの普通じゃない人生は続くってね」


 普通じゃない、か。ケモプロがいわゆる『普通』の仕事とは思えないし、それは正しいだろう。


「さ、というわけで仕事の話だよ!」


 ライムがパンッと手を叩き、覗き込んでくる。


「お兄さん、ちゃんと練習してる? イベントはもう明日だよ!」

「最近あまり時間が取れなかったんだが……」


 取材対応に打ち合わせ、料理に炊事洗濯、雑用係だいひょうしゃいんの仕事は多い。


「昨日はせっかく時間が空いたからな。ちゃんとネットカフェで練習してきたぞ──プニキ」


 プニキ。正式名称『くまのプーさんのホームランダービー!』、ほのぼのした絵面の地獄のような難易度のゲーム。ケモプロのための最後の気づきを与えてくれたゲーム。それが、明日12月16日の16時でサービスを終了する。

 すでにそれに合わせた有志のイベント、ゲーム実況者の配信などが数々予定されているが、KeMPBも公式チャンネルでイベントを行うことになっていた。


 KeMPB代表、オオトリユウ、ロビンを打倒できるのか。


 クリアすればケモプロユーザーに記念アイテムを配布することになっている。負けたら一切何もなしのガチの勝負だ。俺の双肩に──プニキのバットに、記念品がかかっている。


「お、さすがッスね。どうスか、調子は」

「ああ、俺もずいぶん上達したものだと思う」


 これまでにない調子のよさだった。


「退室時間までに、きっちりティガーまでたどり着いたぞ」

「……ロビンは?」

「……ティガーを倒す時間がなくてな」


 エキストラボスのロビンに挑戦するためには、ラスボスのティガーをクリアする必要がある。急な外出だったのでノートPCもセーブデータも用意がなくて、最初からスタートする必要があった。


「しかし、ティガーまでの到達時間は最速だ」


 オウルのクリアまで2ケ月かかっていたのが数時間だ。タイム短縮率は何百倍にもなる。そもそも、ロビンが投げる球はこれまでのステージで投げられた球の組み合わせでしかないのだ。


「この調子なら明日のイベントもなんとかなるだろう。任せてくれ」



 ◇ ◇ ◇



 なんとかならなかった。


『さあオオトリ代表! 惜しいところまで行きましたがホームラン35本、ノルマ達成まで5本足りずに失敗です!』

『開始前のあの自信はどこから来たんやろなぁ』


 画面の端で、ウサギ系ケモノと黄色い人間のアバターが実況する。


 KeMPB公式チャンネルで、『KeMPB代表、オオトリユウ、ロビンを打倒できるのか』というタイトルで配信される番組は──いちおうの盛り上がりを見せていた。


 俺が、時間ギリギリになってもクリアできていないから。


『まあ35本も打てたのはいい感じちゃう? 仕上がってきたんやろね。問題は、そろそろ時間的に終わりってことやけど』


 リモートで配信に参加する黄色い人間──やきうの兄ちゃんことロクカワが言う。


『そうね。コメントの有識者からも、ここからはリトライしても時間的に間に合わないって指摘があったわ』


 同じくリモートで参加している、ふれいむ☆ことナゲノが独特のおばさん声で言う。


『ほんじゃ、次の回が最後の挑戦ってやつやな』

「最後か……」


 追い詰められた。50球中40本以上のホームランを打つ挑戦は、もうこの一回しかできない。16時を過ぎれば、ブラウザをリロードした瞬間にプニキとは会えなくなる。


 この地獄が終わる。


 ……終わる。終わるのか。勝っても負けても。


 いかん、気が軽くなりそうだ。違う、そうじゃない。ロビンを勝ち逃げさせていいわけがあるものか。


「──次で決める」

『意気込みだけは立派ね』

『ワイ、トリニキのこういう所嫌いじゃないで。コメントも盛り上がってるし、男見せたれ!』

「よし」


 ロビンとの戦いが、気の抜けるほど気楽な効果音で始まる。淡々と投げる少年のボールを、赤シャツの黄色い熊が打ち返す。


『代表、ここまで10球中10本!』

『ええ感じやん。まあここからやけど』


 集中してマウスを動かす。虚を突かれた速球も、なんとか反射神経が打ち返す。


『20球まできて18本!』


 落ち着いて対応できている。


『いい感じです、30球まできて28本!』

『コメントの流れ早いな!?』


 打てている。これまでと感覚が違う。


『これは代表、これまでにない絶好調! ここまで──』


 ただ無心に打つ──


『──40球中37本! あと10球で3本打てば勝利です!』

『7球まではミスれるで!』


 そう3割打てば勝てる。これまでにない展開。かつてない好機。最初で最後の機会。


 指が──手が震える。


『トリニキどうした!?』

「ッ──」


 空振り。空振り。ファール。落ち着け、あと7球中3本。


『代表、手が!? そこまでなの!?』

『すごい震えるやん』


 空振り。ファール。あっという間に余裕がなくなる。5球中3本。


『打った! あと2本!』

『いけるで!』


 4球中2本。長いホームラン演出の間に呼吸をする。


『ああああああ!』


 空振り。空振り。


「ッ」

『よし!』

『いけるで!』


 ホームラン。残り1球。ノルマ残り1本。去年のイベントと同じ。最後の一球が何の感慨もなく、いつものペースで放り込まれる。あれから数日間夢にまで見たジグザグ軌道のオウルボール──!


『打っ──』


 カンッ、と軽い音。そして──


『……レフト方向に、切れました! ファール! KeMPB代表オオトリユウ、企画達成ならず!』

『あちゃー、惜しかったんやが……』

『時刻も16時を経過し、クリアならずです。……オオトリ代表?』


 ………。


『また死んどるか?』

「死んでない」


 机に伏せていた顔を上げる。画面に表示される「ノルマ失敗、残念!」の文字。


 ああ、残念だ。結局、ロビンには勝てなかった。野球ゲームがヘタクソな俺が、なんとか辿りついた最終局面。何度も挑んで、そして勝てなかった。


 勝ち逃げされて悔しい。しかし。


「……終わったな」


 終わったのだ。プニキはこれで終わり。そう思うと、心がスッと軽くなっていく。もうこの地獄に向き合うこともない。


『ということで視聴者の皆様、応援ありがとうございました。そしてケモプロユーザーの皆様、申し訳ありません! 代表が企画を達成できなかったため、記念のアイテムの配布はなし、ということになりました』

『ガチの企画やからな。勘弁な』


 数日は、それで文句を言われるだろう。これから先ずっと『ロビンに勝てなかった男』と呼ばれるかもしれない。しかし──


『しかし、ここでお知らせです!』


 ──しかし?


『KeMPB広報担当のライムさんから発表があるとのことです。ライムさん、お願いします』

『みなさん、こんにちは! 広報担当のライムでっす!』


 羊アバターが画面に映る。


『さあて、残念ながら我らが代表はロビンに勝つことができませんでした。これでプニキもサービス終了、リベンジの機会も失われてしまったというわけですが──』


 予定にない。聞いていない。何だ? 何がある?


『──それで終わりじゃあ、面白くないですよね!』


 羊アバターが、雲のように笑う。



『というわけで、KeMPBから新作ゲームの発表です! その名も──「ビーストリーガークマタカのホームランダービー!」』



 ポップで子供向けなデザインのゲーム画面が映し出される。


『簡単操作! ビーストリーグの山ノ府やまのふクマタカを主人公にしたゲーム! やることはシンプル、規定投球回数内に目標本数のホームランを打つだけ! 何人もの投手たちと戦い、めざせ、ナックル使いロビン・ニアウッドとの対戦、勝利!』


 ここまでずっと見てきたようなレイアウトの画面で、子供向けに描かれた2Dキャラクターたちがボールを投げ、クマ貴が見慣れた挙動でバットを振る。


『ホームランのなりそこないも、AIがきちんと守備! 単打、二塁打、三塁打だけでなく、守備の結果はダブルプレーやトリプルプレーも? クリアには関係ないけど、アウト数や得点数を競うなんて遊びもできちゃう!?』


 守備要員がいた。フェンス際のホームランを、コヨーテ男子が強奪キャッチしている。


『やり込みユーザー向けのハードモードも搭載!』


 3Dムービーが流れる。逆光の中、巨体がバッターボックスへ向かう。むすっとした顔で、バットの先端をバックスクリーンに向けるのは──青い虎。山茂やましげみダイトラ。


『KeMPBが総力を挙げて一晩で作ったこのゲームは、現時点から公開! プレイは無料! 課金要素も広告もなし、安心して遊べます!』


 ガキン! ダイトラがバットを振り──併殺打を放つ。


『というわけで、本ゲームのサービス開始を記念しまして! これより本日のイベント第二弾』


 羊アバターは、笑顔のまま言う。


『KeMPB代表、オオトリユウ、次の仕事までに新作ゲームどこまで攻略できるか!? を開始します!』


 ………。


『ムフ。代表、次の仕事までの時間は?』

「……10時間だな」


 夜中からBeSLBの会議に参加の予定だった。


『10時間もあればクリアは余裕?』

「……もちろんだ」


 おそらくこういう結末を予期して、従姉たちが徹夜で作ったゲーム。俺に「終わりじゃない」と発破をかける目的だろう。せっかく用意してくれた延長戦。


「全力で遊ばせてもらおう」


 今日は調子がいい。似たようなシステムなら、案外あっさりクリアしてしまうかもしれない。


「さあ、やるぞ」


 俺は震える手でマウスを握るのだった。

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