AIの生まれる日
11月6日。
「イギリスと欧州はまたロックダウンが始まったよね」
仕事場で、ライムが端末を操作しながら言う。
「そら新規感染者数のグラフ見りゃそうなるだろ。遅いぐれェだ」
応じるミタカも、同じ方向こそ向きながらも端末を操作しながらだった。
「ムフ。でもでも、日本は入国規制の緩和を検討するって言ってるよ?」
「グラフ見てもワケがわかんねェよな……」
「第三波の兆しと言われているな」
新型コロナウイルスの新規感染者数は減ることなく、むしろ増え続けている。このグラフだけ見ると、なぜ規制緩和となるのか理解できないな。
「まー理由はいろいろ考えられるけど、難しいよね」
叔父のサトシとよく情報交換しているライムには何かしら理由が察せられるようだが、肩をすくめるに留まった。あまり面白い話でもないのだろう。
「去年みたいにアメリカにも行きたいッスけどね」
ずーみーがタブレットにペンを走らせながら言う。
「チェルシーちゃんと約束したのに、ブロッサムランドに行けそうにないし」
「当面は無理だろ。ま、ワクチンが出回ってからどーなっかだな」
「デスネ。今臨床試験まで行ってるのがいい感じだそーデスヨ?」
ニャニアンがスマホから顔を上げて話に加わる。
「あァ、mRNAのヤツな。輸送がチト面倒そうだが」
「そうなんスか?」
「マイナス75度で保管しねェといけねェかんな。ちなみにインフルエンザのやつは10度以下だったか。凍結させたらアウトっつーのはあるが、mRNAワクチンと比べりゃ楽なもんだな」
「運ぶだけじゃなくて診療所での保管もしないとデスカラネ」
「なるほど、それは大変そうだ」
「ムフ。そういえばインフルエンザだけど」
ギッ、とライムが椅子を鳴らす。
「今年は全然患者が出ないっぽいよ? 南半球の国だと7月頃が流行のピークだけど、今年は感染者数ほぼ0だったんだって。日本もそうなるんじゃないかな?」
「へぇ~! それはすごいッスねえ。毎年、学級閉鎖やらなんやら大変なイメージなんスけど」
「人間が感染症対策を本気でやりゃ、インフルエンザなんか雑魚だって証明されちまったよーなもんだな。このコロナ禍が終わっても、店舗へのアルコール消毒薬の設置や外出時のマスク徹底は日常として残るかもしんねェな」
「マ、それでも感染者が増えてるコロナウイルスが、より一層ヤバいことの証明でもアリマスネ」
「違いねェ」
ミタカが深く頷く。
そうして、しばらく会話が途切れた。それぞれが端末を操作する音だけが仕事場に響く。
「……あ、そーだ」
沈黙を破ったのはずーみーの呟きだった。
「ワールドリーグの方のオープン戦ってどんな感じッスか? さすがに追い切れてないんスけど」
「ん、それなりに視聴者はついてるよ? やっぱり、コロナで自宅での娯楽が求められているのはどこも一緒みたいだね!」
「元々ケモプロを見ていたユーザーのいる地域は、だいぶ見てくれているな」
今月、ケモノリーグ、ビーストリーグだけでなく、ワールドリーグA・Bもオープン戦を開始した。今年はドラフトを行わなかったので、各チームAIが選抜したメンバーで編成されているが、今のところは勝ったり負けたりで戦力は均衡しているらしい。ミタカやライムに言わせると、ちょっとぐらい突出したチームが出てきた方が好ましいそうだが。
「日本やアメリカでの先行事例を参考に、各国実況者を用意して放送のコンテンツとしているから、誰も見ていないってことはないし、評判もいいらしい。問題は実況にかけるコスト以上に収益が得られるかどうかだが」
なんたってケモプロはすべての試合を無料でネット公開している。ちょっとした付加価値程度で有料化しても、ユーザーは避けて通るだけだ。だから放送自体はどこも無料で見れるようにしていて、それ以外の部分で収益を得るしかない。
一応、特定の試合を無料公開しないということも検討したのだが、ある国では有料で、ある国では無料で、となってしまうと結局意味がないのでやめた。ファンが育たない最初のうちは少し赤字で、広告費でまかなっていくしかない。
「でも、アバター用のユニフォームは徐々に売れて来てるよ!」
「お、そうなんスか! あれ? でもユニフォームって1チーム分無料じゃ?」
「自国のチームが一つしかないし、ユニフォームの無料配布はやめたんだ。……が、売り上げがいいのは俺も予想外だったな」
日本やアメリカの場合は国内の複数チームだから、選択の余地が多い。しかしワールドリーグは1国1チームなので、自国以外のチームのユニフォームを買うことはないだろう──ということですべて有料なのだが、今売り上げを見たら、思ったより売れてるな。キャンペーンで値下げしているから買い時ではあるが……なんでだ?
「ほら、毎試合国同士の戦いだから? オラが国のメンツのためにも、レプリカユニフォームは着ないとね!」
「確かに、相手の観客がユニフォームで揃えて来てるのに、自分の方の観客がバラバラだったら負けた気になるッスねぇ」
なるほど、対抗心ということか。
「お金を払えば、コンテンツは真剣に扱ってくれるように──応援してくれるようになる。そして一度課金したら、次の課金のハードルは低くなるってもんだよね!」
「オマエ、まさかそれ狙ってユニフォームを有料にしたんじゃねェだろーな?」
「ムフ」
ライムが含みのある笑いをして、ミタカが「おっかね」と呟く。
そして再び会話が途切れて、沈黙が続き──
「つーか、誰だよ」
ミタカがしびれを切らして言った。
「出産にこんなに時間がかかるように設定したヤツ?」
「ワタシたちデスネ」
「え、ごめん……」
「いや謝んなよ……そこはオレもだろって突っ込めよ」
従姉とミタカとニャニアンは、顔を見合わせて苦笑いした。
──11月6日。
俺たちは仕事場の『窓』に、病院の一室を映していた。ベッドに横たわるのは、伊豆ホットフットイージスの
ツツネが出産予定日となり、病院に向かってから数時間。俺たちは各々仕事をしながらそれを見守っていた。
「いやー、こんなに時間がかかると不安になるッスね……いやマジ大丈夫なんスか? 産まれなかったり……?」
「つっても初産の平均時間は陣痛開始から10~12時間ぐらいだぜ。まだまだだろ」
「え、結構かかるんスね。薬使うんだしバーッと終わるものかと」
「計画的無痛分娩でも、かかる時間はそんな変わんねェんだよ。特に問題なくても30時間ぐらいかかるケースもあるらしーぜ?」
「ひええ、それは麻酔有りとはいえ辛そうッス」
ずーみーは体を抱えて震えてみせ──
「……えっ。じゃあ、ケモプロは?」
「……人生の一大イベントだかんなァ」
従姉もミタカもニャニアンも視線を明後日の方向に飛ばした。
「おかげでその予定もねェのに妊娠・出産に詳しくなっちまったぜ。体験談のブログだのをかき集めたり、医療関係者に取材したり、論文読んだり、まァ大変だったな」
「ムフ。AIなんだからポンっと産まれちゃっていいじゃん? ってしなかったんだね」
「いや、まァそりゃそーなんだが、だってよ」
ミタカは俺を指す。
「コイツがやれって言うに決まってんだろ?」
「言っただろうな」
頷く。
「ケモノAIは応援してもらえる存在にならないといけない。そしてそれには共感できる部分が必要だ。人と同じように産まれた赤ん坊の方がより共感できるだろうし──AIにとっても、苦労した分の感情が湧くんじゃないか?」
──それが、正か負か、どちらの感情かはともかく。
「ほらな。言うと思ったんだよ」
「ムフ。アスカお姉さんも、お兄さんをよく理解してるんだね!」
「うっせェ。二度手間がヤなだけだ」
ミタカがライムの椅子を蹴り、ライムがわざとらしい悲鳴を上げて回転する。
「なるほどー。確かに、あっさり終わるよりは時間がかかったほうが強く印象に残りそうッスね。本人も、見てる方も」
「うんうん、見守り配信もいくつかやってるし、注目が集まってていい感じだよ!」
ケモプロ内での初出産ということもあって、実況配信が複数行われていた。あまり動きのない画面なのに、その数は時間と共に徐々に増えているようだ。
「黒男監督は、ちょっと情けないところを見られてかわいそうッスね」
黒男はツツネに頻繁に声をかけるものの、時たま嫌がられては唸られていた。そして椅子に立ったり座ったり、ベッドの周りをウロウロ歩いたり、スマホを出そうとしたり……とにかく落ち着きがなかった。
今日も両チームとも試合があるが、開始前まではチームメイトが見舞いに来ていた。しかし、今は黒男一人だけ。緊張のせいかツツネも余裕を失って神経質になっており、黒男は何をするにもおっかなびっくりだ。……こういう挙動も、体験談だったり、ドラマだったりから学習しているんだろうか。
「でも、こういうの見てるとちょっと考えちゃいますよね」
「何をだ?」
いやあ、とずーみーはもさもさ頭を掻く。
「自分の両親も、自分が生まれる時こんな感じだったのかな? って」
………。
「……さあ、どうだろうな」
「まァ、どこもこんな感じじゃねェの? 無痛じゃねェからもっと騒がしかったかもな」
「ど~デスカネ~」
ミタカが投げやりに言い、ニャニアンが笑顔のまま平坦な声で言う。
「……シオミは」
「未婚ですからね?」
少し離れて座っているシオミが伊達眼鏡を直しながら応える。そういうことを聞きたかったんじゃないが……と視線を向けたままにすると、シオミは緩やかに首を振った。
……そういえば、シオミと初めて会ったのはカナの家でだった。確か、俺が産まれたこともその時初めて知ったとか何とか……。
「……そうだな」
黒男を見る。
こんなに落ち着かないコミカルな動きをしていたんだろうか? ……わからない。さっぱりイメージができない。けれど。
「──産まれる前は、こうだったかもしれないな」
「……ん、かもね」
生まれる前から『仲が悪かった』なんてことは、たぶんないだろう。確かめる気はないが、そうではないと知りたいわけでもない。俺の呟きに、ライムも静かに頷いた。
「うーん、おかーさんとおとーさんにも最近直接会ってないし、次会ったら聞いてみるッスかね」
「家は近いんだし、会いに行ってもいいんだぞ?」
「いやあ、念のためッスよ。接触するクラスターは少ない方が感染症対策になるじゃないッスか」
「んだな。帰省なんてしばらくは考えらんねェし、むしろ来るなって言われてっしな」
なし崩しにこの家に住むことになったミタカを含めて、コロナ禍が始まってから誰も遠出をしていない。俺とシオミとライムあたりが、たまに仕事で外出するぐらいだ。
「それに自分はもう子供じゃないッスからね。ちょっとぐらい会えなくたって平気ッス。今はビデオ通話もあるし!」
「そうだな」
引きこもっているからといって人と顔を合わせられないわけじゃない。そういう時代だ。
「──おっ!」
端末を操作していたライムが声をあげる。
「どうした?」
「ムフ。重要な情報が発表されたよ、お兄さん。あのね、なんとついに決まったんだよ」
ライムは雲のような笑顔を浮かべる。
「プニキ──12月16日に終了するって!」
「……プニキが?」
「うん。Yahooキッズ版の『くまのプーさんのホームランダービー!』がね!」
『くまのプーさんのホームランダービー!』、通称プニキはFlashという技術で作られている。このFlashを動かすFlash Playerが年末でサポート終了になるため、Flashコンテンツを公開しているところはそれまでに店じまいを始めていた。
「え、Flashのサポート終了は31日なのに、その前に終わるんスか?」
「ハッハッハ、年末にサイト更新するのは嫌デスネ」
「ああ~、そういやそうッスね。作業する人がいるんだから、そりゃそうか」
「というわけでさ、お兄さん。終了日も決まったことだし、イベントの予定を立てようよ。プニキへのリベンジの!」
「……そうだな」
俺は未だに最後の投手、ロビンから40本のホームランを打てていない。
「去年はカナお姉さんがオールスターに出るから、『ホームラン40本打つまでオールスターは見れません!』って企画やったじゃん。今年はクライマックスシリーズに出れそうなんでしょ? 『クライマックスシリーズ見れません!』にする? それとも『日本シリーズ見れません!』?」
「いや、今年は……万難を排して観戦したい」
ロビンに勝てない、とは言わない。言わないが……わずかでも可能性があるなら敬遠するべきだ。
カナとタイガの勝負を──俺も関わる勝負を見逃すわけにはいかない。
「ロビンとの対決はする。だがそれは俺とロビンとの戦いだ。他の人は巻き込めない」
「あれ、意外。勝てば問題ない、とか言いそうなのに。ムフ。よっぽど前回の負けが効いちゃった感じ?」
それもあるな。あれだけ──20時間やって勝てなかったんだから、勝てる保証がない。……カナたちと比べたら情けないことだが。
「んー、それじゃ終了日に合わせてやる? プニキの注目度も上がってるから、他にも企画が立って埋もれちゃうかもだけど、そこぐらいしかタイミングないよね。終了時間までにクリアできるか!? って」
そうなるのか……いや、しかし。
「思ったんだが、Flashだから終了時間が過ぎても、ブラウザを閉じるまではプレイできるんじゃないか?」
オンラインゲームじゃないから通信していないはずだし。それならいくらでも延長戦を──
「そらFlashコンテンツだからダウンロードしときゃローカルでプレイはできっけどな。サービス提供側が終了つったら、そこで終わんなきゃ未練がましいぜ?」
「うんうん。終わりはきっちりしなきゃね! 終了時刻までに終わらなかったらお兄さんはロビンに一生負けたってことで!」
「そうか……」
……確かに、提供を終えると言っているのに、こちらが勝手に続けるのはフェアじゃないか。
「一生負け、というのは嫌だな……そうならないように練習しておこう」
「その意気だよ──ん?」
『窓』の中で、動きがあった。ツツネがナース服のケモノに連れられて、分娩室へと向かっていく。その背中が分娩室の中へ消えて、黒男は扉の前で仁王立ちになった。
「いよいよ?」
「だな」
自然と、誰もが息をひそめる。じりじりと時間が経過して……そして。
「……聞こえるッスよね?」
「う、うん」
かすかに響く、産声。
分娩室の扉が開き、医師のケモノが黒男を招き入れる。震える背中にカメラがついていくと、そこには横になっているツツネと、その隣の小さなベッドの中に入っているキツネの赤ん坊──
「おお、子供はジャッカルッスね」
「ジャッカルか」
セグロジャッカルの赤ん坊。父親の方を遺伝したらしい。黒男はベッドの中をまじまじと覗き込み、それからツツネの方を向く。キツネ女子は汗だくになりながらも、誇らしげな笑顔を浮かべていた。
「ケモプロの新しい歴史の一ページッスね」
「ムフ。人類史の一ページかもしれないよ?」
ライムは目を輝かせて言う。
「2020年11月6日。世界で初めてAIが『誕生』する……なんて、教科書に書くのはどう?」
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