本物の球場
8月1日。
「ここが、図書館?」
「の、入口だな」
ネズミ系ケモノの少女、カヨが見上げて言う。巨大な石造りの建築物。VR図書館こと『HERB Library』。BeSLBオーナーのひとつ、アラスカの建築事務所、ダレル&パートナーズがデザインした建物だ。
「大きい」
「まァな」
カヨの後ろに立つキツネ系アバターの女、ミタカが肩をすくめる。
図書館に行きたい。その希望を叶えるため、今日は俺とミタカでカヨを引率していた。ミタカは監視役として。俺は、カヨに同行を誘われて。……同じネズミアバターだから気に入られたんじゃないか、とルイには言われたな。
「VR空間なワケだから、別にデカくなくたっていーんだけどな。イメージってやつがある。大量の本を所蔵しているなら、ガワもデカい方がそれっぽいだろ?」
カヨはミタカの言葉を聞いて、少し考えこんでから頷いた。
「うん」
「……はァ」
それに対するミタカの反応は、感じ入ったようなため息だった。
「どうしたんだ?」
「イヤ……やべェなァと思ってよ」
「……というと?」
「普通のAIだったらここは、『理解できません。データを所蔵するのに3Dモデルの大きさは関係ないのでは?』とか言うところだろーが」
そういうものなのか?
「ケモプロでは違う。本は1ページ1ページにテクスチャが貼られているから、めくらなきゃ読めねェ。つまり読むには3Dモデルの大きさが必要なわけよ。そこを徹底したからこそ、カヨは建物のデカさに納得した。分かるか? これがどれだけ普通じゃないってことが」
「理屈は分かったが……普通じゃないと言われても、他のAIを知らないし」
「なってねェな。SFぐらい読めよ」
ちょうど図書館に行くわけだし、読んでみるかな。
「ユウ。早く」
「わかった。その敷居を通過すれば入れる……んだよな?」
「オウ」
ミタカは頷く。
「ケモプロのAIも通過できるシステムにした。ま、別にAIが入ったところで、触れる範囲はユーザーと同じだかんな。問題が起きるとしたらせいぜいAIが本を読んでる間は、その本をほかのユーザーが読めないってことぐらいだが、今はカヨひとりにしか権限与えてねェし。問題ねーよ」
そういう理屈で、AIの教育を目的としてHERB Projectに許可を取り、設定を変更したのだった。
「じゃあ行こうか」
俺はコントローラーのスティックを倒し、カヨは歩いて、VR図書館への敷居をまたぐ。多少のローディング時間による引っかかりを感じた後、図書館の中へと入っていった。
「本がいっぱい!」
図書館の中を見て、カヨが大きな声を上げる。VR図書館のデフォルトの内観は、ダレル&パートナーズによってデザインされた天井の高い、木製の本棚の並び立つ落ち着いた空間になっている。
「他の人もいる!」
「ああ、意外とユーザーがいるな」
VR機器を使わないと利用できないサービスだが、やはり新型コロナウイルスの影響か、家の中から出ずに暇が潰せる娯楽として選ばれているのだろう。ケモノアバターがちらほらと、本棚の前で読書をしていた。
「入口にはいなかったよ?」
「あァ、まァな。ケモプロユーザーは普通ジャンプメニューを使うし、VR図書館単体で起動したらいきなり中から始まるから、あの入口を使うヤツはほとんどいねェ」
「ふーん」
カヨは周囲のアバターを見渡す。
「……喋ったらダメ?」
「ん? あー、別に構わねェぜ。リアルじゃ図書館で騒ぐヤツは叩きだされるだろーが、オレらの会話はオレらにしか聞こえねェし。将来、ケモノAIが全員これるように設定したら、そーいったマナーは気にする必要はあるかもしれねェが、今じゃねェな」
ボイスチャットは許可したユーザー同士でしかできない。そしてカヨの声は他のユーザーに聞こえたら騒ぎになるので、俺たちにしか聞こえないようになっている。いくら騒いだところで、咎める人間は誰もいない。
「人間の世界の図書館は喋っちゃいけないし、この図書館も将来的にはそうなるだろうが、今は気にしなくていい。それより、本を読んだらどうだ?」
「うん」
「児童書は……あっちの方だな。行こう」
本棚の中身を変える方法もあるのだが、ススムラが張り切って配置した図書館をそのまま使うのもいいだろう。しばらく図書館の中を移動し、児童書のコーナーに到着すると、カヨは本棚に駆け寄って本を吟味し始めた。
「これにする」
一冊の本を取り出すと、カヨはこちらに持ってくる。
「ユウ、読んで」
「……それで呼ばれたのか」
「ウハハッ」
ミタカがバシバシと膝を叩いて笑う。
「困った声出してんじゃねーよ。本ぐれェ読んでやれって」
「困ったというか、意外だった。なんというか、すごい勢いでパラパラめくって読んでいくイメージだったから」
「んなわきゃねェだろ」
ミタカは手のひらを上に向け、クックッと笑う。
「文章データを取り込むだけだったら一瞬だろーが、そりゃ本を読むたァ言わねェ。本を読むのには時間がかかんだよ。頭ン中……って表現もなんだが、とにかく、書かれた内容を読んで、頭ン中で再現して解釈するって方法をとってっからな」
「……どういうことだ?」
「例えばだな……『二人の男女が喫茶店で向かい合って座っていた』っつー文章があるとすンだろ」
ミタカが話し始め、カヨもそれを本を抱えたまま聞く。
「この文章だけで状況を理解できる──情景を想像できる人間は、かなり高度なことをやってるわけ」
「どういうことだ?」
「ちょっとさっきの文章で情景を想像してみ。したな? んじゃ、オマエ、今、男と女を机を挟んで椅子に座らせてるだろ?」
「ああ」
「そりゃ、なんでだ?」
ミタカはアバターをニヤニヤとさせる。
「さっきの文章には机とも椅子とも書いてねェぞ。座布団に座ってるかもしれねェ。机じゃなくてちゃぶ台かもしれねェぞ? どうして机と椅子なんだ? ん?」
「それは……一般的に、喫茶店と言えば机と椅子だから、かな。確かにちゃぶ台と座布団かもしれないが、それは一般的とは言えないし、そんな変わった喫茶店なら後で補足があるだろう」
「そーゆーことよ」
ミタカは満足そうに頷く。
「本なんてな、文章一つだけ抜き出したって何にも理解できねェ。これまでの経験や知識から、ある程度情報を『仮置き』して読み進めていく。続きの文章で補足情報や、仮定を覆す情報が入れば、そのたびに細部を修正していくもんだ。『男女』だって、どーゆー関係でどーゆー年恰好かなんてわかんねェだろ?」
「……なるほど」
「んで、カヨっつーかケモノAIは、その仮置きを頭ン中でやって、それを見るっつーか認識して文章を理解してるワケ。予測や推定ができて、場面を見て学習できるケモノAIの土台あってこそだな。てことで、本をパラパラめくってハイ終了、っつーわけにはいかねェの」
「よくわかった」
ケモノAIでも人外の速読はできないらしい。そして。
「ユウ、読んで」
まだ本を読む訓練中のAIには、読み聞かせも必要ということだ。
「──……ジャケットってなに?」
「この表紙で着ている青い服だな。上着の上から羽織るものだ」
「ジョウロって?」
「水を入れて使う道具で……──」
◇ ◇ ◇
「ついたぞ、カヨ。ここが『本物の』球場だ」
「うん」
開放型の野球場を前にして、カヨが頷く。建物の壁に取り付けられた看板に書かれた球場名は──『獣子園球場』。
「話を聞いた時は一瞬ビビッたぜ」
カヨの後ろで、ミタカは肩をすくめる。
「リアルの球場に連れてけって話かと思ったが、まさか『本番サーバーの球場』たァな」
「テストサーバーにも獣子園はあるんだよな?」
「あるよ」
カヨは頷く。
「でも、本当の選手はいないの」
「本当の選手?」
「テレビの中の選手」
ケモプロ内にはテレビというマイルーム用のアイテムがあり、ケモプロの試合もわざわざそれを使ってみることができる。カヨの部屋にもテレビはあり、それを使って試合を見ていたらしい。
「人も少ないの」
「まァ、テストサーバーだかんな」
テストサーバーのケモノAIは、必要によって生み出され消されていく。昨日見た選手が今日はいない、ということが日常的に起きている場所だ。カヨや訓練中の教育係たちなどのわずかな例外が存続しているだけだ。
「早く行こう」
「そうだな。はぐれないように手をつなごう」
「うん。早く」
カヨが俺の手を握る。……が、俺を引っ張ることはできない。俺がアバターを移動させるのに合わせて、カヨはトタトタと後に続いた。
球場の中を抜け、スタンドへ。急速に明るくなり、歓声が飛び込んでくる。
「すごい。人がたくさんいる!」
「獣子園の本戦が始まったからな」
6月、7月の2か月間をかけて行われていた獣子園地方予選。全国47校の代表が決まり、今日から本選が開始していた。今日はその第一試合が行われる。すでに観客席は満席で、直接操作しているユーザーも多くいるようだった。
「……しかし、今年は初日にしては人が多い気はするな。去年はここまででもなかった気がするが……」
「今日が土曜だとか、3年目ってェのもあるだろーが」
「ああ……そうか、3年目か」
サービス開始から3年目の獣子園。ということは、1年目の獣子園の時に高校一年生だったケモノが、三年目の夏を迎えるということ。これまでの間に応援する学校ができたユーザーにとっては集大成の一大イベントだろう。ネーミングライツを買う学校や企業も増えたし、注目度はこれまで以上だ。
……こうして考えると、甲子園というのはやはり強力なコンテンツだ。実在の高校であるということは、母校というつながりもある──応援につながる導線が多い。
「今年は甲子園やってねェのが大きいだろ」
しかし夏の定番の甲子園も、今年は新型コロナウイルス対策で開催されないこととなった。各都道府県が代替大会を行ったり、春の甲子園に出場するはずだった高校を招待して短期間で甲子園で交流試合をやる、ということはするらしいが、やはりいつもの夏とは違うだろう。
「つーか、オレらも甲子園がないから試合時間早めてるしな」
去年、一昨年は甲子園の試合が終わるであろう20時頃からの試合開始だった。今年は土日の試合は一試合目を昼、二試合目を夜に行うことにしている。平日でも在宅勤務が増えているから昼に放送していいだろう……という意見もあったが、さすがに仕事中に見てくれと宣伝するわけにもいかない。
「っと、ちょい待ち。……あー、あそこか……」
ミタカはVRのスマホを手にして唸る。
「悪ィ、ちょっと抜けるわ。どうせあとは観戦するだけだろ? 任せる」
「トラブルか?」
「ってわけじゃねェが、オレが説明したほうが早そうなんだよ。んじゃな、カヨ」
「アスカ、帰るの?」
「おう、また今度な」
「バイバイ」
カヨが手を振り、ミタカのアバターが球場から消えていく。どうやらプログラムの関係でBeSLBから質問が来ているようだ。
「ユウ、行こう」
「ああ。どこかフェンスの前にでも行って観戦……」
言って、カヨの背丈ではフェンスから顔が出そうにないことに気づく。
「……どこか座れるところを探そうか」
「うん」
俺は現実で座れば休めるが、カヨは椅子に座らないと立ちっぱなしだ。もちろん、そうなればカヨは疲れてへばってしまうだろう。
「しかし……チャンネル1に空きはなさそうだな」
有料、もしくは先着順のチャンネル1の観客席は、どこを見回しても埋まっていた。
「別のチャンネルに移動しよう」
チャンネルリストを呼び出す。
「ここなら空いているな。移動するぞ」
「うん」
ユーザー同士でグループを組んだ状態と同じく、カヨは俺のチャンネル移動に追従するようになっている。リストを操作し、ローディングのため一瞬目の前が暗くなった後、再び満員のスタンドが姿を現す。が、これは見た目だけだ。実際にこのチャンネルに座っているアバターしか見えないモードに変更すると、観客がごっそり消えてまばらになる。
「よし、近くに座ろうか」
「ユウ、あっち」
カヨが先に立つ。それに合わせて移動すると、カヨはトタトタと歩いて進み始めた。
「どこに行くんだ?」
「あっち」
一列開いている席もあるが、それを無視してカヨは進む。立ち止まったのは、閑散とした席に並んで座っている体格のいい──ふたりのケモノ選手の前。
「こんにちは」
カヨはそのふたりに挨拶する。
「島根の、
土佐犬系男子と、黄色い熊──プニキ。
……そういえば、この二人は同じ高校出身だったはずだ。2018年度、2019年度の獣子園を連覇した、高知の百森農業高校。今日、この獣子園本戦第一回戦第一試合を戦っている高校の。クマ貴、プニキはわざわざ帰郷して応援しに来たらしい。
そんなふたりは、カヨに挨拶されて──反応を返さなかった。試合に目を向けたままだ。
「……こんにちは!」
カヨが再び声を上げても、ケモノ語で呼びかけ直しても、ふたりは反応しない。
「ユウ、どうして?」
「カヨ、ふたりはまだ日本語もケモノ語も理解できない。……というか、カヨは今ケモプロユーザーと似たような状態になっているらしいから……」
テストサーバーのカヨと本番サーバーのケモノAIが接触しないように、ということでミタカが処置を施していた。
「……おそらく、直接は認識してもらえないだろうな」
カヨは俺の顔を見て、悲しそうな目をする。
「……クマ貴と話したい。どうしたらいい?」
「話す方法か……」
とは言っても、お互いを直接認識できたとしても、カヨはデータを喋れない。プニキは日本語もケモノ語も分からない。そんな状態じゃ通訳なしに会話は──通訳。
「ああ、そうか。俺が通訳くんを出せば話せるんじゃないか?」
「出して」
「よし」
通訳くんを起動する。まぬけに俺のアバターを模倣した通訳くんが現れると、カヨは急かすように言った。
「クマ貴にきいて」
「何を話したいんだ?」
カヨは──ゆっくりと息を吸い込んでから、口を開いた。
「──どうして、ホームランをしたいの? ……って」
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