二年目の蜃気楼

「それで」


 口元をマスクで覆った女性が腕組みをし、イライラした口調で言う。見た目からは信じられないおばさん声。島根出雲ツナイデルス公式実況者のナゲノ。


「遅刻の原因は?」

「寝坊だ」

「フンッ!」

「ゴフッ」


 腹が痛い。息がしづらい。


「アンタも社会人でしょうが。目覚ましぐらいかけてないわけ?」

「もちろんかけてるんだが、気づかない間に止められていて」

「ハァ? 自分で止めたのに覚えてないってこと?」

「俺なのかニャニアンなのかは分からないが……」

「ニャ……猫? あ、いや、確かスタッフの人の……?」

「どちらも俺のスマホに手を伸ばしていてな……犯人は不明だ」

「待って。……つまり、その人と一緒に寝てたわけ?」

「そう――」

「死ねッ!」


 脇腹にナゲノの膝が突き刺さる。息が止まった。死ぬかもしれない。


 鳥取への移動日。俺は飛行機の時間を寝過ごしてしまった。なんとか次の便に乗れたものの、鳥取野球振興会が企画していたツアーイベントへの参加が遅れてしまう。ようやく合流して早々、ナゲノに問い詰められた結果打撃を食らっていた。


「アンタがいなくて残念がってたお客さんだっているっていうのに、理由がそれ!?」

「……すッ……すまない。次の顔出しで謝罪を……」

「謝るのはいいけど理由はなんか当たり障りないことにしなさいよね!? 女の子と寝てて遅れたとか、死んでも許されないわよ!?」


 確かに字面だけ聞くと、どんなリア充だという感じかもしれない。

 都心に泊まったから逆に時間に余裕ができたはずなんだが、それで油断した。ニャニアンをシオミに引き渡したり、各所に連絡したりと、やることもあったし。


「……で」


 ナゲノは声を落として、周囲をキョロキョロと見回してから小声で訊いてくる。


「アンタ、そのニャニアンさんと付き合ってるわけ?」

「付き合いは長いな。KeMPBの最初の事務所を内覧する時――」

「……いやそういうことじゃなくて……ああ、いいわ。わかったから。アンタはそういうヤツよね。もういいから。いいっつってんでしょ! 不思議な顔しない!」


 ローキックを食らった。痛い。痛いが、遅刻して悪いのは俺だしな……。


 5月25日。


 俺は鳥取サンドスターズの応援イベントにゲストとして参加するため、鳥取にやってきていた。

 先週開催された1回目の応援イベントは、鳥取の3連勝もあり非常に盛り上がったという。そして2回目、ペナントレースの行われる最後の土日は――先週以上の盛り上がりを迎えていた。


 最後の4連戦。優勝争いをする首位鳥取と東京の勝ち数の差は0.5。

 1試合目は東京が電脳に破れ、鳥取も島根に破れ差は変わらず。そして2試合目――東京が電脳に連敗。逆に鳥取は島根に勝利したため、鳥取が入れ替わって首位に立つことになった。


 残り2試合。いったいどちらが優勝するのか、直接対決ではないものの、両チームのファンは固唾を呑んでその行方を追っている。


「はぁ。もういいわ。反省してるようだし……してるわよね?」

「している。次はモーニングコールを必ず設定して」

「……そうね問題点は改善しないとねってそこ!? いやそれも必要かもしれないけどああもう……とにかく! アンタがいない間は他の人が穴埋めしてたんだから、さっさと挨拶してきなさい、時間ないんだから!」

「わかった」


 メインイベントには間に合ったが、観光ツアーも含まれているこのイベント。俺も挨拶やらトークやらの仕事があったのだ。他にもスタッフへの挨拶もしていないし……急いで行動しないとな。



 ◇ ◇ ◇



 日が落ちた砂丘に、いくつもの光が降り注ぐ。描き出されるのは砂の流れ落ちる朽ちた遺跡。『鳥取砂丘神殿跡スタジアム』と妙に神々しいフォントで球場名が表示され、昨年と同じお約束に観客から笑いと拍手が起こる。


『みなさん、大変長らくお待たせいたしました』


 ナゲノが場内アナウンスを開始する。


『これより、ケモノプロ野球、山陰ダービーこと、鳥取サンドスターズ対、島根出雲ツナイデルス、第25回戦の応援実況を開催します!』

「ウオーッ!」「待ってました!」「ババァ愛してっぞ!」

『オイコラ誰がババァよ!? ……コホン。えー、皆様の応援のおかげで今年も鳥取砂丘でイベントを開くことが出来ました。ありがとうございます」


 砂丘を背景にしたプロジェクションマッピング。今年も業者が気合を入れて引き受けてくれた。どうやら去年以来、サンドスターズのファンになったとか何とかで……値引きまで提案してくれたが、その分は運営体制に投資してくれるようお願いした次第だ。


『本日実況を担当させていただきますのは、昨年に引き続き、島根出雲ツナイデルス公式実況者の私、ふれいむ☆です。そしてゲストにはまず、島根出雲野球振興会代表、アジキさん』

『どーもーぅ! 今日はよろピクね』


 茶髪のおじさんがサングラスをずらしてウインクすると、観客席のごく一部から「アジキー!」と歓声が飛んだ。


『これまで野球振興会の代表はカツベさんでしたが、今年からアジキさんに引き継がれたんですよね』

『そーそー、そーなのよ。若い者がやった方がいいだろ、と言って。おじさんこう見えても振興会っつーか商店会の中じゃ一番若造なのよ。だから野球あんま詳しくないんだけど、引き受けざるを得なかったのよね』


 カラカラ、とアジキは笑う。


『あ、せっかくだから宣伝しちゃお。出雲へ起こしの際はぜひ「パティスリー・アジ」へお立ち寄りください! 待ってるゼ!』


 その店でパティシエをやっているアジキは、ちゃっかりと宣伝をした。


『続いて、鳥取野球応援会代表、スナグチさん』

『どうも。いや、アジキさんにはお世話になってます』

『アジキさん、だなんて他人行儀だなあ。いつもみたいにカズ兄ィでいいんだぜ~、アキィ~』

『いや~いちおう公式イベントだし』


 仲の良さそうな男二人に、客席の一部がややざわついた。


『続いて、今年も球場内リポーターをやっていただきます! バーチャル砂キチお姉さん!』

『はーい! みんなのバーチャル砂キチお姉さんで~す!』


 プロジェクションマッピングされた球場から、ネコ系ケモノ女子が登場する。


「砂ネキ!」「おねえさーん!」

『どうもどうも! いや~、もつれてますね~、優勝争い! お姉さん、有給取って本当によかった! もしかしたら今日! 少なくとも明日には決着! みんな! 最後まで応援、がんばるぞー!』

「おおーッ!」

『アジキさん、ここはひとつ鳥取に勝ちを譲ってくださいよ~』

『ははは。ところがさ~、なんか島根も三位争いがかかっちゃってるのよね』


 昨日までに島根が62勝、伊豆が今日のデーゲームに勝利して63勝となっている。


『んなもんだからさ、いくら砂キチさんのお願いでも聞けないのよ。おじさん、プライベートでならイエスなんだけど』

『あ、はーい。そうですね~、確かに三位と四位じゃ大違いですからね~。こうなりゃ実力でやるしかない! みんな、応援よろしくね~!』

「オー!」「任せて!」「鳥取優勝! 鳥取優勝!」

『そして、スナグチさん!』

『あ、はい?』

『サンドスターズが優勝したら、お姉さん、心に決めたことがあるんです』


 胸の前で手を組む砂キチお姉さんに、客席がざわざわとする。


『お姉さん、サンドスターズが今期優勝したら――仕事を辞めてプロVtuberになります!』

「おおおおぉ!?」「マジで!」「ついにか!」


 プロVtuber。Youtubeへの動画投稿活動を専業とすることか。これまで砂キチお姉さんは働きつつ動画投稿をしてきていたのだが、職場を辞する決意をしたらしい。確かチャンネル登録者数が10万人越えたという話だし、生活が成り立つ見通しが立ったのかな。


『その暁には、スナグチさん! ぜひ、ぜひお姉さんをサンドスターズの公式実況者に!』

『あ、えっと』


 スナグチはスポーツ刈りの頭を掻きながらマイクを手にする。


『えー、前向きに検討するってことでいいすか?』

『ウウッ! どさくさまぎれで言質を取る作戦失敗!? でもでも、検討はしてもらえる! お姉さん、がんばります! まずはサンドスターズの優勝からですね!』

『はいはいそこまで。こんなところで人生賭けた話をしない』


 ナゲノが割って入る。


『はい最後。遅刻して今日ようやく初顔出しの、KeMPB代表、オオトリ』

『オオトリユウです。遅刻して申し訳ない』

「呼び捨てにされてる」「あれ代表なんだ」「ゲスくーん!」「ゲス……?」「ゲス野郎?」


 遅刻の理由は「仕事」とした。……細かく訊かれないのが逆に心苦しいな。


『以上のメンバーで実況・解説・応援をしていきます。よろしくお願いします。さてスナグチさん。残すところ2試合。ここまで東京は電脳に連敗して勝ち星が68.5。鳥取は島根に1勝1敗で69と、昨日ようやく逆転したわけですが』

『嬉しいすね。あとはなんとかこう……連勝できたらかっこいいんすけど』

『はは~ん、そうはいかないぜアキィ。こっちも順位がかかってるし――負けると振興会のおっちゃんたちが怖いからさあ』

『どちらも引けない戦いですね。さて、球場の砂キチお姉さん?』

『は~い!』


 砂丘の奥のバックスクリーンに、ブルペンにいる砂キチお姉さんが映し出される。プロジェクションマッピングを利用したもので、実際には板が建てられているだけだ。


『こちらはサンドスターズ側ブルペンです! 投球練習しているのは、高草たかくさキンタ投手!』


 異様に肩と上腕の筋肉の発達したリス系男子が投球を続ける。バシン、とブルペンキャッチャーのミットが重い音を立てた。


『おお~! 聞きましたね? 今日先発のキンタ投手の持ち味は重い球! 今期に入ってますます磨きのかかったこのボール、ツナイデルスが外野の頭を越すことはないですね!』

『うーん、手ごわい相手よね。実際飛距離があまり出ないから……どう思います、アジキさん?』

『お、聞いちゃう? そーねー、外野の頭を越せるとしたら、ウチだとドーラチャンだけじゃないの?』


 鈍足ショート、黒ブタ系ギャルの土屋つちやドーラ。


『で~も今日はスタメンじゃないのよな』

『ショートはニンジャ見習いが入りましたからね……ドーラには一塁か外野にコンバートしてほしいとこですけど』

『たまに内野フライ落としてるんで外野は難しいんじゃないすか。一塁はザン子ちゃんがいるし』

『ま、こう外野の前に、ぽてっと落としてくれてもさ、ヒットにはなるじゃん? チーム名らしく繋いでいって勝ってほしいねえ!』


 チーム打率は下位の方だけどな、ツナイデルス。


『いや~、アジキさんには悪いけど、ここはうちが勝って安心したいすね。そして電脳にはがんばってほしい』

『優勝の可能性は電脳次第ですからね。さあ、そろそろ試合開始です』


 砂丘に描かれた球場に、ツナイデルスの選手たちが散っていく。


『先攻は鳥取サンドスターズ! まもなくプレイ開始です!』

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