ケモノの目

「オマエほんとマジでさ……」

「すまない」


 頭を抱えるミタカ。それに頭を下げる俺。


「何かあったんスか?」


 仕事場にやってきたずーみーは、そんな俺たちを見て声をかけた。その奇妙なものを見たような物言いに、俺とミタカは思わず顔を見合わせる。


「……いや、それが」


 ミタカが疲れた目で『お前がやれ』と訴えてくるので、俺はずーみーに向かって説明した。


「昨日、例の司書AI見習いのカヨと獣子園を観戦したんだが、そこの途中でカヨが観客に来ているケモプロ選手と話したい、と言ってな。それなら通訳くんを使えばいいか、と通訳くんを使って会話したんだが……」

「……? え、それで怒られてるんスか? なんで?」

「今のところ一般ユーザーが通訳くんを使えるのは、ケモノジムの中と、監督シミュレーターの中だけだろう? 俺は企業向けのデモなんかの関係で少し上の権限を貰っているから、他の場所でも出せるんだが、普通の使い方じゃないから……」

「あー」


 ずーみーはポンと手を叩く。


「獣子園の観客席で出してケモプロ選手と話すとか、普通じゃないことを一般客の前でしてるから……なんかズルい! ってなっちゃうやつッスか?」

「そうだな」


 ユーザーからすれば「ズルい」どころの話じゃないだろう。ケモプロ選手と話したい、という話はSNSでもよく見かけるし、問い合わせフォームからも送られてくる。


「えっ、それじゃもしかして炎上してるんスか?」

「いんや。ギリギリセーフだな」


 ミタカは椅子に深く寄りかかって肩をすくめる。


「今んとこユーザーの使う通訳くんはフレンド登録してないと見えないようにしてる。まァ、ボイスチャットがフレンドじゃねェとできねェのに合わせた形だな。そもそもカヨも他のユーザーには見えないようにしてある。だァら、バレちゃいねェが──」

「そういう設定になっていなければ騒ぎになっていたかもしれない。軽率だった」


 デモの時はその他のユーザーに表示する、というオプションもある。うっかりで操作できるUIではないが、いつもの癖で設定していたら事故だったな。


「まァ……オレも途中で抜けたのが悪かった。時間はおさえてあんだから、最後まで付き合うべきだったわな」

「ミタカにしか分からない技術的な質問だったんだろう? それなら仕方ない」

「いや、でもよ」

「うんうん、でもまー、あれッスよ!」


 ずいっ、とずーみーが顔を寄せて割り込んでくる。


「動画しか見せてもらってないッスけど、カヨちゃんかわいいッスからね! そりゃーもう、先輩がお願いを聞いちゃうのも仕方ないッスよ。アスカ先輩だって、あんな子におねだりされたらデレデレになるんじゃないッスか?」

「アァ? オレはちゃんと仕様を理解してっからいーんだよ、やっても」

「あ、でもやるんスね」

「うっせ」


 プイッ、とミタカは顔をそらす。……もしかして昨日ついてきた理由の半分は、監視役という名目ではなかったのかもしれない。そういえばずーみーの名前を会う前から知っていたし、獣野球伝もたまに読み返してるし……。


「あンだよ?」

「いや」

「でもでも、マジでカヨちゃん、っていうか、カヨちゃんが喋る日本語はかわいいッスよ。選手と話がしたい、なんてのもかわいい理由でいいじゃないッスか。誰と何の話をしたんスか?」

「プニキと話したんだ」


 プニキ。山ノ府やまのふクマタカ。フレズノ・レモンイーターズの選手。住んでいる寮はもちろんアメリカ側にある。


「ちょうどオフシーズンで帰郷しているみたいでな。母校が獣子園に出場しているのを、同期と観戦に来ていた。そこに出くわした形だな」

「へえ~! なんていうか、OBって感じッスねえ。それでそれで?」

「カヨはプニキのことを、『獣野球伝』を読んで知っていたらしくてな」

「へっ? じ、自分のッスか?」

「ああ。テレビでプニキの試合も見たらしいが、Webで連載している獣野球伝をルイが見せてくれたのが印象深かったらしい」

「おお……な、なんか恥ずかしいッスね」

「そうか?」

「三歳ぐらいの子供に読まれてるってのは、ちょっと想定してないッスから」


 野球はルールが複雑だし、登場人物も大人ばかりだから、確かに子供が読むのは難しいかもしれないな。それでもカヨが読んだのは、ケモプロのAIだからということだろうか。


「えっと、それでカヨちゃんとプニキは何の話を?」

「どうしてホームランを打つことに専念したいのか、と質問した」


 山ノ府クマ貴。ビーストリーグの本塁打王──だが、ケモノリーグの本塁打王、雨森ゴリラと異なって、プニキは最多本塁打賞以外を受賞していない。ゴリラはヒットを打ちつつ本塁打も量産するタイプだが、プニキはホームランかフライか三振か、という感じの成績だった。


「あー、確かにめっちゃアッパースイングだし、ホームラン狙ってるッスよね。獣野球伝じゃ、『ホームラン以外に価値なんてあるのかい?』って言わしちゃってますけど、よく考えてみたら不思議ッスね。別にヒットにも価値はあるのに。……で、答えはなんだったんスか?」

、と言っていた」


 通訳くんはそう翻訳した。


「プニキは黄色の熊ということで、初年度の獣子園予選から注目されていただろう? 試合には観客がちらほら入っていたんだが、どうも例の『プニキ』の方のファンが多かったらしくてな」

「ああ、Flashゲームの。先輩がまだクリアしてない」


 していない。Flashのサポート終了が年末に迫っているから、今年中には何とかしなければいけないんだが……。


「そういうファンはホームラン以外だとどういう結果でも喜ばないから……それを学習したんじゃないかな? 観客の反応を見て」


 ホームランを打てば歓声が上がり、それ以外は期待外れという反応をされれば、そういう風にもなると思う。プニキにホームランを打つ才能があったからこそ、成り立った話かもしれない。


「……いや、実際はそこまで詳しく語ってくれなかったし、カヨが一言で納得して終わったので、推測なんだが」

「なるほど。でもありそうな話ッスよ。ホームラン以外無価値な男は、ファンが作り上げたんスねぇ」


 ずーみーは腕を組み目を閉じて頷く。


「他にはどんな話をしたんスか?」

「いや。カヨもそれが訊きたかっただけみたいで、それで話は終わった。あとは普通に野球観戦して終わりだな」


 ちなみに試合はプニキの母校、百森農業高校が勝利した。相手校を圧倒していたし、今年も頂点に立つかもしれない。


「あー、そうなんスか。いやでも、カヨちゃんとデート羨ましいッス! 今度は自分もご一緒したいッスね」

「それはカヨも喜ぶと思う。テストサーバーは寂しいらしくてな」

「寂しい……んスか?」

「あくまでテストサーバーだかんな」


 ずーみーが首をひねると、ミタカが口をへの字にしながら言った。


「いちおう、言葉を覚える実証実験のために、本番サーバーの赤ん坊が受けるのと同じ環境を与えてる……両親役だったり世話係だったりのAIは関わってるが……カヨみてェに生まれて育ったAIはいねェからな」


 カヨの周りの大人も、カヨと同じ程度の時間しか生きていない。


「そもそもテストサーバーっつーのは、都合で人数増やしたり減らしたりすっし、時間を早めたり戻したりもする。寂しいっつーのは初耳だし、何が原因かはわかんねェが、なんとなく周りのAIと自分が違う、って認識してんのかね。世話係のAIだってまだ大部分、ケモノ語は翻訳に頼ってっしな」

「同じように育った子もいないんでしたっけ」

「いたにはいたけど、パラメータがよくなくて脱落したな。……んな顔すんなよ、AIってのはそーゆーもんだし、テストサーバーだぜ?」

「あ、いえ、わかってはいるんですけどね」


 ずーみーは顔の前で両手を交差して振る。


「でもやっぱり、カヨちゃんが一人なのは寂しいだろうなって思うんスよ。同じようにケモノ語を話す友達ができたらいいんじゃないかな? って」

「そら心情としちゃそーかもしれねェが、カヨはあくまでケモノ語習得のテストケースで、ついでにVR図書館の司書に転用しようぜって話だし、ここでコストをかけて友達を用意する必要ってあんのか?」

「それはその……ほら! 友情の物語って、実際に友達がいないと理解しづらいじゃないッスか?」


 眉をひそめるミタカに、ずーみーは主張して──俺の方を向く。


「ね、先輩!」

「俺は友達はいないが、友情の何たるかは理解しているつもりだし、そういう話も楽しめているぞ」

「ええ……自分は友達じゃないんスか?」

「俺の唯一の後輩で、大切な仕事仲間だと思っているが」

「それはそッスけど、遊んだりもするじゃないッスか」

「……友達はいないが、野球漫画の男同士の友情は楽しめている。実践できる気はしないが」


 相手もいないし、経験もない。


「本を読むのにいろいろな経験があったほうがいいのは確かだと思うが、ないものは想像で補えばいい、とも思う」

「あー……確かに、ドラゴン倒した経験がなければファンタジーの物語が理解できないわけじゃないッスね」


 ずーみーはもさもさと頭を掻く。


「自分がケモノAIに対して考えすぎなんスかね?」

「感情移入してくれんのは嬉しいが、あくまで人間とは違う存在だかんな。……別に、同い年設定のケモノを用意できないわけじゃねェが、速成教育はコストがかかっし」


 ミタカもガリガリと頭を掻く。


「……まァ、同い年じゃねェけど、秋には赤ん坊も生まれるワケだし、そいつらと交流すればいいんじゃねェか? 稼働年齢的にゃ似たようなモンだろ?」


 本番サーバーで生まれるケモノAIの子供。ケモプロ世界のネイティブスピーカーは、徐々に数を増やしていく予定だ。


「おお、そういやそうッスね。……稼働年齢って考え方もなんか、独特ッスよねえ」

「それで考えると、ダイトラも他の選手もみんな4歳児か」

「あくまでケモノはAIだかんな。コイツのせいで人間らしさを追求しちゃいるが、どうしたって人間とは違う部分がある。例えば今回仕込んでるアップデートもそーだろ?」

「……ああ、あの、『目がよくなるやつ』ッスか?」

「んだな」


 頷いてミタカは続ける。


「やっぱ4年前のサーバーと今のサーバーじゃ性能が違ェからな。それに古いパーツは入手が難しくなってくるから、いつまでも同じものを用意できるわけじゃねェ。つーわけで新型のサーバーに入れ替えるために準備してんだが、思ったよりグラフィックのリソースで余裕が出たわけよ」

「それでグラフィックのアップデートをするんスよね」

「オウ。BeSLBのグラフィック班と共同でな。やっぱ、いくらいい画作りをしたとこで、人間ってのは目が肥えてくる。年数が経てば周りの技術も上がって陳腐に見えてくっからよ」


 そのグラフィック班からの質問で、ミタカは席を外したのだった。


「んで、グラフィックの向上で恩恵を受けるのはユーザーだけじゃなくて、ケモノ選手もっつー話。AIにとっちゃ、見てる世界の解像度が上がるわけよ。端的に言えば『目がよくなる』っつーわけ。この間のオールスターの試合で、白線の下にボールが紛れて見失ったのも、目がよくなればもっと気づきやすくなるだろーな」


 細かいところまでよく見えるようになったり、光の計算がより正確になったり、フレームレートの向上もするらしい。そのうちボールの縫い目を見て球種を判断する、なんてことをする選手が出てくるかもしれない。……選手によって視力や動体視力は異なるから、全員ができるわけではないだろうけれど。


「ってな感じで、機材やシステムの都合……っつーか、世界の更新で能力が変わるっつーのが、ケモプロAIの特徴のひとつだわな」

「なるほど。それは確かに、人間とは違うところッスね。うん……」


 ずーみーは小さく唸りながら頷く。


「……あ、ちなみに、グラフィックのアップデートって定期的にやるんスか? 結構チェックするものあって大変なんスけど」

「どうなんだよ、代表さんよ?」


 急に振ってきた。正直、デモの段階でかなり綺麗な映像だったんだが……。


「そうだな。現実と同じ映像をケモノが見れるようになったら、もうアップデートはしなくていいと思う」

「だとさ。ゲームのグラフィックが現実を追い越すのはいつ頃か楽しみにしてな」

「あはは……」


 ミタカは肩をすくめ、ずーみーは苦笑する。


「ま、新サーバーは来年度のアマチュアリーグで様子を見て、プロで使うのは再来年度だから、すぐの話じゃねェ」

「けっこう先の話ッスよね……あれ? 新サーバーに入れ替え……ってことは、古いサーバーもあるんスよね? それはどうするんスか? 中古で売るとか……それとも捨てる?」

「もったいねェこと言うなよ。まだまだ使えっからな?」


 さすがに捨てるのは値段を考えると悲鳴が出るな。


「新しい使い道は考えてある。ほれ、例のアレだよ」

「あ、あー! あれ、今どうなってんスか?」


 ずーみーとミタカが俺の方を向く。


「BeSLBのシャーマンが動いてくれてはいるんだが、交渉が難航していてな。俺も会合に同席しているんだが、やはりそれぞれにいろんな事情があって難しい。おそらく……ドラフトでの発表は募集も兼ねることになりそうだ」

「それで最近変な時間に起きてるんスね。大丈夫ッスか?」

「シオミがスケジュールを調整してくれているから、睡眠時間は足りている」


 ……トータルの時間は足りているから、問題ないよな、うん。


「次は、ようやくツバモトに紹介してもらったところと交渉だ。うまくいくといいんだが」

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