葬儀の後

「今日は来てくれてありがとう」


 病院の近くに建てられた喫茶店の中には、症状の軽い患者やその家族がいた。その顔は明るいものもあれば、暗いものもある。目の前に座る男性は、疲れた顔をしていた。


 名前は、クジョウサトシ。ライムの叔父。


「というか、こっちに来て早々病院で、しかも『ああ』だったから、びっくりしたろう?」

「いや、概要は聞いていたから……そこまでは」

「ライムちゃんの言う通り、優しいんだね君は」


 ライムは――俺の隣で何も言わずに座っていた。オレンジジュースを、延々とストローでかき回している。


「とはいえ、この子はそこまで詳しいことを説明してないんじゃないかな。よければ、聞いてもらえないかい? 僕のこともろくに説明してない気がするし」

「聞いていいことなら、聞かせてもらう」

「いいとも。ライムちゃんがこんなに信用している人だしね」


 サトシは静かに笑う。疲労の影は見るけれども、自然な笑いだった。


「名前しか言ってなかったね。改めて。僕はクジョウサトシ。ライムちゃんは兄の娘で、つまり叔父にあたるわけだ。さっき病室で会ってもらったのが、僕や兄の母、ライムちゃんにとっては祖母になるね」


 12月28日。


 ライムに連れられてやってきたのは、福島にある病院だった。病室には、呼吸器をつけて目を閉じるライムの祖母。面会を終えてやってきた喫茶店で、サトシは頭を掻きながら口を開く。


「どこから話したものかな。母さんとライムちゃんは、仲が良くてね。震災の時もライムちゃんが単身、日本まで会いに来てくれたんだよ」


 というと、2011年……ライムが8歳ぐらい、8歳?


「8歳で、アメリカから単身?」

「ははは、おどろくだろう?」

「それぐらい簡単だよ」


 ライムはぽつりと言う。


「放射能がどうこうって言っていちいち足止めしてくる大人が面倒くさかったぐらい」

「過剰な報道がされていたからねえ。国外ともなればそういう反応も仕方ないさ」


 俺なんかはあの時は、ぼんやりとシオミと報道を見ていることぐらいしかできなかった。


「ま、とにかくその震災で実家は住めなくなっちゃってね、母さんは仮設住宅で生活することになって。母さんは最初、一人で生活するって言ってたんだけど……少しして体を壊してね。それで、僕が仕事を引き上げて介護することにしたんだ。それがこの間までの話で……」


 サトシは小さく息を吐く。


「今年の台風で、洪水と避難があって、それで記憶を刺激されたのかな。体調を崩しただけじゃなくて、痴呆も一気に進行してしまってね……数日前は少し喋れたんだけど、それで聞けたのが『あんたなんか知らない』だからまあ、ちょっとクるものがあるよね」

「それは……」

「そのくせ兄さんには会いたいって言うんだから。ま、痴呆っていうのはそういうものなんだなと実感したよ。デキの悪い、年の離れた弟だったからなあ」

「兄……ライムの両親は?」

「知らせてはいるよ。ただまあ」

「こないでしょ」


 ライムが窓の外を見て言う。


「震災からこっち、来たことないもん。おじさんに全部押し付けて、こんな肝心な時だって」

「まあ、ほら、年末だからさ……」

「それが言い訳になるとは思わないから」


 ライムの祖母の状態は、かなり悪いと聞いた。その重みは先ほど実際に会ってみて、分かっている。


 いつか嗅いだことのある、独特の空気がしていた。


「お兄さんなんて類縁でもないのに、こうして来てくれたんだよ? それなのに」

「ライムちゃん」

「……ごめん」


 ライムは地面にこぼすようにそう言うと、頭を振って笑顔を作った。


「お礼を言ってなかったよね。お兄さん、付き合ってくれてありがとう」

「これぐらいどうってことない」

「ふふっ。結婚も、どってことない?」


 ライムは――ニコニコと笑う。


「……おばあちゃんとさ、最後にまともにお話しできたとき、言われたんだよね。『ライムちゃんの花嫁姿が見たい』って。だからさ……だから……もしかしたらそれで元気になるかもしれないじゃん」


 病室に入ったライムは、テンション高く祖母に俺のことを結婚相手だと紹介していた。

 ……その言葉が届いているようには、見えなかった。薄く目を開き、苦痛を訴えるかのように、わずかに身じろぎをしただけ。


「元気になるなら、結婚ぐらいいくらでもするぞ」

「本当ぅ?」

「嘘をついて元気になってもらっても後味が悪いだろう。俺が結婚するだけで人が救えるなら安いものだ。……もちろん、ライムの都合もあるだろうが」

「ううん。するよ、結婚。おばあちゃんが……治るなら……」


 ライムは、ごしごしと目元をこする。


「ごめんね……お兄さんにそんな覚悟までさせて」

「え、何、今の本気なの?」

「お兄さんってそういうヤツだよ」


 サトシが目を丸くしながら問うと、ライムは少し得意げに返した。


「すごいでしょ」

「すごく結婚詐欺とかにあいそう」

「……お兄さん、結婚は絶対にシオミお姉さんに相談してね?」

「……わかった」


 信頼が一瞬にして崩れた音がしたな。さすがに相手は選ぶぞ……たぶん。


「それでライムは……今日はどうする?」

「ん……」

「病室には僕が泊まり込むよ。ライムちゃんは来たばっかりだし、ホテルで休んで」

「そう? ……そうしよっか。うん、今日はそうするね。急だったから1部屋しかとれなくてお兄さんと一緒なんだけど」

「んえっ?」

「おじさん公認だから安心だね、お兄さん!」

「そうだな」

「いやいや待って!? 僕はねそういう許可をしたつもりはないよ!? そうだな、じゃあないんだよ!?」


 サトシが激しく首を横に振り、ライムが噴き出して笑う。張り詰めた空気がようやくほぐれ――


 サトシのスマホが鳴る。


「はい。……はい。……わかりました。すぐ、はい」


 通話を切ると、サトシはすぐに立ち上がった。


「……急いで病院に戻ろう」



 ◇ ◇ ◇



 1月5日。


「あー、つっかれた!」


 ライムはホテルのベッドに黒のジャケットを放り投げると、ぼすん、と音を立てて座った。


「大変だったな。ろくに手伝えなくてすまなかった」

「あはは、そこまでお兄さんの手は借りられないよ。……立派なお花、ありがとね」


 年末に息を引き取ったライムの祖母は、年が明けて今日荼毘に付した。三が日はさすがにああいう施設も休みらしく、俺は一度東京に戻ってから再びこちらに来た形だ。


「俺は何も。手配したのはシオミだ」

「決めたのはお兄さん。だからお兄さんにお礼を言うのは間違ってないよ」


 もちろんシオミお姉さんにもね、とライムは付け足す。


「でもお兄さん、今後は割り切らないとだよ」

「というと?」

「これからKeMPBはもっと大きくなるんだから。社員、従業員ひとりひとりの親類の葬儀になんか出席してたら、身動きとれなくなっちゃう。お兄さんはそういう立場になっていくんだからね。お花と弔電を送っておしまいっ、てぐらいに構えなきゃ」

「会社が大きくなれば、顔も知らない人の訃報を受けることもあるだろうし、代表の立場では逆に出席しないといけないこともあるだろう」


 けれど。


「ライムの祖母とは、会っているからな。いくら立場が変わったって、顔を知っている相手の葬式に行く自由ぐらいはあるだろう?」

「ん……うん」


 ライムは頷くと――ベッドに倒れこむ。


「あーあ、みんなお兄さんぐらいの心構えでいてくれたらいいのに。来たくないけど来た、みたいな顔されてもさ、だったら来なくていいのにねー」

「意外と人が多かったな」

「親戚はね、田舎だから結構いるんだ。ここ数年ほとんど関りがないっておじさんも言ってた通り、あんなものだけど。でも、ま……来るだけマシ、なのかな」


 ライムの両親は結局、姿を現さなかった。手配されたのは花と弔電だけ。それを参列者が声を潜めず非難している場面に数度は出くわした。ライムがその場で頭を下げることもあった。


「あれは、ライムが謝る必要はなかったと思うんだが」

「ま、そうだけどさ。建前でもおばあちゃんのために来てくれたわけじゃん」


 ライムはベッドの上でごろごろと転がる。


「お葬式って本当の主役は参列者だからさ。みんな気持ちの整理をしに来るんだよ。そこで波風立ててもね」

「そういうものか……」

「それよりさ」


 うつぶせになって、パタパタと足を動かしながらライムがこちらを見上げてくる。


「ケモプロの話してよ。らいむ、手続きとか忙しくてぜんぜん追えてないからさ。楽しい話がしたい!」

「そうだな。今は……日米合同ニューイヤートーナメントをやっているぞ」

「あー、それそれ。追えてない! どこが一次リーグを抜けたの?」


 新年を記念する大会は毎年恒例のものになっている。今年は日米12チーム合同の大会だ。ところが12チームとなるとトーナメントが組みづらく、1、2日目は3チーム4組のリーグ戦を行うことになった。中日を入れて、4日、5日が準決勝と決勝になる。


「リーグ戦を抜けたのは、青森、伊豆、東京、ホーボーケン・ホワイトベアーズだな」

「あれ? フレズノは? オープン戦もペナントも調子よかったはずだけど」

「東京と同じリーグに入ってな」


 プニキ率いるフレズノ、ゴリラ率いる東京で、事実上の決勝とか言われてた。


「打撃戦だったが東京が僅差で勝って抜け出た形だ」

「ふ~ん。ロビンのいる電脳は?」

「まだロビンが活かせてなくてな。やはりナックルを捕るのは難しいらしい」


 ロビンの球を受け続けてきた捕手、ピンキー・バロウはアメリカ、ビスマーク・キャッツに所属している。電脳はかなりの好条件でトレードを申し出たが、あえなく断られていた。


「ふーん。それで?」

「昨日の準決勝が、青森対東京、ホーボーケン対伊豆の組み合わせになった。勝ったのは青森と伊豆だな。今年の青森は一味違うとファンからも評判だ。新人の中継ぎ二人がいい仕事をしているし、打撃も厚みを増した印象だな。ペナントでも上位争いしてるし」

「去年とはずいぶん違うね」

「最下位争いをしていたとはとても思えないな」


 ダークナイトメアファンは今年大いに盛り上がっている。


「決勝が青森と伊豆だから、アメリカのファンには物足りないかもな」

「そうかな~。でも、日米対決の機会は、他にもあるし。むしろ決勝でぶつからなくてよかったかも?」


 交流戦もあるし、ワールドシリーズにオールスターもある。そう考えるとニューイヤートーナメントで雌雄を決するよりはいいのかもしれないな。


「で、今日が決勝?」

「そうだな。そろそろ始まっているかも」

「流してよ」


 あくびをしながらライムが言う。


「このホテルのテレビならYouTubeが映せるな。どの実況にしようか」

「実況なしがいいな」

「わかった」


 KeMPB公式から流しているゲーム内音声のみの動画を再生する。状況を見ると試合は三回に入ってまだどちらも0得点のままだった。


 視聴者数は、少ない。公式実況者が増えたし、運営からもそれを積極的に紹介しているため、この配信を利用する人は今やほとんどいなかった。それでもまとめ動画を作成する人にはいくらか需要があるらしく、止めて得られるものも多くないので続けている。


 そんな人の声のない動画を見ていると、いつの間にかライムが寝息を立てていることに気が付いた。


 ――きっと目が覚めたら、動き出すのだろう。夢の中で広報の計画を立てているかもしれない。


 俺は部屋の明かりを暗くして椅子に深く座ると、観客たちの歓声に包まれる獣子園球場と、ゆっくり呼吸するライムを見守るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る