極冠の地
6月11日。
「(アメリカの、そして日本のケモプロファンの皆さん)!」
アルマジロ女子のアバターが呼びかける。
「(ようこそワールドシリーズのファイナルゲームへ! そして──)」
くるりと回って、両手を大きく開く。
「(ようこそ、南極へ)!」
その呼びかけと共に、カメラがグッと引かれる。どこまでも続く白く広大な氷の地。そこにどっしりと構える、白、青、クリスタルを基調にした野球場。
「(ご覧ください、こちらがケモプロ・ワールドシリーズのファイナルゲーム専用の球場、南極大球場です。氷床の上に建設された開放型の球場は、満天の星空とオーロラのカーテンを望みます)」
カメラが暗い空を映す。極夜の薄明の中、エメラルド色のオーロラがたなびいていた。
南極大球場。今日までシークレットとして扱ってきた、ケモプロシーズン最後の、一日だけ訪れることのできる舞台。
「(改めまして、BeSLBの広報部員、ローズマリー・アンブローズです。今日はワールドシリーズ・ファイナルゲームの直前イベントとして、この南極大球場を紹介します。すでに一般ユーザーにも開放されていますので、楽しんでいる人もいるようですね)」
アルマジロ女子──ローズマリーが手を振ると、放送に気づいていたユーザーのアバターたちが、遠くからワラワラと手を振り返す。
「(この南極大球場は、ケモプロ世界の南極に建設された球場です。球場周辺のアクティビティとしてはペンギンの行進を見ることができるほか、ブリザードの体験コーナーもあります! 凍えてみたい方はぜひケモプロにログインしてみてください)」
ゾロゾロと行進するペンギンの群れを、アバターたちが追っていく姿が映される。ケモプロ世界には人間はいないが、動物はいる。ケモノ選手が食べている肉は、直接描写されてはいないものの、どこかの牧場で育てられた牛や豚なのだ。……ペンギンの後ろを、ペンギンモチーフのアバターがついていくのもまたシュールだろうな、うん。
「(それではそろそろ、本日のゲストをお呼びしましょう。ビーストリーグ、アンカレッジ・ハンマーズのオーナー、ダレル&パートナーズの社長、ダレル・グリムスさん。そしてKeMPB代表、ユウ・オオトリさんです)!」
合図があったので進み出る。俺はいつものネズミアバター。ダレルは白いワイシャツを着たヘラジカのアバターだ。
「(よろしくお願いします)!」
それぞれローズマリーとバーチャルな握手を交わす。……現実は新型コロナウイルスの蔓延により接触が避けられているが、遠隔の、バーチャルの世界では握手することができる。物理的な接触はなくても、その仕草に価値があるということだろう。
「(まずはじめに、ユウに伺います。どうしてこの南極大球場を作ることになったんでしょうか)?」
「(ワールドシリーズを戦う舞台として、どの国にも中立な球場を用意したかったんだ)」
「(フーム、というと)?」
「(ケモプロは1,2,5回戦は昨年度ワールドシリーズ準優勝リーグ側のチーム、3,4,6回戦は昨年度優勝リーグ側のチームの本拠地で戦うことになっている。今年は特例で日本が先行だが)」
一般に、サービスが先行しているのでケモノリーグ側の方が有利だと評価されている。なので今年はビーストリーグ側を立てることにしていた。
「(しかし7回戦をどちらかのチームの側でやることにすると、優勝の瞬間をホームで迎える機会が均等ではなくなる。だから両チームに王手がかかる可能性がある最終戦は、どちらのホームでもない特別な球場でやりたかったんだ)」
「(今年は残念ながらそうはならなかったね。パラディオンは強かったよ)」
ダレルが肩をすくめて言う。
「(そうですね。フレズノは惜しくも2勝4敗という結果に終わってしまいました)」
ローズマリーの言う通り、今年のワールドシリーズの勝者はすでに決定している。お互い攻撃重視のチームだったが、最後は東京セクシーパラディオンの打線が押し切った形だ。リーグ優勝からワールドチャンピオンへとセールをアップグレードすることになったセクはらは嬉しい悲鳴を上げている……主にウガタが悲鳴担当らしい。
「(MLBやNPBでは、優勝が決定した時点でシリーズは終了となりますが──)」
「(それではせっかく作った球場をお披露目する機会もなくなるし、頂点の戦いを楽しむ機会が減るのも寂しいだろう。というわけで、ケモプロではワールドシリーズは必ず7回戦を行うことにしたんだ)」
記録をそろえたい──という意図もあるが、興行的な意味合いも強い。
「(話を球場の方に戻すが、中立な球場を用意するとして、いったい場所をどこに設定するかでいくつか案が出たんだ。電脳カウンターズの本拠地のように、空中に浮遊する球場という案もあったんだが……)」
「(電脳カウンターズのオニオンドーム、あの宙に浮く都市はとてもファンタジーで私は好きです。なぜそういう形を選ばなかったのでしょうか)?」
「(空の上も、領空というものがあるからな)」
どこかの国の空は、その国のものなのだ。
「(公海上の空の上か、もしくは海に浮かべるという案もあったのだが、それよりもっとインパクトのある、ケモプロでしか実現できない、ワールドシリーズにふさわしい場所はないかという話になって……南極が選ばれたんだ。南極には南極条約があって、どこの国のものでもないからな)」
「(おおっと、代表? その条約には署名せずに領有権を主張している国もあることはご存じですか)?」
知らなかった──リハーサルまでは。
いや、しかし、南極の土地なんて使い道はないと思ったんだが、軍事基地、地下資源、海洋資源などいろいろあるらしい。……将来温暖化で住めるようになる……というのはさすがにない、かな?
「(では、この南極大球場はマリーバードランドにあるのだと思ってもらおう)」
どの国もマリーバードランドと呼ばれる西南極の一部だけは領有権を主張していないらしい。……そもそもケモプロ世界では人間がいなくなっているし、領土問題というものはないんだが。
「(現実では南極で野球の興行なんてできない。簡単に来れる場所じゃないし、気候や気温の問題もある。しかし、どちらも自由に設定できるケモプロ世界でなら問題ない。だったらやってやろう、ということになったんだ)」
ケモプロなら観客はテレポートして来れるし、気温も野球ができる程度に設定できる。ケモノ選手は飛行機で来るという設定になっているが、わざわざ事故にあわせる必要もないし。
「(なるほど。バーチャル世界の強みということですね)」
ローズマリーがコクコクと頷く。
「(それでは次は、この球場を設計したダレルさんにお聞きしましょう。ダレルさん、南極に球場を建てると聞いた時はどう思いましたか)?」
「(オーナーになってよかったと心から思ったよ)」
白ワイシャツのヘラジカ男子──ダレルは弾んだ声で言う。
「(ケモプロはいつも自分に刺激的な仕事をくれる。すぐにOKだと返事したね)」
本当に二つ返事だったな。南極に球場を建てないか? OK! という感じで。
「(ダレルさんといえば、世界的な建築家で、ケモプロに参加してからは、ケモプロ世界の建築物のデザインも多く手掛けています。どれも実際に建造できるほどリアルだと業界から評価が高いと聞いていますが、この南極大球場も実際に南極に建てることが可能ですか)?」
「(そんなわけない)」
ダレルはバッサリと切って捨てる。
「(こうして
「(それはなぜですか)?」
「(それじゃ、科学の時間だ。この南極大球場は、氷床の上に建てている)」
ダレルはガツガツ、と足で地面を蹴る。
「(氷床というのは文字通り、氷の塊だ。大地じゃない。長い時間をかけて降り積もった雪が圧縮されたものだ。これは常に移動している。速いところでは年数キロメートル。安定している場所もあるが全く動かないということはない。氷の密度もこの球場を支えられるほどじゃない。基部を埋めて柱の上に球場の床を載せているが、この基部もいずれ沈んで傾いていくんだ)」
「(なるほど。およそ建物を建てるには不向きな場所のようですが、なぜ氷床の上に)?」
「(その方が幻想的だし、面白いだろう)?」
ダレルは小さく笑う。ヘラジカ男子の顔が、ニヤリと歪んだ。
「(他にも降雪や暴風、気温の問題もある。傾きは柱を伸ばすことで延命できるが、永遠には無理だ)」
「(ではこの南極大球場は現実では不可能だと)」
「(永遠には、ね。わずかな間でいいなら、可能だ──そういう設計をした。自信がある)」
両手を広げて、ダレルは南極大球場を見上げる。
「(南極に球場を建てた人間は、自分が初めてだろう。そしてケモプロの世界では永遠に存在し続ける。これぞケモプロの可能性だ)」
オーロラの光を浴びて輝く球場を、しばらく三人で見る。
「(さて、南極大球場のデザインについての詳しい内容は別に動画を用意してある。このあと公開するからぜひ見てほしいね)」
動画の内容はダレルが球場を案内しながら、様々な工夫について解説してくれるものだ。専門用語も多いので翻訳には少し苦労したものの、日本語字幕も準備してある。
「(建築に詳しくない俺が見ても面白かった。ケモプロユーザーにはぜひ見てほしいと思う)」
「(なるほど、お二人ともありがとうございます)」
言って、ローズマリーはカメラの方へ向き直る。
「(さあ、それではワールドシリーズのファイナルゲーム、間もなく試合開始です。惜しくも優勝を逃したフレズノは、南極大杯を手にすることができるのか。それともパラディオンが栄光を重ねるのか。チャンネルはそのままでお待ちください)!」
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