ハギビス

 10月7日。


「ただいま」


 だいぶ夜が更けてから家に戻る。終電だったから家の中も暗い……かと思いきや、作業場にはうっすら明かりが灯っていた。


「ライムか」

「ああ、おかえり、お兄さん」


 モニタを前に椅子の上であぐらをかいていたライムが、ちらっと振り向いて声を出す。俺は荷物をいったん別の椅子に置いて、自分の椅子に腰かけた。


「難しい顔をしてどうした?」

「ん。新しい台風が出ててさ。予想進路が関東地方を直撃してるんだよね。しかもけっこう強くなりそうなやつ」

「今年は関東によく来るな」


 ライムが表示した予想図を見る。かなり距離はあるが、関東地方を通るコースはしっかりと描かれていた。


「進路によるけど、今週の予定は急遽キャンセルとかしないといけないかもね。明日、シオミお姉さんと一緒に対応しておくよ」

「分かった、任せる。……子供のころは学校が休みになると喜んだものだが、今となってはいつでも来てほしくないな」

「んー、この台風は三連休に来るみたいだよ?」

「それじゃ学生も来てほしくないだろうな。東京に来るとか言われた台風は、たいてい夜のうちにあっさり通り過ぎていった思い出しかないんだが――」


 ガツッ


「ワガ覇道ハ何者ニモ阻メヌ!」

「………」


 足にぶつかってきた皇帝……ロボット掃除機が意訳すると「どけ」というセリフを吐く。ミタカがこれの名前が皇帝陛下に決まった後、ノリノリで実装していたボイスだ。……精度が上がって衝突回数が少なくなってきたのに、どういうわけか俺の足には何度もぶつかってくる。


「ここはいい。自分の机の下ぐらい、自分で掃除する」


 皇帝は話を聞かない。キュラキュラとキャタピラを動かして俺の足を突破しようとする。仕方なく俺は足を椅子の上に避難させ、皇帝は前に進み、ライムはクスクスと笑った。


「ま、杞憂だといいよね。お兄さん明日も早いでしょ? とりあえず寝る支度したら? 掃除は皇帝陛下に任せてさ!」

「……そうしよう」


 役割分担だ。俺がやらないと回らない仕事もある……机の下の掃除ぐらい譲ってやろう。



 ◇ ◇ ◇



 10月9日。


「(ユウ。タイフウが東京に行くらしいが備えているか)?」


 バーチャル空間内で、筋骨隆々なクマ系女子が言う。タイフウ……台風か。


「(直撃コースを取りそうだ。ちょうど日本は連休なんだが、いろいろキャンセルになりそうだな。……ところで、台風って英語でハリケーンじゃないのか)?」

「(フッフッフ)」


 クマ系女子――BeSLB代表のバーサが笑う。


「(知っているか、ユウ。アメリカに来たものはハリケーン、日本に来たものは台風というのだぞ)」

「(違います)」


 バーサの言葉を後ろに控えていた黒ヒョウ系女子――バーサの秘書のマーガレットが打ち砕く。


「(存在する地域によって異なる、というのが正確です。ハリケーンと呼ばれるエリアから台風と呼ばれるエリアに移動すると、台風と呼ばれるようになる例もあります)」

「(待て。それなら違わなくはないだろう)!?」

「(ヨーロッパに上陸した場合もハリケーンと呼びますよ)」

「(ムゥ……細かいことを……)」


 BeSLBとのオンライン会議。バーチャル空間上で行うこの話し合いは、最近回数が増えている。BeSLBも初のシーズン開始を迎えて様々なイベントがあり、その報告や相談を受けている形だ。基本的には俺とバーサたちBeSLB本体との話し合いだけで、他の企業が同席することはあまりない。が、今日はちょうどもう一人いた。


「(ハリケーンか。北部の人間にはなじみがないがな)」

「(ノースダコタには、の間違いじゃないんですか)?」


 スマートな体型のライオン男子アバターで、ブライトホストのエリックが肩をすくめ、それをアルマジロ女子アバターのローズマリーが茶化す。


「(ハリケーンと言えば私の出身のフロリダですよ。あれは大変です。だからこそ、KeMPBのメンバーが心配です)」

「(ありがとう。できるだけ備えておこうと思う)」

「(なんなら、こっちでチャリティーマッチを開催してやろうか? ワハハ)!」


 バーサが豪快に笑う。


「(それはありがたいが、そこまで大規模な被害にならないことを祈っている。チャリティーについても、被害を受けた地域のチームが、自分で動けることがケモプロのいいところだと思うしな)」

「(確かに、地元のチームが応援してくれるなら励みになりますね)」

「(ガハハ! その理屈だと、ビスマーク・キャッツがハリケーンのチャリティに出ることはないな)!」

「(相手チームだって必要だろうが。いつでも受けて立つぞ……――)」



 ◇ ◇ ◇



 10月10日。


「土嚢のプロを呼んできたよ」

「土嚢のプロ!?」


 ずーみーがノリノリで反応する。それに大柄な男性が困惑した顔をするので、さっさと話を進めることにした。


「事前に説明しているが、彼の名前はツバモトさんという。俺がバイトしていたコンビニで、一緒にバイトをしていた間柄だ」


 家には小さいながら庭がある。そこに俺とツバモト、ずーみー、ニャニアン、シオミ、ライムが集まっていた。


「コンビニの近くには川があってな……大雨になるといつもツバモトさんが土嚢を作って備えていてくれたんだ。それを思い出して、今回ご教授願ったわけだ」

「なるほど。よろしくお願いいたします」

「よろしくね、ツバモトお兄さん。ところでどうして土嚢のプロなの?」

「陣地の構築に必要なので、上官に叩き込まれました」

「陣地……?」

「土嚢づくりに必要なものは、さっきホームセンターで買ってきたぞ」


 まだ商品に余裕はありそうだったが、店員も「これから売り切れそう」とのことだったので、それ以外にも色々買った。ツバモトにはダクトテープをめちゃくちゃ勧められたな。


「それじゃあさっそく始めよう。土嚢袋は裏返して、砂を六割ぐらい入れてください」

「ツバモト教官! なんで裏返すんスか?」

「裏の方が目が細かいから強度が増すんですよ」

「え、じゃあなんで裏っ返し状態で売らないんスか?」

「んー、見た目が悪いから? 裏っ返して売ってる場合もあるらしいよ!」

「なるほどッス!」

「デハ、量が六割ナノハ?」

「満杯にしてしまうと形を整えられないのですよ」


 ツバモトがサクサクと砂を入れて土嚢を作り、板と角材を使って形を整え、あっという間に頑丈な陣地を組み立てていく。


「おおー、すごいッス。びくともしないッスよ!」

「じゃあこれを延長してみてね」

「わかりました」


 ザクザクと作業に没頭する。少し遠いが大通りを挟んで向こう側に川があるから、もしかしたら浸水するかもしれないし、それに備えないといけない。……組みあがる土嚢の陣地を見ると、ツバモトに頼んでよかったと実感するな。自分たちだけだと、適当に袋を並べて終わりだったかもしれない。


「ツバモトさんが引き受けてくれて助かった」

「適正な報酬があれば引き受けるのが傭兵だからね」

「……本当に報酬がアレでいいんだろうか?」

「もちろん」


 ツバモトは大きく頷く。


「通販も終わってしまって、今や手に入らない貴重品だからね。困っていたんだよ」

「そうか……」

「ぜひ、再販してほしいと伝えてほしいな、繋がりがあるんだろう?」

「伝えておく」


 ……サンプルにと送られてきたオコション・サヴァイヴの残りが、こんなところで役に立つとは。


「ところで、オオトリ君。その話とは別なんだけど」


 ツバモトは少し手を休めると、まっすぐにこちらを見て言った。


「ちょっと話しておきたいことがあるんだけど、時間いいかな……?」



 ◇ ◇ ◇



 10月12日、夜。


「朝からひどかったッスけど……」


 ずーみーは窓の方を向いて言う。


「なんかどんどんひどくなるッスね。雨も風も。すごい音してるッス」

「暴風域に入ったからねー」


 朝から外出の予定はすべてキャンセルして、シェアハウスの住人一同で家の中に待機していた。今は作業部屋に集まって、台風の情報を追っている。


「わわわ」


 緊急速報が全員のスマホから一斉に鳴り、ややうんざりしながら手に取る。従姉は手を滑らせて落っことしていた。


「こうして見ると、エリアメールも少々大雑把な気がしますね」

「んー、細かく特定するのは難しいし、仕方ないよ。洪水情報はこっちのサイト見たほうがいいかな。重いけど」

「避難所も確認したんスけど、これって洪水については避難所の方がマズいッスよね? 川に近いし」

「そうだな……」


 近くの避難所に指定されている施設は、ほとんどが浸水被害が予想される場所にあった。地震に対しては有効だろうけれど、洪水には逆効果だろう。


「あ、それは見方が違うよ。避難所って地震、土砂崩れ、水害でそれぞれ違うんだ。水害用の避難所は……」


 ライムが印刷済みのハザードマップを指し示す。


「うちから近いのは、ここだね」

「地味に遠いな……あと分かりづらい」

「んー、まだこの地域のは分かりやすい方かな。自治体によっては三種類で別々の地図出してたりするし」


 それは……混乱しそうだな。


「ここッスか。到着するまでにずぶ濡れになりそうッスね」

「家が流されるよりはマシだろう」

「やー、さすがにそこまでは」

「あ」


 端末に向き直って情報収集していたライムがつぶやきを漏らす。


「通りの先の川、氾濫したって」

「え゛ッ。マジッスか」

「近くの川もライブカメラこんな感じだし、間違いないと思うな」

「どどど、どうしましょうか先輩!」

「少し様子を見てくるか」

「それフラグッスよ!」

「大通りまでだ。うちよりあそこが水没するのが先だからな。それ以上は近づかない」

「風のことを忘れているだろう、ユウ。飛来物が当たったらどうする。どうしてもというなら、家の近くから見るだけにしておけ」


 それもそうか。というわけで雨合羽とヘルメットを装備して家から少しだけ離れて通りの方を見る。


「ただいま。今のところは大丈夫だな。定期的に確認に行こう」


 それから雨と風の音を聞き、スマホからの緊急速報を聞き、ライブカメラや報道を確認し、時に外へ出て懐中電灯で通りの先を照らして状況を確認した。いつ状況が変わるか分からない中、じりじりと時間が進む――


「……っ、と」

「危ないぞ」

「すいません」


 ウトウトとして椅子からずり落ちかけたずーみーが、キョロキョロとあたりを見回す。


「あれ? なんか静かになってきてません?」

「そういえば、さっきから少し弱まってきたな。台風の目ってやつか?」


 衛星写真で見た台風には、くっきり見える目があったし。そう考えて気象情報を追っているライムに目を向けるが――ライムは気づかないままキーボードを叩いていた。


「ライム、何かあったか?」

「……あッ。何? ああ、うん、暴風域を抜けたみたいだよ」


 忙しそうだな。時計を見ると午前三時を回っていた。


「雨量もだいぶ減ったし、この様子じゃうちは避難しなくてもよさそう」

「それは……よかったッス……」


 大通りまで川の水が来ていたからもしかしたらと思っていたのだが、この様子なら大丈夫そうだ。


「何かあったら起こすから、寝ていていいぞ」

「先輩の部屋でいいッスか……?」

「ああ」


 ずーみーを布団の中に押し込んで、作業部屋に戻る。従姉もシオミに連れられて二階に引き上げていった。


「それで……」

「ん?」

「何があった? 顔が青いぞ」


 ライムが操作している画面に映っているのは東京の地図じゃない。


「……台風は、ここは……東京は通り過ぎたけど、消えたわけじゃない。北上していて……」


 ライムは絞り出すような声で言った。


「……東京の情報ばっかり流れるから、気づかなかった。どうしよう、お兄さん。……おじさんと、おばあちゃんが」

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