ピッチングセンター
10月13日の午後。
「新幹線が動くみたいだし、行ってくるね」
「同行しようか?」
「大丈夫、大丈夫」
玄関先で、ライムは土嚢をまたぎながらひらひらと手を振った。
「ちゃんと避難したって連絡もらったし、その後もちゃんと連絡取れてるから」
台風19号は東北地方を北上し、大雨を降らせていった。その結果、川の堤防がいくつも決壊し、福島では洪水の被害が起きているという。日が昇って被害が目に見えるようになると、詳細な報道がされ始めていた。水没する町、家、道路、新幹線、バス。その範囲内に、ライムの親戚――叔父と祖母が住んでいた。
結果的に言えば、二人は無事だった。ライムが前もって警告しておいたおかげで、当日決壊の情報をライムが伝えるまでもなく避難に動いていたらしい。叔父に連絡がついたとき、ライムは心底ホッとして胸をなでおろしていた。
「ただその……おばあちゃんが、ちょっとね。おじさん一人じゃ大変だから、手伝いに行くだけだよ」
そんなことより、とライムは俺に指を突き付ける。
「チャリティーマッチとか、そっちの準備は任せるからね。この三連休にやるはずだったイベントとかも、中止じゃなくて延期だから、スケジュール組みなおしたり大変なんだからね!」
「わかった。そういうのは任せてくれ」
ライムが作っている資料を見れば、何をすればいいのかは分かる。あとはやるだけだ。雑用係はなんでもやるぞ。
「だから、ライムは気のすむまでやってくるといい」
「ん……」
ライムは笑う。
「行ってきます」
◇ ◇ ◇
10月26日。
バックヤードで出番を待っていると、スマホが鳴った。相手を確認する。
「ちょっと失礼」
スタッフ用通路に出てから通話を開始。
『やっほ。お兄さん、元気?』
「変わりはない。そっちはどうした? 何か問題が?」
『そろそろお兄さんがらいむの声聞きたいんじゃないかと思って』
台風の日から約2週間。親戚の手伝いをするために福島へ行ったライムは、まだ帰ってきていない。祖母が体調を崩して入院することになり、その対応を叔父としているのだという。
『どうどう? らいむの声聞けて嬉しいんじゃない?』
「嬉しいぞ」
まとまった時間が取れないとかで、メールとかチャットでしかやり取りしてなかったからな。
『でしょう。そんなお兄さんに、さらなる朗報! なんと、らいむ、そろそろ東京に帰っちゃうよ!』
「……もうすぐ近くにいるとかじゃないよな?」
『あっはっは。さすがにまだ福島だよ。近日中ね』
「そうか。おばあさんはもういいのか?」
『ん……まあ、落ち着いた感じ』
ライムは静かに言う。
『迷惑かけてごめんね』
「構わない――が、ライムがいないと大変だというのも実感した」
リモート対応はしてもらっていたが、普段と同じ量の仕事ができるわけじゃない。俺とシオミ、イサの手も借りて対応に当たったが、なかなか大変だった。
「戻ってきてくれるならうれしい限りだ」
『でしょ。楽しみにしててよ、お土産も買っていくから。ま――今日のところは、そこにいても力になれないかもだけど?』
ライムが雲のように笑うのが思い浮かぶ口調だった。
『がんばってね――ピッチャー、オオトリユウ代表!』
◇ ◇ ◇
「みなさーん、お待たせしました! 司会のキタミタミです!」
都内のバッティングセンター。それに併設されたブルペンの一角に集まった報道陣や観客に、フリーランスアイドルのキタミタミが、青森ダークナイトメア・オメガのユニフォーム姿で登場する。
「本日はKeMPBプレゼンツ、ケモノピッチングセンターの開幕式にご来場いただきありがとうございます! AIの野球選手と対決できる、おそらく世界初の機会! みなさん待ちきれませんね! それではサクサクと進めていきましょう、まずはKeMPB代表のオオトリさん、そして投球練習シミュレーター・アンバサダーのサン選手の登場です!」
サン選手と並んでキタミのところへ行く。報道陣がフラッシュをバシバシと炊いた。
「サン選手、おはようございます!」
「どうも。無給で来た」
「いやいや無給じゃないですよね!?」
「あー、値引きにこのイベント出演含まれてたっけ。まあ、そういうこと」
ひょうひょうとサン選手が言い、報道陣から苦笑が漏れる。
「代表、おはようございます!」
「おはよう。交通費は会社から出ている」
「そういうのはいいんで。今日からピッチングセンターの稼働開始になります。苦労した点などはありますか?」
「対戦相手の打者を難易度別に用意するのが大変だった、と聞いている」
「ケモプロといえば学んで強くなっていくAIですが、ここの打者は?」
「初心者向けに用意した相手が、イベント終盤で強くなっていたら困るから、一回ごとに学習内容はリセットされる」
「ファンからは、ぜひケモプロ選手と対戦したいという声もありますが」
「ケモプロ選手は、学習の都合上、投球練習シミュレーターにしか出せないんだ」
「ではそちらの市販の計画はありますか?」
「今のところ個人への販売予定はない。ピッチングセンター版なら可能だが……弾道測定器が必要になるから、その価格を調べたうえで買いたい、ということであれば問い合わせてほしい」
「お高いんですね、わかります」
今回のイベントでは安価なものを使っているが、それでもシステム全体で三桁万円するからなあ。あまりにリクエストが多いようなら、もう少し安価な方法を開発するつもりだが……精度が落ちると学習の都合上、ケモプロ選手を立たせることはできないから……結局ニーズと合わない気がするな。
「さて本日はオープニングイベントということで! この後素人代表としてオオトリさん、そしてプロ代表としてサン選手にピッチングセンター一打席勝負を披露していただくわけですが……はい! 代表、はい!」
「なんだろうか」
「始球式といえばアイドル! そして私はアイドル! ぜひ一球目を私に!」
「今日は司会を依頼したんだが……」
「司会しながらやりますのでそこをなんとか!」
そこまで言うならいいか、と許可を出すと、キタミは飛び跳ねながらブルペンのマウンドに向かった。
「それではみなさん! ピッチングセンターの記念すべき一投目です! 難易度は初心者に設定してー」
バッターボックス付近に置かれたモニターに、ケモノ選手の姿が表示される。見た目的にもあまり打ちそうにない。
「それでは参ります! ……ッシ!」
なかなか力強いフォームで投げた球は――ワンバウンドして後方に設置された網の中に入っていった。
「ああっ、惜しい! そしてバッターが普通に見送った! アイドルの始球式なら空振りするのがお約束だというのに!」
あのケモノ選手も、真剣に一打席勝負しにきてるからなあ。
「はい、というわけで始球式でした。続きまして、このままオオトリさんに投球していただくことになります! オオトリさんは野球の経験ってあるんですか?」
「小学生のころに少年野球のチームに所属していたことがある」
「おお!」
3か月もしないうちにやめることになったけど。
「それではオオトリさんにマウンドに上がっていただきます! カウント1-0から!」
コントロールまでは何ともならなかった。とにかくど真ん中に向かって投げるだけだ。カナ、ニシン、タイガに指導を受けた成果を今……!
「おお! これは? ストライク! オオトリさん、ノーバウンドで投げ込みました! 球速は? なんと68キロ! これは――小学生並みです!」
……いいんだ、ちゃんと届いたから。
ちなみに2球目で普通に打たれた。センター前ヒットらしい。
「オオトリさん、ありがとうございました! さあでは、続いてプロにお手本を見せていただきましょう! 今年野球界を騒がせたルーキー! サンニンタロウ選手!」
サン選手は背中を丸めるようにして歩きながらマウンドに立つ。
「難易度は上級者! オオトリさん、これはどれぐらいのレベルでしょうか?」
「ケモプロの中に学生大会の獣子園というのがあるのだが、そこの優勝チームの四番ぐらいだ」
「高卒でドラフトにかかるような選手ですね! さあ、サン選手はどうでしょうか!」
そこからは、まったくもって――格が違った。
「なんと! サン選手、三球三振! バットにかすらせもしませんでした! すごい、これぞプロ!」
「素人に打たれたら仕事になんないでしょ」
マウンドから降りたサン選手が、首をマッサージしながら言う。
「おれが打たれるレベルとか、一般人には抑えられないし、いいバランス調整なんじゃない?」
「なるほど。ちなみにサン選手は、個人トレーニングにケモプロ選手と対戦できる、投球練習シミュレーターを導入されていますが、そちらの方では?」
「プロの選手には打たれるよね、普通に。それぐらいでないと練習にならないし、当然でしょ」
「ははは……このォ」
青筋を立てながらも、キタミは笑顔でまとめる。
「はい、というわけでオープニングイベントでした! この後囲み取材の時間がありますが、ピッチングセンターはご利用いただけますので、待っていた皆さんはぜひ、並んで体験していってくださいね!」
◇ ◇ ◇
「あー終わった」
囲み取材が終わり、取材陣が引き上げていく中で、サン選手はあくびをしながら言った。
「こういうのがあるならアンバサダー引き受けなければよかったとか思うね」
「こちらはおかげで助かっている。今日の賑わいもサン選手のおかげだろう」
「足元見られたよね。ま、金がないのが悪いわけだけど。じゃ、帰るから」
サン選手はひらひらと手を振って駐車場に向かって歩いていく。俺はどうしようかな。ここまでアツシと来ていたんだが、トラブル時の対応のためにアツシは一日ここから動けないし。そうなると一人放り出されて相談する相手もいない。ふーむ、次の予定までまだ時間が――
「オオトリさん!」
――と。バッティングセンターから出てどうするか考えていると、声をかけられる。ボリュームのある黒い髪に黒い眼鏡、地味な黒いジャージ姿の女性。なんとなく見覚えがある。
「よかった、間に合った」
「……ああ、思い出した」
スッと解答が頭に浮かんで、思わずポンと手を叩く。
「一番にピッチングセンターを体験していた人だな。いい球を投げると記者も褒めていた」
「あ、本当ですか? ――じゃなくて……その、もっと前にも会ってるんですけど」
「前」
「……あの、ケモプロチップスの時です。一か月ぐらい前ですが……」
「ああ」
ナゲノに打撃された痛みで忘れていた。
「最後に買えた人だな」
「そうです!」
「カードなんだった?」
「あっ、パラディオンのゴリラの私服バージョンでした。これ」
手帳を取り出して、挟んでいたカードを見せてくれる。もこもこのセーターを着てブックカフェで読書しているゴリラだ。丁寧に保護シートの中に納まっている。
「大切にしてくれているようで、作り手側としてはありがたい限りだ」
「いっ、いえぇ、そんな。あの、ところでここで何をされてるんですか?」
「少し予定が空いてるから、早めに昼飯でも食べようかと考えていた」
「それなら! ご一緒してもいいですか!?」
女性は顔を輝かせる。……コンビニでパンでも買おうと思ってた、とは言えない雰囲気だ。代表だからっていい店に行ってるわけじゃないんだが。
「あっ、すいません……まだ、名乗ってなかったですよね」
地味な黒尽くめの女性は、背筋を伸ばして頭を下げる。
「ヤクワナミといいます! ……めじろ製菓の親戚の従姉がお世話になってます!」
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