バーチャルな練習相手

 7月4日。


『んで、今日は何の話からだ?』


 壁に備え付けられた『窓』から、キツネ系女子のアバター――ミタカが頭の後ろを掻きながら言う。


 これまで報告会にはVR機器を使用していたが、シェアハウス内にいるメンバーがほとんどだ。ここに住んでいないミタカ、ニャニアンのために個々にヘッドセットをかぶるのは効率的じゃない――という意見から導入されたのが、アメリカ、サンディエゴのBeSLB事務所でも採用していた『窓』だった。

 こちらにいる俺たちも向こう側のミタカもニャニアンも、VR機器は使っていないが、お互い窓の中はバーチャル空間に見えている。いくつかのカメラから取得した情報で、窓の中のアバターを動かしている形だ。Bass――野球の映像解析システムを応用したとかなんとか。


 ちなみにバーチャル空間側のモデルに人間じゃなくアバターを使うのは、その方が不気味にならないからだと言われた。わざわざお金をかけて高精細な人間モデルを使う必要もないだろうと。


「B-Simを個人に販売することは可能だろうか?」


 B-Simは野球シミュレーター。専用のカメラ、スーツ、ボールを使って動作を取り込んで解析し、練習に役立てるためのツールだ。現在はプロ野球球団や、熱心な高校野球の強豪校などに導入されている。が、個人に販売したことはこれまでなかった。


『個人? ……機密保持契約を理解できるヤツなら問題ねェとは思うぜ。サポートは大変だろうけどな』

『デスネ。個人に販売するならお高くしたいデス』

「法人用のを買うほうが安いんスか? イメージと逆なんスけど」

「個人にたくさん売りたいなら個人用のを安くするけど、そうするとサポート人員がたくさん必要でしょ? 複数人を同時にサポートするより、ひとりずつサポートするほうがコストもかかるから、この場合個人で導入するなら余計にお金を取ったほうがいいよね!」


 サポート人員の採用も進めているがなかなか難しい。


『しかし個人ねェ……まァ個人でトレーナー雇ってるような大選手は、機材を占有したほうが効率的だろーな。オールスターのCM撮影の時にでも誰かから言われたか? トップ選手――金持ちは違うねェ』

「本人は貧乏だと言っていたが」

『オールスター出るような選手で貧乏ってなんだよ……なんでそんなヤツがB-Simが欲しいんだ? つか誰だよ?』

「サン選手だ」


 CM撮影後、話があると言われて別室で打ち合わせしたが、その内容が「B-Simを売ってくれ」だった。


『アー、例の人デスカ』

「家で一人で練習するときに使いたいと言っていた」

『家にスタッフがいんのか?』

「いや、一人でやると言っていた。休耕地に設置してとかなんとか」

『なめてんのか』


 キツネ系女子の顔がムッと歪む。


『モーションの解析をするための機材だぞ。操作だって覚えないといけないし、出力された結果をどう扱うかって話もある。指導者と一緒に使うためのもので、一人でやってちゃ自己満――』

「バッターを立たせたいんだそうだ」

『――は?』

「B-Simを使って投球モーションを取ると、その投球結果が見れるだろう?」


 ボール自体は本物と違うので飛ばない。その代わりシミュレーターの中のボールが『実際に投げたらこうなる』という結果を表示する。


「そのボールを打つバッターを置いてほしいんだそうだ――ケモノ選手を」


 ボールの動きが取り込めるなら、ケモノ選手にそれを見せ、打たせることもできるのではないか?


『ホー。つまり、ケモノ選手と対戦したいとユーコトデスカ?』

「そういうことになるな。ただ投げ込むよりも、本気で打ちにきてくれる相手が欲しいと。……可能だろうか?」


 隣に座る従姉に問いかけると、コクリと頷いた。


「逆は難しいけど……投げたのをケモノ選手が打つ、ならできるよ」

「おお、できるんスか。でも逆、ってことはえーっと」

「ケモノ選手が投げたボールを打つのは難しい、ってことだね!」

「それはなんでッスか? VRでボール打つゲームとか、ある気がするんスけど」

「えっとね」


 従姉は怪しい身振り手振りをしながら説明する。


「スイングのデータも取れるように、エムさんと研究してるけど、打つってこう、振ったらおしまいじゃなくって……打つ瞬間が大事なんだって。こう、ぐっとなってるところを、ぐいってやるとか、そういうのができないから」

「ぐっとなってるところをぐいっ……?」

『……コリジョンの問題な。投げるのと違って、打つのはボールとバットが接触しないといけねェだろ。素振りと実際に打つのはちげェの。インパクトの瞬間に手首をひねるとか、ボールに押し込まれて打ち損じるとか、VRじゃ再現できねェだろ? ゲームならともかく、シミュレーションとしては提供できねェよ』

『重さを再現するのはいろいろ研究されてマスケド、一瞬に時速130キロの衝撃を受けるのは無理デスネ』


 なるほど。何も触らないなら素振りと変わらないし、違和感しかないだろうな。


『仮想と現実の物理を組み合わせた時の問題ってヤツよ。まァケモプロの映像表示してピッチングマシンで実際の球を投げるって手もあるが……今のピッチングマシンは投球の再現が完璧にできてるワケじゃねェし、その程度なら他でもやってるしな。オレらがやる必要はねェだろ。で、話は戻すが――投げた球をケモノが打つのはできる。投げた後は全部仮想の物理だからな。でも、なんでそんなことしたいんだ?』

「練習相手がいないからだそうだ。なんでもテンマ選手と対立しているせいで、自主練に付き合ってくれる選手がいないとか」

『そりゃ……自業自得だろ』


 最低限の練習はできているらしいが、それ以上は他の選手も関わろうとしないらしい。


「それから」


 こっちが本命だ。


「――カナ対策だそうだ」

「え、カナ先輩ッスか?」

「サン選手はケモプロを見てくれているらしいんだが、そこであるケモノ選手の打撃フォームがカナとそっくりだと気づいたんだそうだ。それで、そのケモノ選手をカナ対策として練習相手に使いたいらしい」

『マジかよ。気づくもんかね?』

「俺とカナが同じ学校出身だと知ったら、カナをモーションキャプチャーしてケモプロに使っただろうと指摘してきた」

『オー、鋭いデスネ。大丈夫デスカ?』

「俺はイエスともノーとも答えなかったが、それでも黙っていてくれると約束した」


 サン選手にとってはそこはどうでもよかったらしい。


『プロが見りゃ分かるってヤツかね……他にも映像を学習して混ざって元のデータとは違う感じになってるはずなんだが。ちなみにどいつがそっくりなんだって?』

「ゴリラだそうだ」


 雨森あめもりゴリラ。東京セクシーパラディオンの不動の四番。今年も首位打者、最多本塁打、最高出塁率の三タイトルを獲得したケモプロ界いちの打者。


「カナ先輩が、ゴリラッスか」


 端的に言うとそうだな。


「やっぱりカナ先輩ってすごいんスねえ」

『ケモプロの基準が現実に通用するかどうかわからねェけどな』

「そういう意味では、今回のサン選手の要望って現実とケモプロの比較ってことになるよね! 面白くない? カナお姉さんのことは抜きにしても、いい宣伝に使えそうな気がするな!」

「つい先日の試合でも、サン選手はカナにホームランを打たれただろう?」


 通算5本目。カナはこれで合計7本の本塁打を6月中に達成し、ホームランダービー出場の条件を満たした。今はファン投票期間中で、得票数が多ければ出場できることになる。


「そのせいか、また催促されてな。はやく練習したいのだと。それで、ツグ姉は可能だという判断だが……ミタカはどうだろうか?」

『ツグができるっつってんだ。技術的にゃ不可能じゃねェ』

「B-Simの中にゴリラが入るんスか?」

『入んねェよ。つかAIをローカルに保存はダメだろ。……そもそもB-Simはオンラインだかんな。投げたモーションのデータを一回サーバーに送って解析、シミュレーションして、その結果をローカルに返してるわけよ。だからサーバー側にゴリラを配置して、打たせて、その結果を返すようにすりゃいいわけだ』

「ゴリラはその勝負の記憶をするだろうか? 一球や一打席ではなく、これまでの経緯を踏まえた勝負がしたいと言っているんだが……やはりAIに余計な学習はさせられない、だろうか?」


 人間の学習をするのが一番人間らしくならない、とか言っていたし。


『いや、別に? ゴリラのコピーを作って、コピーゴリラが記憶を引き継ぐ形ならいんじゃね?』

「コピー? なんでコピーッスか?」

『特殊なシチュエーションになるし、練習相手にするならいつでも呼び出せたり、常にやる気を出させるとかしねェといけねェから……24時間行動させてるケモプロじゃ本番データは無理だろ』


 ゴリラにもゴリラの生活がある。サン選手の都合で練習に付き合い続けるわけにはいかない、ということか。


『都合のいい練習相手を作るなら、コピーしかねェ。ある時点のゴリラをコピーしてきて、練習の間は記憶を保存する。で終わったらコピーは削除するわけよ』

「おぉ……なんか……SFっぽいッスね。削除とか怖くないッスか?」

『確カニ。自分のコピーが知らないところで働いてイテ、コピーが用済みになれば消されるトカ、ちょっとディストピア感ありマス』

『AIはAIだろーが。バックアップも取ってるしコピーされてるのは日常茶飯だっつの』


 ミタカは肩をすくめる。


『AIイコール人間じゃねェ。たとえ自我が芽生えたとしても人間とは別の生態なんだぜ? 別の死生観、倫理観が生まれると考えるべきじゃねェか? コピーや削除なんてなんとも思わないAIの方がオレはSFとしては上等だと思うぜ』

「でもケモノ選手って人間っぽいじゃないッスか。だから消すのはちょっと……」

『人間っぽいのは、そうするようにプログラムしてっからだ。それは自我じゃねェ。ただの模倣だ。感情はただのパラメーターでしかねェんだよ』

「う……」


 ずーみーが口ごもって少し体を縮めると、ミタカはガリガリと頭を掻いた。


『あー……いや、まァ、確かに最近は自分でもできすぎっつーか、予測を超えた動きをしてるところはあンだが、まだ確信に……』

「ムフ。感情移入しちゃうぐらいできがいいってことだよね!」


 ライムが割って入り、首をひねる。


「んー、たぶんこの話を聞いて同じ感想を持つ人はいると思うな。実害はないとしても、気持ちの問題だよね。コピーするのが気持ち悪いなら……練習のパートナーとして契約するとか、どうかな? 時間を決めて練習に付き合うって感じでさ」


 契約を結び、決められた時間だけB-Simの練習に付き合う。


「おぉ……なんか、ケモノ選手が現実の選手の練習相手の仕事をする、って感じッスね? それなら抵抗感はないッス!」

『やるこた変わらねェからできなかないが……シーズンが全然違うんだぞ? NPBがオフの時にケモプロはペナントの真っ最中だ。ゴリラの体が空かねェぞ』

「そこはゴリラだけじゃなくて、何人かと契約するとか? 時間を予約してさ」

「ケモプロ全体としての、練習パートナーサービス……というところか」


 ゴリラだけでは試合の予定もあるし、サン選手が望む練習時間を取れないだろう。しかし複数人、それこそ暇をしている選手を誰でも選べるということになれば、その問題は解消されそうだ。


「問題はサン選手がそれでいいのかどうかだな」


 サン選手はカナ対策にゴリラと対戦したいのだ。それが時間が合わなければ別の選手としか対戦できません、で納得してくれるかどうか。


「……しかし、選手をコピーして提供するのは、やはりケモノ選手の実在性を揺るがすことのような気がする。練習パートナーサービスという形で提供できないなら、この話は断ろう。需要は……今のところサン選手にしかないわけだし」

『その形でいいっつーなら、まァシステムを組んで、あとは機材だな。打たれるとこ見たほうがいいだろ』

『VRゴーグルデスカネ? Oculus Questみたいな独立型デ?』

『別にそこはふつーのモニタでいいだろ……いいよな?』

「いい……んじゃないだろうか。VRゴーグルつけて投げるとか辛そうだし」

「サーバーサイドで処理して打つなら、ラグがあるよね? だったらVRにする意味はないと思うな!」


 もう一度会って費用の話などすることにしているし、その時どうしたいか聞き出そう。


「わかった。資料をまとめておいてくれ。パターン別に、暫定でも価格を出してくれると助かる。あとはアツシに、他の選手にも需要がありそうかどうか聞いておくか」

「でもいいんスか、先輩?」

「何がだ?」

「このシステムでサン選手が練習したら、強くなっちゃうんスよね? カナ先輩が大変なんじゃ」


 そういう考え方もあるか。


「練習が必ず結果に結びつくとは限らないし、カナに協力したいからサン選手にシステムを売らないというのも不公平だろう。それに――カナならその程度で負けはしないと信じている」


 俺の幼馴染はすごいからな。


「オールスターでも活躍してくれるさ」

「そうそう、お兄さん! オールスター、ホームランダービーで思い出したんだけどさ!」


 ひょいっと、ライムが背中から飛びついてくる。そしてぐるりと回りこんで首にぶら下がるようにして顔をのぞき込んできた。


「KeMPBとして、ケモプロ賞とか、ゲーム内でのオールスター観戦だけじゃなくて、もう一つ連動イベントを打たない?」

「イベント?」

「うん、ぜひ、お兄さんに頑張って欲しいんだけど」


 代表社員というのはほとんど雑用係だ。必要なことならなんでもやる。


「いいぞ。なんだ?」

「うん」


 ライムは雲のように笑う。


「プニキなんだけどさ!」

「……プニキ? ……ああ、獣子園の予選、初戦を順調に突破したな」

「そっちのじゃなくて、プニキのほうだよ!」


 プニキと呼ばれるケモプロ内の選手ではなく……プニキ。


「知ってる? 各ブラウザのFlashサポート終了が2020年12月末に決まったんだよ!」

「うん?」

「プニキってFlashゲームだから、つまりそれまでにしか遊べないんだよね。だからさ」


 ………。


「ホームランダービーも開催されることだし――プニキをクリアするまでオールスター見れません、って企画名はどう?」

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