ケモプロを通して
8月4日。
「……なかなか繋げてこないな」
『そうだね』
自室の万年こたつに載せたノートPCの画面で、大柄な男が頷く。
コンビニのバイトでよくシフトが一緒になっていた男性、ツバモト。髪をきちっとツーブロックにした精悍な顔つきは結構若く見えるのだが、俺よりも実は一回り半ぐらい年上らしい……とは、俺より付き合いの長いナゲノの情報だ。コンビニバイトと傭兵稼業を交互にしており、半年ほどコンビニからいなくなっては再びバイトに復帰するという感じだったらしい。
「時間は間違えてないよな。向こうは夕方ぐらいだと思うんだが」
『間違いないね』
「もしかして、停電とかだろうか? 向こうは多いと聞くが」
『彼のところは自家発電装置を入れているし、交換局も同様だからネットはつながると思う』
「ということは……」
最悪の事態を想像する。ツバモトは難しい顔をして頷いた。
『そういう可能性はある。残念なことにね。一応、自分の情報網にはそういう話はないけど……おっと』
Web会議システムに参加者が増える。それを見て、俺とツバモトはホッと息を吐いた。そして──
「──ん?」
少し間をおいて表示された参加者の映像に、動きを止めた。
『………』
「………」
そこに表示されていたのは、虎だった。──ケモプロの、丸眼鏡をかけた虎アバターだった。
『(失礼)』
「(いやこちらこそ)」
これは間違えたな、と思って手元を操作してネズミアバターを装着する。そして画面に目を戻すと──
『………』
「………」
丸眼鏡をかけた頬ひげの濃い初老の男性が画面に映っていた。
「(失礼した)」
相手が何か言う前にアバターを外す。よし、これで人間同士だな。
「(KeMPB代表のオオトリユウだ。よろしく)」
『(ドゥライド・ハーンだ)』
ドゥライドはしわの多い目を瞬かせて言う。
『(バシールも、顔を見るのは久しぶりだな)』
『(そうですね)』
「……バシールとは?」
『自分の向こうでのあだ名だよ』
なるほど。他の言語の名前は発音しづらい、とかあるものな。納得して、言葉を英語に切り替える。
「(さっきは失礼した。ケモプロを利用してくれていることは嬉しい)」
『(ケモノの長ならアバターを使うかと思ったのだ。日本人はシャイだからな)』
「(確かにそういう風潮はある)」
俺も会社の代表なんてやっていなかったら、顔なんてどこにも晒さなかっただろうし。
「(予定の時間より遅かったが、何か問題でも)?」
『(仕事の都合だ。申し訳ない)』
『(彼は心配していましたよ)』
ツバモトが言うと、ドゥライドは頷く。
『(心配しすぎだ……と言いたいところだが、最近の政府の動きで少々状況も悪くなってきた。そういう可能性も以前より高まったと言える。ということは、契約は無理かね)?』
「(この件はそういったリスクは込みで動いている)」
フン、とドゥライドは鼻息を鳴らした。
「(それよりもプランを聞かせてほしい。そもそも、ツバモト……バシールからの紹介あってのことだと思うが、どうしてケモプロの契約にドゥライドの会社が手を上げたのか)?」
『(紹介。ああ、もちろん、紹介のせいだとも)』
ドゥライドは苦笑する。
『(我が国では野球なんてマイナーなスポーツだからな。サッカーとクリケットならプロリーグがあるが、野球はほとんど知られていない)』
クリケット、以前ちゃんと調べてみたことがあるんだが、野球とは全然違うんだよな。やはりボールとゴールだけでプレーできるサッカーは世界的に強い。クリケットもボールとバットと杭みたいなやつだけでプレーできる。それに加えてグラブとかベースの必要な野球より安価だし、裾野が広がりづらいのだろう。
「(それでもケモプロと契約する理由は)?」
『(バシールを動かしている野球バカ達からの要望、というのが一番大きいが、変わり種のコンテンツが欲しい、というのも理由の一つだ。他局とは違うコンテンツを放送したい──テレビ局として放送する場合は、契約が必要なのだろう)?』
「(そうなっている)」
個人がネットで実況配信するとか、それを店舗で流すとかには金は取らないが、ケモプロをメインコンテンツとしてCMを載せて放送するのであれば、契約して利用料を払ってもらう形だ。それはドゥライドの会社──テレビ局でも変わらない。
『(あとは言語の問題もある)』
「(ああ、そうか。そっちの言語にも対応していたな)」
ケモプロのクラウドファンディング開始当初、オーナーになりたいと言ってきた海外企業があった。様々な事情から断ることになったのだが、せっかくだからということでその企業と協力して現地の言葉に対応を──
『(オオトリ君。それはウルドゥー語だよ)』
「...(違うのか)」
『(アラビア文字からの派生なのは同じだし、共通の語彙もあるけど違うね)』
「(ではそちらの言葉にも翻訳しないといけないか)」
『(もちろんそれは希望するが、そういう話ではない)』
ドゥライドは首を振る。
『(残念ながら我が国の識字率はまだまだでね。だが選手が話す言葉はアイコンで表示されているだろう? それなら文字を知らなくても、意味を把握できる。そういう方面でも価値がある)』
「(なるほど)」
『(そもそも我が国では2言語使われていて、テレビ放送も別の言語で再放送なんてこともしている。元がアイコンならその必要もないだろう)』
そういうものか。しかし……。
「(しかし、やはり不思議だな。いくら変わり種が欲しいと言っても、そちらでマイナーな野球が必要なほどなのか)?」
『(テレビ局の競争は起きていない、というイメージか? 州によって数は違うが、ここ首都では30以上の局がある。意外かね)?』
「──(正直言って、意外だった)」
『(海外で報道されるのは破壊された建物ばかりだろうからな)』
ドゥライドはため息をつく。
『(そういう認識なのも仕方がない。素人が参加する人気の歌番組からスターが生まれているなんて、まったくイメージがつかないだろう。今やわが国でも局は特色を打ち出して行かねば、生き残れない。ああ、スタッフの大半が女性、ということをアピールする局もあるな)』
「(失礼かもしれないが、どれもイメージと違って驚きだ)」
『(世界のマスコミは平和になった、なんてニュースには価値がないと考えているのだろうな。まあ、私も関係者として理解はできるがね)』
この場に日刊オールドウォッチのユキミがいたら話が盛り上がりそうだな。
『(どうせ諸外国では破壊された建物のイメージばかり広まっているのだろうが、さすがに首都はそんなことはない。PCの組み立て工場だってあるし、それを売っている店舗だってある。ビルだって建っているぞ。世界が疫病に犯されていなければ、ぜひ招待したかったところだ)』
『(さすがにオオトリ君が観光に行くのはお勧めできませんよ)』
『(バシールが護衛すれば問題ないだろう? さすがの英雄も疫病には無力なのが辛いところだが)』
「(やはりそちらの国でもコロナウイルスの影響はあるか)」
『(3月末には外出自粛もあった。諸外国と同じぐらいには混乱していたさ。そしていまだに終息はしていない)』
ドゥライドはツバモトに目を向ける。
『(バシールも商売あがったりだろう)?』
『(ええ。日本から普通には出ていけなくなりましたからね。他のルートはなくはないんですが)』
『(無理をする必要もないだろう。これを機に仕事について考えたらどうかね)?』
『...(そうですね)』
ツバモトがゆっくり頷くのを見て、ドゥライドは満足そうに目を細めてからこちらを向いた。
『(話が逸れたな。とにかく、変わり種のコンテンツを放送して競争に勝ちたい、というのがケモプロとの契約を望む理由のひとつだ。我が社のチームの試合を、我が社が放送する。無駄がないだろう)?』
「(野球がそちらではマイナースポーツであるという点はどう考えているだろうか)?」
『(君は実際に野球をプレーするのかね? 大会に出た経験が)?』
「(いや。少しやったことはあるが、ヘタクソだ。試合に出たこともない)」
ドゥライドはフン、と笑う。
『(野球がなぜ、日本やアメリカ以外……我が国で人気がないと思うかね)?』
「...(野球をするにはたくさんの道具が必要だ。だから貧しい国ではプレーするのが難しくて、子供が遊ばない。子供が遊ばなければ大人になってからも遊ばない。だから人気がないんだと思う)」
『(日本では、子供が大人の道具を使って野球をしているのかね)?』
「──(いや)」
よく考えてみれば、この理論はおかしい気がする。
「(いや、そんなことはない。もっと安価なプラスチック製のバットや、ゴムボールを使って遊ぶこともある。きちんとした道具を使うのは部活動や地域のチームぐらいだ。子供が……遊ぶぐらいなら、地面に棒でベースを書いて、ボールだって素手で扱ってもいい。道具や人数が揃わなければ遊べないということはない)」
『(サッカーもクリケットも同じだ。正式なボールや道具を使ってプレーした人間など数えるほどしかいない。しかし、それでもそのスポーツが好きだという人間はいる)』
野球ファンが全員野球経験があるわけじゃない。格闘技のファンならさらに未経験者の割合は顕著だろう。
『(スポーツのファンになるのに経験は必要ない。人間には想像力というものもある)』
確かに。魔法の経験がなければ魔法使いのファンにならない、という理屈はおかしい。
『(これは持論だが……我が国を含め、他の野球途上国で野球の人気がないのは、弱いからだ)』
「(弱いから)?」
『(そうとも。いつも負けているチームを応援し続けることほど無為なことはないだろう)?』
負け続けてもついてきてくれるファンもいることは確かだが、応援のきっかけになることは少ないだろう。現にケモノリーグ内でも、万年Bクラスの電脳カウンターズはファン数が少ないし、今年絶不調だった伊豆ホットフットイージスも集客力が落ちていた。
『(プレイ人数が少ないから国内のプロリーグはない。他国との対抗戦をすれば負ける。我が国の人間が見るのは、いつも負けている我が国のチームだ。そもそもその機会も少ないが……そんなことで人気が出るわけがあるまい。そうとも)』
ドゥライドは皮肉な笑いを浮かべる。
『(世界的に野球が流行らないのは、日本とアメリカが強すぎるからだ)』
……確かに「野球やろうぜ」と言われて集まっていつも負かされていたんじゃ、モチベーションも下がるだろうな。
『(まあ、日本とアメリカが、というのは言い過ぎかもしれん。実際のところは上位勢と下位勢の差が激しすぎるというところだろう。ポイント制のせいで上位の大会に参加できない、という問題もあるかもしれん。試合数もそうだ。とにかく一つ言えることは……このままでは我が国では野球は流行らない、ということだ)』
しかし、とドゥライドは続ける。
『(ケモプロは違う。ケモノリーグ、ビーストリーグという先駆者はいるが、たったの数年だ。同じリーグ内の戦力差もひどいものではない。そして試合数も多い。つまり──我が国の人間に、自分の応援するチームが勝つところを見せることができる)』
最下位のチームだからと言って全敗するわけじゃないし、過去最悪の成績だった伊豆ホットフットイージスも勝率は39%ある。
『(勝負は勝つことこそが最も楽しい。ケモプロで自分と縁のあるチームが勝利し、世界の強敵と戦うことができれば、注目を集めることができる。そしていつかケモプロに憧れた子供が、野球選手になるだろう。そうした野球振興につながるということも、ケモプロとの契約を望む理由のひとつだ)』
変わり種のコンテンツが欲しい。応援するチームが勝つところを見せたい。
『(そしてケモプロを通じて世界を見てほしい……というのも、理由……いや。これは自分の願いだな)』
「(願い)?」
『(そう)』
ドゥライドは丸眼鏡の奥の目を細めた。
『(ケモプロが世界を平和にしてほしい……というのは、老人のたわごとかな)?』
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