タイガースマイル

アフガニスタンに野球文化根付くか? / アフガニスタン駐在員の日誌 2020年11月20日の記事


 昼食を食べようと階下に降りると何やらテレビの音がする。職員たちが囲む画面をチラッと見たところクリケットの試合のようで録画放送かと思ったのだがよく見ると違う。野球の試合であった。そういえばそろそろ日本シリーズの時期であるから国際放送されているのかと思ったのだが野球をしていたのはアニマルなキャラクターであった。しかも実況はダリー語である。どういうことか職員に尋ねると、ケモノプロ野球という日本の野球ゲームの試合だという。戦っているのは地元カーブルをホームにするカーブル・バイツだそうで、アフガニスタンにデジタルとはいえプロ野球チームができていることに驚いた。これからがシーズンということで冬の間は久々に野球観戦を楽しめそうである。願わくばこの放送を見たアフガニスタンの若者たちが野球に興味を持ってくれたら、あるいは草野球などできるかもしれない。



 ◇ ◇ ◇


女子野球選手の公式戦初対決、第2戦で実現 / 名勝スポーツ 2020年11月21日の記事


(前略)


 ──……第2戦(18時10分開始)のスタメンが発表された。注目の先発投手は史上初の女子プロ野球選手タイガ……──


(中略)


 ──……注目の大村奏奈は「5番・DH」で先発出場。ファンが待ち望んだ女子選手同士の公式戦初対決がついに実現する。



 ◇ ◇ ◇



『三振ーッ!』


 テレビから実況者の声と、どよめくような歓声が響く。


 映っているのは、バットを振りきった幼馴染と──長い髪を何段にも縛った、通称『タイガーテール』を揺らす長身の女子選手。


『タイガ投手、オオムラ選手を三球三振に切って取りました! 史上初の女子選手同士の公式戦での対決は、まずはタイガ投手が制しました!』


 コールがされてもしばらく体勢を崩さなかった二人は、やがてカナの方が先に力を抜いて姿勢を戻し、ベンチへと戻っていく。それをタイガは、投げ切った体勢のままジッと見つめていた。


『いやあ今日のタイガ投手はすさまじいピッチングですね。ここまで無安打に抑えています』

『そうですね。シーズンを通して好調でしたが、今日は一段とキレのある球を投げています』

「いや、マジでタイガ選手すごいッスね」


 万年こたつで、俺の膝の間にいるずーみーがこちらを見上げて言う。


「画面を通してもこう、鬼気迫る感じが伝わってくるッス」

「そりゃそーだろ」


 ミタカが俺の部屋の外──ふすまを全開にしてそこに椅子を持ってきて、身を乗り出して観戦しながら言う。……大きなテレビは俺の部屋にしかないからなあ。


「2017年に日シリでチャンスを逃して以来の、入団後初日本一がかかってんだぜ? 気合も入るってモンだろ」

「ソレを言ったらカナサンも同じデハ?」


 こたつ机に顎を載せたニャニアンがツッコむ。


 11月22日。日本シリーズ第二戦──四勝先取の二試合目。カナとタイガの初の公式戦が組まれたのはそんな日程だった。

 先発を任されたタイガは、ここまで無安打。ヒット性の当たりを一本も与えず、カナも三振に切って取って二回裏まで六人で終わらせた。画面越しに伝わる迫力を、この一戦を応援しようと集まった全員が感じているようだ。


「んー、カナお姉さんのチームの方が、前回の日本一が最近の話だね!」


 ニャニアンの隣に入り込んだライムがスマホを操作しながら言う。


「そうなのか?」

「うん。最近と言っても10年ぐらい前だけどね!」

「えっ10年」


 ミタカの隣で観戦していたシオミが声を上げる。


「どうした?」

「……いえ、なんでもありません」


 目をそらされた。


「んー、確かに日本一がかかってる場面ではあるんスけど、でもそれって全員じゃないッスか。でもなんか、タイガ選手からはそれ以上の迫力を感じるっていうか……特にカナ先輩との対戦の時に……」


 ずーみーが再び俺を見上げる。


「先輩、何か知らないッスか?」

「知ってる」

「そうッスよねえ……え、知ってるんスか?」

「ああ。カナとニシンとタイガは、個人的な勝負をしているんだ」


 誰が俺と先に、結婚について話すかについて。


「おお、そうなんスか!? くぅ~、ドラマッスねえ! ……って、え、それって勝敗はどうやって決まるんスか? ニシン先輩は試合に出ないッスよね?」

「チームが優勝した方が勝ちだ」

「あ、そこはチーム優先なんスね……」


 ずーみーがテンションを一つ落とすと、ミタカが鼻を鳴らした。


「そりゃそーだろ。人間だから多少は仕方ねェだろーが、プロが私情を挟みすぎてもいけねェし。いいんじゃね、そういうので。さすがタイガ選手だよな」

「それは確かにそうだし、ニシン先輩も絡むならそうなるしかないのは分かるんスけど」

「ムフ。第三者としてはホームラン打ったら勝ち! とかの方が分かりやすくて盛り上がるよね」

「そうそう、そうなんスよね~!」


 うんうん、とずーみーが頷く。


「いやー、もう一打席ぐらい勝負あるッスかね?」

「さすがに完投はねェだろうが、この調子なら六回までは余裕じゃねェか? なら……──」


 わいわいと、タイガがどこまで投げるのかで話が盛り上がる。五回まで、六回まで、七回まで、いやいや完投だとか。そんな中──


「それで、同志」


 大きな体をこたつに収めた従姉が、ぼんやりと訊いてきた。


「勝負、同志はどっちを応援するの?」

「俺か」


 俺は……──


 ……どちらを応援するのだろう?


「………」


 両方を応援するのだ、というのは簡単だ。これまでだったらそう答えたと思う。


 けれど──三人の勝負には俺が関わっている。応援するということは、すなわちその相手に勝ってほしいということで、それは結果的に──誰と先に結婚の話をしたいのか、ということだ。


 誰と結婚したいか、と言われると、分からない。三人には申し訳ないが、積極的に結婚したいとはやはり思えなかった。他人とは一線を画す、大事な人たちだとは思うが……世に言う恋愛的な感情ではないと思う。独り占めしたいとも思わない。


 もちろん、話をする順序を決めるだけで、結婚するとは決まってはいない。いないが……勝負をするのだし、俺も了承したのだから、真剣に考えるべきだろう。


 ……それは分かっていて、あれからずっと考えているのだが、今日この場になっても答えは出なかった。


 そもそも、もし三人が他の人と結婚したとしても、幸せならそれでいいと思う。それで今の関係が変わるとは思えないし……向こうが変えたいというのなら仕方ない。ただ、幸せであるかどうかだけは気にかけると思う。それだけだ。


 ……いや?


 ……それだけなのか?


「先輩、カナ先輩の出番ッスよ!」


 考え込んでいる間に、試合は進んでいた。ハッとなって、テレビに集中する。


『五回裏、3対0。3点のリードを守るマウンドには、本日絶好調のタイガ投手。ここまでランナーを出していません。1アウトとなって迎える次の打者は、五番、指名打者、オオムラカナ選手!』


 バットを持って歩くカナをテレビが追う。


「うーん、自分はカナ先輩を応援したいッスね! 今度は打てるッスよ!」

「いやいや、ここまで完全試合だぜ? 今日の調子じゃタイガ選手が抑えンだろ」

「あ~、言っちゃった! アスカお姉さん、それフラグだよ?」

「うっせェ。日シリで完投なんて昔の話だし、完全試合目前でも交代がある時代だぜ? どっかで交代はあンだから、完全試合っつってもフラグにゃなんねェよ」

「カナサンとの勝負は、これが最後の機会デショウネ」


 テレビの中で、二人は真剣な表情で──いや。


『タイガ投手、マウンド上で獲物を睨みつけるタイガースマイル!』

『気合いが入ってますねえ』


 張りつめた表情のカナとは違って、タイガの方はいい笑顔を浮かべていた。


『──……ファール! 追い込みました、2ボール2ストライク!』


 打球がファールラインの真横を強く転がる。打ったカナは、ふうっ、と息を吐いて顎の下をぬぐった。


『マルオカさん、この回はタイガ投手、球数を使って丁寧に攻めてますね』

『そうですね。これは次の回で交代ということでしょう』


 タイガがサインに頷いて、構える。カナが呼応してバットを構えた。


『さあ三刀流のタイガ投手──アンダースローから!』


 深く沈んだタイガが、球を地を這うように滑らせて──



 パキッ!



『打った大きいぞ!?』

「おおっ! 行ったッスか!?」

「マジか!?」


 カメラが打球を追う。レフト方向。飛翔する打球の行方を観客が立ち上がって見送り──


『ポール際切れました、ファール!』

「あーッ、惜しい!」

「っぶねェ……エビは勘弁してくれよ」


 歓声、ため息、拍手、鳴り物。さまざまな音がテレビから伝わってくる。


『オオムラ選手、レフト方向に大きな打球でしたが、惜しくもファールです。マルオカさん、タイガ投手のアンダースローはオオムラ選手に対してこの試合初めてですね?』

『そうですね。三刀流のひとつをあえてここまで使ってこなかった、それだけでオオムラ選手への警戒度が分かりますね。バッテリーはここで決めるつもりだったのでしょう』

『なるほど。決め球を凌いだオオムラ選手。さあ次の投球はどうなるか』


 タイガは──より笑みを深くする。


 カナと相対し、ゆっくりと膝を上げ、体をひねり──ひねり──ひねる。


『トルネード投法!』


 背中を見せたタイガが、タイガーテールを振って──振り下ろす。線を描く直球──



 カンッ!



『打った!』


 ストレートをカナが弾き返す。大きく高く上がる打球。タイガが頭上を仰ぐ。これは──


『センターバック!』


 打球は。



『……キャッチ、アウト!』



「ッシ!」

「んあー! 惜しい! 惜しかったッスね、先輩」

「……ああ、そうだな」


 アウトだった。大きく飛んだと思った打球は、想像したよりもずっと前で、センターの選手のグラブの中に納まった。


『タイガ投手、野球界の先輩としての力を見せつけました! 最後の直球は──自己最速の139! 139キロです! ここで自己最速を更新してきました!』


 テレビがスコアボードに表示された球速を映す。139km/h。タイガの自己最速球速を更新した数字。観客席から沸き起こる拍手。


『いや、すばらしいストレートでしたね。この回で記録更新というのもスタミナの成長を感じます』

『オオムラ選手は惜しかったですね。緩い球からのあのストレートですから、体感はもっと速かったんじゃないでしょうか』


 テレビは一塁を駆け抜けて、そのままベンチへ向かうカナの顔を映す。口元を引き締めたその顔を、視聴者はどう受け止めるのだろう。


『──……三振! タイガ投手、五回までパーフェクトで切り抜けました!』


 続くバッターもタイガは三振で仕留め、鼻息も荒くベンチへ帰っていく。


「カナ先輩は残念だったッスね~」

「年季が違ェんだよ」


 打席を振り返って、ずーみーとミタカの間で会話が弾む。


 けれど俺には、その会話も、続く試合の展開も、あまり耳に入ってこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る