子供部屋のネズミ
そこは一見すると普通の子供部屋だった。
背の低い家具が並び、ぬいぐるみや積み木がおもちゃ箱から顔を見せている。しかし、よく見れば普通の子供部屋ではないことに気づく。積み木に刻印された文字、本棚に並ぶ本に印刷された文字が、日本語でも英語でもないことなどが、その象徴だろう。
「やあ、ユウ。ようこそ」
「久しぶりだね、オオトリ君」
部屋の中にある大人用の椅子に座った二人のケモノアバターが呼びかけてくる。カラスモチーフの男と、長いアッシュブロンドの髪の犬モチーフの女。KeMPBで言語担当をしているシミズルイと、AI心理を担当しているチムラマリカ。
「久しぶりだ。なかなかこうして会う機会がなくてすまない」
「いやあ、オオトリ君は忙しいからね! そして私もこの仕事にのめりこんでしまっていたから、お互い様さ!」
チムラは長い髪を揺らして楽しそうに言う。……楽しいならいいんだが、体は壊さないようにしてもらわないとな。
「今日はAI育成の成果を見せてくれる、ということだが」
「成果って言い方は嫌だなあ。あの子は、僕とマリカお姉ちゃんの子供みたいなものなのに」
「やめろ、気持ち悪いことを言うな!」
「ええ、気持ち悪い? そんなこと彼女に聞かせていいの?」
「ウッ……」
チムラはルイに覗きこまれて、言葉に詰まる。
「彼女?」
「ああ。今日君に紹介するAIのことだよ。普通AIに性別なんてないけど、彼女はケモプロ世界のAIだからね。体があるということは、性別もあるということだから」
「なるほど。女の子なのか」
子供部屋を見回す。言われてみれば女の子の部屋……かもしれない。
ここは開発用テストサーバー内に設けられた、次の世代のAIを教育するための場所。ドアの向こうには公園やスーパーなど、一般的な街並みが用意されていると聞いている。
「うん。ネズミの女の子だよ。名前はカヨ」
「今はいないようだが」
「隣の部屋で待たせているんだ。それじゃ、そろそろ呼ぼうよ」
「待った待った」
腰を浮かしたルイを、チムラが制する。
「通訳くんを呼ぶのを忘れているぞ」
「ああ、そっか。うっかりしてたよ。僕はケモノ語を使えるから」
「そんなのは君だけなんだからな?」
「チムラは使えないのか」
「カタコトなら少し……というところさ」
チムラは肩をすくめる。
「とにかく、オオトリ君は通訳くんを出してくれるかい? でないとカヨとは会話できないからね」
「わかった」
コマンドメニューを呼び出し、通訳くんを起動する。目の前に鏡が現れ、それを見ている間に、隣に浮いていた球体が変形し、俺のアバターを間抜けに模倣する。
「ようし。それじゃルイ、カヨを呼んでくれたまえ」
「ん」
ルイは頷くと、奥の方の扉に向かって何かを言った。ケモノ語だ。かろうじて聞き取れたのは、カヨという名前だけ。
ルイの呼びかけに少し遅れて、扉がわずかに開いた。戸板を体全体を使って押すようにして、小さな──俺の太ももぐらいの高さの、耳の短いネズミモチーフの少女が入ってくる。
再びルイが何かを言うと、カヨは頷いた。そして俺の方を向くと、何か言いながら頭を下げる。
『おはよう、と挨拶をしています』
「おはよう、カヨ」
俺の言葉を、通訳くんが訳してカヨに伝える。カヨの目は、じっとこちらを見つめ続けていた。
「うーん、ちょっと煩わしいね。通訳くんを直訳モードに変えようか……ん、これでよし。さ、オオトリ君、続きをどうぞ」
チムラが手元で何か操作してから促してくる。確か注釈を無くすモードだったな。
「俺の名前はオオトリユウだ。ルイとチムラが所属する会社の代表でもある」
『わたしの名前は、カヨ』
俺に似た声で、通訳くんがカヨの言葉をそのまま訳す。……少し微妙な気持ちだ。
『ユウは、ネズミですか? なんの種類のネズミですか?』
「この姿は、この世界用のアバターだ。現実では人間をやっている。アバターのモチーフになっているネズミの種類は……分からないな、モチーフがいるとは聞いていない」
『わたしのモチーフは、ブランブルケイメロミスです』
「ぶらん……何だって?」
「ブランブルケイメロミス」
ルイが横から解説をする。
「ブランブル・ケイという、オーストラリアはグレートバリアリーフにある小さな島にだけ生息していたメロミス属のネズミだよ」
それはまた、ずいぶんストレートなネーミングだな。
「していた……というと?」
「つい去年に絶滅が宣言されたんだ。気候変動による海面上昇で住処が水没した影響とされているね。別にわざと選んだわけじゃないよ? ランダムで生成したらこうなっただけ。むしろよくこんな種を用意していたなと驚いたよ」
ずーみーか、それともBeSLBのデザイン班か。いずれにしろ誰かが注目して用意していたんだろう。
『ユウ』
カヨが呼びかけてくる。……その部分はカヨも「ユウ」と言ってくれているので、通訳しなくていいんだが。
『会社って何ですか?』
「ああ。組織、だな。同じ目標のために、いろんな人が集まって協力する組織のひとつだ」
『目標って何ですか?』
「KeMPBの目標は、ケモプロを何十年と続けること──ん?」
そこまで話して、ふと──俺は違和感に気づいた。いや、違和感がないことに気づいた、というべきか。
「……ケモノは通訳くんしか認識しないんじゃなかったか?」
ケモノ選手への直接の感情を避けるため、ケモノAIと話ができるのは通訳くんだけ……のはずだった。しかし。
「どう見てもカヨは俺を認識しているようなんだが」
今この間にも、カヨは通訳くんではなく、俺のことをじっと見ている。
「あっと、いっけない、忘れてたよ」
ルイはポコン、と自分の頭を叩く。
「言葉を教えるわけでしょ? 通訳くん越しじゃ時間が惜しくて。カヨにはユーザーを直接認識できるように設定していたんだ。ま、ここはテストサーバーだし細かいことはいいじゃない。それより、カヨはどうかな?」
「すごい……んじゃないかと思う」
「あれ、微妙な反応だね」
期待通りのリアクションじゃなくて申し訳ないが、しかし。
「他のケモノも、通訳くんを通せば話しているように見えるからな。今のところ、違いがまだよく分からない」
「やっぱり? だろうね。カヨの世話係のAIもリスニングは良くなってきたんだけど、喋りはまだまだだからねえ。そうなると傍から見て違いが分からないと思って、カヨだけを紹介したわけだけど……」
「自分でケモノ語を組み立てて話している、ということだが……ちなみに、どういう教育をしたんだ?」
「ケモノ語を話して聞かせたり、吹き替えたテレビを見たり、本を読み聞かせたりだよ」
ルイは辺りに置いていた本を手に取って振る。
「僕とマリカお姉ちゃんがつきっきりでね。もちろん、僕らがログインしていない間は世話係のAIに任せたけど、それでも問題なく言語を習得してくれたし、『ケモノの赤ちゃんが言葉を喋れるようになるか?』『ケモノの大人が言葉を学ぶか?』という点についてはテストできたとみていいよ」
「カヨには、人間の発達と同じ道のりを歩ませたつもりさ。しかし理論上のものがこうして形になると感動するよねえ。論文のネタは尽きないよ」
チムラが興奮気味にルイの補足をする。
「なるほど……カヨは人間で言うと、今何歳ぐらいなんだ?」
「人間の発達段階で言うと2歳半ぐらいだね」
「……プロジェクトを始めたの、4月ぐらいだよな? 3か月で?」
「そこはAIだからねえ。人間と違って長く寝る必要もないし、私たちがいない間は時間を早回しすることもできるわけさ」
なるほど。乳幼児の間の睡眠時間までリアルに再現する必要はないか。
「さて、実はユウを呼んだのにはもうひとつ理由があるんだ」
「なんだろう?」
「カヨからユウにお願いがあるんだよ」
「……カヨから?」
ルイはカヨに向かってケモノ語で何か喋る。カヨは頷くと──俺を見た。
『私は本をもっと読みたい。図書館に行きたい』
「……図書館に? そういえば確か、ケモプロの中にも図書館があったな」
雨森ゴリラがよく利用している図書館があったはずだ。それをテストサーバーにも置いてくれ、ということか?
「いやいや、違うんだ。実はあの図書館は『本物の本』を置いていないんだよ。本の形をしたアイテムを使用すると、ケモノAI向けに整形したデータを学習できる、という感じの施設なんだ。アスカもなかなか工夫したよね」
そうだったのか。
「それじゃあ、カヨの言う図書館とは?」
「VR図書館だよ」
HERB Projectが運営しているVR図書館『HERB Library』。これは参加している各電子書籍サイトの本を借りることができるサービスだ。ケモプロと連携していて、ケモノアバターで入場することができる。
「ああ。しかしあれは、ケモプロと連携しているとはいえ、別会社の別サービスだ。ユーザーはケモプロを通して入れても、ケモノは入れないはずだが」
「そこを何とかしてほしい、というのがお願いだよ」
ルイはにこやかに言う。
「カヨはいずれ司書として採用されるんだから、職場を下見しに行ったっていいよね?」
そういえばケモノAIが言語能力を身につけたら、それを応用して司書としてVR図書館でユーザーの相手をする予定だったな。その第一号にカヨを予定しているのか。
「本が読みたい、ってカヨが言っただろう? カヨに本を読ませたいんだよ。今は僕たちが用意したケモノ語の本を読み聞かせているんだけど、なんせ自分たちで作らないといけないから、量が足りなくて。その点、VR図書館に行けば教材は増えるじゃない?」
「なるほど。……いや、しかし、大丈夫なのか? VR図書館にあるのは、主に日本語の本だぞ? ケモノ語の本じゃない。自動翻訳した本でいいのか?」
「その疑問はもっともだよね」
ルイは頷くと、カヨの方を向いた。
「というわけで、カヨ。今度はオオトリ君に、日本語で挨拶してくれる?」
ルイは日本語でそう言い──
カヨは、頷いて俺を見た。
「こんにちは、ユウ。わたしは、カヨです」
「……ああ、こんにちは」
それは紛れもなく、日本語だった。通訳くんでなく、ケモノAIが……日本語を喋っている。
「……驚いた。日本語の教育も?」
「僕とマリカお姉ちゃんが雑談しているのを聞いて覚えたみたいでね」
ルイはクスクスと笑う。
「ケモノ語には外来語として英語や日本語も含まれている。だから単語に日本語が混じることぐらいは想定していたんだけど、かなりケモノ語と日本語をちゃんぽんして喋りはじめちゃってね。それならいっそ、ということで、バイリンガルで教育しているんだよ。いずれ司書になるんだから、日本語は使えたほうがいいよね?」
「……通訳くんは必要なかったか?」
「アハハ、驚かせようと思って」
どうやらここまで全部想定通りらしい。俺は通訳くんを引っ込める。
「ケモノ語と日本語は文法が似ているという話は聞いていたが、まさかカヨが日本語を喋るとは」
「カヨと他のケモノAIの違いを分かってくれたかな?」
「よく分かったと思う」
ケモノAIはデータを喋っているだけで、それがケモノ語に聞こえるのは翻訳システムの結果だ。しかしカヨは、そのシステムに頼らずに喋っている。その応用で、日本語までも。
「それで、VR図書館の話だったな」
「うん。KeMPBは今の司書システムも担当しているけど、あれを作るために本の中身まではデータを貰っていないからね。カヨが今後司書としてやっていけるかどうかの確認も含めて、実際に本を読ませて教育したいんだ。カヨに本の中身を見る許可を取り付けてほしい」
「そういうことなら、HERB Projectと交渉しよう」
そもそも『本物の司書』が欲しいと言ったのはススムラだし、問題ないだろう。
「……ところで、ミタカもその方針なのか? 聞いていないんだが」
AI全般の責任者はミタカだ。こういう話があるなら、ミタカから先に相談があったと思うが……。
「いや? アスカにはこれから。ほら、将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、って言うじゃない?」
「なるほど……俺は馬か。わかった、ミタカと相談しておく」
「頼んだよ」
ケモノ語を覚える、という実験は成功しているわけだし、カヨが日本語を覚えていくことには問題ないだろう。
「ねえ」
カヨの声がする。下を向くと、カヨが近くでこちらを見上げていた。
「ユウは、ウマなの?」
「いや、今のはことわざ……物事のたとえであって、実際に俺が馬というわけじゃないんだ」
「むずかしい」
「目的を達成するためには、まず関係する事柄から達成したほうがいい手段である……という感じの意味だ」
カヨは首を傾げる。
「説明が悪かったかな」
「今は伝わらなくても、いずれ分かるときが来るはず。ユウが誠実に接してくれて助かるよ」
ルイはそう言ってから、ポンと手を叩く。
「あっと、ところでユウ、カヨからはもう一つお願いがあるんだよ」
「そうなのか」
俺は膝をついてカヨと目線を合わせる。
「カヨ。もう一つのお願いとはなんだ?」
するとカヨは、ネズミの小さな目をこちらに向けて──はっきりと言った。
「わたし、本物の球場に行きたい」
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