虎の視線
「ただいま」
「あっ、お、おかえり、同志」
夜。シオミと一緒に家に戻り、玄関の扉を開けると従姉と鉢合わせした。
「えっと」
「すまない、先に手を洗わせてくれ」
「あ、そうだね」
従姉に廊下を譲ってもらい、洗面所で念入りに手を洗う。未だに新型コロナウイルスは終息を見せない。家の中に持ち込むことだけは避けなければ。
「今日は、偉い人との話し合いだっけ?」
「ああ。フジガミとイルマと一緒に説明をしてきた」
仕事場に戻ると、俺の私室のふすまが全開になっていて、ずーみー、ミタカ、ニャニアンがテレビを見ていた。
「あ、おかえりなさいッス、先輩!」
「ただいま」
応じた瞬間、テレビから快音と歓声、実況の吠える声がする。
「試合は盛り上がっているようだな」
「初のワールドシリーズッスからね!」
6月4日。ケモプロは開始以来初のイベントを迎えていた。日本のケモノリーグ、アメリカのビーストリーグ、そのペナントレースの覇者となった2チーム同士で頂点を決めるワールドシリーズ。4戦先取の7回戦、その1回戦目。
ケモノリーグからは、東京セクシーパラディオン。ビーストリーグからは、フレズノ・レモンイーターズ。ネット上では応援ファンアートもたくさん描かれていて、おおよそ
「視聴者数も、観客数も過去最高デスヨ」
「チャンネル数がここまで増えるとか、人口の差を感じるよな」
ニャニアンとミタカが手元の端末をいじりながら言う。
ケモプロの球場には座席数が決まっており、それ以上の入場客が入った場合は別の『チャンネル』が作られる。試合をしているフィールドは同じものを見れるが、観客席はチャンネルごとに違うアバターが座っている形だ。どうやら今日の試合会場、東京セクシードームには、その収容人数の何十倍ものアバターが送り込まれているらしい。
「先輩の方はどうだったんスか?」
「穏便に済んだ。試合を見て盛り上がっているようだし、水を差すのもどうかと思って、報告はライムにだけしておいたが」
「ん、呼んだ?」
仕事場で忙しく端末を操作していたライムが、ヘッドホンを片方外して振り返る。
「今日の打ち合わせについての話だ」
「ああ、アレね。ムフ。さすが権力! って感じだよね!」
「権力……か? 会場側からの提示額を飲んでキャンセルしたんだが」
「あの日程で抑えた会場のキャンセル料があれだけで済むんだから、権力だよ。忖度ってやつだね!」
ライムが手足をめいっぱい伸ばしてアピールする。
今日、総務省の役人のフジガミとイルマと出席した打ち合わせは、議題の一つに会場のキャンセルについてがあった。ケモプロ初の夏のイベント、ケモノリーグ、ビーストリーグのオールスターゲーム。総務大臣電脳杯のかかったこのイベントは、発表当初、都内のイベント会場を借りてライブビューイングを行う予定だった。オリンピックが迫る日程の中、被ってはいないとはいえ近い日付。多くのイベントがスケジュールに苦慮する中、なんとか押さえた会場で。
しかしこのコロナ禍で数々のイベントがキャンセルされ、ライブビューイングもその進退を問われていた。そして今日、最終的な結論──キャンセルが決まったわけだ。
「残念ッスね。オールスターのライブビューイングやらないの」
「今の情勢じゃしかたないよ。いちおう、観客には間隔を空けて座ってもらうって案もあったけど……」
緊急事態宣言は解除されている。感染対策をすればイベントが開催できないことはない。しかし。
「ハン。万一でもその会場でコロナ感染者が発生、ってなことになったら目も当てられねェしな。叩かれるリスクを負ってまでやる必要はねェだろ」
「フジガミも同じ意見だった」
新型コロナウイルスは終息していない。対策をしていても感染する時はする。その万が一が起きればニュースになり世間から『なぜ敢行したのか』『対策は本当に十分だったのか』と責められることになる。そのリスクを避けたほうがいい、ということで意見が一致した。
「オリンピックと同じく、ライブビューイングは来年に延期ッスか」
「今のところその予定だな」
オリンピックが2021年に延期した──というのも、理由の一つだ。
もともとこの総務大臣電脳杯は、ケモプロを、AIによるeスポーツ興行の可能性を国内外に示すことが意図にあった。しかし現在の情勢ではライブビューイングを開催したところで、海外からの客は来ない。目的が達成できないのであれば強行する理由はないということだ。
「延期したとこで来年でこの状況が収まってるかどうかわからねェし、そもそもやらなくていいんじゃねェか?」
ミタカのような意見もある。
「ケモプロはオンラインで全試合見れるのがキモだろ。無理してリアルイベントをやる必要はねェよ」
「ん~、リアルで人間が集まらないと納得しない人もいるんだよね。お偉いさんとか?」
「……まァ、デジタルについてけねェ世代が力を持ってるこたァ、わかってる」
ミタカは肩をすくめてそれ以上の言及を控える。自然と、全員の視線がテレビに向かった。
日本側の球場、東京セクシードームを舞台に行われるワールドシリーズ第1回戦。3回戦からはアメリカ、グリーン・ドリーム・スタジアムで行われ、5回戦と6回戦を日米交互に行い、最終の7回戦は初お披露目の球場で行われる。
日本シリーズも、メジャーリーグのワールドシリーズも、どちらかが4勝するとそれ以降の試合は行われない。準優勝が決まった後も戦え、と言われたら気乗りがしないだろうし、観客だって減ることは分かり切っているからだと思う。
が、そのために試合数が年によってバラバラなので、記録を競うことが難しい。たとえば4試合で終わった年と7試合で終わった年では、本塁打数を同じ基準で比べることはできない。
そういうわけでケモプロのワールドシリーズは、必ず7回戦行うことになった。ケモノ選手向けのモチベーションとしては、通算成績や勝利数による賞金の他、7回戦目の勝利チームに特別賞や、7回戦限定の個人賞を。観客向けのモチベーションとしては、年に1回しか使わない球場での試合というプレミア感を用意した。
反応を見て次年度以降の調整はするつもりだが、初戦でこの盛り上がりならこのままでいいかもしれない。
「あっ、ずーみーちゃんの絵だよ」
攻守の入れ替え中、テレビの中でバックスクリーンのモニターで、ずーみーの描いた絵が表示されていた。ケモプロの世界が目指していく世界を描いた絵。
「……あれでよかったんスかねえ……」
それを見て、ずーみーはぽつりとつぶやく。
「あの絵の件か? BeSLBのオーナーからは好評だったぞ。ジョージもマルセルも賛成してくれた」
「それは嬉しいし、ホッとしたんですけど……」
ずーみーは歯切れ悪く続ける。
「何もしないよりは、と思ったんスけど……問題の当事者でもないのに差し出がましい真似をしたんじゃないかなあ、と今更思うんスよね。それに、自分だって差別をしてないのか? って言われると、あんまり自信ないですし……」
「そうなのか?」
「だって、外国人とか見るとちょっと身構えちゃうんスよ。道に迷ってそうな人にも、日本人になら話しかけられるッスけど、外国人だと……避けちゃいますし。それって差別なのかなって」
「そりゃ普通だろ」
絞り出すような声で言ったずーみーに、ミタカが何でもないことのように口を挟んだ。
「え。普通……ッスか?」
「あァ。そりゃ差別とはちっと違う。そーゆーのは、単なる防御反応っつーんだよ。たとえば相手が日本人だったとしても、見るからにヤーサンだったら近づかねェだろ?」
「それは、そうッスね」
「相手が日本人なら、同じ言語を使うし、同じ文化で育ったっつー共通認識の下敷きもある。相手がアブねェヤツかどうか判断がしやすい。が」
ミタカはさっさと言葉を続ける。
「日本じゃ同じような判断ができるほど外国人と接触する機会がねェ。となりゃ、『相手がヤバくねェかどうか』見分けられねェうちは、避けるのはむしろ賢明だろーよ。別に、安全が確保されてりゃ声をかけるだろ?」
「それはまあ、確かに……みんなが一緒だとか、相手がおばあさんとかなら……」
「ならこの話は差別じゃねェ。よく知らねェ人間に、危険を顧みずに近づくなって話だろ。人間、ちょっと小突かれりゃ死ぬんだぜ?」
「そうッスかね……」
「んじゃ、ずーみーはセプ吉のことが怖ェか?」
「オッ、正直に言っていいデスヨ!」
ニャニアンが緑の瞳を輝かせてずーみーの方を向く。
「えと……最初に会ったときは、珍しいなとは思いましたけど……先輩たちの知り合いだし、かわいいし、すぐ気にしなくなったッスね。BeSLBのアートスタジオの人たちも、特に怖いとは」
「フフフ。やはり美人は得デスネ」
「調子乗んな」
「……美人だからってのは、やっぱダメッスか?」
「気にしすぎだろ。目に入る以上、外見も判断基準に入るのは仕方ねェ。それに、今ずーみーがセプ吉を信頼してるのは、別に外見や出自が理由じゃねェだろ?」
「それはそうッスけど……うーん……」
ずーみーは首をひねる。それを見て、ニャニアンは指を一本立てながら口を開いた。
「差別とユーのはデスネ、外国人だからとユー理由だけで給料を下げたりすることデスヨ。仕事をするのに必要なスキルが足りていないから、とユーのは公平な理由ですが、仕事に関係ないことで減給されるのはたまりマセンネ。マ、ワタシは日本人デスガ! ハッハッハ!」
「おお……なんか実感のこもった言葉ッスね」
ニャニアンは立てた指を唇に当てて、続ける。
「マ、大なり小なり、どこにでも差別というものはあるのデショウ。当事者じゃない、と感じるほど日本が平和というだけデ、実際は完全に無関係な人間なんていないと思いマス。ワタシはずーみーサンの描いた絵は間違いなんかじゃないと思いマスヨ」
「スかねえ……先輩はどう思います? 自分、なんかもっとした方がいいんスかね?」
「会社としてはこれでよかったと思う」
これ以上の行動は、KeMPBの目的から逸れることになるだろう。
「俺個人としては……そう特別なことをしなくても、自分が差別しないようにすれば、それを見た人もそれが当然だと思って、社会もそうなっていくんじゃないかと思う。だから自分が『そう』であることだけでも、十分なことだと思うが」
「理想論だよね。今変革を求めている人たちには役に立たない」
ライムがぽつりと言う。
「そう思うか」
「うん──でも、自分を律し続けることは難しいことだよ。だからお兄さんが言うことも大切なことだし、何の力にもなっていない、ということはないと思うな」
「なるほど……そーゆー考えもあるんスね……」
「まあまあ、今はケモプロを楽しもうよ! ワールドシリーズだよ!」
テレビに目を向けると、試合はシーソーゲームの様相を呈していた。どちらもリーグ最強の打者を有するチームらしく、点を取っては取り返しの繰り返しだ。観客はそれを見て一喜一憂し、アバターを通じて応援をしている。
「おっ、ウェーブッスね」
観客席でアバターが立ち、座るエモートを駆使してウェーブを行う。完全に揃ってはいない、バラバラでぎこちない動き。
「直接操作しているユーザーが多いみたいだな」
「そりゃあワールドシリーズだし? 全席有料ユーザーで埋まってるしね!」
「ありがたいことだな。……ああ、だからか、ケモノ選手の姿が客席にないのは」
ワールドシリーズ中に、プロの試合は行われていない。出場しない10チームの選手たちには休みが与えられている。そしてケモノ選手も試合の観戦ができるので、どこかにいるかと探していたのだが……全席課金して予約したユーザーで埋まっているなら、チャンネル1にケモノ選手はいないわけだ。
「選手ならチャンネル2以降にチラホラいるッスよ」
「チョット切り替えてみまショウカ」
ニャニアンが操作し、テレビ放送からケモプロのゲームクライアントの映像に変更する。チャンネルを次々に切り替えていくと、確かにケモノ選手たちが観戦をしていた。仲のいい選手たちは並んで座席を確保しているようだ。偶然隣り合った別チームの選手と話しながら見ている者もいる。
「ケモノ選手の中でも、ワールドシリーズの注目度が高いようだな……ん?」
チャンネルを切り替え、画面端に何かが映る。ニャニアンが手を止めた。
「オッ。これはダイトラデスネ」
大きな体の青い虎。
「ダイトラ、試合見るの好きッスからね~」
「でも試合見てないよ?」
「あれ?」
確かにダイトラの顔はフィールドの方を向いていない。きょろきょろと見回しているのは──
「──観客席と、バックスクリーン? バックスクリーンに映ってるのは……あれは?」
「あ、テレビだよ同志」
従姉が横から答える。
「日米でこの試合をテレビ放送してるから、その映像を貰って交互に映してるの。ほら、あの、実際の球場みたいに」
「ああ、そういえばそうだったな」
そういうコラボの施策をしたのだった。リアルの球場でも、試合放送の画面をスクリーンに映すことがある。観客の反応もいいので今回導入した形だ。
……そういえばカナの父親が、カナの一軍デビュー戦の時にやられていたな。ピザを握りしめた画像がしばらくネット上で出回っていた。
「……で、なんでダイトラはそれを見ているんだろうな?」
ダイトラは明らかに観客席とバックスクリーンを気にして、交互に見ている。
「画面構成が物珍しいとかッスかね?」
「そんなに変わったことはしてないと思うけど……」
俺たちが首をひねる中、ダイトラはこの試合中ずっとバックスクリーンの映像を気にしているのだった。
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