カンファレンスホール
12月14日。
「(来てやったぞ、ユウ)!」
筋骨隆々なクマ系女子アバターが豪快に言う。
「(……バーサを呼んだとは知らなかったが)」
「(ガハハ! 固いことを言うな)!」
バーサ・クルーガー。BeSLBの代表を務める彼女は、ぶんぶんと腕を振って肩を叩いてきた。……バーチャル空間じゃなかったら命が危なかったな。
「(KeMPBの今後に関わる話をすると聞いたぞ! ならばワガハイにも聞く権利があるだろう)!」
「(そんな話だったかな)?」
「(ライムさんからはそう聞きましたよ)」
バーサの背後に控えていたスラッとした黒ヒョウ女子アバター……マギーことマーガレットが言う。
「(とても面白いものが見れるとも)」
「(ライムか)」
面白いような話じゃないと思うんだが、関係者なら参加自由と言っていたしいいのかな。
「(いい席を取ろう。行くぞ、マギー)」
「(はい。それではまた)」
ステージを見下ろすように階段状になった席へ、二人は移動していく。
ここはケモプロ内のカンファレンスホール。コロナ禍でオンライン会議の需要が増えたため、ケモプロでもそれ向けのVR空間を用意していたもののひとつだ。
以前から音響について好評だったケモプロはアカウント作成が無料ということもあって、会議向けの機能だけを目的にしたユーザーも増えている。
そのユーザー増は、一概には歓迎できない。なぜならメインコンテンツである野球を見ずに、アバター同士で話し合うだけで、ケモプロへの利益還元がないからだ。オンライン会議をきっかけにケモプロに興味を持ってもらえたらいいな……という、導線としての役割以上にユーザーが殺到する状態では、サーバー費用がかさむだけだ。
……というわけで、こういう他のユーザーが入ってこれないクローズドな会議向けのスペースについては場所代を取ることになった。おかげで会議目的のユーザーが増えてもなんとかなっている。どころか、会議に使えるホワイトボードやプロジェクターなどのアイテム、そしてアバターの衣装に対する課金が増えて利益が出ている状態だ。やはりこう……デフォルトの「セクはら」の服には抵抗があるらしい。
ちなみにユーザーのマイルームもクローズドなスペースで、フレンドを呼んで集まることはできる。これを利用して無料で会議利用しているユーザーも多い。……部屋が狭いのでしっかり当たり判定をとるケモプロでは物理的な入場制限もあるし、音も狭いなりの響き方をするのだが、それでも我慢して使っているようだ。従姉たちが工夫して負荷を減らしてくれているし、そこまで取り締まる必要もないだろうということで見逃しているが。
「やあ、オオトリ君。お邪魔するよ」
「何か面白いことがあるんだって?」
次にこちらにやってきたのは、アッシュブロンドの髪の犬系女子アバターと、カラス系男子アバター。そして──
「チムラ、ルイ。それに──カヨ」
「こんにちは、ユウ」
ネズミ──ブランブルケイメロミスの少女、カヨが二人に手を引かれてやってくる。カヨはキョロキョロと辺りを見回した。
「人間のアバターがいっぱい」
「そうだな」
バーサやマギーだけでなく、家にいるKeMPBのメンバーも集まっている。……ミタカたちが出迎えているのは、HERBの最高技術顧問のミシェルかな? 隣のゴリラアバターはダイドージか。
「こんなに人がいっぱいの所に連れてきて問題ないか? カヨが疲れたりは?」
「全然、問題ないさ」
チムラが胸を張って言う。
「むしろ経験値になっていいぐらいさ。それに知ってるかい? カヨは人気者でけっこうな場数も踏んでるんだよ」
「図書館の件か?」
「そうそう」
カヨはVR図書館の司書──候補だ。まだ働いてはいない。けれど図書館には通っている。そこで本の読み聞かせを、ケモノAIたち相手にやっているのだ。本を開いてケモノ語で話すカヨを取り囲むケモノたちを、人間側も注目して話題になっているらしい。
「あれについては一つ聞こうと思っていたんだが……カヨ。なんで読み聞かせする本は、動物図鑑なんだ?」
「みんな、知りたいから」
カヨはくりっ、と首を傾けて当然のように言う。
「それに、おもしろい」
「そうか……」
ケモノAIは自分のモチーフになった動物に興味があるんだろうか? ……俺は別に猿の本なんて興味ないが……いや、人間は猿から進化しただけでモチーフというわけじゃないな。
「あの読み聞かせを聞いて、ケモノ語を習得できるものだろうか? ケモノはともかく……人間が?」
生のケモノ語に触れられると、読み聞かせ会は言語習得を目指す人たちが研究の対象にしているらしい。それを尋ねると、ルイは満足そうに頷いた。
「できると思うよ。なんたってカヨのケモノ語は生きてるから。うん、面白くなってきたよ」
「通訳くんなしでケモノAIの言葉が理解できるようになると……『想像の余地』を、ケモノたちから『神性』を奪うことになりはしないだろうか?」
「ならないんじゃない? ネイティブじゃないから結局通訳はしてる……解釈はしてるわけだからさ」
確かに俺も英語は頭の中で、結構勝手に解釈してるな。話すときは通訳くん越し、というルールさえ守ればしばらくは問題ないか。
「おっ? オオトリ君、今日の主役のご登場じゃないか?」
チムラに言われて、カンファレンスホールの入り口を見る。誰かがログインしてきていた。イヌ系女子アバターと……背の高いネコ系女子アバター。
「ニシン。それに──タイガ」
声をかけると、二人がこちらを向く。
「お、ユウじゃん。やっほ」
「少し元気がないな」
「いや、そりゃね? そりゃそうでしょ?」
ニシンはため息交じりに言う。
「緊張してエラー出して負けるとか、いくらブランクがあるとはいえさあ……」
「勝敗の結果までは聞いていたが、エラーしたのか。意外だな」
「プロはやっぱノックもレベルが違ったよね。それでもケアすればエラーはしないし勝てる……と思ったのにさあ。ド緊張だよ。ポロッといっちゃったよねポロっと。いやもう──」
けれど、自慢げに。
「カナは立派なプロ野球選手だよね」
と言った。
──カナとニシンの間の勝負。守備によるそれは、カナが勝ちを収めたらしい。
「カナがニシンに守備で勝った、というのは何度聞いても驚きだな」
「いやちゃんと練習して次があったら負けないけど? でも、うん……カナは頑張ったよ。それにやっぱりプロの指導ってすごいよね。カナ、コツを掴んだらグッと伸びたもん。頭もいいから連携とか間違えないしさ」
「プロの指導か」
「うん。投球、練習シミュレーター? あれも使って動きの解析とかしたりして、すごく納得して練習できたみたい」
投球練習シミュレーター。もともと投手の動きを読み取って、コンピューター上で修正した結果を確かめたりするものだが……別に守備の動きが読み取れないわけじゃない。現場ではいろんな活用がされているようだ。
「そうか……指導か」
「うん……指導だね」
棚田高校の男女両野球部を指導しているライパチ先生は……悪い人ではないんだ。予算がないから外部のコーチとかを呼べなかっただけで。うん。
「ユウ」
俺とニシンが同じ無精ひげの顔を思い浮かべていると、後ろからカヨが声をかけてきた。
「その人、誰?」
「わっ、なになに、ネズミの女の子? かわいい! ユウ、紹介してよ!」
「ああ、わかった」
そういえばカヨを紹介する機会は初めてだな。
「ニシン。この子はカヨ。将来VR図書館で司書をする予定になっている。カヨ、こっちはニシン。人間の世界で、野球チームの用具係をしている。それから──こっちがタイガ」
背の高いネコ系女子を紹介する。
「人間の世界で、二人しかいない女子プロ野球選手をやっている」
「どッ……も」
タイガが腰を曲げてカヨを見て挨拶する。
「用具係……プロ野球選手。すごい」
カヨは、目を輝かせて言った。言って──首を傾げる。
「二人、だけ? 女子選手」
「ああ、そうだな」
「変なの」
特に男女の差がないケモプロ世界のカヨからしたらそういう感想になるか。なんなら伊豆とか女子選手の方が多いしな。
「二人が、今日の主役? 野球の学校するの?」
「ちが……」
タイガは首を振って、片手を顔の前に上げる。
「………」
そしてしばらくそのままの姿勢でいた後、俺の方を向く。
「ユウ……ゆびッ……がらない……」
「タイガの使ってるコントローラーだと、リアルで指を曲げても反映されないな。いくつか固定のハンドサインなら出せるが……どうしたいんだ?」
「ん……指を……」
タイガは手を見つめながら言う。
「さんッ……ぼ……てたかッ……た」
「三本立てるサインはないな。一本とか二本ならあるんだが」
「しかッ……ない」
タイガはゆっくり首を振って、再びカヨと視線を合わせる。
「わたッ……は、三番手……」
「三番手?」
「そ……順番」
タイガは告げる。
「カナちゃ……が、一番」
2020年の日本シリーズ。タイガのチームは──優勝を逃した。タイガが先発した試合は勝ったものの、後が続かずに負けが続いて敗退。勝負は『日本シリーズで優勝した方』が勝ち、だからタイガは負けて三番手になった。
一方のカナは、パ・リーグのクライマックスシリーズで見せたような劇的な勝利には関与せず、ほどほどの成績だったのだが……条件的には勝ちは勝ちだ。
「タイガは納得できているのか?」
「ん」
タイガは迷いなく頷く。
「勝負……楽しかッ……た。カナちゃ……本気いじょ……で戦ッ……えて」
どうやら勝負の申し出があった時、何よりもまずカナとの対決が楽しみになったらしい。
「でも」
タイガは手を上げる。……たぶん、三本指が向こうでは立っているな。
「三番手……ッから、来た」
「……そうか」
何と答えたらいいか分からなくて、俺はとりあえず頷いた。
「カナチャが一番なの?」
「オオムラカナ、という女子プロ野球選手で──俺の幼馴染だ」
首をひねるカヨに説明する。
「今日はカナが俺に話があるんだ。他のメンバーにも聞いてほしい、ということでこうして集まったんだが……」
こんなに集まるとは思ってなかったな。ホールの反対側にいるの、ふれいむ☆ことナゲノとロクカワとアツシとナミだし、ライムの叔父のサトシと、この間社員になったばかりのツバモトもいる。なんだか期せずしてKeMPB全体会議みたいになってきたな。
「カナはまだなのか?」
「ライムちゃんと最終確認中だよ」
この場を設けるにあたっていろいろやりたい操作があるということだったので、それを教えられる手が空いている人間としてライムを紹介していた。
「もうちょっとで終わると思うけど……あ、来た来た」
ステージに顔を向ける。すると登壇者専用の入り口から、シロクマ系アバターのカナと、羊系アバターのライムが入場してきた。
カナはステージ中央に立つと、深呼吸をして顔を上げて──
「──えッ? こ、こんなにいるの!?」
「ムフ」
驚きの声を上げるカナの横で、ライムがアバターの顔を雲のように笑わせるのだった。
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