風船の飛び交う日
6月20日。
「そちらもだいぶ揺れたと聞いたが、怪我や被害はないだろうか?」
「ありがとうございます。久々に大きな揺れでしたが、従業員も設備も無事です」
モニタに映る地味な作業服を着た女性、ヤクワヒノリがそう答える。
18日の夜、山形県沖で発生した地震は、ヒノリが経営する秋田にある会社、めじろ製菓のある場所でも大きく揺れた。無事については次の日には確認していたが、こうしてインターネット越しとはいえ面と向かって話すのは、地震以降では初めてだ。
「大きな被害の出た地域からはだいぶ離れていますからね。こちらは家具が倒れたぐらいで問題ありません」
「それならよかった」
「あの、ところで……」
モニタの中のヒノリがもぞもぞと手を組む。
「メールでの報告だけでなく、直接話すということは、その、何か問題が……? も、もしかしてナミが何かしましたでしょうか?」
「ナミ?」
……津波のことかな? 多少到達したという話だが……。
「あッ、すいません。ヤクワナミという名前の親戚の子でして、高校では女子野球をやっていた子なんですが。3月に神戸でB-Simのイベントを開かれたでしょう? そちらにお邪魔しているはずで、それでなにかご迷惑をかけたんじゃないかと……」
そういえば、ミタカがそんなことを言っていたな。
「報告は受けている。俺を探していただけらしいし、特に迷惑ということはない。今日は別の話で」
「商品開発の件なら順調です! 絶対! 大丈夫!」
急に身を乗り出して主張される。
「いや、それは心配していないぞ」
「いやいやあいつですよジョージですよ!? 少しは心配しましょう一緒に心配してくださいよ!」
マサキジョージ。めじろ製菓の製品開発部長。新商品の開発を一手に担っているとか。ジョージが生み出した製品としてはやはり『ゲキマズ』で有名な『オコション・サヴァイヴ』だろう。ジョージはヒノリのオーダー通りに作ったと自慢していたが……あれは意思の疎通が少し足りなかった結果だな。そもそも。
「でも、ヤクワさんはジョージのことを信じているんだろう?」
「うッ」
じゃなきゃいくら本人が「一人じゃないと集中できない」と言ったところで、お目付け役をつけて開発させるはずだ。
「それは、まあ、その……」
ヒノリはゴニョゴニョとつぶやき、顔を赤くして目をそらす。
「そ、それでは何のご用件でしょうか?」
「今、ケモプロでは70プレイヤーズウィークというイベントをやっている。その最終日、6月23日の、青森対島根の試合を、今回の震災に対する義援金を募るチャリティーマッチにしたいという話が出ているんだ」
「義援金ですか。それは……助かりますね」
ヒノリは少し考えて頷く。
「私たちの方はそれほどでもありませんでしたが、他の地域は家屋の被害も多いですし、製造業に携わるものとしては、山形鶴岡の酒蔵の被害など思うところがありますし。企画されたのはどなたでしょうか? 被災地域の一員として、お礼を言わせていただきたいと――」
「それならちょうどよかった」
乗り気で助かる。
「秋田代表として放送に出演してもらえないだろうか?」
「へっ?」
◇ ◇ ◇
6月23日。
会議室の中に入ると、すでにミタカとニャニアンが機材の準備を始めていた。
「遅くなった。朝早くからお疲れさま」
「オウ来たか。まァ仕事だかんな」
「イエイエ、ダイヒョーの頼みデスカラネ」
ニコニコとして言うニャニアンの顔を、ミタカがじとりと見つめる。
「ン? なんデスカ?」
「なんかオマエ、最近おかしかねェか?」
「そデスカネ?」
「だよ。だってよこの間も温泉で――」
バン! 会議室の扉が勢いよく開けられる。そして高らかに、響く。
「ハーッハッハッハ!」
甲高い声の高笑い。
「眷属のみんな! 青森によくきた! 青森ダークナイトメア・オメガ公式実況者のヤミノウィングだぞ!」
長い髪をツインテールにした少女が、バサリ、と羽織った黒いマントを翻し――
「今日は遠いところ本当にありがとうございます」
深々と頭を下げて礼を言ってきた。
「すいません、親から許可が出なくて、山形のためのチャリティなのに、青森まで来てもらって……」
株式会社ダークナイトメア。青森で中まで真っ黒という品種のりんご、『ダークナイトメア』およびその改良種『ダークナイトメア・オメガ』をブランディングし、育成、販売する会社だ。今日はダークナイトメアの親企業の青森支社に協力してもらい、撮影場所として会議室を貸してもらっている。
「三社とも拠点が違うんだ、どこを会場にしても同じようなものだろう。めじろ製菓の分の交通費は二社で折半することにしたんだから、気にしなくていい」
「ハッハッハ。そうだぞ、ヤミノ君。子供はそんなこと気にしなくてよろしい」
ヤミノウィングの後ろから、すでに黒いりんごのマスクを装着した、ダークナイトメアの社長、サト……ダークナイトメア仮面がやってくる。
「謝るべきは私だな。主催が遅れて申し訳ない。スタッフに失礼はなかったかね? ハッハッ――」
「――オートリ代表!」
がばりと顔を上げたヤミノウィングが、ものすごい勢いで俺の手を取った。そしてぶんぶんと上下に振る。
「代表には超マジ感謝してるんで! ケモプロ作ってくれてありがとう!」
「礼を言われるようなことでも」
「いやマジな話なんで! この辺じゃマトモな仕事もないし、かといって農家とかガラじゃないしさ! だからこーゆー仕事をやれてマジ感謝してるっていうか!」
ぶんぶん。
「ハンドルネームも代表にあやかってトリっぽいのにしたんだよ!」
「そうなのか」
「『ササ様』もさ、あれでやる気になれたっていうか、ホントケモプロにきっかけをもらったっていうか! 今日の実況配信、ほんと頑張るから! よろしくな、オートリ代表!」
「こちらこそだ、ヤミノウィング」
手がちぎれそうなのでそろそろやめてほしい。
「オートリ代表は特別にヤミでいいぞ! ツバサでもいい!」
「ツバサが本名なのか」
「魂の名だぞ! ハッハッハ!」
……本名ではないんだな?
「やあ。楽しそうですね。ボクもユウさんの腕ちぎりに参加しても?」
「やめてくれ」
ひょっこり後ろから細身の男がのぞき込んできて、ぶんぶんと振り回されている俺の手に参加しようとする。
「あッ、ご、ゴメン、つい」
それでようやく気付いたのか、ヤミは手を解放してくれた。じわじわと血液が指先に戻る感覚がする。
「ハッハッハ、来たね、ジョージ君。この間はライバルだったが、今は友として迎え入れよう!」
「どうも、この間の勝者です。イエイ」
細身の男――ジョージはにこりともせずブイサインをする。
「うぐッ……ふ、フフハハハ。ま、まぁうちはブランドで商売しているからね。大量生産には向かないのだよ」
「あの原価じゃ厳しいですね。試算の段階で決着しちゃいましたし」
「ウゥッ……」
「ちょ、ちょっと!」
ダークナイトメア仮面が胸を押さえて後ずさる。と、会議室の外――ジョージが入ってきた後も開きっぱなしの扉から、ヒノリの声が聞こえた。
「喧嘩売ってるからやめなさい! すいません、こいつ本当に空気を読まなくて……」
「ハッハッハ、いいのだよヤクワ君。敗者が事実を指摘されたまでだ」
「だそうですよ?」
「だからっ!」
「そんなことより早くこっちに来たらどうです? 収録まで時間ないですよ?」
ヤクワは――沈黙する。扉の先にその姿はない。
「うん? ヤクワ君はどうしたんだね?」
「どうしたんでしょうね?」
「だっ……これ、この格好で行くのは、ちょっと」
「その衣装しか今日は持ってきてないですよ。それともヒノリさん、他の服持ってきてます? あの地味なスーツじゃなくて。あれは駄目ですよ、ダサいし暗いから」
「う……」
ここまで一緒に来たが確かにあれは、エンタメの場に出るには不似合いだったな。いくら被災地向けのチャリティとはいえ、過剰に暗くなりすぎだろう。被災者に向けては一時の気晴らしにしてもらいたいわけだし。
「なんだなんだ? めじろ製菓の社長は、何か恥ずかしいのか?」
「いや、そんなはずはないと思いますけどね」
「思いなさいよ!?」
「仮にヒノリさんが恥ずかしいと思ってるとしたら、人目につく廊下にとどまっているわけがないでしょうし」
「ちょッ」
バッ、と残像を伴ってヒノリが会議室の中に入り、後ろ手に扉を閉める。
「おおッ、すげー! お姫様みたいじゃん!」
「ううッ……!?」
「気合入ってんな! よし、まかせろ!」
ヤミは両手を腰に当て、ふんぞり返って宣言した。
「チャリティーはこのヤミノウィングが、きっちり成功させてやるぞ!」
◇ ◇ ◇
「ハーッハッハッハ! 眷属のみんな! よくぞ来た! 青森ダークナイトメア・オメガ公式実況者のヤミノウィングだぞ! 今日はな! 特別配信なんだ!」
画面の向こう側ではカラス系女子のアバターになっているヤミが、バサバサと両手を翼のように振り回して口上を述べ――深々と頭を下げる。
「18日に山形県沖を震源として発生した地震について、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。本日のケモノプロ野球、70プレイヤーズウィーク、青森対島根の試合につきましては、被災地への支援を目的としたチャリティーマッチとさせていただきます。こちらに表示されているゲーム内アイテムの購入につきましては、決済手数料などを、島根出雲野球振興会、合同会社KeMPB、株式会社ダークナイトメアの三社にて負担し、全額を義援金として被災地に寄付いたします。まずはこちらのビデオをご視聴ください」
配信側の画面が切り替わり、茶髪のおじさん――島根出雲野球振興会の会長、アジキと、島根県職員の女性、スエトミが映る。主にアジキが喋って今回のチャリティーの経緯への理解を求め、支援に感謝する内容で終わった。……サングラスをかけていない真面目なアジキは初めて見るな。
「アジキさん、スエトミさん、ありがとうございました」
言って、ヤミは顔を上げて――
「ハッハッハ! というわけで、ここからはな! 明るくやるぞ! 幸い、被災地も停電はすべて復旧したそうだ! 余震は心配だが、いつまでも暗くなっててもな! いかんからな! 気晴らしとして見てほしいぞ!」
明るくそう言い切った。あの笑顔がアバターに反映されないのは惜しいな。
「それではスペシャルゲストを紹介するぞ! まずは合同会社KeMPBの社長、オートリ代表!」
「よろしくお願いします」
「そして株式会社ダークナイトメア社長、ダークナイトメア・オメガ仮面!」
「ハッハッハ! 70プレイヤーズウィークも最終日! 有名どころの選手は大体出場してしまったから視聴率のために――ということで企画したわけではないぞ! ハッハッハ!」
企画されたのが震災の翌日、2試合目が終わった時点。最終日の選手はまだ決まっていない段階だから……言葉の通りだろう、うん。
「そして最後に、被災地から来ていただいたぞ! 今日はな、めっちゃかわいくして来てもらった! めじろ製菓株式会社の、ヤクワ社長!」
「ドドド、ドウモ」
頭の後ろにごっちゃりと飾りのついたゴージャスなドレス姿で、顔を真っ赤にしたヒノリが頭を下げる。
ちなみにヤミ以外はアバターを使わない、カメラ映像そのままの姿なので、この様子もしっかり画面に載っている。
「かっわいーよな! 社員がうらやましいぜ!」
「ハハハ、イエ、ソレホドデモ」
「さあ、このメンバーで実況していくぞ! それじゃ球場の映像を見てみよう!」
メイン画面がケモプロの映像になり、ホッとヤクワが息を吐く。
「今日の試合会場は青森
「ハッハッハ、つまり毎試合13人は入れ替わるということだ!」
「では前試合から引き続き出場する5人の選手を紹介するぞ!」
「ウム、この5人はチームの主力ということだな!」
カメラがダークナイトメア側のベンチを映す。
「まずはクローザーの
「うむ。うちは投手力のチームだが、良い選手には先発が多いからね。今期のドラフトでは中盤、後半を見据えた強化をしたいものだ」
「3人目は打撃のうまいおっちゃん、
「
連続出場できる5人は途中で変えてもいい。一度5人の枠から漏れたら再出場できないという形だ。
「4人目は捕手の
「捕手はなかなか替えが利かないからね。ロカン君はなかなか出番がなくて厳しいが、捕手の定めと思って耐えてほしい」
ベンチでマンモス系眼鏡女子とカンガルー系男子が話し合う。ロカンは試合に出場しなくても、ナガモの相談相手となることで試合に貢献しているようだった。
「選手兼監督の
「彼が監督に専念する機会は少ないからね。これを機に監督としても成長してほしい! ハッハッハ!」
ジャッカル系男子の黒男が、二軍、三軍出身の選手たちに声をかけて奮い立てていく。
「カメラ変えて島根側ベンチだぞ! 島根の引継ぎメンバーは、まずセンターの
「レイ君は守備範囲も広いし、打てるからねえ。いい選手だよ、ハッハッハ」
「投手からは
「抑えのダン君、ロングリリーフのできるラビ太君、というところだな。しかしダン君は昨日2イニング投げているし、今日は投げるのかね?」
サル系男子のダンは、ベンチで深く座って耳をほじっていた。
「あと2人はダークナイトメアと同じ捕手2名体制だぞ。正捕手の
「ツナイデルスのアラシ監督は、どうしてルーサーを捕手に使って、ダイトラはベンチなのかね。私としてはダイトラ君を捕手として評価しているし、ルーサー君は打てるんだから指名打者で使えばいいと思っているがね。そうすればルーサー君の負担も減って、打撃力も確保できただろうにねえ。ハッハッハ」
「あれ? おじさん、今日の捕手はダイトラだぜ? でもって指名打者がルーサーだって」
「ゲェ!?」
ベンチから防具をつけて、のそり、と出てきたのはしかめっ面をした青い虎だった。
「……いや、ウム! ダイトラ君が打順に出てくる、ということはダークナイトメアにとってプラスでもある!」
「それもそうだな! ハッハッハ! よーし、それじゃそろそろ試合開始だ! 先攻は青森ダークナイトメア・オメガ! 張り切っていくぞ、眷属のみんな!」
◇ ◇ ◇
「――……九回表、6対8、2アウト。うーん……ラビ太が強すぎるぞ」
マウンドの上には五回から登板しているたれ耳ウサギ系男子のラビ太。汗をかいてはいるものの、パフォーマンスを落とさずに投球を続けていた。
「ウム。ラビ太君が投げてからは、ピタリと打線が止まってしまったからねえ。その間に逆転されてしまったのが痛かった」
「野球は九回からとは言うけど、ちょっとツラいぞ。……いや! ダークナイトメア・オメガを信じている! 眷属たち、最後の力を見せるんだ! 次のバッターは……八番、センター、
バッターボックスに緊張した顔のシカ系男子がやってくる。
雪道ルーク。2018年度のドラフト一位のケモノ選手。不調から一軍落ちし、現在は三軍にいる。この試合はここまで無安打だった。
「フム。交代はなかったか」
ベンチで腕組みして立つ黒男監督は動かない。
「おじさん、ドライチの選手なんだから信じようぜ?」
「うッ……いや、も、もちろん、そのポテンシャルを信じているとも!?」
ダイトラはチラリとルークの顔を見て、サインを出す。
「ダイトラはいつも通りど真ん中だな! ルーク、チャンスだぞ!」
ラビ太はコクリと頷くと、全身を躍動させて投球した。
「……ストライク! うーん、よく見るのはいいけど、見逃しちゃいけないと思うぞ……」
続いて2球目はボール球を振ってしまい、2ストライクに追い込まれる。ルークは、タイムをかけて下がって素振りをした。――その背中に向けて、ベンチからケモノ選手たちの声援が飛ぶ。同じく三軍に属するチームメイトたち。頷いて返すと、ルークはバッターボックスに戻った。
「さあノーボール2ストライクで追い込まれているぞ。ルーク、頼むぞ!」
ダイトラがど真ん中に構える。それをラビ太は、ゆっくりと首を振った。フンッと鼻を鳴らして、ダイトラはサインを変える。外角へのスライダー。3球で仕留める方針は変えずに。ラビ太が頷き、構える。
「来るぞ、3球目!」
投げた瞬間、ラビ太のカットイン演出。指のかかりが甘い。曲がらない。
カンッ!
「行った! ヒットだ! ルーク、ライト前ヒット!」
一塁ベースを踏んだシカ系男子が、ふうっと大きく息を吐く。ベンチからの歓声に、顔を背けながら手をあげて応えた。
「ルークは久しぶりのヒットだな! ようし、これはまだ終わらないぞ! ダークナイトメア・オメガ、このまま逆転だ!」
――しかし後続はあっさりと仕留められ、チャリティーマッチは6対8の島根の勝利で幕を閉じる。
塁上で試合終了を迎えたルークは、チャリティー用に販売された特別カラーの風船が球場内を所狭しと飛び交うのを見渡して、ゆっくりとベンチに戻っていった。
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