お勧めの理由

 9月30日。


 VR機器をかぶり、ケモプロのテストサーバーにログインする。出現場所は前回のログアウト地点。人通りのない街中の一軒家の前。玄関でくるりと反転し、呼び鈴を鳴らしてから中に入る。向かう先は、2階の子供部屋。


「おはよう」

「ユウ」


 扉を開けると、中で待っていたネズミ系ケモノ少女──カヨが立ち上がる。その近くにはアバター姿のチムラとルイもいた。


「待ってた」


 カヨは俺を見上げて日本語で言う。


「待たせていたようですまない。元気にしていたか?」

「風邪にはなってない」


 ケモノ世界にも風邪はある。極度の疲労や体温を低下させたままだと発症の可能性があって、これはケモノAIに無理をさせないための仕組みだそうだ。他にも食べ過ぎれば腹を壊すし、酒を飲みすぎれば二日酔いになる。死に至る病はないが、病気にならない世界というわけでもない。


「でも、寂しかった。ユウが来ないから」

「すまない。忙しかったんだ。とはいえ2週間前が最後だと思うんだが……」

「やれやれ、ユウは女心が分かっていないね」

「君が言うのか?」


 ルイが肩をすくめると、チムラが非難する調子で言う。


「やだなあ、僕はマリカお姉ちゃんの気持ちならちゃんと分かってるよ?」

「自覚がないとはこのことだね。大いに勘違いしているといい。と、それは置いておくとしても、オオトリ君、カヨにとっての2週間は君のそれより重いことを理解するべきさ」

「2週間が重い?」

「そうさ。カヨはまだ生まれて6ヶ月なんだからね。その中の2週間は大きいだろう?」


 それもそうか。1年が……約52週だから、26週のうちの2週。確かに大きい。


「それにカヨは今、人間の倍のペースで生きているからね」

「倍?」

「ほら前も言っただろう? カヨは睡眠時間を短縮しているから、ほとんど寝てないのさ。つまり人間の子供の約2倍のペースで活動しているわけだね」

「そういえばそうだったな」


 そうなると、カヨの体感で約1ヶ月ぶりか。


「ところで、それって健康上……というか、何か問題はないのか?」

「寝てる間だけ時間を早回ししてるだけだから問題ないさ。将来的には他のAIと同じペースにするしね」

「寝るのは、つまらない」


 カヨは頬を膨らませて言う。


「つまらないか」

「この前、寝てみたけど、つまらなかった。それより、本が読みたい」

「なるほど。すっかり本の虫だな」

「わたしは、ネズミ」

「物の例えだ。本が好きだということだ」

「本は好き」


 カヨは頷く。本が好きだと。


 ……しかし、それは本当にそうなのだろうか。いや、本当に本が好きなのだろうが、それは──俺たちが与えた性質の一つだ。


「ユウ」


 俺が少し考えこんでいると、カヨは首を傾げた。


「何か、困ってる?」

「いや、困ってはいない。仕事も順調だ」

「だよね。外から見れば飛ぶ鳥落とす勢いだ」


 ルイが楽しげに言う。


「特にワールドリーグは良かったね。僕も興味深いよ。もしイベントとかで現地に行くようなことがあれば同行させてほしいな」

「やめておいた方がいいよオオトリ君。そんなことをしたらコレはフィールドワークとか言って出歩いて二度と帰ってこないからね」

「心配してくれるの? マリカお姉ちゃん?」

「やめろ! そういうんじゃない!」

「チムラは、ルイが好き?」


 カヨが言うと、チムラはガクリと顔を伏せた。


「カヨは賢いね。そうそう、その通りだよ」

「やめてくれ、絶対に違う。会社に迷惑をかけるなと言いたいだけだ。君なんてどこで野垂れ死にしようが知ったことか」

「ま、ケモプロでこれだけ面白いことが起こってるんだから、音信不通にはならないよ。ケモノAIたちがどう言語を熟成させていくのか興味は尽きないからね」


 ミタカやニャニアンの話を聞くに、ルイには放浪癖があるらしい。本人はフィールドワークをしていると主張しているが、それで数ヶ月連絡が取れなければ周りも心配するだろう。コロナの影響で渡航が制限されなければ日本に帰ってくることも、日本に留まることもなかったかもしれないと言われると、少し複雑な気分だ。

 しかし、今ルイの興味は言語を覚えていくケモノAIにあり、そう簡単には離れないだろう……とチムラも言っていたし。


「それにしばらくは新型コロナウイルスのせいで移動できないからね。心配無用だよ」

「安心した。ルイにはこれからも力を貸してほしい」

「ははっ。うまいなあ。ユウは本当に社長業に向いているよ」

「そうか?」

「そうだよ。もっとも、経営関係は周りに任せた方がいいだろうけど」

「それは実感している」


 未だにお金の話や人事はシオミとイサに頼りきりだ。開発ともなればプログラムの一行も書けない。


「……実感しているが、それが代表社員でいいのか?」

「理想的なトップだと思うよ? 確固たるポリシーがあって、決断には責任を持ち、それでいて専門外のことは担当者の意見を聞いて調整する。ねえ、マリカお姉ちゃん?」

「働きやすいし、みんな君のために働きたいとも思うだろうね。もちろん私もさ」


 チムラは頷く。


「それだけに、自身のケアにも気を使って欲しいものだね。何か悩みがあるんだろう?」

「分かるのか。……それって、心理学の力か?」

「いいや、人間としての力だよ」


 分かりやすい態度だったということか。……確かに、悩みはある。そして、その答えがもしかしたらここで得られるんじゃないかという期待もしていた。


「……疑問があるんだ」


 隠していても仕方がない。


「契約更改の配信は見ていただろうか? 特に、最終日のことなんだが」

「ああ、カヨと一緒に見てたよ。もしかしてダイトラのことかな? あれはなかなか驚いたよ」


 ダイトラが俺の名前を呼んだこと。そして直接会って話したこと。


「最近、インタビューを受けると必ずその話になるんだ。何度も『なぜダイトラはあんなことを言ったのか』と質問されるんだが、こちらとしては分からないとしか答えようがない」


 もちろん、従姉やミタカによってログの調査が行われた。しかし表面的には『オオトリユウが野球が好きか気になった、だから質問した』ということまでしか分からず、その疑問を生んだ理由までは分からなかった。ケモノAIの思考には複数のAIが関り、深部に関してはどうしても解析できない部分があるのだという。……しかし。


「だから……カヨに聞いてみようと思ったんだ」

「わたしに?」

「同じケモノAIなら、ダイトラの気持ちを『推測』できるんじゃないかと思ったんだが」


 こんなことを聞ける相手はカヨしかいない。


「どうだろう?」


 カヨは──しばらく間をおいて、首を振る。


「わからない。わたしは、ダイトラじゃないから」

「そうか……それもそうだな」


 他人の思考は完全に理解できない。それはケモノAIでも同じということか。


「それじゃあ、カヨは自分の仕事についてはどう思う? VR図書館の司書になる話だ」


 カヨが2倍の速度で成長しているのも、すべてはそのためだ。すでにHERB Projectとの契約も済んでいる。


「本は、好き」


 カヨはゆっくりと言う。


「みんなに、好きな本を教えたい。そうしたら、嬉しいと思う。VR図書館に、みんなが行けるのも嬉しい。保育園で、読み聞かせをするのも、楽しみ」


 明日──10月1日から、ケモノ語の本がケモプロ内に追加される。それはケモプロ内の図書館に反映されるが、やはりケモノAIの教材としての数には不満がある。そこでVR図書館についても、ケモノAIに解放することになった。自動翻訳を通しての利用になるがないよりはマシだし、カヨがケモノ語での朗読会を行うので、そこで学習することが主になるだろう。


 そして、保育園。新しく生まれるケモノの子供たちが通う先でも、カヨが教育係と共に読み聞かせを行う予定だった。


「そういう仕事を与えられたことについて、疑問や不満を感じたことはないか?」

「……? 難しい」

「本が好きだということが、嫌に感じたりしないか?」

「よくわからない」


 カヨは首を横に振る。……やはり答えはないだろうか。


「わたしは」


 カヨは──言葉を続ける。


「もう、わたしだから。本が好きでよかったと、思ってる。だから」


 カヨが俺の顔に手を伸ばす。


「ユウは、何も悪くないよ」

「……そうかな」

「きっと」


 カヨは力を込めて言う。


「ダイトラも、そう。野球が好きで、よかったって思ってる。だから、ユウが野球が好きか知りたかった」

「……それが俺が野球が好きか知りたい理由?」

「ユウは、本が好き?」


 目の前で、小さなネズミの少女が首を傾げる。


「人並みには好きだと思う。HERBも買ったし」


 HERB。完璧な電子書籍。全ページが電子ペーパーの物理的にめくれる書き換え可能な本。今年3月に無事に発売され、そしてコロナの影響で品薄になった。ミシェルの助言に従って、初回出荷分を予約しておいてよかったと思う……もちろん自腹だし、だいぶ財布には厳しかったが。


「ただ本を読む時間がなかなか作れないな。これまではWi-Fiの使えない移動時間を使って読書していたんだが、ずっと家にいると他のことをしてしまう。これまで読んでいた本の続刊とか、ケモプロ関係の書籍を読むことぐらいはしているが……」

「ユウに、おすすめの本がある」

「俺に?」

「そう。読んでほしい。面白かった」


 カヨは本棚から一冊の本を取り出して、こちらに差し出した。ネズミの絵の描かれた海外の翻訳本だ。


「わかった。カヨのおすすめなら」


 本にインタラクトし、情報を出す。ストアに遷移して1タップで購入。これですぐにHERBでダウンロードが始まるはずだ。


「おやおや、カヨの司書としての初仕事だね? やるじゃないか」

「うん」


 チムラが拍手し、カヨが頷く。


「そうだったのか。チムラやルイに本を勧めたことはないのか?」

「私はないねえ! 羨ましいな」

「まあ、僕らは教師側だからじゃないかな?」


 ルイは肩をすくめる。二人にもカヨの行動の理由は分からない。


「……カヨ」


 ダイトラには聞けなかった。


 でも今なら、本人に聞くことができる。


「どうして俺に本を勧めたんだ?」


 ケモノAIが何を考えたのか──カヨが何を考えたのか。


「それはね」


 カヨはネズミの目を細めて口角を上げる。


「わたしが、ユウを好きだから」

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