誰よりも

「代表、おはようございます!」

「おはようございます!」


 駅から徒歩18分、ドラッグストアの上の2階に構える合同会社KeMPBの事務所。カードリーダーにスマホをかざして扉を開けて中に入ると、背の高いスポーツ刈りの男、アツシが大きな声で挨拶した。するとそれに続いて2人、似たような感じの男が続いて頭を下げて挨拶をする。


「……おはよう」


 アツシと同じ機器販売部門で……名前は憶えている……んだが、どっちがどっちだったかいまいち自信がない。人の顔と名前を一致させるのが苦手とはいえ、従業員相手にそれはマズい気もするんだが、これ以上人数が増えたら全く自信がないな……。


「今日は邪魔させてもらってすまないな。何を手伝えばいい?」

「いやいや、力仕事は僕たちがやりますんで。じゃ、そっち積み込んどいて」

「オス!」


 機材を持って二人が出ていく。事務所の横に止めていた車に積み込むのだろう。


「悪いな、タダ乗りさせてもらって」

「代表と僕らじゃ腕の太さからして違うんだし、役割分担ですよ」


 ……それもそうか。


「僕らは機材の搬入と設置、使用法の説明をする。代表は新商品の説明の仕事をする。お互い自分の仕事をきっちりやりましょう」

「そうだな」

「実際、どうなんです、新商品の手ごたえは?」

「予想外の反応だった」


 もしかしたら需要があるかな、ぐらいの考えで「こういうものも始めました」と事例紹介をしたら飛びつかれた。


「こちらとしては遊園地のゲームぐらいの認識だったんだが……どうしても『打撃練習シミュレーター』について直接話が聞きたいと言われてしまってな」

「いやいや、謙遜しすぎですよ。僕もアレはすごくいいものだと思います」


 アツシは勢い込んで話し出す。


「ピッチングマシンを使うんじゃなく、実際の投手が投げても守備のシミュレーションをしてくれるんでしょう? それは欲しくもなりますって」

「そうなのか」

「ええ、練習の意味を変えると思いますよ」

「意味? ……打つのをうまくなる練習じゃないのか?」

「というか、意識、ですかねえ」


 何だか大層な話になってきたな。


「プロ野球選手の打撃練習って、それに付き合う打撃投手がいるんですけど、彼らの仕事ってバッターに『気持ちよく打ってもらうこと』なんですよね。もちろん苦手なコースを打つ練習をバッターはするわけですが、打てるようになってもらわなきゃいけないわけじゃないですか」


 打者が主役の練習で完封するのも何か違う気がするし、そういうものだろうな。


「でも、『気持ちよく打って』終わりじゃいけないと思うんですよね。打ったところで、そこに守備の選手がいたらアウトじゃないですか。これまでは打って、感覚でヒットかどうか──『良い』かどうかを判断していたんですよ。一人の打撃練習のためにフィールド全面使うわけにもいかないですからね。でも『打撃練習シミュレーター』を使えば、ヒットかどうかは感覚に頼らず判断できる。ケース打撃も一人でできるようになるから、例えばゲッツーにならない打ち方の練習とかもできるし、これまでの打撃練習とは心構えが変わりますって」

「なんだかアツシに説明を頼んだ方がいい気がしてきたな」

「アッハッハ、そういうわけにもいかないでしょう? 元プロの意見としてセールストークのネタに使ってください」

「使わせてもらおう」


 ブロッサムランドから取り寄せた、お客さんが遊んでいる映像なんかを紹介するつもりだったんだが、アツシの話の方が受けがよさそうだ。


「ソウムラさん、準備できました!」

「あ、了解です!」


 扉の方から声がかかる。荷物の準備ができたらしい。


「それじゃ行きましょうか、代表。……にしても、残念ですね」

「何がだ?」

「会えないじゃないですか。ほら、代表の幼馴染の──オオムラ選手に」


 今日アツシと向かうのは、カナが所属する球団の練習場だ。しかしカナは球団に付いて行って遠征中なので、そこにはいない。カナに帯同するニシンもだ。


「会おうと思えば機会はあるだろうし、そもそも今日は仕事の用事だぞ」

「代表はマジメですねえ」


 なぜかがっかりしたような様子のアツシと共に、事務所を出る。東京は今日も35度を超える猛暑日だった。車のクーラーが効くといいんだが。



 ◇ ◇ ◇



 練習場に到着し、機器販売部門のアツシたちとは別れて球団職員と商談をする。意外とブロッサムランドの映像も受けがよかった──特に、メガ・ビースト・ピッチングマシンが。導入したいわけではないらしいが。


 そもそもがこれまでのお礼で一度顔を見て話をしたい、という内容だったため話はスムーズに進み、とりあえず数台の試験導入をする見通しでまとまって、解散となった。休憩所でスマホをいじりながらアツシを待つ──と。


「こんにちは、お久しぶりです」

「代表、お待たせしました──と」


 同時に話しかけられた。アツシと、それから──


「テンマ選手!?」


 カナと同じ球団に所属する投手、テンマダイチ選手。イケメンはマスクを着けてトレーニングウェアを着ていてもキマっているな。


「久しぶりだな」

「こちらの方は?」

「KeMPBの機器販売部門に勤めている、ソウムラアツシです!」


 アツシが綺麗に頭を下げて名乗る。


「ソウムラ……もしかして、ソウムラエイシさんの?」

「はい、息子です。テンマ選手と会えて光栄です」

「あはは、やめてくださいよ。ソウムラさんの方が先輩じゃないですか」

「僕はもうプロじゃないですから。それに、僕らもあの年の甲子園はとても興奮したものですよ。あんなプレーを見せられたら、誰だって憧れるってものです」


 甲子園を劇的に勝ち抜いたニューヒーローは、同じプロ野球選手にもファンを作っているらしい。


「よければ握手して──ああ、いけない、そういう接触は避けないといけませんよね」

「あはは、ご時世ですからね。代わりに、サインでよければ」

「いいんですか! あっ、でも色紙が……」

「近くのコンビニで売っていますよ」

「買ってきます! 待っててもらっても?」

「もちろん」

「代表、すぐ戻りますんで!」


 そう言うと、アツシは駆け出して行った。……まあこの後の予定には余裕があるから、いいか。


「待ってる間、少し話さないかい?」

「構わない」


 テンマ選手に促されて、休憩所の椅子に座る。


「少し話をしたいと思ってたんだよ。今日会えてよかった」

「そういえば……テンマ選手は遠征に付いて行かなくていいのか?」

「テンマでいいよ。僕は先発だからね、ローテーションがあるんだ。次の出番はまた別の球場だから、先に帰ってきたんだよ」


 なるほど。そういえば先発投手はそういう仕組みだったな。……いや、しかし。


「打者としての出番もあるんじゃないか?」

「もちろん」


 テンマは目だけで苦笑する。


「ただ、完全休養日というのもあってね。今日がそれさ。ベンチに入れてもらえないんだ。やれる自信はあるんだけど、球団の方針には従わないとね」

「なるほど」


 甲子園全試合完投のヒーローも、さすがにプロの舞台では休みが必要なんだな。


「オオトリさんは、今日は?」

「商談だ」

「シミュレーターのだよね」


 頷くと、テンマは少し目を天井にやった。


「あれを……サン君は自宅に導入しているって、本当かい?」

「本当だ。オフの間はずっと投球練習シミュレーターで練習していたと聞いた」


 埼玉の実家の庭の一部を使って設置したらしい。


「そうなんだ。けど、本当に……効果があるのかな? ああ、いや、オオトリさんの前で言うことじゃなかったかな」

「構わない。ただのゲームだと言って取り合ってくれない球団もあるし、その球団の投手の成績が他と比べて悪いというわけでもない」


 こういった練習器具については効果が分かりにくいものだろうし、こちらとしても『よくなる』という保証はできない。お互いに『よくなるだろう』と思って売り買いしているだけだ。


「ただ、サン選手は効果があると言っている。実際、カナにホームランも打たれなくなったし、サン選手に関しては効果があると言ってもいい気はするな」

「サン君は──」


 言いかけて──テンマは言葉を止め、ゆっくりと手でマスクを抑えた。ふむ、これは……。


「もし、サン選手の練習方法が気になるなら、教えてもいい」

「えっ」

「サン選手は『投球練習シミュレーター』のアンバサダーだからな。知りたい人には練習方法を教えていい、と言われている」

「それは」


 テンマはゆっくりと問う。


「……教えていい、と?」

「テンマに教えちゃいけないとは言われてないし、いいんじゃないか? 知りたければ誰でもいいと言っていたぞ」

「……ッ」


 テンマは息を呑んで──ふう、とため息を吐き、苦笑して体勢を崩す。


「それじゃあ、訊こうかな。サン君はいったい、『投球練習シミュレーター』でどういう練習をしているんだい?」

「ゴリラと戦っている」

「ゴリラと」


 俺は頷く。


「ケモプロの球団の一つに、東京セクシーパラディオンという球団があって、そこの選手に雨森あめもりゴリラというゴリラの選手がいるんだ。3年連続で首位打者と最多本塁打賞を獲得している、ケモプロ内最強の打者だな」

「そ、そうなんだ。その最強のゴリラと……」

「ほぼ毎日戦っている」


 逆にゴリラに試合がある日はあまり使っていないようだった。


「いったいどうしてだい? さすがに一人の打者とだけ練習するのは効率が悪い気もするんだけど」


 ……しまったな。この話をするとエーコとの約束を破る可能性があるか? しかし、サン選手には詳しく教えて構わないと言われているし……。


「……ここから先は、他言してほしくないんだが」

「え? そんなに? ……いや、わかったよ。言わない、約束する」


 テンマは頷く。これなら大丈夫だろう。


「サン選手曰く、カナの打撃フォームはゴリラにそっくりらしい」

「オオムラさんが、ゴリラ。あ、いや……ええ?」

「ゴリラを抑えることができれば、カナを抑えられるのが道理だと」

「ケモプロ最強の打者をね……」


 テンマは苦笑した。


「サン君はずいぶんオオムラさんを買っているんだね」

「そのようだ」


 この間も何かの記事で、最も手ごわい打者が誰かと聞かれたとき、カナだと答えていた。


「オオムラさんも大変だな。ファンの期待は重いし、マスコミにも追い回されているのに、それに加えてサン君にも粘着されているなんて」

「大変だと思う」


 日刊オールドウォッチが暴走するマスコミを取り上げる記事を何本出しても、懲りることなく様々な手段でスクープを狙っている。ニシンやエーコ、球団職員も対処に苦労していると聞いた。


「そうだよね」


 テンマはうんうんと頷く。


「オオムラさんは女の子なんだから、あまり無理をさせるのはよくないよ。その辺、先の見通しは立っているのかい?」

「……うん?」


 見通し?


「見通しって、何の話だ?」

「隠さなくてもいいよ。前の……去年会った時の様子を見ていれば分かるし、他言はしない」

「……?」

「……え?」


 テンマは首をひねる。


「結婚しないのかい?」


 結婚?


「何の話だ?」

「いや、オオトリさんが、オオムラさんと結婚しないのかって……いう話だけど?」


 俺が、カナと。


「……考えたこともなかったな」


 そういう誘いを受けたこともないし、どうやら俺にはまだ思春期が来ていないようだし。


「ええっ。ちょ、ちょっと、それはオオムラさんに失礼だと思うよ?」

「なぜ?」

「なぜって……いや……ああ、うん……」


 テンマは頭を掻く。


「……それは置いておいても、オオムラさんは結婚を考えたほうがいいと思うんだ」

「どうしてだ?」

「女の子だからね」


 テンマは当然のことのように言う。


「子供を産むのは早いうちの方がいいし、頻繁に怪我をするような職業をあえて続ける必要もないだろう?」


 不意に。


 ニシンの言葉を思い出した。『テンマがむかつく』、と。


「……つまり、カナは早く引退したほうがいい、と?」

「そこまでは……いや、うん、そうだね。その方がオオムラさんの幸せにつながると思う。やっぱり幸せな家庭を築くことが一番だよ」

「カナには、これ以上の成績は望めないからか?」

「それとこれとは別の話さ。オオムラさんは頑張ってるし、いいバッターだよ」


 テンマは、笑う。余裕そうに。──そうか、なるほど。


「俺は、カナを応援している」


 ニシンの言っていることがようやく分かった。


「プロ野球選手はカナが選んだ道だ。カナが続けたいと思う限り、続けていけばいいと思う」

「そうだね、僕も応援はしているけど──」

「なぜなら」


 俺が応援するのは。


「カナが強いと信じているからだ。これから先、きっと誰よりも強くなると信じている」


 たとえ今実力が及ばなくても、背が高い、お下げでメガネの幼馴染は、強くなろうと努力する。誰に迷惑をかけてでも、それ以上で報いることに決めて、自分の道を進んでいるのだから。


だ」

「そうか、信頼しているんだね」


 テンマはニコリと目で笑う。きっとマスクの下の口元も、微笑んでいるのだろう。


「まあ、確かに少し話が早かったかもしれない。余計なおせっかいだったかな?」

「そんなことはない」


 応援するとは言ったものの、長期的な目標は聞いていなかったことに気づいたし。


「ところで、プロ野球選手で現役の最年長記録ってどれぐらいなんだ?」

「え? 急になんだい? 最年長っていうと、50歳だけど」


 あと29年ぐらいか。


「参考になった。ありがとう」

「そ、そう?」


 首をかしげるテンマを前に、俺はあと30年ぐらいはカナの野球人生を応援する覚悟を決めるのだった。

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