通訳くん
4月6日。
バーチャルな青空の広がる野球場。ケモノ選手たちがグラウンドで練習している中、そのベンチで。
「こんにちは。バーチャルで会うのって初めてですね」
「そういえばそうだったな」
俺は黒イタチアバターに向かって頷く。
「大学はどうだろうか?」
「変な気分です」
黒イタチ――ヤクワナミは苦笑する。
「2月になってすぐ春休みで……今のところ新学期はゴールデンウィーク前に始まるけどすぐゴールデンウィークがあって……っていうスケジュールが発表されていて。夏休みも長かったですけどそれ以上の長期休暇みたいになっちゃって……」
新型コロナウイルスはいまだ収束を見ない。学校は休校になり、新学期はいつまでも始まらなかった。
「大学生が遊んでるイメージって、なってみて分かります。研究とかアルバイトをしていないと、暇を持て余しそうです。ダイドージ先生に紹介してもらって、課題を貰って、それからこうしてKeMPBでアルバイトしていてよかったです。……飲食店でアルバイトしてる子とかは、辛い状況みたいですね」
外出や店舗の営業自粛要請は確実に経済に影響を与えている。
「っと。せっかくお話しできているのに暗い話はいけませんね。……それにしても、オオトリさんのネズミのアバターってかわいいですね。でも、前に動画で見たのとはディテールがちょっと違うような?」
「ずーみーがよくアップデートしてくれているんだ。代表なんだからいいアバターじゃないといけない、と」
「なるほど。……愛されてるんですね」
「そう思う」
かけてくれた手間には報いないといけないな。仕事の話を始めよう。
「レポートには毎回目を通しているが、今日は直接話を聞かせてもらいたい」
ナミは分かりやすいレポートを書いてくれているが、それでも書いていなかったこととか、話しているうちに思い浮かぶものもあるだろう。
「実際どうだろうか、この『野球監督シミュレーター』は?」
「これは、すごいと思います!」
ナミは身を乗り出す。
「あの、自分でもいくつか野球監督ができるゲームを探してやってみたんです。でもだいたい、プロ野球選手を編成してチームを作るとか、簡単なコマンドで指示を出すとかで……選手一人を見ている感じじゃないんですよね。でもこれは、等身大の、感情を持つ相手を指揮するじゃないですか。だから本気度が違うというか、勝ちたい、じゃなくて、勝たせてあげたいって気持ちになります。実際初めて勝ったときは……──」
「ナミ」
「あッ、すいません、話しすぎてしまって」
「いや、ゲームを買ったり課金したりしたんであれば、請求してくれ」
そういう報告は受けていない。
「えッ。で、でも、私の個人的な比較用ですし……」
「この仕事をしていなければ比較する機会もなかっただろう。つまり仕事のためにやったことだ。であれば会社が費用を持つのが筋だ」
「す、すいません。勝手な真似をして」
「いや、仕事に熱意を持ってくれるのはいいことだと思う。もちろん事前に相談してくれればありがたいが……あまりに理不尽な内容ならこちらとしても却下するし、気にしないでくれ」
ガチャに100万円突っ込みました、なんて請求だったらさすがに通さない。
「注意はそれぐらいにして、どうやら好評のようでよかった。どこが気に入ったポイントだろうか?」
「そうですね。やっぱり、選手の反応が見れるところでしょうか。あとはアップデートで、記憶や成長の引継ぎをしてくれたところが本当によかったです。みんなの成長を実感できるようになって、やる気も出てきます」
「なるほど」
確かに初期の、記憶をリセットしたチームをレンタルする方式はモチベーション面では弱かっただろうな。
「あの、それで」
ナミはソワソワとしながら言う。
「今日は新しいアップデートの……選手と会話できるアップデートが入ったと聞いているんですが……」
「そうだな。その紹介をしよう。今起動する」
ナミよりも一段上の権限を持つ俺のアカウントで、テスト用のUIを操作する。黒イタチをターゲットにして起動を選択。するとナミの隣に水の玉と、それを映す大きな鏡が目の前に現れた。
「これは?」
「鏡を見ていてくれ」
ナミの視線を検知して、水の玉がボコボコとうごめく。そしてナミのアバターと似た黒イタチに姿を変えた。
「うわ、私? ……でもちょっと違いますね」
ディテールは失われている。人型の水風船に絵をかいたような姿で、特に顔は記号的になっていた。
「これは?」
「通訳くんだ」
「通訳くん」
「仮称だが」
ただ他に適当な『適当な名前』もないからこれで確定だろうな。
「この通訳くんがナミの言葉を聞いて、ケモノ選手たちに言葉を翻訳して伝えてくれる。その逆に、ケモノ選手たちの言葉も、通訳くんが日本語にして伝えてくれるわけだ」
「直接選手と話すわけじゃないんですね……どうしてですか?」
「いくつか理由はあるが」
少し不満げな様子のナミに説明する。
「最大の理由は、直接話せるようにすることはケモプロの良さを消してしまうからだ」
「良さ……? 何の良さですか? 話せるって良いことだと思うんですけど」
「話してしまうと失くしてしまうものもある」
「それは?」
「想像の余地だ」
首をかしげるナミに言葉を重ねる。
「今、俺たちはケモノ選手たちの吹き出しのアイコンを見て、『こういうことかな?』と内容を想像している。そこに解釈の余地が残っているからこそ、俺たちはケモノ選手たちのことを柔軟に受け止められる。人それぞれに内容を考えて受け止められることが重要だったんだ──その解釈には、受け手の『こうであってほしい』という想いも乗る。それがケモノ選手への好意を生むことにもつながる」
このことは神性がどうこうと、チムラとルイが説明していた。人の想いを受け止める受け皿とかなんとか。
「例えばホームランを打ったバッターが、ヒーローインタビューでそれについて聞かれて、ニヤリと笑ってこういうアイコンを浮かべたとする」
俺は用意しておいたフリップを取り出す。フリップに記載したアイコンは、『好調、投手の顔、想像する球種・コース、一致する実際の球種・コース、力強いスイング、ライト方向への飛球、不安、ホームラン、笑顔』。
「ナミならどう解釈する?」
「えっ。そ、そうですね」
ナミは顎の下に手をやって少し考える。
「今日は調子が良かったので……予想通り来た球を強く振ったら、ライト方向ぎりぎりだったけどホームランになってよかった、とかでしょうか?」
「試しにこちらで翻訳してみたのが、これだ」
フリップを裏返す。
『今日は読みが冴えていて、アイツが何を投げてくるか分かっていたんだ。だから思いっきり振ってやった。ちょっと距離が足りないかと思ったが狙い通りホームランになった。爽快だね』
「おおむね、先ほどナミが言った通りだが、ニュアンスは違うと思う」
「そうですね……ちょっとイヤな感じになってますね。なるほど……これが好意、ですか。自分で考えて解釈するから、いい方に修正される」
「ライムは、人は好きになった人を聖人と思いたいんだ、と言っていたな」
「せいじん……セイントの方の聖人ですか?」
「ああ」
いやに真剣な顔をして言われたものだ。
「アイドルとか有名人、そういった好きになった人たちの活動の一面だけを見て、他の面もすべて素晴らしい、完璧な聖人なんだと人は思い込んで崇拝してしまう。だからそういった人が不祥事を起こしたときに、それがささいなことでも過剰な反応をするのだと」
裏切られたと感じて激怒する人、あるいは事実を信じずに盲目的に庇う人。
「ケモノ選手も同じことだ。ケモノ選手たちは今、人間から理想の姿に見られている。その理想をあえて壊す必要が、『今』あるのかどうか?」
相手と真剣な、対等な付き合いをしたいのであれば真実を知る必要があるだろう。
だが『今』、ケモノと人間の関係はそうなっていない。『今』は野球選手という人気商売をやっているだけだ。
「『今』やりたいことは、ケモノ選手に言葉で指示を出すことであって、理想を壊した姿を見せたいわけじゃない」
目的と手段がごちゃごちゃになっていた。技術的にできそうだから、チャレンジできそうだからと、開発側の視点で進めてしまっていたが──チムラとルイ、ダイドージらのユーザー側の視点の意見で気づいた。
開発者とユーザーの視点の乖離が起きていた──と、ミタカが苦い顔で言っていたな。
「直接、相手と話すと、理想を壊してしまうから……ですか。わかる、ような気がします」
ナミは頷くと、少し笑いながら言う。
「私もオオトリさんのことを、聖人のように考えていましたから」
「そうだったのか」
「今は絶賛、現実を勉強中です」
もしかしてライムはこういうことを言いたかったのだろうか。KeMPBの代表として人前に立つ以上、そういう目で見られることがあるということを。
「ケモノの言葉を日本語に直接翻訳することもできるが、そうすると想像の余地が消えてしまう。実際は翻訳だから抜け落ちた部分もあるわけだが、吹替音声を疑うことはしないだろう? そこで、通訳くんが間に入るわけだ。これなら、『通訳くんはこう訳したけど、実際は違う部分もあるんじゃないか?』という想像の余地が残るんじゃないか?」
「なるほど。理由は分かった気がします。けどその……この通訳くんは……なんでこんなに間の抜けた姿なんですか?」
黒イタチの姿をコピーした通訳くんは、ぼよんぼよんとたたずんでいる。
「直接話さないことも、使用者の出来の悪いコピーの姿を取るのも、感情のトラブルを防止するためだ」
「感情のトラブル……?」
「ケモノ選手のAIは、目で見て、耳で聞いた、いろいろなものを評価しながら思考している。そして思考の結果、物事に関する好悪……感情も発生する。感情を除外することは、システム的に難しい」
理屈のない好き嫌いがなければ、全員が最適解を求めてしまい、個性が失われてしまう。
「つまりこの監督シミュレーターの使用者に対して、好意や悪意を抱くことを止めることはできないんだ」
「……確かに、変な指示で失敗したり、重要な場面で起用してもらえなかったら、監督に嫌な気持ちを持つでしょうね」
「そして人間についても、それは同様だ。人間がケモノ選手に感情を持つことは止められない」
むしろ持ってほしいと思ってサービスを提供している。ファンになって応援してほしいと。
しかしそれは一方通行の関係だからこそだ。双方向の関係になった時、それはトラブルの原因になりうる。
「お互いに嫌い合うぐらいならまだしも、恋愛トラブルにでもなったら困る」
「それは……」
ナミは何か言いかけて、グラウンドで練習しているケモノ選手たちを見る。
「……そう、ですね。勝って喜んでいるところを見ると、かわいいな、と思いますし……ないとは言い切れませんね」
「そこで通訳くんの出番だ」
通訳くんがぼよんと弾む。
「ケモノ選手たちはプレイヤー、人間のことを直接認識しない。この通訳くんのことをプレイヤー、監督だと認識する。つまりケモノ選手と人間の間では、直接感情のやり取りが発生しないわけだ」
「なるほど……いくらこちらが好きだと言っても、無視されれば諦めるしかないですし、選手も私を好きになるわけではない……」
「しかし最後に残るのが、通訳くんと人間の間での感情の問題だ」
直接言葉を交わす唯一の相手。
「今回俺たちが提供したいのは、『監督シミュレーター』だ。通訳と感情のトラブルを起こされても困る。しかしいくら注意されても、通訳くんが好みの外見をしていたらどうだろう?」
「それは……気にしない方が無理かもしれませんね」
「会話のできるAIやチャットbotサービスは世の中にいろいろあるが、そういったものに人間が話しかける言葉の中でも、雑談で頻出するのは愛を囁く言葉なんだそうだ」
好き。愛してる。そう言ったときの反応を知りたいと思って囁く。年齢は? どこに住んでいるの? 恋人は? 相手が実在せず本物の感情を持たない相手だからこそ、プライベートな情報に踏み込む。
そしてサービス提供側もわざわざ専用の反応を用意する程度には──人間はAIに愛を囁いている。
「通訳くんの外見はその防止処置だ。毎回起動時に鏡を見ることによって、プレイヤーの分身なんだと認識してもらう。外見が完全なコピーじゃなく、へなちょこになるのも、本気にさせないためだ」
コピーを作るという仕様を逆手にとって、自分が恋したい外見を作ろうとするかもしれない。だがこんな冗談みたいな外見ならそんな気も起きないだろう。
「ゆるキャラが好きだという人もいますけど」
「……特殊なケースはどうしたってある」
「そうですね……まあ大多数はこんな感じの子に、ペット的な愛は感じても、恋とまではいかないでしょうね」
ペットか。飼ったことはないが、こんな感じなのかな。
「通訳くんはプレイヤーの分身として仕事をする。言葉の理解のためにある程度感情も持っているが、抑え気味にしてある。喧嘩して通訳の仕事をしてくれないとか、嫌いな相手に嘘の通訳をする、なんてことが起きたら困るだろうからな」
「そもそもロボットみたいな外見にするとか、それこそ翻訳機みたいな機械にしてしまうというのはダメだったんですか?」
「翻訳機にすると、やはりケモノ選手と直接コミュニケーションをとっている感じが出てしまう。ロボットについては、顔、表情のないロボットだと、人はおざなりに命令してしまうようになるんだ」
商業施設で動かしているロボットがあまりにも倒されたり蹴られたりといったイタズラをされるため、顔と表情を表示するようにしたところ、そういった扱いを受けることが減ったという事例もあるという。
「ちゃんとした言葉を通訳するためには、気持ちの入った言葉をつかえる状況にしないとダメだろう。それにボディランゲージも使うシチュエーションだってある。だから、顔のある人型になったわけだ。……もちろん、ナミが使っている様子をモニターして、変更を検討するかもしれないが」
あまりにAIに悪影響があるようならやめたほうがいい、とミタカには言われている。人間はAIにとっての理想の教師にはなり続けられないからと。
通訳くんにはそのあたりのフィルターの役割も入れていると言っていたが……プロ選手と完全に切り離すかどうかは、詳しく知らされていないナミの動きを見て決めることになるだろう。
「なるほど。意図は理解しました。それで──さっそく、使ってみても?」
「そうしよう」
ソワソワというナミに頷き、二人と一体で投球練習をしている選手に近づいていく。
「えっと、普通に話せば通訳してもらえるんですか?」
「話したい相手の方を向いて話してくれればいい」
「わかりました」
ナミは投手に近づく。通訳くんはナミにつかず離れず、その顔を目で追った。
「えーと……今日の調子はどうですか? この間の試合で多く投げましたけど、肩や肘に痛みはありませんか?」
ナミの声を聴いた通訳くんは頷くと、投手に向かって話し始める。吹き出しにアイコンが並び、選手が応えて吹き出しにアイコンを並べる。通訳くんがナミの方を向いた。
「肩、肘ともに問題ないそうですが、今日は変化球が上手く曲がらないと言っています」
「うわっ!? え、これって」
「ああ、すまない、言い忘れていた」
驚くナミに説明する。
「それも人からの好意を過剰に受けないための仕組みだ。プレイヤーが話している声から、似ている声を作りだす」
通訳くんはナミの声で話している。
「自分の設定したアバターと似た姿で、自分と似た声なら、自分の分身だと思えるだろう」
「そ、そうですね……それにしても、録音した声とはまた違うというか……」
「人間、自分が聞いている声と実際の声の音は違うから、補正をかけていると聞いた。気に入らないならある程度ピッチ、音の高低は調節できるようになっている。調節しようか?」
「このままで大丈夫です。びっくりしただけで……」
「そうか」
「ただ……」
ナミは首をひねる。
「あの……通訳くんと選手、何か喋ってましたか?」
「ああ、ケモノ語だな」
人とケモノとのコミュニケーションは、通訳くんが仲立ちする。であればケモノに言語を与える必要はない。だがケモノは今、データと共に言葉も喋っている。『今』はその内容を理解していないが──確かに、ルールのある言語を喋っている。
いずれ『その時』が来て、言葉が必要になるかもしれない。AIと人の関係が変わった時に。ケモノと人が真の姿をお互いに見せ合う時が。
そのために、ケモノたちはデータを自動で翻訳したケモノ語を喋っている。いつかその言葉を己のものとするために。
「ケモノ語……新しい言語ですか? すごいですね」
「作ってくれたルイいわく、背景のない言語だからむしろ楽だと言われたな」
「背景がない?」
「歴史がない、というか……」
ケモノ世界は現実世界をモデルにしている。用意した建物一つとっても、これまでの人類史や文化の影響は取り除けない。急に人類が消えて、ケモノがとってかわった造られた世界。それがケモノたちの世界の真実であり──それを覆い隠す『設定』を作るには無理があると判断した。
だから今まで通り、そのままの世界であることにした。余計な『設定』は作らない。
……今はまだ、ケモノたちは『設定』をもって生まれてくる。ダイトラが元肉屋で、ツツネさんが未亡人なように。しかし、今年生まれてくる子供たちからは違う。
「ケモノたちの歴史はこれから作られる。それを見守っていくのも俺たちKeMPBの仕事だ」
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