三角キャッチボール

 9月22日。


 俺は、画面の向こう側で笑顔のまま固まって動かなくなった伊豆ホットフットイージスの球団代表、トリサワヒナタを見守っていた。


『……は。え……な、なんですか?』


 しばらくの後、ようやく動き出したヒナタが身を乗り出し――透過スクリーンに映る人物に問いかける。


『な、なんて言ったんですか……ツツネさん!?』


 ――2019年ケモノプロ野球契約更改。その2日目。


 伊豆ホットフットイージス最後の面談者――選手兼任監督の瓦ノ下かわらのしたツツネは、先ほどと同じアイコンの並びを吹き出しの中に表示した。開発側――ミタカの翻訳した字幕がその下に表示される。


 結婚します、と。


『相手は……青森の監督の砂林すなばやし黒男クロオ監督……!?』


「うわぁ……」


 VR空間内で、ウサギ系ケモノのアバターとなったナゲノが、なんとも言えない声を出す。


「伊豆の監督と青森の監督が結婚? めちゃくちゃね」

「せやなあ」


 こちらは黄色い人間のアバターを使うロクカワが、腕を組んで頷く。


「ちゅーかこの二人、いうてそんな接点あったか?」

「確か草野球時代に、同じ肉食ウォリアーズでプレーしてたわよ。あとは……思い返してみれば、街で食事するとき一緒にいたこともあったかも?」

「ほーん。……そこんとこどうなん? トリ代表」

「どう、というと?」

「いや、どうして二人がくっついたんやろなって」

「わからないな」


 人物に対する評価も、好感度のようなものでなく、複数のパラメータが複雑に作用しているとは聞いているが。


「まあ……全く会ったこともない者同士が結婚したわけじゃないし、驚くようなことでもないんじゃないか?」

「いやそらそうやろうけど」

「コイツにそういうこと聞いても無駄よ……ゴホン。代表、別チーム同士の選手が結婚、ということに問題はないのでしょうか? ましてや、二人とも監督という立場ですが」

「ケモノ選手たちはきっちりと公私を分けるように条件づけられている」


 利敵行為は試合においては警告、退場という重い処分だ。


「とはいえケモノ側にも感情があって、見ている人間にも感情がある。納得できない人はいるかもしれない……が」

「が?」

「別チームの選手とは結婚できない、なんて決まりは作れないだろう」

「まあ……そうね。プライベートのことだし……」


 そういうわけだから特に制限はしないし、結婚したからといってどちらかが退団しないといけないなんてこともない。


「えっと、とにかく、ツツネさんの再婚が決まったのはおめでたいことよね。再婚……なんで前夫が死んでることになってるの?」

「そういう設定として生まれたとしか言いようがない」


 ミタカはライフパスの出目がどうとか言っていたが、よくわからん。


 こういった問題もそのうち解消していくだろう。ケモノ選手たちが有名になり、何かの物事が起きた時、その過去をきちんと振り返ることができる状態だったら――きっとそれは選手をより深く知り、愛着を持ってもらうことにつながるはずだ。


『そ……そうですか。結婚。お、おめでとうございます』


 俺たちが喋っている間固まっていたヒナタが、ようやく動き出す。ヒナタからの言葉を受けて、キツネ系女子のツツネはニコリと笑った。


『えっと……子供は作る予定でしょうか?』


 ツツネは頬を赤らめて頷く。


「色っぽい仕草するやん」

「確か子供ができたら、最短でも11か月の離脱だったわよね。男女ともに」

「そうなるな」

「両チームの監督が揃って離脱、となるとなかなか大事件ね……監督不在の場合はヘッドコーチが指揮を執るのが普通だけど……ケモプロはまだ層が薄くて、コーチやってる子少ないのよね」

「ちょうどその話をやっとるな」


 ツツネが二回目の提案を使う。


「ふむふむ。打撃コーチに氷土ひょうどクオンちゃんと……ヘッドコーチに島住しまずみキョンを推薦?」

「打撃にクオンはわかるけど、ヘッドの方のキョンって誰やっけ?」

「外野手ね。影は薄いけど一軍の試合に出てるでしょ」

「言ってみただけやで。知っとる知っとる。あのなんか、ヤレヤレ、とかよくやってるヤツな。しかし両方とも若いな?」

「まあケモプロでは最年長でもやっと3歳みたいなものだし、肉体年齢の方は気にしないんじゃない? キョンは技術よりもコミュニケーション能力を買われた感じかしら。仲のいい選手が多いみたいだから」


『……分かりました。私としても異議はありません。クオンさんにキョンさんを支えてもらう、という感じでしょうか。いいでしょう、指名しておきます。それで……最後のお話は……?』


 契約更改におけるケモノ選手からの三回の意見提出。その三回目を、ヒナタは唾をのんで待ち構える。


『……え? その、今着ている黒男監督に選んでもらった着物はどうかって? えっと、とても素敵だと思います。ええ……あ、え、終わり!? あっ、待って、行かないでぇ! 着物選んでもらったってどういうことですか!?』


「三回やりとりしたら終わりなのよね、容赦なく」

「そういうルールだからな、契約更改は」


『……ダークナイトメア仮面さん!?』


 ヒナタが虚空に向かって呼びかける。


『わかってますね!? 黒男監督に今の件とか、馴れ初めとか、そういうのを聞いてください! お願いしますよ!?』


 二日目、伊豆の後は青森の契約更改、というスケジュールになっている。ちなみに今年は一日目が鳥取と島根、二日目で残りの四球団だ。


「お願いされていますが……どうなりますかね?」

「選手が多くなってきて面談の要請も増えとるからなあ。貴重な一枠をノロケ話には……」



 ◇ ◇ ◇



「へぇー。コンピューターが結婚するんだね。最近は進んでるなあ」

「AIな」

「どっちでも変わんなくない?」


 ツインテールの幼馴染――ニシンが首をかしげる。


「いやコンピューターは土台で、その中にケモノのAIがいるわけだから」

「難しいことはいいじゃん。外から見たらだいたい同じだよ」

「……そういうものか?」

「あはは……」


 もう一人に声をかけると、そちらは困ったような笑い方をした。


「仕組みにまで興味がない人にとっては、同じかもしれないね。わたしは、なんとか分かるけど」


 おさげの眼鏡の幼馴染――カナは言う。


「興味の問題か。なるほど、単純化して考えると……」

「はいはい、難しい話はいいから、ちゃんと体を動かす!」


 ニシンはぐいぐいと俺の体を押す。


「そんなんじゃ、いいピッチャーにはなれないよ!」


 10月4日。


 俺はカナとニシンと共に、スポーツジム内の室内球技場にやってきていた。そして『いいピッチャー』になるべく、指導を受けている……ニシンから。


「いやー、ユウと野球できるなんて何年ぶりだろ? バッチリ仕込んであげるからね! 目指せ、甲子園!」

「高校生じゃないと出られないだろう、甲子園。イベントで一回投げられればいいんだ」

「ええー? せっかくかわいい幼馴染が指導してあげるんだから、もっと上を目指そうよ」

「タイガみたいなことを言うんだな」

「あっはっは。タイガさん、めっちゃ気合入ってたよ?」


 ……手加減してほしいな。今日はスケジュールの都合でカナとニシンだけだが、のちのスケジュールではタイガが指導してくれる日もある。現役プロ野球投手の指導とか豪華すぎるな。ナゲノに言ったら憤死されそうだ。


 ちなみに現役のプロ野球選手やプロ野球関係者は、アマチュア団体……高校野球とか社会人野球に所属している人間を指導することができない。俺はただの一般人だから関係ないのだが、それでも誤解を避けるため、タイガがひいきにしている口の堅いジムを使わせてもらっているわけだ。


「ユウくんが投げるイベントって……ピッチングセンターの始球式、だっけ?」

「オープニングイベントだな。やはり開始時に何もないというのは寂しいということで……俺が投げることになった」


 10月下旬から始まるイベント、ケモプロピッチングセンター。現実の投球をゲーム内に取り込み、ケモノ選手のバッターと対決するシステムだ。これの初日に俺がKeMPBを代表して投げることになっている。


「アンバサダーとして出演してくれるサン選手だけでいいんじゃないかと言ったんだが……あとはアツシとか……でも、ライムが代表が打たれるところを見せたほうが面白いと言ってな」


 ケモプロチップスの手渡し会も「多少ゴタゴタしたほうが盛り上がるからね!」と後で言っていたし、実際SNSではその通りだったが……ピッチングセンターでもゴタゴタして欲しいのだろうか?


「サンくんじゃ、一般人向けの設定だと軽く抑えちゃいそうだもんね」

「えー、そこはユウもビシッと抑えちゃおうよ! ユウはワシが育てた! って言うから」

「無茶言うな」


 せめてノーバウンドで投球を届かせたい、というレベルだぞ、今は。


「ああ。育てた……といえばなんだが」


 ニシンとストレッチをしながら感じていた。


「ニシン、また少し背が伸びたんじゃないか?」

「お、気づいたぁ?」


 ニシンはニマリと笑う。


「実はちょっとね。たぶん、いや確実にユウを追い抜いたよね! ちょっと靴脱いでよ。はい背中合わせ。カナ!」

「……うん。ニシンちゃんの方が高いね。少し」

「やったぜ!」


 いったいどこで差がついたのか。環境……環境の違いだろうな。俺は運動とは程遠い生活だが、ニシンは球団職員、道具係として毎日運動しているわけだし。卒業式のころには同じぐらいの背丈だったんだけどなあ。


「ま、これぐらい伸びるならもちょっと早く伸びてて欲しかったかな~。そしたらカナとダブル入団もあったかも? なんちゃって!」

「それだったらもっと面白かったかもしれないな」

「でっしょ? ま、プロを間近で見てると、さすがに守備だけじゃレギュラー獲れないなー……って実感しちゃうけどね」

「そこに打撃だけで一軍になっている選手がいるぞ」

「あはは……」

「カナは別格だよ! なんたって――何人ものコーチが、カナの守備練習を投げだしたからね!」

「あはは……はは……」


 カナは力なく笑う。


「打撃で成績を残しているから問題ないだろう?」

「うん……そうだと思ってプレーしてるけど、やっぱり時々、守備もできたらなって思う……かな。やっぱり出場の機会が、入れ替わりの激しい指名打者は少なくなるから」

「ああ。カナのチームにはテンマ選手もいるからか」


 二刀流を公言するテンマ選手は、登板の合間に指名打者として出場し、成績を残している。


「テンマがなんだ、だよ! カナを出した方が絶対にいいのにさ! サン選手から一番打ってるのはカナなんだから!」


 テンマ選手とサン選手の戦いに、どういうわけか巻き込まれる形で成績が記録されているのがカナだった。相性がいいのかなんなのか。サン選手に対するテンマ選手の打撃成績が、今シーズン、15打席4安打2打点。対するカナが17打席10安打10打点7本塁打。計算するまでもなく倍ぐらい打っているのが分かる。


「なのにサン選手がカナに手加減してるからだとかなんだとかさ! 今年の成績すごいのに、一部のファンの間じゃさ、サン選手と対戦した分を除いて考えないと、新人王の査定が公平じゃないとか言われてるらしくて! 公平ってなんだよ! って感じだよ!」

「新人王、ダメなのか?」

「あはは……まあ、他にもすごい選手はいっぱいいるから」

「まー、今年はサン選手……は絶対投票されないだろうから、やっぱりそうなるとタツイワ選手かなあ? 今年はクライマックスシリーズにも出るし!」


 目覚めた怪物、とか呼ばれてるらしいな。


「ニシンちゃん、タツイワくんは去年30打席以上入ってるから駄目だよ」

「あ、そっか。うーん、そうなると難しいなー!」


 新人王の資格もいろいろ決まりがあるんだな。


「うーん、やっぱりあたしはカナに一票!」

「あはは、ありがとう」

「好成績なら来年も一軍間違いなしだな」

「そうだといいけど」

「やっぱり一軍に定着するということは、寮から出るのか?」

「ん?」


 カナとニシンは顔を見合わせる。


「えっと、一軍に行ったからって退寮するわけじゃないよ?」

「そうなのか?」


 ゲームだと一軍になったらその年のうちに退寮させられるイメージなんだが。


「独身の新卒は、寮生活が義務なの。人事担当の人からは5年間って聞いてるよ」

「義務だったのか」

「でなきゃ二軍のホーム結構近いし、実家から通うよねー」

「うん」


 言われてみればそうだな。


「でもカナなら特例で早期退寮認められるかも? どうする? そしたらユウの家の近くに住もっか!」

「球場から遠くないか?」

「寮からと変わんないよ。それに近場の試合以外は、遠征先のホテル暮らしだしさ。寮に愛着が湧かないっていうか」

「シーズンの3分の1ぐらいは寮にいないね。オフは実家に帰るし」

「各地を飛び回る仕事だとそうもなるか」

「ユウも同じ感じなんじゃない? っていうか、オフがあるあたしたちと違って万年忙しいでしょ?」

「飛び回る感じではあるな。明日は茨城で一泊だ」

「茨城県? 何の仕事?」

「国体の文化プログラムでeスポーツのイベントをやるんだ。それの視察だな」


 役人のフジガミに是非といわれて、見るだけ見に行くことにした。


「ケモプロはキャンプ中で動きが少ないが、だからこそいろいろな催しに、代表として派遣される形だな。他にもいろいろ予定が詰められていて……」

「おうおう、社長さんは忙しいことで――それなら」


 ニシンはニカッと笑う。


「練習時間を無駄にするわけにはいかないね! さっ、まずはキャッチボールから始めよっか! 三角キャッチボールね! 最初に落とした人がこの後ご飯をおごるルール! はじめっ!」

「えっ、ちょ、ま、まって!?」

「悪いなカナ。会社の金を使うわけにはいかない……自分用の財布は金欠なんだ」

「わーお、世知辛い!」


 なお本気で挑んだが、最初に落としたのは俺だった。総合回数ではカナがダントツだったんだが……。

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