初めての社員旅行

「ようこそ、遠いところいらっしゃいました」


 駅前のロータリーまでやってくると、俺たちを見つけた着物姿の女性――トリサワヒナタが笑顔を浮かべながら近づいてくる。


「お久しぶりですね、ユウさん。お元気そうで何よりです」

「久しぶりだ。ヒナタも元気そうだな。ここまで出迎えに来てくれるとは思わなかった」

「それはもう、張り切ってますよ! なんていっても、フフ」


 ヒナタは口元に手をあてて笑う。


「KeMPBさんの初めての社員旅行を担当するんですから!」


 6月7日。

 2019年度のケモノプロ野球リーグが鳥取の優勝で終わり、ケモプロ全体の活動がいったん落ち着くこの間隙に、以前からヒナタに提案されていたKeMPBの社員旅行を行うことにした。目的としては社員・従業員の懇親と慰安ということになるだろうか。幸いなんとか全員スケジュールの都合がつき、無事に最寄り駅まで到着した。


「ところで、その……そちらがお姉さまで?」

「従姉だ」


 従姉は俺の後ろでスーツケースにしがみついてしゃがみ込み、ミタカやニャニアン、イサに囲まれている。


「あまり外出が得意ではなくてな。ちょっと気分が悪いと――」

「ああ! すいません、気が利かなくて。遠いところお疲れ様です、どうぞ、送迎バスの中へ」

「オラ、行くぞツグ」

「う、うん……」

「ツグ先輩、荷物自分が持つッスよ」

「ずみちゃんはいいから、うちに任せなって。ママの力見せたるから」


 運転手に協力してもらい、バスに荷物を詰め込む。全員乗ったのを確認したら、ヒナタが女将を務める旅館、「あしのゆ」に向けて出発だ。


「あとどれぐらいかかるんデスカ?」

「徒歩でも行ける距離ですので、5分もかかりませんよ」

「ムフ。それでも送迎バスがあるのが不思議? それはねえ温泉に来るのはお年寄りが――」


 しばらくして旅館が見えてくる。そこには大きなパネルと横断幕がかかっていた。


『伊豆ホットフットイージス、2019年度シーズン三位! 応援ありがとう!』


 ユニフォームを着たケモノ選手たちが、着物を着たキツネ系女子監督、瓦ノ下かわらのしたツツネを中心に集まった写真のパネルに迎えられて、バスが止まる。


「改めまして」


 前方に控えていたヒナタが、深々と頭を下げた。


「ホットフットイングループ伊豆本館『あしのゆ』へようこそいらっしゃいました。本日はごゆるりとお過ごしください」



 ◇ ◇ ◇



「イエーイ、どうどう、お兄さん」


 部屋で足湯を利用しながらノートPCでの作業をしていると、すぐに時間が経ってしまう。スケジューラのリマインダーに急かされて部屋を出て宴会場に向かうと、その入り口でばったりと女性陣と鉢合わせした。そろって温泉に行っていたらしい。


「浴衣だよ、浴衣!」

「どスか!?」

「似合っている」


 それぞれ色も柄も違う浴衣を着て――いないな。一名普段着だった。


「あンだよ」

「いや。みんな浴衣を持ってきたのか?」

「ううん、違うよ。最近はこういう色浴衣をいろいろ選べるサービスが流行りなんだよ!」


 なるほど。旅館で用意している浴衣が一種類だけだと、好みに合わない客は次回来る気がなくなるだろう。好きな浴衣を選べるならまた来ようというモチベーションになるのかもしれない。


「まあまあ、みなさんおそろいですね」


 くるくると回るずーみーとライムの浴衣を見ていると、ヒナタがやってきて手を合わせた。


「浴衣も着ていただけたみたいでうれしいです。これ、私が選んでいるんですよ。皆さんよくお似合いです。お姉さまも、サイズが合っているようで安心しました」

「あ、ども、でへぇ……」


 そういえば事前に従姉の身長とか服のサイズを訊かれていたな。もしかしたら今日のために用意したのかもしれない。


「ああ、いけない。さあ料理の用意もできていますので、どうぞ、中まで」


 ヒナタに先導されて宴会場へ入る。これぞ旅館の宴会場、というイメージそのものだった。ずらりと並んだ座布団つきの座椅子に、個人ごとの小さな机――お膳だっけか。その上にきれいに並べられた料理。


「オー! ワ、って感じデスネ」

「ガミさん、席順どーしゃすー?」

「気にするような社風でもないでしょう。詰めて座ってください」


 ぞろぞろと奥へ進む。ヒナタに案内されていたので俺が一番奥の席になった。座ると同時に、瓶を抱えた背の高い男がお膳の前にやってくる。


「どうも代表! お飲み物注がせていただきますよ」

「ああ、それぐらい自分で」

「いえいえ、お金出してもらってますからね。これぐらい新人にやらせてくださいよ。……っていうか」


 男――アツシは声を潜め、ウィンクをして言う。


「これぐらいしないと肩身が狭いんで。はっはっは」

「気にしなくていいんだが……」


 ふと横を見ると、反対側からはロクカワが注いで回っていた。俺も参加するべきだったかな?


「まあまあ、代表はどっしり構えてくださいよ。ビールですか? それともウーロン茶で?」

「ウーロン茶を」


 グラスに注ぐと、アツシは隣へと移っていった。――何人かはすでに自分で用意していたみたいで、あっという間に飲み物の準備が終わる。


「いいよー! 準備オッケー!」

「それじゃお兄さん、乾杯の音頭をとってよ」

「わかった」


 こういうのも代表――雑用係の仕事だ。さすがに場慣れしてきた。


「今日は社員旅行に参加してくれて感謝している。これからケモプロもKeMPBもより大きくなっていくつもりだ。だから、全員が参加できるというのは今回ぐらいになるかもしれない。貴重な機会だ、楽しんでもらえると嬉しい。それでは、乾杯」

「かんぱーい!」


 あちこちでグラスの鳴る音がする。


「本日はご利用いただきありがとうございます」


 グラスを下すと、隣にやってきたヒナタが話しかけてくる。


「約束だったからな。それにずーみーとライムが特に行きたいと言っていたし」

「それは光栄ですね」

「しかしずいぶんと割り引いてもらってしまったが、迷惑じゃないか?」

「6月は忙しくも暇でもない、というぐらいですから大丈夫ですよ。いえ、うちはちょっと空いている方かもしれませんね?」


 そういうものか。

 ちなみにケモプロの方も、ペナントが終わってひと段落というところ。獣子園予選、アメリカではカレッジ・ビーストシリーズの地区予選が始まっているが、決勝はどちらも8月。盛り上げる材料に欠ける。そのため6月には70プレイヤーズウィークというイベントも入れているが、これは17日からなので少し遠い。そこでこのタイミングでの社員旅行となったわけだ。


「優勝したら大々的にキャンペーンも打てましたし、状況は違ったかもしれませんね。鳥取さんがうらやましいです」

「向こうもいろいろ大変らしいけどな」


 関係者にとっては、まさか本当に優勝するなんて、という感じだったらしい。慌ててグッズや企画を用意するも、ファンからの需要に供給が追い付いていないとか。スナグチも前例がないということで、これまではなかなか強く出れなかったそうだが……来年は改善するといいな。


「フフフ。でも、うれしい悲鳴でしょうね。立派な旗も贈りましたし、これで鳥取さんがケモプロから抜けることはないでしょう」

「ああ、あれか。だいぶ感触は良かったな」


 昨年には用意していなかったが、今年はリーグの優勝旗をリアルでも製作し、先日ようやく表敬訪問という形で渡してきた。


「わざわざ県知事が受け取ってくれたし、県庁に飾ってくれた。一般公開されているそうだぞ」

「喜ばしいことです。それならタカサカさんも納得ですね」

「ああ。ウガタからはだいぶ大変だったと聞かされているが……」


 昨年に引き続き最終日まで優勝争いにもつれ込んだ東京セクシーパラディオン。今年こそは優勝だとタカサカ曰く全社をあげて応援していたらしい。そして電脳との試合に負け、鳥取が島根に勝ち、準優勝が確定。荒れっぷりはひどかったらしい。


「昨年に引き続き、気の抜けたタカサカに代わってウガタが準優勝セールの指揮を執ったとか」

「ウガタさんがどんどん経験を重ねていきますね。タカサカさんもまだ本調子ではないでしょうし、ある意味ちょうどよかったのかも?」


 確かに。本人はともかく周囲の人間からするとまだ体力が完全に戻ってないらしいから、今年優勝したら張り切りすぎて倒れてしまったかもしれないな。


「東京さんも残念でしたが、来年こそはイージスが優勝してみせますよ。ケモプロもどんどん盛り上がっていきますから、優勝による宣伝効果はますます大きくなるでしょうし」

「確かに、記事に取り上げてくれたメディアは去年よりも増えたな」

「でしょう。それにやっぱり、BeSLBですよ。すごい反響だったじゃないですか、あの会見」

「ムフ。でっしょー?」


 ひょい、と隣からライムが割り込んでくる。得意げに雲のような笑顔を作っていた。


「あのサプライズは苦労したんだよ! ローズマリーちゃんのさ!」


 6月1日、アメリカで行われたひとつの記者会見が世間を騒がせた。

 昨年の日米大学野球選手権大会でも活躍した、女子世界最速球速の投手、ローズマリー・アンブローズ。女子ながら87マイル、140キロの速球を投げる彼女は、初の女子選手のメジャーリーグ入りを期待されていた。それがメジャーリーグのドラフト会議を前にして、あらゆるプロスポーツチームへの不参加と、BeSLBへの就職を発表したのだから、日本のSNSにも波及するぐらい騒ぎになっていた。


「会見の映像を見させていただきましたが、スポーツチームへの不参加を表明する必要はあったのですか?」

「んー、まぁ義理を通したって感じ? 別にメジャーのドラフトの後でも良かったんだけどね」


 ライムはひょいと肩をすくめる。


「向こうは学生スポーツって、ひとつの競技しかやらないわけじゃないから、MLB、メジャーリーグで指名された選手が別の……例えばNFL、ナショナル・フットボール・リーグのドラフトにかかるためにエントリーするとかもあるし、NBA、ナショナル・バスケットボール・アソシエーションと同時に所属するって例もあるんだよね。そもそもメジャーってたくさん指名するから、下位指名の人は辞退するとか普通にあるし」

「下位の契約金は少ないですから、来年の上位指名を目指して辞退するケースもあるそうですね」

「そうそう。だから指名されても辞退することは普通あまり問題ないんだけどさ。ローズマリーちゃんは特殊なケースだし、先に言っておいたほうがネガティブな騒ぎにはならないかなって」


 指名を受ける人数は限られている。辞退すると決めている人間が指名されるのを、指名する側の責任とだけ割り切れる人もいれば、そうでない人もいるだろう。


「ま、本当の目的はBeSLBの宣伝だけどね!」

「まあ。そうだったんですか?」

「ローズマリーちゃんってすでにモデルとかもやってて人気なんだよ。インスタのフォロワー数もすごいしね。知ってる? ヒナタお姉さん。最強の宣伝ってね」


 ライムは目を輝かせる。


「愛だよ!」

「……愛が宣伝、ですか?」

「うん。人に対する愛だね。その人のすべてを知りたい、そして同じものを好きになりたいって気持ち。それってとっても強力なんだ。有名人がCMに出ることなんかより、その人がSNSとかでその物に対する愛を語ったほうが効果があるからね」

「そうなのか」

「そうだよ。好きな人の好きなものを好きになる、それが人間ってものだよ! 例えば有名人が『今日はめじろ製菓のオコションが夕食替わり!』なんてTwitterで呟いたら、その人のファンは『今日はオコション食べてみようか』ってコンビニに寄るものだよ――ちなみにこのやり方のことを、ステマっていうよ!」


 ステマ。ステルスマーケティング。広告であることを明かさずに広告をする手法。なるほど、なまじ効果があるから批判され、それでも採用されることが後を絶たないということか。広告のためだけに、好きでもないものを好きだと言ったら、それは炎上しても仕方ないな……好意を利用されて怒らない人間はいないだろうし。


「ええと、ローズマリーさんはステマなのですか?」

「んー、本当に就職するし、というか契約してから会見したし、勤め先の宣伝することは問題ないよね? ケモプロが好きだって気持ちは本当だし。ねえ、お兄さん」

「3月にアメリカに行ったときに、直接会って話をした」


 ずーみーと一緒にサンディエゴの事務所を訪れた時、BeSLBの代表、バーサに紹介してもらった。


「楽しく野球をやっているケモノ選手たちを応援したいと言っていたし、気持ちは本物だと思う」

「ユウさんがそう判断されたなら……でも、メジャーリーグは本当に良かったんでしょうか? 野球人としての夢だと思うのですが」

「未練はないと聞いている」


 報道されていないし本人も公言していないが、肘の痛みを感じてオフシーズンに手術したのだという。手術自体は無事終わり、リハビリも順調で元の投球を取り戻せる見込みだったのだが――このレベルで手術で足止めされるようならメジャーでは通用しない、と判断したと言っていた。


「今後はBeSLBで、広報やB-Simの運用で活躍してもらう予定だ」

「ほらほら、これローズマリーちゃんのインスタ。鳥取優勝おめでとう、ってやつ」

「まあ。これは……来年優勝する理由が増えましたね!」


 ライムがスマホを見せると、ヒナタはグッとこぶしを握った。盛れてるいい写真なんだよな。


「おっす、トリ代表。挨拶に来てやったで」

「ヒナタさん、本日はお世話になっています」


 しばらくローズマリーのインスタ鑑賞で盛り上がっていると、ロクカワとシオミがやってきた。


「いえいえ、こちらこそ。そちらはもしかしてあんちゃんさん? 配信の通りなんですね!」

「え、あ、いやこれはそのぉ……ハハハ。ゴホン」


 ロクカワは乾いた笑いと咳払いでごまかすと、手に持っていた瓶を掲げる。


「そんなことよりトリ代表! 聞いたで! ハタチになったんやって?」

「ああ、つい先日な」

「覚えやすい誕生日しとるやん。1999年6月6日て」


 9月9日にはかなわないけどな。


「ほいじゃもう飲んでも問題ないでしょ! ほいグラス持って! おビール様やで!」


 グラスを持たされてビールを注がれる。


「ほれ秘書さんも」

「うむ」

「いやウムて……酔ってます?」


 素が出てるな。チラチラとこちらを見てくるのは、やはり楽しみにしていてくれたのだろう。


「……俺がここまで来れたのは間違いなくシオミのおかげだ。これからもよろしく頼む」

「あっ、ああ、うむ。……任せろ。お前の世話を焼くことぐらいなんてことはない」


 これも恩返しの一つになればいいのだが。


「乾杯」


 グラスを合わせて、初めて酒を口に含む。


「………」


 ……うん。


 ……うん。うーん……。


「ん? ユウ、どうした?」

「お兄さん? なんか面白い顔してるけど?」


 うん……。


「ユウさん?」

「何固まっとるんや?」


 ………。


「口に合わなかったでしょうか? 初めてならもっと飲みやすいお酒の方が……」

「いや、すまん、なんか」


 うん。


「気持ち悪い」

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